4. 神帝、商人に誘われる
クロノアールは神々の中で特別温厚な訳では無いが、かといって沸点が低い方でもない。
もちろんそれは神々の中では、という評価ではあるが、とはいえ自分の容姿が人目を引くことは承知している上それに人間がつられたとしても腹を立てることは無い。
だからといってそのつられた人間と和やかに会話したいかと聞かれればその答えは残念ながら否である。
こんなことで騒ぎを起こすつもりは無いし襲いかかってきた盗賊のように問答無用でぶっ飛ばすことはしないまでも、鬱陶しいことには変わりはないのだ。
「・・・・・・申し訳ありませんが、どちら様でしょうか?」
クロノアールの、目の前の商人らしき男に欠片の興味も抱いていない、という様子に内心苦笑しながらシルヴィは主を庇うように一歩前に出ながら言った。
目の前の男ーーーそのでっぷりと太った体と全身を飾る豪華な装飾品と上等な服を悟られぬよう観察する。
たくさんの金を持つ人間が贅を尽くすことは決して悪いことではない。
せっかくのお金を溜め込んでいては経済は回らず停滞してしまうからだ。
しかし、その貼り付けたようないやらしい笑みと締まりのない体つきはあまり品がいいとは思えない。
シルヴィが前に出た瞬間、一瞬ではあるが苛立ったように顔を顰めた上シルヴィを従者と思って下に見たのか見下すような視線を向けたこともやはり気分のいいものではなかったが。
ーーーそれ以上に、主へなめるような下卑た視線を向けたことが非常に不快でたまらなかった。
「これはこれは失礼。私、グラード商会の会長をしております、ケイネス・グラードと申します」
男ーーーケイネスが媚びるような眼差しでそう名乗る。
グラード商会、という言葉に、クロノアール唇が付き合いの長いシルヴィにしか分からない程度ではあるが釣り上がる。
(グラード商会はさっき僕らを襲ってきた奴らの「黒幕」だよ、シルヴィ)
(ということはこの男があの盗賊たちの黒幕であると?)
(みたいだね。・・・・・・グラード商会、あとでお礼参りはするつもりだったけど・・・・・・はてさて、どんな用かねぇ?)
自由商業国家のフォーネルにおいて、奴隷商売は合法である。
しかし、全てが自由という訳ではなく、そこには明確なルールが定められている。
奴隷には借金奴隷と犯罪奴隷の二種類が存在し、それぞれ扱いも違うのだ。
借金奴隷とはその名の通り、借金をして奴隷となった者のことを示し、その所属は商業ギルドにある。
借金で首がまわらなくなった者や、自らお金のため身売りをして借金奴隷となった者など様々だが、それらのお金を商業ギルドが肩代わりし、奴隷達はギルドに借金を返すために借金奴隷となるのである。
奴隷として働いて自身に課せられた借金を完済すれば奴隷から解放される上それなりに人権が保証されており、明確な規約の元、商業ギルドから奴隷を必要としている主人へ貸し出され、主人は商業ギルドに借り賃を支払うのだ。
借金を安定して返せる上利子もつかず、強引な取立てもないため、そして主人の元で働き技能を身につけられるということで自ら借金奴隷になる者も少なくはないのである。
また、借金奴隷に暴力を奮ったり、体を無理やり要求する行為は違法とされている。
この辺のルールに関しては、借金奴隷は奴隷契約の条件及び規約などが組み込まれた魔道具を身につけることになっているので、たとえば借金奴隷の主人が奴隷に対し暴力を奮ったり無理やり体を要求すれば、すぐさま魔道具に記録され、その情報が商業ギルドに送られる。
借金奴隷の主人は奴隷を商業ギルドから「借りている」状態に近いので、規約違反が商業ギルドにバレれ、また、万が一に奴隷に何かあった場合はそれ相応の責任を取らされることになるのだ。
商業ギルドとしても、奴隷達に何かがあれば自分の借金を返せなくなり、赤字になることは明白なので対応に動くことが多いのだ。
このように、雇用契約と同じく奴隷達の身の安全が保証されているように見える借金奴隷の制度だが、実はここには穴がある。
お金持ちや貴族が主人となる場合、金をちらつかせて奴隷に体を要求したり、商業ギルドを金で買収して奴隷を思うままに扱ったりが可能なのだ。
上手い話には裏がある、という訳では無いが、借金奴隷にもリスクがあるというわけである。
対して犯罪奴隷の扱いは借金奴隷に比べるまでもないほどに劣悪だ。
犯罪奴隷とは、先程シルヴィ達が見たもので、何らかしらの罪を犯した者が罰として落とされるもので軽犯罪奴隷と重犯罪奴隷の二段階存在する。
軽犯罪奴隷は個人が主となることが可能で、無償の奉仕が求められており、主人は奴隷が生きる上で最低限の施しを与えることが義務付けられている。
これは奴隷に落とされることが罰であるので、さすがに直ぐに死んでもらっては困るから、という理由だとか。
そしてもう一つの重犯罪奴隷、こちらは個人が主となるというよりは、たとえば鉱山での強制労働など、一般の人々がやりたがらない作業を行う要員として使われる。
きつい、汚い、危険の三拍子揃った場所での作業は個人に仕える以上に酷使されることを示しており、その罪にふさわしい罰と言えるだろう。
これら二つがフォーネルにおける法律上の奴隷である。
だが、商業の自由という光の裏側ーーー影の部分として、もう一種類奴隷が存在する。
それが闇市場で取引される違法な奴隷ーーー奴隷商達によって村や森などで攫われ強制的に奴隷とされ、生死の保証はおろか、生活の保証すらされていない最底辺の扱いを受ける者達である。
もちろん、フォーネルは違法奴隷を認めている訳では無いが、奴隷商の多くはその表の顔として大商会の主であることが多く、また、そういった商人達は証拠を残さず、残しても有り余る金で握りつぶしてしまう。
商業を重んじるフォーネルとして、それらの商人たちを証拠もなしに潰すことは出来ず、結果としてそのほとんどが野放しの状態で放置されているのだ。
ヘイスに辿り着く前に二人が襲われた理由がこの違法な奴隷商売ーーーグラード商会によって雇われた男達によるものであった。
「なるほど、あのグラード商会の方でしたか。私はシルヴィと申します。我が主が訳あって名乗れぬご無礼をお許しください」
シルヴィはグラード商会を知らないが、この男ーーーケイネスの態度から有名な商会であることは想像がついていた。
ケイネスはクロノアールがどこかの貴族の子息と勘違いしているようだし、そのまま話を合わせた方がいいだろう。
「おお、これはこれは・・・・・・お忍びでいらっしゃいましたか。失礼を」
「いえ。・・・・・・この街の商業ギルドを主が一目見たいとのことでしたのでやってきた次第ですが・・・・・・特に用というものは」
「なるほど、そうでしたか・・・・・・私はですね、大変お美しいお方でしたので、ぜひ我が商会でおもてなしさせて頂きたいと思いまして・・・・・・」
商人らしい営業スマイルを浮かべるケイネスに、シルヴィは従者らしく指示を仰ぐように黒幕の方へ視線を向けた。
(どうします?)
(おもてなし、ねぇ。さっき面白いおもてなしならうけたが、まぁいい)
「今すぐには無理だが、後ほど、時間があればグラード商会へ出向こう」
「おお、誠でございますか?いつでも我が商会へいらしてください」
大袈裟に感激して見せたケイネスにクロノアールは薄い微笑を返し、踵を返す。
(これ以上話しかけられないうちに出るぞ、シルヴィ)
(了解です)
ーーーさてさて、あの男・・・・・・ケイネスだったか?僕らを招いて何をするつもりなのやら。
今はとりあえずグラード商会の情報が欲しい、そう思考をめぐらせながら二人はきらびやかなギルドを後にした。
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