7月7日 七夕の日
星空の案内人として、新作を毎日更新します。
土曜日だと言うのに、今日も鍵山高校のグラウンドは賑やかだ。
人数がギリギリしかいないサッカー部、反復練習のみの野球部、男女混合で一番活気のある陸上部。
期末テストが終わったからか、どの部も夏の大会へ向けてラストスパートをかけているらしい。
そんな彼らを横目に、俺は部室のある文化棟へと入っていく。
文化部なのに土曜日まで出てくるのは、おそらく俺くらいなものだろう。
お目当ての部室に入ると、そこには俺を呼び出した女性がノートパソコンをカタカタと叩いていた。
こちらが入ってきたことに気づくと手を止め、緩くウェーブのかかった黒髪をかきあげながら視線を向けてくる。
「秋坊。遅かったじゃないか」
「いきなり呼び出したくせに酷い言われようだ。春姉、今日は何を?」
「ああ。ちょいと採点で遅れた仕事を頼む」
ほれ、と投げ出された資料を手にとってみれば、ご丁寧にも何部コピーしたらいいのかわかるように付箋が貼ってある。
しかし、同じような資料が散乱してるってことは、既にコピーが終わっているんだよな?
一瞬だけそう思ったが、それはこの春姉が呼び出したという前提を無視したらの話。
よく見ると手にとった資料は、ばら撒かれている資料と似て非なるものだった。
「……念のため確認するけど、ここにある資料、全部?」
「ああ、全部だ。12クラスの人数分、よろしく頼むぞ。なぁに、コピー機をフル稼働させたらすぐさ」
「これ教師の仕事では? しかも土曜日に呼び出しておいて……」
「天文部の活動として申請はしておいた。対価は部費だ」
そう言われたら断るものも断れない。
この春姉こと、生天目先生が顧問を勤める天文部員は俺一人。
春姉とは家族ぐるみの付き合いということもあって、いまや良いように使われる雑用係だ。
「まだ部費を増やすから良心的だろ? これなら生徒にやらせても問題ないはずだ」
「むしろやらせることが間違っているよな」
春姉は既にノートパソコンの画面に夢中なので、反応はない。
ま、いつものことか。
頼まれるのは初めてでもないし、部費のためにひと仕事しますか。
職員室でのコピーを終え、プリントは全て春姉の机に。
いちいち部室へ持っていっても二度手間なわけだが、春姉はなぜ最初に持ち込んだのだろう?
「コピー終わった。職員室の机に並べておいたから」
「おう、サンキュー。こっちもちょうど終わったところだ」
パタン、とノートパソコンを閉じる音が聞こえた。
あれから約2時間。
コピーだけとはいえ、思ったより時間がかかってしまった。
部費として貰えるのはワンコインらしく、時給換算するのが馬鹿らしくなるくらいの労働だ。
春姉と一緒に文化棟を出ると、あれほど活気があったグラウンドからも人が消え去っており、いまや寂寂としている。
大体の部活は18時までの活動なので、それも仕方のないことだろう。
「さて、天文部の本領発揮なわけだが。今日はどこか行くか?」
「やめておくよ。紗苗が待っているからな」
「まあいきなりだったからな。秋坊も手ぶらということは、その気はなかったんだろ?」
「そうだけど、呼び出した本人がよく言う」
いつもは天体観測とシャレこむというわけだが、今日は七夕。
近くにある観測スポットも、土曜日ということもあってカップルで混雑している。
今日くらいは、夜空を楽しむ織姫と彦星をそっとしておこうと思っていた。
「じゃあ職員室の戸締まり確認したら帰るぞ。ほい、車のキー」
「今日もよろしくお願い……っと。校門が開いたままだけど?」
「何? 最後の部員が閉めることになっているのに、仕方ないな。秋坊、頼んだ」
そこで私が、とならないのが春姉らしい。
校舎からはさほど離れていないが、職員玄関から校門までは歩いて5分といったところだろう。
ガラガラガラガラ…………と、大きな音を響かせて門を閉める。
校門ってのは、どうしてこうムダに重いんだか。
そんなことを考えながら校舎へ歩いていると、どこからか地に響くような低音が聞こえてきた。
もう生徒は誰も残っていないはずなのに、まさか?
「……孤独に練習を続ける幽霊――ってアホか」
夏が近いからか、最近聞いた怪談にそんなものがあった。
誰もいないグラウンドで、一人延々と練習を続ける幽霊がいるという。
何度も走り高跳びを繰り返しては、バーを越えられずにふっとばす。
しばらくすると、スンスンとすすり泣く声が聞こえるという。
すり抜けずにふっとばす時点で、幽霊でもなんでもないと思う。
だがしかし、この音が聞こえるのはグラウンドのほうから。
見渡した限りでは誰もいないが、まさかと思いつつも警戒して音の聞こえるほうへ近づいていく。
聞こえるのは、体育倉庫からか?
扉には南京錠がかかり、施錠されているが……。
その時、音が途切れた。
いや、よく耳をすませば、微かだが女性がすすり泣くような声が聞こえてくる。
何か、喋っている?
「……れかぁ……っ…………て…………けで……っ!」
「誰かいるのか?」
「っっ!」
ガタン、と扉の向こうで何か動いたかと思うと、すぐにバンバンと扉が強く叩かれた。
いきなり大きな音出すなよ……怖いだろ。
「います! 助けてください! お願いしまします! どうか、どうかっ!!」
「わ、わかった。すぐに先生を呼んでくるから!」
「あなただけが頼りなんです! み、見捨てないでください!!」
先程よりも勢いを増す音にビビりながらも、慌てて春姉を呼びに。
今日は土曜日。
明日は学校も閉まるので、このままだと彼女は月曜まで体育倉庫に監禁されてしまう。
校舎まで息を切らして戻ると、ちょうど春姉が出てくるところだった。
「はぁ……はぁ……春姉っ!」
「なんだ、そんな息を切らして。残念だか私にハァハァするのは――」
「倉庫! 鍵! 閉じ込められてる!」
それだけで春姉には伝わった。
春姉と共に、急いで職員室へと舞い戻る。
体育倉庫の鍵は――あった。
「全く、誰がこんな酷いことを!」
「今はそれより彼女を!」
「やはり女子生徒か。秋坊は……まあいい、こい!」
どうして言い淀んだのかは謎だが、今は彼女を解放することが優先だ。
グラウンドは既に暗闇に包まれている。
体育倉庫からは声が聞こえなくなっていたが、春姉は迷わず扉の向こうへ話しかけた。
「いるのか! いま鍵をあける!」
「はい! お願いしますっ!」
鍵は春姉が持っているので、カチャカチャとしている間がもどかしい。
やがて、南京錠が投げ捨てられる。
引き戸を開けた途端、勢いよく誰かが飛び出してきた。
「うわああぁぁあああぁん!!」
「おっと……よしよし、怖かったな」
飛び出てきたのは、ハーフパンツの体操着姿の女子生徒が一人。
正面にいた春姉に抱き着いているが、もし俺が代わりにいたらあの抱擁は――いや、仮定の話はやめよう。
後で気まずくなったり、春姉にからかわれるのが目に見えている。
「……秋坊。悪いが一人で帰ってくれるか? あたしはこの子を送っていくから」
「いや、俺も手伝うよ。荷物を取りに行ったり、同じ子がいないか確認する必要もあるだろ?」
俺としては至極まっとうな意見を言ったはずなのに、春姉は渋い顔をする。
人手はあったほうがいいんじゃ?
「察しが悪いな。簡単に言うと、お前の妹や他の女生徒ならいいが、お前はダメだ。これでわからなかったら部費を全額カットするぞ」
まだ泣き止まない女子生徒をちらっと見て考える。
紗苗が良くて、俺はダメ?
妹は年下、異性、そして彼女は何時間前からここに……。
ある可能性に辿り着いてしまったが、これは気づかぬフリをしろっていう春姉からのメッセージらしい。
「……わかった、俺は何もせずに帰るよ。車のキーは返す」
「ああ。悪いな、それとよくやった」
もう俺に出来ることはないだろう。
春姉は気づいたが、俺は気づかなかったことにしなければならない。
そうしないと、彼女がいたたまれない。
ひとり、七夕の夜を歩く。
さっきの女生徒とは言葉を交わしただけだ。
お互いに顔も見ていない。
「ま、ヒーローなんて柄じゃないしな」
頭上に輝く彦星、アルタイルを見上げながら、俺は言い訳するかのようにそうぼやいた。