22 - 最悪への一手
大浴場でのつかの間のリフレックス、なんだか妙にけだるいなあと思い起こしてみたら、ここ最近は三日くらいまともに寝ていない事を思い出した。
「え、俺は寝てたけど……」
「そりゃ洋輔は城にいたもんね……。僕はほら、空を飛んでたりしたから」
空を飛んでいる間、僕は魔法を頼っている。
そして僕に扱える魔法は集中力を魔力と見做したものであるからか、眠るとその時点でゼロになってしまう。
当然魔力というリソースがゼロになれば魔法は消える、だから墜落死しかねないというワケである。
「……あれ、でも確か錬金術の道具にあったよな。重さを消すやつ」
「あれは今持ってないよ。作ってないし。陰陽凝固体も便利に違いは無いんだけど、よっぽど汎用性がある奴じゃないなら鼎立凝固体で事足りるし……」
それに陰陽凝固体はプラスの効果のみならず、マイナスの効果もあるし、ちょっと使いにくいのだ。もちろんとても便利で、代用が利かないものは持ち歩いてるけども。
「ていうか、全部を全部持ち歩けば良いと言えば良いんだけど、陰陽凝固体は今のところ七ミリくらいまで小さくするのが限度だし。それでも数百って持つとちょっとなあってならない?」
「斬新なビーズのアクセサリと言い張るのは?」
「その手があったか……」
「いや今の無しな。この世界の魔神としてならばともかく学校にそんなもんを付けていくのはダメだからな」
解ってるよ。でも今度ちょっと試してみよう。
そんな事を企みつつも二、三確認を済ませながら部屋に戻って、そのままベッドに飛び込む。ふかふかのベッド、暖かいベッド。これで猫が居れば最高だったんだけど……、結局未だに猫の一匹すら見つかっていないってどういう了見なんだろう。本当にこの世界には猫が居ないのかな……。
いざとなったら亀ちゃんの遺伝子型から気合いで身体は作れるし、それを複製して洋輔にイミテーションで人格ならぬ自我を与えて貰って、猫という動物を広めてしまおうかな……でもなあ、亀ちゃんだけなんだよなあ。亀ちゃんのクローンを大量に増やせると言うだけで、つがいにならない以上自然に増えることは無いし個性もない。そう考えると微妙も甚だしい。それにそもそも洋輔は手伝ってくれないだろう。
「ラストリゾート……」
膨大な魔力を費やすことで思い込みを強制的に実現化する、というちょっと奇妙な魔法。呪いに限りなく近いそんな魔法を、一応使える僕としては、まあ最悪それでなんとかできないことも無いんだけど……それでもだめならばもっと確実に実現化するペルシ・オーマの杯なんていう道具もつくれるんだけど、どちらもコストというかリスクが大きすぎて看過できない。
確かに僕は猫が好きだけど、そのためだけに世界の環境を激変させるのもどうかと思うし……。甚だ不本意ではあるけれど、猫が居ないこの世界でもとりあえずは我慢するしかないのだ。さっさと神族をなんとかして『何かを成して』、地球に帰ることを考えよう。まあ考えるのは洋輔だけど。僕はその手伝いを全力でする、それだけだ――
――むにゃ、むにゃ、と。すうと眠りについた後、夢らしき夢を見ることもなく、なにか執拗に頬を叩かれているような気がして、億劫極まりないけれどなんとか意識を覚醒させ、そしてまぶたをゆっくりと開けると、そこには呆れの感情が二割ほどと残りは緊迫そのものといった表情の洋輔がいた。体勢と頬、とついでに身体の痛みからしてどうやら洋輔の奴、ベッドで仰向けに寝ていた僕の胸ぐらを掴みあげてそのまま遠慮成しに往復ビンタをしていたらしい。なんかほっぺが腫れてるんじゃないかなコレ。
「ああ、起きたか」
「ほはよ……いはい……」
「だってお前全然起きねえんだもん。思いっきりボディプレスしても物を投げつけてみてもビンタし続けても。ほら見てみろよ、あっちでパトリシアがドン引きしてるぜ」
「いやドン引きしてるのはそれでも起きない僕にと言うより、僕に対して容赦がなさ過ぎる洋輔になんじゃないかな……?」
そしていつの間にか痛みが全くなくなっている。洋輔のリザレクションが掛かったようだ。
「ていうか、どうしても僕を起こしたいならそこの猫ちゃんの新作マグカップをたたき割ろうとすれば一発だよ」
「最終手段としては考えたが、それをしようとしたら最後、絶対ここは戦場になるよな」
「よくわかってるね」
たぶん半日くらいは喧嘩が続くだろう。
そして茶化して誤魔化せるかなあともおもったけどそんな事は無く、むしろ先ほどまでの緊迫はさらに深まっているようだった。仕方ない、起きるか。
意識を切り替えてパトリシアに視線を向ける。パトリシアはドン引きしているけれど、それとは別にこちらもまた緊迫しているようだった。
何かが起きた。
それは僕に直接関係することじゃない。
けれど何かあまり良くないことで、しかもかなり切羽詰まったことなのだろう。
『前線で何かあったの?』
『ご明察です』
とりあえずパトリシアを探ってみると、あっさりとパトリシアは頷いた。そして彼女の視線は洋輔に向けられている……ある程度の説明は既に洋輔が受けてるって事か。
『そう。説明は俺が受けてる。で、応急対応も既に済ませたけど、やっぱり佳苗じゃないと無理って判断して起こしに来たってワケ』
『…………? そんなに大事?』
『ああ、そんなに大事だ。いいか、落ち着いて聞け。そしてこれも現実だ、受け入れろよ。前線の、例の城砦が神族によって制圧された』
…………。
は?
『北方前線司令のマーナルベルはその戦いで討ち死に。代行はランドって奴がやってる。情報の詳細は正直まだ来てねえが、報告をしてきたのはファセリアって奴』
ちょっと待て……、一度落ち着こう。
そしてその上で思い出す。
マーナルベル。あの城砦のトップにして北方前線を支えている魔族だ。
ランド。確かそのマーナルベルって魔族の横に控えてたそれなりに偉そうな魔族だ。
ファセリア。地図を持ってきてくれた人だったかな、伝令係も兼ねていたのかも。
で、あの城砦には完全耐性を施しているし、そこにいた全員を『治して』いる。文字通りに万全だったはずだ。
なのに結果は城砦陥落、マーナルベルが討ち死に。
統率指揮はランドが代行、ファセリアはそれを知らせてきた……。
『待って、それいつのこと? ……僕、そんなに長時間寝てた?』
『いや、お前が寝たのはつい九時間前。一般的な部類じゃねえかな』
『で、その九時間の間にそれが起きたと?』
『正確には俺たちが風呂に入ってる頃に伝令が始まったらしい。赤い狼煙を使った緊急発信、狼煙を見たやつがまた狼煙を上げて……って形の狼煙リレーだな。それに加えて餓狼が全力で走ってる。狼煙がこの城に伝わってきたのは八時間前、「前線に異常を認む」。その後リオが正式に伝令として速報を持って駆け込んできたのが四時間前、パトリシアも一緒だったが。その時点で緊急招集、お前は久々の睡眠だったから起こさなかったけど、三時間前から魔王城に居る連中で協議と緊急対策を実施。それでお前が起きるまでは余裕で耐えられる、はずだったんだけど、正直そろそろヤベーってなって、起こした』
『うん、時間軸は比較的解ったけど具体的に何が起きてるのかがまるで解らない』
かいつまんでその当たりの説明を受けるべく、とりあえず洋輔の腕を掴んで離して貰い、ベッドを降りてパトリシアも交えてちょっと状況を確認。
実際に前線で異常が発生したという伝令が始まったのは十時間前。
で、そこから時間を掛けてなんとかそれでも異常発生の報はこの城まで伝わった。それが八時間前、狼煙の色と個数で概ねの状況が解るようにされているらしく、それによると『前線に異常を認む』、つまり前線で何かが起きたと言う報告だ。それに気付いたそれぞれが行動を開始して、その時点で城に詰めていたハルクラウンが洋輔に報告、洋輔はそれをうけて情報の収集を指示しつつ地図を広げ、三階の会議室で色々と報告を受けた。
そうこうしている間に時間が過ぎて四時間後、リオとパトリシアが緊急報告として情報を持ってきた。二人が持っている情報には微妙なずれこそあったものの、概ね一致しているところが多く、それによると次の通り。
前線城砦を神族軍が急襲。規模は『極めて大』、パトリシアによれば数万規模での動員で、リオもそれは否定していないものの正確な数は不明。
それに対して魔族側は籠城を試みた。当然だ、あの城砦にいた魔族は四桁にすら届かないんだからちょっと戦いにならない。だとしたら城砦に閉じこもって籠城するしかないし、籠城それ自体は無理じゃない。
籠城には援軍が絶対条件で、その援軍も『魔王府に知らせればすぐに出てくる』という算段があるからその辺は問題なし。完全耐性もついているし、『数で落とせるような城じゃない』。
あの大災害直後、恐らくは即決で数万という単位の兵を動員してきた神族には感心するほか無いけれど、その全員が一斉に攻撃できるわけじゃない。城を囲う包囲作戦をするにしたって、実際に張り付くことが出来る数は限られている……はず。拠点としての砦ならともかく、あそこはほとんど『日本の城』、戦争の前線として拠点とし、かつ籠城もできるような仕組みだったしな……。
けれど現実としては陥落している。
そして城主のマーナルベルは討ち死にしている。
『…………』
『……佳苗?』
城主は籠城を選択した。当然の選択だ。けれど結局は討ち死に、城は陥落した。
なのにランドは現時点で代行を務めていて、ファセリアは情報を持ってきている。
『なんでランドとファセリアは無事なんだろう。万単位で攻めてこられている以上、籠城を選択したのは当然のことだよね。それで籠城したならば包囲する。それも当然だ。定石としてとかじゃなくて、そもそもどちらの陣営にしても、それ以外に選択肢がない。で、神族は何らかのあの城の攻略法を思った以上に素早く見つけて、結果城を落とす事に成功してしまっている。電撃的な作戦だ。…………。繰り返すけど、洋輔。なんでランドとファセリアは無事なの?』
『…………』
常識的に状況を考えてみると、それはとてもおかしな事だ。
包囲状況下による籠城戦。これもまた繰り返すけど魔族は守り側だ。つまり全方位を完全に包囲されている状況、で、あるはずだ。そんな状況で、しかもどうやったかは解らないけど城は攻略され、だからこそマーナルベルは討ち死にした。
そんな状況で、何故ランドやファセリアは生き残れた?
実は城には隠し通路があって、遠くまで逃げられたとか? 残念だけどそれはない。
確かに図案を僕は見ているけれど、その図案にすらも書かれていない隠し通路はあったのかもしれない。あったのかもしれないけれど、僕はあの図面を元に『作り直してしまっている』。隠し通路が存在しないあの図案通りにだ。だから実質的に隠し通路は存在せず、また城全域に完全耐性を付けているのだから、後付けで隠し通路を作ろうとしてもそう簡単にできるわけじゃない。
隠し通路が無かったとしたら包囲の隙を縫う形で逃げ出したって事になるけど、数万の軍勢から逃げ出せる物だろうか? ましてや神族は光輪の有無であっさりと魔族か神族かを看破するだろう、ランドもファセリアも光輪を持っているわけじゃなかろうに、数千くらいの隙は縫えても、数万という数の目を誤魔化しきれるかというと……。
『あの、魔神様。魔神様は……、ランドやファセリアを疑っておられますか?』
『俺はそこまで。だが佳苗は引っかかったようだな』
『もちろん神族軍が攻め込んできたことを察知して籠城を決め込んだマーナルベルが「万が一」の為にランドとファセリアに情報を託して伝令と一緒に出したって可能性があるよ。その場合、伝令として情報を抱えていたランドとファセリアは、その後に城の陥落を知って、言付けられていた通りに前線司令の代行と状況の報告をしている……』
『うん。俺はそうだと受け取ってるけど……』
『じゃあ、どうやってマーナルベルが討ち死にしたことを知ったんだろう?』
『それこそ神族軍が士気を上げるためにも勝ち誇ったんじゃねえの?』
確かに大河ドラマとかでよくあると言えばよくあるシーンだな。
これはやっぱり、僕の勘ぐりすぎかな……?
『お前が危惧してるのはつまり、その二人……ランドとファセリアが神族と通じたんじゃないかって事だよな?』
『惜しいね。洋輔の言うとおり、僕が危惧しているのは大体そのあたりだけど、ニュアンスが逆だ』
『ん?』
『たとえばだ。ランドとファセリアが神族と通じていたとする。その場合神族が攻め込んできたタイミングに合わせてマーナルベルを殺害、マーナルベルの指示であると称して二人で籠城戦を展開させつつ、二人は城から抜け出して神族側に対して攻めるべき場所を教えているって事になる。結果として神族はあの城砦を取る事が出来て、ランドとファセリアは魔族側で地位をえることができるし、もしもそういう密約があるならば「この先」も似たような事を繰り返して私腹を肥やすことは出来るだろう……だから、「もしもこの考えが正しいならば、よかった」んだ』
『…………? 裏切られてるのに、よかった、ですか?』
『うん。もしも裏切っていないなら……洋輔たちが考えているようにマーナルベルの機転で二人を逃がしていて、その結果として今があるならば、大問題だよ。神族は完全耐性を攻略したって考えなきゃいけなくなる』
『……あ』
魔族だって人間と同じように考える。神族も恐らくは同じだろう。大きな二つの勢力に分かれているだけで、事実として対話が成立していた時期もあったんだ。だからそういう密約やスパイを神族が使おうとしたとしてもおかしな話じゃない。
けれどもしもその方法であの城を落としてくれたならば、神族が攻略したのは城の機能や城の耐久性ではなく、城を抑える人の心だ。心を攻略、調略されたならばまだいい。それをしっかりと出来るものと変えれば良い、それだけだ。
じゃあそうじゃなかったら?
本当に真っ向から攻めてきて、そして真っ向から負けたのだとしたら?
……完全耐性つきの城を攻略されてしまったということになる。
それは、即ち。
『神族が本気を出せば、現状の僕たちじゃ守り切れない可能性が出てくるって事だよ』
神族がいつ本気を出してもおかしくない、そういう話ならばまだ猶予はあったかもしれない。
けれどこの状況。
大災害直後の即決、兵の結集と神速と言っても良いような素早さでの城砦制圧。
『そして神族は今、本気を出そうとしている』
まだ王手詰みじゃない。
けれどその神族の行動は、将棋で言うところの『詰めろ』なのだ――対応を誤れば、魔族の敗北、滅亡が決まりかねない……。




