-3 * 始まりの呪文
恒例の前振り回。
いざ、はじまりはじまり。
雑務を終えて……いや、あれを雑務とはあまり形容したくないけれど、それでも雑務を終わらせて、どうしても吐きたくなる一息を吐く余裕などあるはずもなく、私は従者を伴いそこへと向かう。
定刻に遅れることはないとは言え、普段と比べれば随分遅い。従者から受け取った状況確認用の資料に目を通し、それでも仕方が無いかと諦める。今は何に怒っても、今となっては意味が無い。
あらゆる数字が告げる事実。
我々は敗北しようとしている。いや、敗北程度の騒ぎではなく、大敗という言葉ですらも全く足りない。
連中が目指しているのは……。
「王。顔色が優れませんが」
「こんな状況でも笑みを浮かべているようなものが王ならば、連中はもう少し楽に我々を滅ぼせたかな?」
「…………」
従者が緊迫に表情をゆがめるが、今は従者に八つ当たりをしても意味が無い。
歩みを進めなければ、せめて、せめて私は考えなければ。
『連中』が我々と結んだ平和条約を破棄した時、私は脅威と考えなかった。それがこの、今の結果を生んでいるのだろう。だから今度は考えなければならない。
連中は絶対境界線を超え、我らの領域へと入り込んだ。砦を越えて我らの城の一つを制圧し、そこを拠点に作り替えると、じわりじわりと侵略し始めた。とてもゆっくりとした動きに見えた。それに油断したのかもしれない。結果から言えばあの時点で最大戦力をぶつけていれば……しかしあの時点では纏まりきれなかっただろう、我々は決して一枚岩ではなかった。連中はそれをうまく利用した……。
一枚ずつ薄皮を剥がすかのように、連中は我々を侵略した。侵略速度は決して早くはなかったが、その中で我々が出した中で戻った兵は一人も居ない。文字通りの全滅。そのような大敗を三度も連続させるに至って、我々は連中を『共通の外敵』と見做し、団結することが出来たが、その直後の戦いでも我々は大敗。特に戦闘を得意としていた種族の兵はおろか、主将を務めたバーツもそこで討ち死に……。その報告は我々を震撼させた。
嵐罰のバーツ。その斧の一振りは嵐のごとく大群を制圧する。その評判は決して誇張ではない。連中ごときに後れを取るはずもない相手だった。しかしバーツは負けた。そしてバーツと共に向かった者達も皆殺しにされた……。
その後になってのことだ、様々な詳細が分かってきたのは。その詳細はできることならば知りたくもないことばかりだったが、見て見ぬ振りをするわけにも行かない。
我々の軍を打ち破った連中の軍は、我々の軍勢の皆を殺害した。捕虜にするようなことはなく、また降伏も受入れず、その場で即座に殺害した。
軍だけではない。連中が向かう先にあった街や里も襲われた。戦闘ができない者達も多く暮らす村も襲われた。結果、今はそこに『何もない』。女子供も関係なく皆が殺され、村が町が里が存在したということさえも塗りつぶすかのように、丁寧に滅ぼされた。抵抗した者も、抵抗しなかった者も、抵抗できなかった者も関係無しに、ただただ殺された。生き残りはいない。
結局の所、『連中』が目指しているのは侵略ではなかったのだ。
『連中』の目的。それは我々を鏖滅しにすることなのだろう。
それからも何度かの戦いがあった。その全てで大敗を喫し、もはや我々には『連中』を止める方法がない。ゆっくりとした『連中』の速度は、今もまだ変わっていない。ずっと一定の速度を保って、ひたすらに我々の領域を侵略し鏖滅しにしている。
それだけが唯一の幸いだった。女子供は率先して奥地へと移動させることが出来たからだ。しかし避難できる場所にも限りがあり、移動させるにも限度はある。どこかで『連中』を止めなければ、いつかは追いつかれてしまうだろう。そして我らという種は……。
「王はお疲れのようです。少し休憩なさってはいかがですか」
「言うことはもっともだが、休憩することで事態が解決するか?」
「お疲れでは解決するはずの事態すらも困難に遠のきます」
「ふん」
従者の言い草は気に入らなかった。だが的外れというわけでもない。
このところは延々と避難計画やら何やらを制定していた、いい加減に休息は必要なのだ、確かに。
「少し休ませて貰う」
「では、白湯を」
「ああ」
従者の一人が白湯を取りに行った。それを飲んで一休みする。死んでいった者達のためにも……いや、今はそれ以前のもっと深いところで休憩を身体が欲していた。
白湯はすぐに用意された。準備するのにさほど時間が掛かっていなかったところを見るに、そろそろ私の限界だと従者達が悟っていたのだろう。だとしたら私は自分が思っている以上につかれているのかもしれない。
「よろしい。それでは……半日は長すぎるな。六、いや、三時間経過したら起こしてくれ」
「かしこまりました」
従者達、といっても今は二人しか居ないが、その二人はそっくりな顔をそっくりに、同時に声を上げるなりお辞儀をして部屋を出て行く。
そう。今は短時間でも休憩を取ることが重要だ。どうにも思考が負の方向に偏りすぎている。
白湯を飲む、身体の内側からほんのりと暖かさを感じる。思い出してみればこのところ、殆ど食事も取っていなかったか……起きたら何かを用意させよう。
だから今は眠りにつく。
ソファに座り、身体を放り投げるようにして――
◇
――その後、彼が眠りについたと見るや、彼に仕えていた二人の従者が部屋に入ってくると、彼の身体を両側からはさみ上げた。
王。
それはこの種族をとりまとめる絶対的な存在。
この種族に産まれた者達にとって、王の命令は絶対だった。だから王は王と呼ばれる。
そんな王をはさみ上げた二人のそっくりな従者達は、妙な言葉を唱えた。
呪文と呼ばれるそれは、紡げる者が紡げば世界をも壊しかねない危険な術。
王自身にならばともかく、その従者達に至っては存在自体を知るはずのない外法である――だから王は、まるで考慮していなかった。
思慮が足りなかったわけではない。
二人の従者が尋常ではなかっただけだ。
『給え、賜え』
『黒よりなるはつくりかみ』
『白よりなるはうせのかみ』
『賜え、給え』
『なほ気尊くあれ』
『どうか我らに救世の導きを』
しかしその二人にしたところで、自身が唱えているその呪文が何を意味するのかは知らない。
あくまでも知識として獲得したそれを、もはやこれ以外に手段はないと、王の断りもなく行使しているだけだからだ。
もしも……もしも王がこの呪文を聞いていれば、少しは反応もしただろう。場合によっては『手直し』さえもしてのけて、あるいはもっと良い結果を得たかもしれない。
けれど王の意識は既に無かった。従者が白湯に仕込んだ眠りの薬、それによって完全に、その意識を喪っていた。
だから手直しなんてできるわけもなく。
結果、その呪文は成立する――してしまう。
それは偶然ではない。
従者達が最善を尽くしたその結果として、従者達が苦労を重ねたその対価として、彼女たちに与えられた褒美である。
呪文が完成するや、『王』の身体が、二人の従者の側からそれぞれに、白と黒の二色に浸食されてゆく。『王』はそれに気付くことなく、ついに二色が交わると、王の身体が一瞬にして球体へと変わり……両手で抱えることが出来る程度の小さな、半分が白で半分が黒の球体に変わり、さらにその球体は小さく小さくなってゆく。
小さく小さく。あっという間に球体は片手で包み込めるほどに。
小さく小さく。さらには目をこらしても見えないほどに。
従者達はその直後、電撃に打たれるかのような烈しい衝撃をその身体に感じ、それでも意識を喪わない。
だから二人は、それを見た。
見えるはずのない大きさだったが、それでも確かにそれは見えた。
小さな小さな球体の、白と黒とが分離して、半球が二つに変わるのを。
そして半球は小さくなるのと同じような速度で、大きく大きくなって行く。
やがて二つの半球は、その姿を異形へと変えて……。
◇
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
二人の従者は、それぞれ従者と同じくらいの背丈の『誰か』と視線をそれぞれに合わせていた。
その『誰か』は、妙な荷物を大量に抱えている。とてもではないがその『誰か』が持てるような重さには見えないが、実際に持てているのだから持てるのだろう。とりあえず従者達はそう納得することにした。
しかしそれ以上に従者達は困惑していた。
彼女たちが行使した呪文は、『魔神降誕』を目指したとされるとある魔族の賢者の遺跡から発掘したものである。つまり『王』こと魔王を犠牲にすることで、『魔神』を呼び出す。そうすることで絶大な力を彼女たち『魔族』に与えてもらおうと、そういう魂胆だったわけだ。
しかし実際に呼び出してみればどうだろう、そこに現れたのは二人の『誰か』だ。
そしてその二人の『誰か』は、従者達と同じ程度しかない背丈で、決して力が強そうにも見えない。魔力らしきものも特に感じず、絶対的な存在というような印象も全くない。
なんというか、そのあたりの街や村で暮らしているような、戦闘のできなさそうな少年だった。だから反応にこまる。反応のしようが無い。
一方で、突然そんな場所に現れた二人はと言うと、少し考えるようなそぶりを見せて周囲をちらりと眺めると、まずは従者達と順番に目を合わせた。そしてその後、二人が目を合わせると、こくりと片方が頷き、もう片方が床に荷物を置いた。
ドサリと重たげな音がして、その時奇妙な動物らしきものが描かれた包装が破れると、その中にはやはり奇妙な動物らしきものをモチーフにしたと思しき小物がちらりと見えた。
「…………。あなた方は、つくりかみ様と、うせのかみ様。でしょうか?」
おずおずと従者の片方が問いかける。
声に反応したようで、顔、目の前のあたりに、耳と鼻を利用して固定しているのだろうか、奇妙な面らしきものを付けたものが口を開き、何かを喋った。
しかし従者達にその言葉は聞き取れない。何かを言っているのはわかる、しかしその言葉がまるで理解できない。
それに気付いたのか、その『誰か』は困ったように小首をかしげると、もう片方の『誰か』に視線を振った。
面倒そうにそちらの『誰か』は、従者の片方を指でさす。そしてもう片方も指でさす。このときも何かを喋った様子だったが、従者達には理解が及ばない。
ただ、その存在が何かをしようとしたことは分かったのか、
「私……でしょうか?」
と、聞く。
すると指をさしたほうではない、顔に面のようなものを付けた『誰か』は嬉しそうに二度、三度と頷く。
「私はアンサルシアと申します」
なるほど、とまるで納得しているかのように、『誰か』と『誰か』が頷くと、もう片方の従者に視線を向ける。意味を理解し、もう片方も名乗った。
「イルールム、と申します」
こちらもやはりなるほど、と納得するかのように頷き、『誰か』と『誰か』は暫く考え込み、「私は」、と顔に面のようなものをつけた『誰か』が言う。
「!」
それに二人の従者は驚く――当然のように。そしてその後に、その『誰か』は更にいつの間にか手にしていた紙に、これもまたいつの間にか手にしているペンで何か複雑な図形を書き記すと、従者の片方、アンサルシアと名乗った方に手渡した。
が、アンサルシアはそれを見て、それが何らかの文字のようだとは感じるも、一体何と書いてあるのかも、そして一体何を意味するのかも分からない。
だが、『誰か』はペンをアンサルシアに渡すと、その図形を指でぐるりと囲うようにして、「私は」と言い、ペンで書き記すかのようなそぶりを見せる。
まるで『私は』と書け、そう言われているかのようで。
「契約……ということでしょうか?」
アンサルシアの確認に、『誰か』は小首をかしげる。どうやら違うらしい。
ならば、とアンサルシアから紙とペンを奪い取り、イルールムはアンサルシアの代わりに『私は』と書き、『誰か』に返すと、満足そうに『誰か』はうなずき、直後だった。
ふぃん、と。
奇妙な音が鳴って、その『誰か』の手の中にあったはずの紙が消え、代わりに一冊の本が握られている。さらに慣れた手つきで本をその『誰か』がめくっていると、『誰か』はもう一人の『誰か』に何かを言われたようで、『やれやれ』と言わんばかりに手を振ると、その手の中にも本がいつの間にか握られていた――それをもう片方の『誰か』も受け取ると、二人はそれを読み始める。
数十秒、紙がめくられる音だけが響いたところで、うん、と面のようなものを付けた『誰か』は頷き、言った。
「こんにちは」
その言葉は少し片言ではあったけれど、二人の従者にとって聞き馴染みのある言葉だった。
「こんにちは」
だからそう答える。
いつものように二人揃って。
そして、それに対して『誰か』は続けた。
「言葉。不明。断片。話す。できる。聞くこと。できる。理解。……通じた?」
片言で、しかも単語を続けるだけの大雑把なものだった。
しかしそれは明確なニュアンスを伴っていて、故に二人の従者はほぼ正確にその『誰か』が伝えようとしたことを理解したのだった。
「言葉が分からない、けれど単語単位でならば話すことは出来る。ただし、私たちの言葉は理解できる、ということでよろしいでしょうか」
その上でイルールムが確認をすると、満足そうに『誰か』と『誰か』は頷いた。
「それでは、つくりかみ様。うせのかみ様。どうか」
「どうか私たち、魔族をお救いください」
だから二人はそう続ける。
呪文は成功したはずだ。
見た目こそはなんとも頼りない子供だが、先ほどから『ふと気がついたら何かを持っている』という奇妙な現象を起こしているし、すさまじい早さで言葉を理解している。
魔神降誕であるならば、この二人こそが魔神である。
「つくりかみ、うせのかみ……」
しかしその二人は少し困ったように言葉を繰り返して、「ああ」、と。
面を付けていない方は、しかし理解したらしく、その誰かたち、二人の魔神が会話を交わす。やはりその会話の内容を、アンサルシアもイルールムも理解は出来ない。
ただ、何かを相談しているようだった。
「つくりかみ。うせのかみ。何? 魔族。知る。したい」
面を付けていない方の『誰か』が言う。
つくりかみ、うせのかみ。それは何かと。
魔族とは何かと、そもそものところからの問いかけだろうとアンサルシアは判断し、言葉を選びながら説明した。
「まず魔族とは、私たちのような存在のことです。次につくりかみ様とうせのかみ様ですが、それは『二重魔神』の言い伝えにおいての魔神のお名前とされています」
「魔神……」
『誰か』は呆れるように、面を付けている方の『誰か』を睨むと、その面を付けている方の『誰か』は慌てるように両手を挙げた。
何を喋っているのかはまるで理解できないが、どうにもやはり、その辺の街の子供を連れてきたような感覚が拭えないアンサルシアとイルールムだった。
それでも。
「理解。記録。歴史。要求。協力。する。必要。ただし……」
概ね分かるように言葉を紡がれ、その面を付けた方の『誰か』が左腕を伸ばす。
伸ばした左腕には、やはりいつの間にか剣のようなものが握られていた。
まるで前触れはなく、全てが瞬間的に。
魔力のゆらぎ一つも感じない。一体何をどうすればそのようなことができるのだろうかと従者達は考えるも、魔神だからと言われればそうと納得するしかなく、今は疑問を浮かべるだけだった。
「敵意。持つ。斬る。了解?」
そして、片言な脅し文句を受けてもやはり、感覚がふんわりとしている。
殺気らしい殺気を感じない――驚異とは思っても、脅威には思えない。
不思議なギャップを覚えつつ、それでもアンサルシアは頷き、少し遅れてイルールムも頷いた。
「では、記録を準備いたします。暫くお待ちください」
「お荷物は片付けま――」
しょうか、と。
イルールムがその二人の『誰か』が持ち込んだ奇妙な動物の荷物に触れようとすると、ふっと、その剣の鋒がイルールムに向けられていた。
「触るな。『 』。私の」
どうやら怒っているらしい。それは分かる。しかし魔神の片方だけで、もう片方はかなり呆れた様子だった。更に言うならば、怒っているらしいことは分かっても、殺意や殺気は感じない。やはりどうにも、ふんわりとしている。
よく分からない。そう思いつつも、「出過ぎた真似をしました。大変申し訳ありません」と丁寧に謝るイルールムに、さきほどまでの怒りはどこへやら、何事もなかったかのように魔神の片方は笑みを浮かべた。
◇
一方で、そんな魔神に視点を移してみると……。