51 ^ 再会は静かにずっしりと
本来ならば惑星への降下……というか着陸はなかなかに神経を削る、細かい数字を直前どころかリアルタイムに計算し続けなければならないような行為である。
小型の着陸船を用いる場合でもある程度の訓練を積んでいないと多少の怪我や小型船の破損を覚悟しなければならないし、大型船をそのまま着陸させようとするならばその調整は綿密な計画が必要だろう。
ましてやこの艦のようなコロニー艦は普通、地上に『着陸』することを想定した設計をされていないことが大半だ。宇宙で建造して宇宙で使う、どうしても惑星に降りるならば小型船を使う。コロニー艦は言うなれば生活できる艦なのだからそれでもさほど問題は無いということでもある。
が、絶対にできないと言うことでも無い。
というか着陸だけならば絶対に出来るように作らせている。
万が一、たとえば機関などに問題が起きて重点的な修理が必要なとき等は、たとえコロニー艦でも着陸できないと不便だし、コロニー艦を破棄する際にも困るためである。
ただし、コロニー艦の大概は残念ながら着陸が出来ても離陸が出来ない。一度惑星の地表に降りたら最後、そのまま置物になる恐れもある。必ずしもそうなるとは限らないけど、そういう条件が付いてしまうことが大半なのだ。
で、今回のケースの場合、このコロニー艦ユーラジアが持つ出力ではあの惑星のどこに着陸するにせよ、離陸は通常の手段では不可能である。大気圏内を飛ぶ事すらも難しいだろう、つまり今回は置物コースだ。
けれどそれは普通の話。
この惑星には彼が居るし、洋輔も居るし、ソフィアもいる。
全盛期に殆ど近しい僕達が居る以上、その程度の物理法則はあってないようなものだろう。
そんな僕の思いは思いがけぬ形で裏切られた。
「助かると言えば助かるのですが、なんともえげつないですね……。この力は『洋輔』様のものでしょうか」
「原典はそうだろうね。実際に使ってるのは彼かも? ま、楽ができて良いと考えれば良いんじゃない?」
「いえ、楽なのは佳苗様だけであって、見ての通り艦の操舵手をはじめとした管制系は大困惑していますからね」
「無駄な努力だよ。みんなゆっくりしてれば良い」
「佳苗様……」
いや、実際無駄だし。
「剛柔剣。原典としては洋輔の感覚だけれど、洋輔はその感覚を元に観測して、干渉する事も出来るようになっていた……僕も洋輔のその感覚を別の形で条件付きで手に入れていて、その条件を満たしている範囲ならばあるいは洋輔をも凌ぐ形で錬金術的に干渉が出来るようになっていた。この世界に来た時点でそうだ、今の彼にだってそれは出来る。この艦から『重さ』を消失させ、大気圏に突入するや否や全体をなんかバリア的なものが覆って摩擦熱や大気との衝突をほぼゼロにまで無くし、その上でこの艦を『思った通りの場所に下ろす』。洋輔がやるとは思えないな。やっぱり彼の仕業だろう」
「……確かに、もの凄い笑顔ですものね。あの彼」
「でしょ?」
モニター越しに見る彼はまるで木天蓼……いや、チュールあたりをちらつかせられた猫のような獲物を見るような目と、子供がケーキを目の前に置かれた際のような期待に表情を輝かせていて、いまかいまかと着陸させようとしているようだった。
まあ彼も存外慎重というか、一気に着陸させようとはしていないようだ。ちゃんとゆっくりソフトタッチというか、地表への影響を最小限にしつつこの艦へのダメージをゼロに済ませてやろうとでも考えているのかもしれない。
「お優しいのですね、この時期の、幼いはずの提督でさえも」
「いや、優しくは無いと思う」
「そう……ですか?」
「うん。だって彼、この艦のことなんて二の次三の次だよ。もちろん無傷で手に入れられるならばそれが一番、だから『ピュアキネシスと防衛魔法を組み合わせた物理的バリア』を発生させてまで守ってくれてるし、それはこの艦に興味があるからという部分もあるだろうけど、それ以上に猫のためだから」
「…………。猫のため?」
「うん。猫のため。猫が怪我をしたら大事だ、猫を驚かせては可哀想だ、そんなところだと思う。一に猫、二に猫、三に猫、四に猫、五でようやく洋輔あたりが心配される程度の心境というか精神性というか……」
それは僕自身の過去でもある。だからそれは断言できる。
彼は僕達のことはさほど心配していないのだ。
「ま、僕達については即死してなければそれでいいやって程度だろう」
「…………」
リザレクションなりエリクシルなりいくらでも打つ手はあるしね……。
結局僕のそんな言葉に管制塔の面々も状況の制御を諦め、記録にシフトを移していったようだ。賢明だと思う。
ともあれ。
地上からの干渉を受け始めてからおよそ二時間、僕達が乗るコロニー艦ユーラジアは無事に着陸……本来大気圏への突入に伴い剥離するはずの熱保護膜層はその一層すらも剥離せず、コロニー艦の全施設に影響なし。
本来はこの惑星から受けるはずの重力の影響が無いのは……、まあ、僕だしな……。
当時の僕なら陰陽凝固体は一通り押さえてるだろう、鼎立凝固体も持ってるはずだ。それに単なる魔法でもこの艦全体に重力の影響を与えなくするくらいは出来てもおかしくは無い。
そんなわけで、地表への静かすぎる着陸を終えても尚、靴に仕込まれているマグネットを有効化しないとふわふわと無重力状態なコロニー艦なのだった。
「さてと。それじゃあアンサルシア、艦長と一緒に少し任せるよ」
「はい。お任せ下さい」
「必ずや命に答えましょう」
「よろしい」
管制塔から離れ、予定通りとあるブロックへと移動。そこにいた猫たちを統率しつつ厳重極まる七段階の扉を潜り、そして最後の幕が開く。
黒縁眼鏡をした少年。
目と表情を輝かせた男の子。
紛うことなく――まるでその全てが僕と同じ身体の、『渡来佳苗』。
「猫! 猫だ! よっしゃァ!」
いやちょっとテンションがおかしいかな。
僕はもうちょっと大人しいと思う。
とちょっと冷静になったところでその彼は、ようやく僕に気付いたらしい。
「あれ? ……ん? 鏡じゃ無いね。服が違うし。でもそっくりだ。クローン……、でもなさそうだな、でも魔力は殆ど感じないし、僕だったらもっとスムーズに錬金術なりなんなりで着陸できるもんね?」
「その辺りも含めて説明をし――」
たいんだけれど、と言いかけたところで僕の背後から一陣の風が吹き抜けた。
否、風が吹き抜けたかのように錯覚したけれど、正しくは僕の後ろから辛抱溜まらず猫が飛び出たようだった。
そしてその飛び出た猫は彼の胸元に飛び込むと、彼ははにかみながら慈しむように猫の身体を撫でている。ううむ。
「――こほん。改めて、その当たりの説明をし――」
「おい馬鹿佳苗。何を勝手なことをしてやがる。伝承通りの存在だったらどうするつもりだ。つーか内憂外患じゃねえか反省しろ!」
改めて説明を試みたところで唐突に彼の横には見慣れた、けれど今となっては会えない『幼馴染』と同じ身体の――『鶴来洋輔』が顕れていた。
そして猫を撫でる僕の首にとんっ、と手刀。
「にゃ」
そして妙な声を上げてその場に崩れ落ちる彼はそれでも猫を守っていた。
ううむ。まるで容赦が無い当たり、
「もしかして彼は特に何も説明せずにこの状況を作ったのかな……?」
「おう、まあ概ねは理解してるつもりだけどな。えっと……、一応こっちのことは解ってるだろうけど、そっちも名乗ってくれるか?」
「うん。えっと、僕も渡来佳苗だよ。君たちと比べるとずいぶんと未来から来てるんだけど」
「未来?」
「そう」
「時間跳躍……? そんな事が可能なのか?」
「出来たからこうやって来たんだよ。で、来た理由は単純明快、勝利条件と僕達が失敗した理由を説明したいんだ。…………」
「……どうした?」
僕の微妙な沈黙に違和感を覚えたようで、洋輔は僕に視線を向けてくる。
何かを思案しているようにも見えるけれど、よく分からなかった。
「……ごめん。ちょっと、ここに来るまで色々あって……、僕の洋輔ともはぐれちゃって」
「いやお前の物になる予定は将来的にもねえぞ俺」
「その言い訳は厚かましすぎない? ていうか彼と洋輔がどこから決定的に僕達とズレた時間軸を歩いてるのかはわからないけれど、具体的に僕と洋輔がどんな関係なのかここで口に出して子細に説明をし」
「なくて結構だ理解した。但しその前に一つ確認だ、その宇宙船、特に危険は無いんだな?」
「うん。猫を連れてきた、程度かな……。大いなる種族の話をしているならば、それはちょっと別件だよ。それも含めて色々と説明をさせて欲しい」
なるほど、と洋輔は納得したらしい。
地面に崩れ落ちたまま動かない彼を拾い上げて言った。
「説明は当然してもらうが、その場にこの佳苗は居ても大丈夫なのか?」
「……まさか理極点のこと、知ってるの?」
「うぇーく……? いや、それは知らねえけど。ほら、時間遡行系の作品ではよくあるだろ。過去の自分と会話すると色々とよくないみたいな」
ああうん、そういうことか……。
こういう所でも無意識に最善手を執るあたりが懐かしいなあ。やっぱり洋輔は洋輔だ。
けれど不思議と、僕は思った以上にこの洋輔に愛着を覚えていないけれど。
「そういう認識も含めて全部説明する。ソフィアとは連携状態にあるんだよね?」
「ああ。同席させるか」
「できれば」
「解った、そうしよう。しかしその間この佳苗はどうしたもんか」
きゅうう、と完全に意識を手放しつつも、恐らくは随分振りなのだろう猫の感触に頬が緩んでるあたりやはり彼は彼だった。
「まあいいや。暫く寝かせておくか」
「洋輔って時々僕に厳しいよね……」
「愛情の裏返しみたいなもんだよ。それに……、こいつは『お前』と実際にやりとりをするまで、ずーっとその船を観測し続けてたからな。銀の塔回りで大警戒してたんだぜ。寝ずに」
「あー」
それは悪いことをしたかも知れないけれど、他に手も無かったしな……。
「だがまあ、説明をされる前に一つ確認だ。お前にとっての俺はどうなってる?」
「…………。時間遡行に失敗した、って事は間違いないと思うけど、具体的に今どうなってるかは解らない。使い魔の契約も途切れてるみたいだし……そもそも、今の僕には魔法も錬金術も扱えないんだよ。理由はよくわかってないけど」
「……なるほどね」
まるで心当たりがあるかのような言い方だなあ。
真偽判定……、無理か。今の僕に洋輔を突破できるとは思えない。
「ならば先に教えておいてやるよ。『お前にとっての俺』は、間違いなく無事だぜ。つーか今も現在進行形で恐らくお前の横に居る。概念的な話じゃねえけど物理的な話でもねえ……ま、お前の契約は未だ『有効』だ、安心しな。……それと、『こっちの俺』でもいいならとりあえず甘えてみるか? 多少は気が楽になるかもしれないぜ」
「あはは、それは……」
……それは。
ああ、
ようやく、
なんだか、実感がわいてきた。本当に目の前の洋輔は、やっぱり洋輔で。
「ごめん。一通り説明を終わらせたら、お願い」
「了解。しかしそうなると……よっぽど切迫してるみたいだな、未来の俺たちは」
「うん。具体的にはクリアフラグを破壊しちゃったみたいなものでね」
そして現在進行形でちょっと危ないことをしているので、早めに説明をしなければいけないのだけれど。
「そりゃ厄介な話だ。ソフィアは同席させるか?」
「できれば」
「ならばそっちが移動して貰うことになるが」
「構わないよ」
「『吾輩』で始まる例の有名な小説のタイトルを日本語で。それで緊急脱出が発動する。その移動先を今、俺たちの拠点にしてるから……そこで話して貰う」
「わかった。『吾輩は猫である、名前は未だ――』」
無い。
言葉を紡ぐ……瞬間、視界ががらっと入れ替わる。
そこは大理石のような白い石で作られた部屋だった――テーブルは円卓状になっていて、そこには既に一人の少女が着席していた。
こちらもある意味、見慣れた少女。ただ……頭の上に光輪が付いているのは、珍しいな。
「ソフィア……か」
「ええ。私には正直、いまいち状況がつかめていないのだけれど……とりあえずわたらいかなえが増えた、んじゃなくて、未来のわたらいかなえがやってきた。そういうことね?」
「うん。詳しく説明させて貰うよ」
「そうして頂戴。その説明に必要なものがあるなら言って頂戴、準備するわ。今のあなたには錬金術、使えないんでしょう?」
…………?
どうやってその連絡を取ったんだろう。
『僕』にせよ『洋輔』にせよ、ソフィアとは契約を交わしてないはずだ。あの場での会話は聞こえてないはずだけど……。
「糸電話を応用して『渡来佳苗』が連絡用の道具を作ったのよ」
「それは僕も作った」
「で、それを私が色々弄って、見ての通りの『盗聴器』ってわけ」
ごめんその理不尽を僕は納得できそうに無い。
なんで糸電話が盗聴器に。動力はどうなってんだそれ。
「……さすがは光輪術」
いや。
「神智術の使い手と言うべきか……」
「……未来のわたらいかなえというのは本当のようね。私は未だそのところをかなえやようすけに教えてないもの」
「だろうね。僕も教えて貰ったの最近だし……、二千年前くらいかな?」
「え、『最近』?」
「うん。最近」
「おう、なんだか賑やかにやり合ってねえでお前も座れ。収拾が付かねえぞ。それと佳苗は隣室で寝かせておいたが……、えっと、ソフィア。猫も移動させてやってくれ」
「もうやってるわ。全部運んじゃって良いのよね」
「構わないよ」
これで一段落。
ともなれば洋輔の言うとおりだ。
「収拾を付けるためにも、説明を一通りさせて貰う。その上で重要な概念を一つ、教える。その概念を教えた後に説明について、質問をして欲しい」
「……へえ。概念が優先されるのね」
「構わないが、その順序に理由はあるんだな?」
「大ありだよ」
順番を逆にするとまた別な問題が起きる可能性が指摘されてる……からね。




