2. 神帝、始まりの街へ到着する
フォーネル有数の商業都市、ヘイス。
自由な商業を推進するこの街は他国の街に比べて出入りがしやすいのが特徴である。
例え身分証がなくとも犯罪者かどうかを確認する魔道具ーーー魔術を組み込んだ魔法道具であるーーーに触れて確認し、一人あたり銀貨一枚払えば街への出入り許可証が貰えるのである。
そういう意味でも身分証を持たない、そもそも出自を話せるわけもないクロノアールたちが最初に訪れる街としては最適と言えよう。
ちなみにこの世界の貨幣はどの国でも共通で、単位は全部で六種類ある。
上から白金貨、金貨、銀貨、小銀貨、銅貨、小銅貨で、その価値の差は一番安い小銅貨を一とした時、銅貨は十、小銀貨は百と、十倍に増えていく。わかりやすい例えで言えば、一般的な暮らしを送るのに必要な金額は1日あたり銀貨1枚前後だとか。
クロノアールらがこの世界へ来る前に当面の資金としてアレシアに渡されたのは金貨10枚と銀貨20枚(クロノアールの指定)であり、先程男達から奪ったのが金貨35枚なので二人はそこそこのお金を持っている計算になる。
そのため、もちろん魔道具もパスした二人は銀貨二枚を支払い無事ヘイスへと到着したのであった。
「おお、さすが噂に聞く商業都市。栄えてるねぇ」
「そうですね。とても活気があるように見えます」
レンガ造りの舗装された道に立ち並ぶ大小、そして商品も様々な店に多くの人々。
噂にたがわぬ賑わいぶりに思わず笑みが浮かぶ。
「それで、クロノアール様。まずどこに行かれますか?」
「うーん、そうだなぁ・・・・・・」
今回の下界訪問に際して、シルヴィはもちろん、クロノアールにもとくに目標がある訳では無い。
ただ、興味の赴くまま、気の向くままの旅をする、それがある意味での目的であった。
クロノアールも、そしてシルヴィも、こうして下界に降りることは今まで一度もなかったのである。
下界に実は興味のあったクロノアールはもちろんのこと、シルヴィにとっても話では聞いていても見たことは無い人間達、そして彼らが作る街には少なからず興味が湧くのは当然のことだった。
「まぁ、とりあえず。今日の宿を探すのが先決だな。とはいえ、右も左もわからないこの状況だ、どう宿を探したものか・・・・・・ふむ、よし」
「クロノアール様?」
一人頷き、なにかを探すように当たりを見渡すクロノアール。
ふと、お目当てを見つけたのか、小さく笑みを浮かべ歩き出す。
主が何をするつもりなのかは分からないが、きっとなにか目的があるのだろう。そう思い、シルヴィは無言でそのあとを追った。
クロノアールが一直線に向かったのは、何やら甘い香りが漂う一軒の出店。
並べられていたのは不思議な赤くて丸いものが棒に刺さったらもので、近づくとより一層甘い香りが際立つ。
その香りに、なるほど、とシルヴィは納得の表情を浮かべた。
もとより、神、そして天使である二人には食事の必要は無い。
とはいえ、クラストリカでは生命維持のためではなく、嗜好品として食べ物を口にする者が一定数存在した。
シルヴィはさほど興味はなかったが、クロノアールはこの食べ物のうち甘いお菓子が大好物でシルヴィもよくクロノアールのために食の神たちに教えをこい、お菓子を自ら作ることも多々あった。
その知識からして、この不思議な赤い球体はおそらく、「林檎」というものであろう。
てかてか光る理由は分からないが、これがお菓子の一種であることは容易に想像がつく。
とすれば、クロノアールはおそらく・・・・・・。
「御機嫌よう。君がここの店主かな?」
「お、いらっしゃいーーーおっと、こりゃあたまげた、随分と綺麗な坊主だな。大商人のお坊ちゃんかね?それで、なにかご入用かな?」
にっこりと、余所行き用の笑みを浮かべたクロノアールは、見た目だけならお金持ちのご子息である。おかげで心象が良かったのか、店主らしき男は身を乗り出して言った。
「うん、美味しそうだなぁって思ったから、そのりんご飴を・・・・・・そうだな、十個くれるかな?」
「!さすが気前がいいねぇ。・・・・・・ほら、はいよ。小銀貨5枚だよ」
「ふふっ。ありがとう、おじさん」
りんご飴を両手いっぱいに受け取り、微笑むとクロノアールはちらり、とシルヴィに目配せをした。
(・・・・・・さすが、この方は人のあしらいを心得ていらっしゃる)
クロノアールが下界に降り、実際に人と触れ合ったことは今の今までなかった。
とはいえ、クラストリカ内のみならず、各世界の全てを把握していた上、有事の際は世界を自ら管理したこともあるクロノアールにとって、人間あしらい方など、実践したことがなくとも朝飯前であった。
すなわちーーー特にここは商人の街である。気前よく店の商品を買ってくれる、そしてお金持ちに見える者には誰でも親切になるのは現金なことではあるが容易に想像がつく。
甘いお菓子を売っている店を選んだのはおそらくクロノアールの趣味だろうが、その目論見は大成功であった。
「店主殿。少しよろしいでしょうか?」
「お、なんだ、従者の兄ちゃん?」
予想通り、それなりの数を買い上げたクロノアールおよびその従者のシルヴィに対し、店主の態度は好意的だった。
「この街でいい宿など、色んな情報が手に入る場所ってありますか?」
「兄ちゃん達はひょっとしてこの街初めてか?」
「ええ、まぁ」
「なるほどなぁ・・・・・・それなら商業ギルドなんかどうだ?あそこならここから近いしな」
「商業ギルド、ですか?」
商業ギルド。それについてはアレシアからの説明にも登場した組織である。
商人たちが商売を始めるに際して、必ず登録しなければならないのがこの商業ギルドだという。
商人達をまとめる組織、それが商業ギルドなるものだ。
「商業ギルドならこの道をまっすぐ行った先にある。でっかい看板が立ってるからわかりやすいと思うよ」
「そうですか。ご親切にありがとうございま・・・・・・」
「・・・・・・シルヴィ」
店主へ礼を言いかけ、唐突に自分の上着を引っ張る手とかけられた言葉に、声の主ーーークロノアールの方へと視線を向ける。が、その張本人の視線はシルヴィではなく、その後ろへと向かっていた。
何事かと、シルヴィはその視線の先に目を走らせーーー目を見開いた。
ジャラリ、ジャラリ、と金属が擦れるような音があたりに響き渡る。
その音の主を、街の人々は嫌そうに表情をゆがめて避けるように歩いている。
音の主ーーー重そうな鉄の鎖に繋がれるようにして一列に並べられた、粗末な布を身に纏う5、6人の男女。
屈強な男達に囲まれ俯きながら歩くその様に、シルヴィは僅かに目を伏せた。
ーーー奴隷。
この自由な商業都市に存在する影の部分。自由と引き換えに存在を許してしまったもの。
たしかに、自由は万能ではない。そこには代償が必要である。それはシルヴィも理解していたことだ。
けれど、こうして目にしてしまうと、人間に対しさして思い入れのないシルヴィであったとしても心のうちに不快感が沸き起こってしまうのは止められなかった。
クラストリカで生まれ、クラストリカで過ごしてきた自分には決して理解できない人間の醜悪な部分。
もちろん、クラストリカにも人で言う身分の差のようなものは存在したが、しかし、「下位のものを上位のものが虐げる」という、決してクラストリカでは起こりえない、その光景に。
この光景に、全ての頂点に立つクロノアールはどう思っているのだろうかーーー?
ふと、心のうちに湧いた疑問に、シルヴィはチラリと背後に立つクロノアールへ視線を向けた。
(・・・・・・?)
その、見慣れているシルヴィをもってしても時に見惚れてしまうその美貌にはなんの感情も浮かんでいない。
しかしすっと細められた黄金の瞳には、冷ややかさと楽しげという二つの対極といってもいい感情が両立しているように見えた。
その、残酷にして美しい視線が見られているのに気がついたのかシルヴィに向けられると共に消えていく。
「ボクが奴隷に対してどう思っているかが知りたいのかい、シルヴィ?」
「っ!」
考えを見透かされたことに、しかし何故かシルヴィの心に動揺は浮かばなかった。
それ以上に、この美しすぎる主がどう思っていたのかが知りたかったのかもしれない。
「・・・・・・ボクはね、シルヴィ。別に人間のこと、嫌いでも好きでもないのだけど、でもねぇ無関心ではないんだよ?だからまぁ、つまり・・・・・・」
クスリ、と、美しい顏に新しい玩具を見つけたような笑みが浮かぶ。
その残酷なまでの美しさに思わず息を呑む。
「実に、興味深い。どうしてこう、人間というのは面白いのだろうねぇ?」
長年、この尊き主と共にいた経験から、直ぐに察したその言葉の意味に、シルヴィは無言で苦笑を浮かべた。
神を統べる神、神帝クロノアール。
クラストリカにて、突拍子もない思いつきで行動し、様々な騒動を起こしてきた傍若無人な神。
けれども。
全ての神々に対し、絶対的な存在でありながら、しかし、いかなる場合においても決して個々に干渉はせず。
世界や神々、人間。あらゆるものに興味を持ちながらも神帝以下、神々の個々の役割を尊重し。決して己の権能を直接振るうことはないーーーすなわち、クラストリカにおける絶対的な傍観者。
クロノアールの役目は、神々の頂点として君臨し、管理し、明確な規律違反を犯す神を除いて一切の手は出さず、傍観する。
誰よりも賢く、そして誰よりも全能な彼女が直接その権能を使えば、どの神が管理するよりも、どの神が権能をふるうよりも良いものが出来上がるだろう。
しかし、クロノアールは自らそれを行うことは無い。
それはなぜかーーー?
その理由は単純明快。
最初から完璧では、それ以上の進歩は望めないから。
クロノアールが権能を使えば、きっと人の世に奴隷など生まれないだろう。
貧しく、苦しい人々も生まれないだろう。
誰もが幸福で、誰もが満ち足りた世界。あらゆるものが完璧な世界。それはきっと一見素晴らしいものに見えるだろう。
けれど。
ーーーそれではまるで箱庭のお人形ではないか!
クロノアールはかつて、シルヴィにこう言った。
完璧でない神が作った、完璧ではない世界だから、だからこそ面白い、と。
完璧を実行できる力を持ちながら、それをせずにあくまで「傍観者」であり続ける。
手を貸すことはあっても、道を示すことはあっても、自ら手を下さない。
誰よりも残酷で。
そして誰よりも欠陥者たちの可能性を愛する。
それこそがこの神帝の真髄であると!
店主に礼を言い、店を離れたシルヴィは手にりんご飴を持ち、上機嫌な主に視線を走らせる。
先程買ったりんご飴のうち、九個は既にその手になくーーー大方彼女がよく持ち物を入れる亜空間にでも保管したのだろうーーー手に握られた一つを齧りながら歩くその姿に。
ーーー悪趣味ではあるけれど、否定はできないかつてのあの言葉を思い出し、シルヴィは敬意の眼差しを向けるのだった。
次の更新は25日です(*´ω`*)