30 - 認識の齟齬と一つの仮説
ハルクラウンの説明によると、明星閃光という現象は本来、もっと小規模に起きる現象であるらしい。具体的には今はどこもかしこも光っているけど、本来ならば数メートルにひとつ程度のふわふわとした光があるかどうかというところ。ちなみに今は十センチにひとつは余裕であるのでそりゃあ規模が違う。
ただし、年ごとに微妙な規模の違いはこれまでもあったんだとか。
で、規模が大きくなればなるほど、その前後の年で大きな事件や大きな変化が起きる、らしい。だから異常事態。ハルクラウンの説明にはとても納得するところがあった。
で。
『その原因って魔神を喚んだからじゃねえの?』
『…………』
洋輔の問いかけに、珍しくもハルクラウンはきょとんとした。
『ましてや僕も流星群とか、結構物理的にもやらかしてるしね。魔神の召喚にせよあの大災害にせよ、大きな事件としては十分すぎるよ』
『それは……そうですね……』
流星群も大概だとは思うけど、実際は魔神の召喚が占めるウェイトは大きいんだろうな。
……ふむ。
魔神召喚は確か、呪文って技術を使ったみたいなことをアンサルシアとイルールムが言ってたな。その辺のリソースって説もあるか。
『だが、ハルクラウンの反応はチャンスかもしれねえな』
『チャンス?』
『ああ。神族は魔族に何らかの変化が起きたことは察知しただろう……流石に防衛魔法だけでも怪しまれただろうし、ましてやいきなりあんな「壁」が出来たんだ。これまでの魔王とはやり口が変わっている。「魔王が変わった」程度には既に検討されている。魔神って存在に思い至ってるかどうかは微妙だがな。その上であの大災害が起きた。流星群っていう手段にたどり着けたかどうかはともかくとして、何か尋常ならざる事が起きたことは即座に察知しているし、だからこそあの兵を出してきている』
うん。
『その上でハルクラウンの反応が当然のものだとするならば、神族の連中もこの明星閃光を「前触れ」だと考える可能性がそれなりに高い。トップがそう考えなくても軍が、軍がそう考えなくてもトップが、どちらでもいい。どちらかがそう引っかかれば、神族の動きは鈍る。「前触れ」であるならば備えが必要だって考えるだろ?』
『もしどちらも引っかからなかったら? あるいは引っかかった上で、なおも魔族をなんとかすることを優先するとしたら?』
『壁が陸上に存在してることはどのみちあの光でバレただろ。逆に海ならば通れるだろうと言うことも。実際には配備が全然間に合ってねえが、神族にしてみりゃ「既に準備されているからこんな大それた事を出来た」と考えてくれる可能性が高い。つーか軍人ならそう考えないとヤバイ。なんせこれまではいくらでも取れた攻め手が、今となってはたったの二つにまで絞り込まれているわけで、しかも自分から絞り込んだんじゃなくて「敵」にそうされているわけだ。万全じゃないにせよ対抗手段を持ったと考える、のが普通だ』
『ごめんよく分からない』
『…………』
洋輔のしらっとした視線が飛んできたけど、いや、実際よく分からないんだよね。
『あんまり深く考えるな。これまでは無抵抗だった相手が突然防御を敷いてきた。しかもその防御にはあからさまな隙がある。その隙を突けばたぶん防御は無視できるけど、はたしてその隙は本当に隙か? 実はわざと開けられた隙なんじゃないか? そこを突いたところで一気に攻撃を受けるんじゃないか。それの延長だ』
『ああ……なるほど』
つまりカウンターを嫌ってこちらへの攻めはかなり難しくなる、と。
『それに渡河どころか上陸作戦が前提になる。兵を運ぶには船が居る、船なんて佳苗ならばともかく、普通はそうぽんぽんと造れるもんじゃない。造れたところで船を動かす人が足りねえだろうしな? そう考えると、神族としては「最大限に壁を見張りつつ、来るであろう大きな変化に備える」って手がまともに見えてくる』
なるほどなあ。
『だからこれで一年近くは稼げると思うぜ。もちろんその上で、結局特に大きな変化が起きなければ「前触れじゃなくて起きた後の現象だった」と認識するだろうし、さらに流星群だけじゃ採算が合わないってなれば魔族が何かをやらかしたらしいと判断し、その上で魔神ってところまで辿り着かれる可能性はあるが……』
『一年の間に大きな変化が起きれば、それもあるいは封殺できる?』
『そういうことだ』
ならばもう一度流星群を使う事は前提にしておいた方が良さそうだな。
そう考えると洋輔は小さく頷いて、話題を変えるつもりらしい、ハルクラウンに視線を向けた。
『ハルクラウン。この現象は魔族において慶事か?』
『はい。新年を告げる極光、即ちこれをもって年を改める。多くの者達にとっての区切りであり、ほとんどの場合でちょっとしたお祭りを行います』
『お前のように大規模な発生を見たとき、特に不気味がることはしない、か?』
『……ない、とは言いがたいですね』
『そうか……。流言を広めることは可能か?』
『内容に無理がないものでしたらば。リオのほうが適任ではありますが……』
『餓狼には正確な情報を伝えて貰いたいからな。流言の類いは別の系統を持った方が良い――で、そうなると消去法でお前に頼むのが現状でのベストだと判断した』
『ありがたく』
よく分からないけど二人の間では通じ合っているらしい。
まあ、ハルクラウンはおだてると本来以上の性能を発揮できるタイプなんだろう。
そして洋輔はそういうハルクラウンをどんどん使う事にしたと。
(お前に使いこなせればそれが良いんだが、苦手だろ?)
ごもっとも。
『広める流言は単純だ、「これほど大規模な明星閃光が起きたのは、大きな祝福が魔族にもたらされる先触れである」』
『先触れ……、なるほど。しかしそうなると、何か現実的な祝福と言えるものが必要となりますが』
『そうだな。佳苗、多少働いて貰ってもいいか』
『良いよ。何が欲しいの?』
『ちと難しいかもしれないが、一定範囲内の怪我を治せるって設置型の道具』
怪我を治す。一定範囲。
んー?
『設置型って事は一定期間効果が出て欲しいんだよね。その期間と効果量は?』
『どっちもある程度制御してえな。効果量は放っておいてもすぐに治るようなモノは治るが、そうじゃないものは治せねえってのが理想。期間は……、半年くらいか?』
期間は余裕だな。年単位で持たせることも難しい話じゃないし。
問題は効果の制御か……。放っておいてもすぐに治る程度というと擦り傷とかその辺の簡単な怪我、そうじゃないものってのは例えば骨折とかその辺だろうか。打ち身とかはどっちかな? まあこれも、問題というか課題程度だな。ちょっと調整が必要なだけで、その調整もほとんど問題なく出来る。
『もうちょっと性能が高くてもいいならすぐにでも量産できるんだけど……』
『普通逆じゃねえかな……』
『前に似たようなものを作ったことがあるし、あの時と比べれば僕も成長してるからさ』
『あの時のお前も大概でたらめだったけど、今のお前と比べれば随分と可愛いもんだな』
人は誰しも成長するのだ、たぶん。
ともあれ傷を癒やすの部分に制限をかければ良い、それも一定以上一定未満じゃなくて、単に一定未満というだけでいいならば、それは傷を癒やすの部分を実現する道具、つまり賢者の石の品質値を極端に下げてやればそれでいい。
切り傷擦り傷ちょっとした痣程度ならば品質値90で十分かな。品質値を0に固定する人の魔石を使ってから調整をすれば試行錯誤をするまでもなく誤差としていけそうだし。
『形に指定はある?』
『特には無いな』
じゃあ猫の置物にしようっと。招き猫、招き猫。あ、でも招き猫に近寄ると怪我が治るってのはなんか変かな? そうでもないか、怪我は遠ざかるけど健康が招かれるってことにしよう。
『オッケー。それなら今ある材料で量産できる』
『ならばいい。ハルクラウン、佳苗に作らせるその置物を持って賜り物とし、全ての集落に届ける。ちょっとした傷が治せる程度の置物だ、それも期間は半年限り。けれどそういった「治癒の力」を魔神ないし魔王が持っているということは周知できるだろうし、この程度ならば医者が反感を覚えたり、医者の立場を無くすこともないだろう』
『ご配慮に感謝を』
ああ、怪我なんて全部治しちゃえば良いのにって思っていたけれど、そういう配慮か。
(いや表向きはって話だ)
うん?
裏向きの理由がある?
(裏向きっつーか真の理由つーかは微妙だけどな。薬草を作るぞって言ってたときもちらっとお前が危惧してたけど、あんまり高性能だと横領が起きかねない)
横領……そっちか。
洋輔も大概、魔族を信じているようで、完全には信じ切っていないらしい。
それとなく疑われていることもバレてそうだけど。
(それでいいのさ。それに表向きの理由に関しても筋はある以上、ハルクラウンだって文句は言えねえ)
そりゃそうだけど、ね。
『今決められるのはその程度かね……ああ、いや。ハルクラウン、例年として、新年になった時に魔王は何かをしていたか? こう、催しとか』
『先代の魔王様はあまり華美を好まぬお方ではありましたが、小規模な祝祭はしていましたね。誰を招くでもなく、新年を迎えることが出来たということを確認するための儀式的なものではありましたが』
『ならばそれを再現してくれ。やってたことが急に途絶えれば疑問に思うやつも増える』
『かしこまりました。パトリシアに命じてもよろしいですか?』
『おう。但し祝祭の責任者は佳苗にしておく。佳苗からの指示を優先するように』
『はっ』
ここでも保険をかけるのか。
それはいいけど僕がやること多くない?
ていうか洋輔がやること少なくない?
(出生率の計算と地図とのすり合わせ、流通都市から取り寄せた相場関連や農畜産に関する情報の整理、道路の整備や橋などの定期検査に関わる報告書と対処指示、魔王府として雇い入れる常備兵の取り扱いに関する制度作り、魔王府令を初めとした現行法の総ざらいと変更の検討、今度組織する円卓に推薦されてる連中の身辺調査、学校施設に必要なものの計算、魔素ってリソースへの魔法的なアプローチ、俺たちを召喚する際に使ったという呪文って技術の解析、こっちに運ばれてない神族の捕虜が持ってる光輪の分解・解析、生物としての神族の調査、光輪が魔法的なものであるならばそれに関する要素分解、)
ごめん洋輔。僕が悪かった。
基本的に地味な作業が多いけど僕以上に激務だなコレ。
(いや実際はデスクワークだし、お前みたいにあちこち飛び回るわけでもねえからな。身体的にはあんまり疲れねえぞ)
僕は僕で頭脳的には疲れないからなあ。上手い具合に分散していると言えば分散しているけれど、均一化したいものだ。
(まあ追々な)
うん、追々で。
『じゃあ、僕は問題の道具を作っておくか……といっても、配布は数月先でしょ?』
『ああ。すぐには送らない』
『なら試行錯誤しておくよ。機能で追加してほしいのがあったりしたら早めに言ってね、できるだけやるから』
『おう、頼んだ』
改まって周囲を一望する。やっぱり幻想的と言えば幻想的な光景だ。
神族は、これをみてどう思うだろう。洋輔の言うとおりに動くだろうか?
それとも僕たちの想像もしないようなリアクションを起こすのか。なんかなあ、神族の考えていることがよく分からない。
いや、神族の考えていることというより、神族の親玉か。末端というレベルならば、三人の捕虜から受けた印象は『多少堅物ながら普通の大人』だった。そういう人物が神族の親玉ならばもうちょっと解りやすい手を打ってくる、というかせめて意思疎通が出来る程度の手は……、
『ん……』
『…………? どうかされましたか?』
『……あれ? ハルクラウンって神族の今の親玉のことは知ってたっけ?』
『いえ……私を初めとして他の誰も知り得ないかと。神族の政治形態を聞き出したのもそもそも魔神様がたが初めてでしたし……』
王政。但し軍とそれなりに緊張感のある状態。
神族の捕虜から獲得できたのはそんな情報で、恐らくそれは間違っていない。
けれどあの捕虜達もそこまでその王様とやらに詳しくはなかった……というか、神族の王様もあまり表に出てこないみたいな感じなんだっけ?
てことは……あり得るのかな?
『どうした、佳苗。何か思いついたみたいだが』
『……神族の王様。つまり今の神族の親玉、もしかしたら子供なのかなって』
『……子供?』
『うん』
影響力はある。
知識だってきっとあるのだろうし、判断力だって十分だろう。
そして支持される程度の人望もあるとみた。
ただ致命的に経験値が足りないと言うだけで。
『なんか雑なんだよ、神族の動きが』
大筋でやりたいことは解らないでもない。ただ何をしたいのかが解らない。
理想としているところは見える、けれど実質的な手がそれに全く関係ない。
『…………』
『…………』
だとすると……。
『洋輔。やっぱり無理してでも、僕がちょっと入ってこようか?』
『……最悪バレても良いぜ。ただ、危険になったら即座に帰ってこい。つーかちょっと待て、緊急脱出の調整するから』
調整?
『俺がお前の分も発動できるようにする。俺の意志でもお前を脱出できるようにするってことだ』
『……出来るの、それ?』
『理論上はお前の換喩術と同じ事を魔法でやりゃ良いんだ。……多少時間は貰うが、その間はこっちで作業しておいてくれ。その後は』
その後は。
『……魔神様?』
『いや。ハルクラウン、ここで聞いた事はしばらく内緒にしておいて……その上で、時々お願いすることがあるかもしれない』
『ええ』
ハルクラウンはどこか嬉しそうに頷いた。
『もちろんです、魔神様』
……おだてれば、というより、特別扱いするとあっさり尻尾を振る感じかもな。
いや、尻尾はないけど。




