01 - 魔族とは
本をたくさん持ってきたアンサルシアとイルールムは、僕たちが部屋の改装を短期間で終えていたことにひどく驚き動揺もしていたけれど、概ねは『まあ魔神様たちならばやってもおかしくないか……』といったニュアンスで納得してくれた。それでいいのか? と思わないこともないけれど、今の僕たちにとっては都合が良いのでよしとする。
その上でいくつか、基礎的なことを教えて貰った。
まず第一に魔族とは何か。答えてくれたのはアンサルシアである。
『魔族とは我々を含む多くの種族の共同体を指した言葉です。粘液を操る粘塊や空の狩人凶鳥など、様々な特徴を持った者達を指します。私やイルールムは鬼という種族で、鬼は比較的丈夫で治癒力に優れています』
その次に、魔族を救えとこの二人は言った。それはどういう意味か。こっちに答えてくれたのはイルールム。
『魔族は今、全ての種が滅亡しかけています。忌々しきは神族です。神族とは交流を持っていた時代もあったそうですが、今の連中は我々魔族をただ滅ぼそうとしています』
じゃあその神族とやらなんぞや。
『神族とは魔族と対を成す複数種族の共同体です。交流があった頃は我々魔族と大差ない文明文化を築いていた、はずです。しかし今は分かりません。神族が魔族を見つければその場で「狩り」を始めますから……』
もちろんここで疑問が生まれる。
大差ない程度の文明文化だったならば、魔族は神族に対抗できるはずだ。
『事実最初期はまだ対抗できていたのです。しかしすぐに出来なくなりました。それは神族が「強烈な力」を行使するようになったからです』
『強烈な力?』
『はい。それが一体どのような原理で、一体どのような技術なのかはわかりません。ただ神族が行使するそれは、我々魔族を一方的に蹂躙できるようなものなのです。たとえばそれは大きな火球を生み出し、たとえばそれは水をよび……ただ、その「強烈な力」は、神族の中で「神通力」とよばれていると、斥候が報告しています』
神通力、ねえ……。
どちらかと言えば魔法的な現象かな。
と、僕が勝手に納得しかけたところで、続けるようにアンサルシアが訂正をしてくれた。
『神通力は不可思議な力を引き起こす技術ではありますが、それだけではありません。金属を鍛え加護を込め、武具を作り上げるといったことさえも可能なようです』
『その神族の武具で拾えたものはある?』
『かなり損傷が激しいものばかりですが』
『じゃあそれ、持ってきて。ちょっと気になる』
『かしこまりました』
アンサルシアは綺麗なお辞儀をすると、そのまま取りに行ったらしい。
一方でイルールムはさらにいろいろなことを教えてくれたけれど、神族に関してはそもそもあまり詳しくはないようだ。
もちろん魔族だって情報が大事だと言うことは承知していて、神族に対してスパイを送るといった努力はしているけれど、まるで情報が戻ってこないどころか、送った先から連絡ができなくなる始末。当然スパイとして送られる魔族は、神族にほぼ完全に溶け込めるような性質を持っているのに、だ。おそらくは見分ける技術だか魔法だかがあるんだろう。そしてその存在を魔族は知らない。
つまり。
「絶望的なほどに情報のアドバンテージを持って行かれてる感じだね」
「だなあ」
とまあ、これが僕と洋輔の所感である。
神族が魔族のことに詳しいのか、という問いかけに関しては疑問符が付くにしたって、少なくとも魔族は神族の事情にかなり疎いという事実が極めて大きい。
たぶん神通力という技術の発見によって神族が何らかの重要なことを理解し、そのために魔族が邪魔になった、あるいは魔族の領域に神通力とやらの技術にとって重要な要素があって、だから魔族を排除しなければならなかった……ってところかな?
「あとは魔族にしてみりゃ友好関係でも、神族にとってはそうじゃなかった可能性……かな。神通力の発見で魔族に対抗できるようになった、だから恨みを晴らすように今に至ってると」
「ありうるね。……何かを成す。それが僕たちの帰還には前提条件となる必須事項だけれど、今回はどうすればいいやら」
「身体はどうなんだっけ。どう見ても俺は俺だし佳苗は佳苗だけど」
「あの時点での僕たちを再現するって契約だったでしょ。その付帯で『帰還するときはあの時点での僕たちの身体を基に再生成する』ってあったから、その辺は大丈夫。たとえばこっちの世界で百年経ってお爺さんになろうとも、戻ればちゃんと中学生だよ」
「いやそれはそれで嫌だな俺」
まあ、それはそう。
「あとで液体完全エッセンシアでも作るか」
「……人魚の涙、不老不死のアレか?」
「不死ってわけじゃあないし、ただの不老だよ」
「いやでもそんなの飲んだら、俺たちが結局変質……ああ、そっか。今の俺たちの身体は変質するにしても、『あの時点での俺たちはそれを飲んでないから問題ない』――か」
そういうこと。
いっそ今のうちに僕たちが将来どんな身体に成長するのかを確かめる意味でも、普通に暮らしても良いとは思うけれど……。
「それはなんかなー。僕はたぶんここ一年とかで身長がものすごい伸びるはずだけど、それは皆と一緒に楽しんで、今僕を見下ろしてる連中を逆に見下してやりたいってところがあるし」
「なるほど、翻訳するとアレだな。『もしこれで身長が伸びなかったら世界に憎しみしか抱けないからこのままでいたい』」
洋輔ってやっぱり時々妙に辛辣になるときがとってもあると思う……。
まあ大体あってるけど、一つ違う点があるぞ。
「ほう。それは?」
「その場合は錬金術で無理矢理伸ばす」
「生物学にケンカを売るのはやめろ」
『あの、魔神様……? 何かをお話されているのですか?』
と、しまった。目の前のイルールムを置き去りにしていたようだ。とはいえ日本語を使ったのは、この反応を確かめたかったというのもあるんだけど。
『いや、気にしないで。こっちの話。……そうだね、イルールム。地図はあるよね?』
『はい。もちろんです』
『世界地図もある?』
『この世界全域というか、この惑星全域の地図でよろしければ』
ああ、とか天体って概念はある、と……。
天動説とか地動説とか、そのあたりも確認したいけど、適切な言葉がわからないので後回し。
『ならばその世界地図を二枚ちょうだい。一枚はそのまま。もう一枚は現状で魔族の勢力圏と考えられているものを』
『かしこまりました。少々お時間を頂きますが』
『それはいい。それと喉が渇いたんだが、水はどこで手に入る?』
『城の食堂脇に井戸がございます。おっしゃってくださればこちらですぐにお持ちしますよ』
洋輔、ナイスフォロー。そして井戸。井戸か。
不便だな若干。
『変なことを聞くようで悪いけれど、お風呂はどうしてるのかな?』
『沐浴のことでしょうか? でしたらこの城の一階、中央部に専用の施設がございます。近くの湧水を利用した川ですから、とても清潔ですよ』
……沐浴って、またすごい言葉が出てきたな。えっと、ああ、でもそんなものか?
そもそもお風呂の概念が薄いんだろう。身体を拭く程度はあっても入浴とか、そもそもお湯につかるという概念があるのかどうか……。
『湧水を利用するって事はこの城、山が近いのかな。ほかに川とか湖、あるいは海はどのくらい近くにある?』
『清流でしたら小規模ですが、城から数分ほどの位置に川が。規模だけを見るならば城から二十分は歩きますが、かなり大きなものがございます』
『その大きい川と城の間には何かある?』
『いえ、平原ですが……?』
『そう。そこに何か色々と作っちゃっても問題は無いかな?』
『もちろんです。魔神様の思うがままに、あらゆるものをお使いください』
『ありがとう。…………。いやでももう一つ聞かないと駄目だね』
『はい、なんなりと』
『えっと、トイレはどうしてるの?』
僕の問いかけに、イルールムは一瞬言葉を詰まらせた。
そして洋輔は洋輔で、お前はもう少しオブラートに包んだ表現を試みろと言わんばかりににらみつけてきている。無視。
で、しばらくの沈黙ののち、イルールムは『まず』と確認をしてきた。
『魔神様がたもその……、生理現象と申しますか、食べた分だけやはり出すのでしょうか?』
『まあ、生き物だし……』
『さようですか……。…………。魔神様がたはええと、男性女性の区別があるのでしょうか?』
『あるぜ。俺もこいつも男だ』
『さようですか……』
なんだかイルールムの『さようですか……』という言葉にエコーが掛かっているようにさえ感じる。ものすごい黄昏れているというか、『いやあ正直その備えはしてなかった』的な感じだ。
魔神、だもんなあ。
もうちょっと概念的なものがくるとでも思っていたのだろう。まさか子供がくるとは思うまい。僕たちだってまさか魔神扱いされるとは思わなかった。
『その、厠でしたら、あるのですが……城の設備としては少し離れた所になりますね』
厠。厠ときたか。
まあトイレに違いは無いんだけど、ちょっとあれだな。水洗式とは思えない。
『デリカシーのないことを聞いて悪いけれど、イルールムやアンサルシア……たしか鬼種だったよね、君たちも食べたり飲んだりしたら排泄するもあるでしょう? そのあたりはどう管理してたのかな』
『処分は専門の業者に行わせています。城からは結構遠いのですが、用地はありますので』
なるほど。つまり魔族も食べれば出す生き物に違いは無いわけだ。
ま、もしも排泄を必要としないなんてことがあるのだとしたら、とんでもないんだけど。なんせ飲み食いしたものを百パーセントエネルギーにできるわけで、交換率が百パーセントというのは恐ろしささえ覚える。
『魔神様。失礼ながら、こちらからも一つご確認をしたいのです』
『いいよ。何?』
『魔神様は……ええと、何を食べられるのでしょうか? やはり魂とか?』
『魂でお腹は膨れないよ……え、むしろ魔族って魂食べるの?』
『いえさすがにそれは居ませんが』
ならばなぜそう発想したのだろう。
やっぱり概念的な魔神を想像していたのだろうか。だとしたら魔族に伝わる魔神というものは僕たち人間が想像するようなものに近いのかもしれない……実際に魔神になってるのが僕たちというだけで。
『僕たちが食べるのは……、えっと、……』
そういえばお米に対応する言葉がなかったな、あの辞書。
近いのは、
『穀物類とか、野菜、肉、魚かな』
『…………、』
イルールムは少し考えて、では、と手を打つ。
『ベークドポテトなどにサラダを添えて、あとは野生生物の肉類などでよろしいでしょうか』
『ああ。だがそういうものが存在するって分かった以上、俺たちで勝手に調達するから気にしないでくれ』
『さようですか……』
なんだろう、イルールムの口癖なんだろうか、『さようですか』って。
そんなところでアンサルシアが帰ってきて、『おまたせいたしました』と渡されたのは壊れた剣と盾だった。剣は両刃タイプ。かなり刃こぼれしていて、しかも先端が折れている。元々の長さは分からないけれど、アンサルシアも平然と持てていた所からわかるように、重すぎる物でもない。軽くもないけど。盾も大体似たようなものだ、まあ盾もざっくり斬られているとはいえ、概ねもとの形は想像できる。
これは『どちらも奇抜なデザインではない』という意味のみならず、身長が百六十センチもあればとりあえず扱えそうな武具ってことだ。まともに振り回したり戦闘に使ったりと考えると身長は百八十センチくらい必要かな、でもその程度だ。人間離れした大きさではない。品質値は……壊れ具合から見ると、んー。結構高いかな……?
『これ、こっちで好きに弄って良いかな』
『魔神様が欲しいとおっしゃるならば、もちろん』
『うん。ありがとう』
あとで確認しようっと。直せば大体の技術レベルもわかるかもしれない。
『では、私は地図を準備いたしますので、少々お待ちください』
アンサルシアと入れ替わる形でイルールムが部屋を出ると、アンサルシアははて、と少し考えるようなそぶりを見せる。どうしたんだろう。
『ええっと、アンサルシアだったよな』
『はい、ご用命でしょうか』
『一つ聞きたいんだが、この城にはアンサルシアとイルールム以外には何人居る?』
ああ、それは僕も気になったところだ。そんな洋輔の質問に、アンサルシアは少し目を伏せて。
『魔神様を除くと、四人です』
『そんな少人数で城を回せるのか……?』
確かに広いもんな。掃除するだけでも大変だろうに。
案の定、アンサルシアは首を横に振った。
『正直に申し上げますと、人手は全く足りておりません。しかし……』
『しかし?』
『まさか前線基地を兼ねる戦闘用の城から奉公として人材を引き抜くわけにも……』
ん……、あれ。
『ここは戦闘用の城じゃないんだ?』
『はい。ここは魔族という勢力の象徴にして、絶対的な命令権を示す証の一つでありますから、そもそもこのような場所で戦闘が起きる状況になれば、もはや魔族という種は持たない。故に戦闘の準備は不用である……と、かつて魔王様が設計されたのです』
ああ、その魔王様とは話が出来そうだ。
『もっとも、もはや魔王は亡く、魔神様がたが魔族をとりまとめる存在となっているのですが……』
せめて一国一城の主から始めたかったぞ。
いきなり種族の命運を預けますなんていわれてもなあ……。
そんなことを考える僕に対して、洋輔は目を輝かせていた。
……そういえば太閤立志伝やってたんだっけ。気分は戦国だろうか?
ま、いつもは僕が振り回す側。たまには振り回されるのも面白そうだし、今回はサポートに回るとしよう。
過去作Tips:
完全エッセンシア…エッセンシアと名前は付いているが根本的に別物。錬金術においてはあらゆる材料のワイルドカードとして扱えるほか、特異マテリアルとして使うと完全耐性を与える。
液体完全エッセンシア…完全エッセンシアを液体化したもの。不老薬。雑に使っても雑に効果を出すが、真価を発揮するためには錬金術師が必要らしい。
それでは本日より、不定期連載になりますが、よろしくお願いします!