寸説 《夏の君》
「あっち~」
陽が傾いた炎天下の中、俺は歩いていた。
母さんから、お使いを頼まれた俺は最高気温三十六度の中、止まらない汗を手の甲で拭いながら目玉焼きでも焼けそうなアスファルトの上を歩いていた。
「あり得ないだろ!? こんな日にわざわざ買い出しを頼むなんて!」
俺は愚痴りながら公園の駐車場にある自販機に硬貨を入れて甘ったるい炭酸をあおった。こんな日には格別な水分補給だ。
俺はふと、辺りを見渡した。
田舎と言うには国道や高速道路を走る車輌のエンジン音が煩い。だが都会のように人々が賑わってるわけでもなく、ショッピングモールや高いビルもない。この土地は戦国の時代から旅の休憩所だった。
だから今も国道沿いには飲食店やガソリンスタンドを筆頭に店が多いし、昔の人は旅の土産として日本人形を買っていた。今も数は減ったが、ちらほら店がある。
「ん?」
ダルい身体を進ませようとしたときだった。公園の駐車場にハンドバックを持った十四、五歳の女の子が居た。格好は清楚系の代表である白ワンピースに麦わら帽子だった。真夏だというのに焼けていない陶器のように白い肌。汗ばんでいるのに不潔さを感じない、むしろ生命の神秘を感じ取れる艶のある黒長髪。それほど広くもない駐車場なのに俺は今の今まで気づかなかった。
「う~ん。どこで間違えたんだろう?」
女の子は頬に張りついた髪を耳の裏に掛け、地図を凝視する。どうやら道に迷っているようだ。
「どうしたの?」
俺は元から備わっている親切心半分、女の子と話したいという下心半分で困り顔の女の子に声をかけた。
「!?」
女の子は俺に反応して一歩後ろに退がった。困惑しながらも視線を俺から逸らさずに警戒している。
うん、予想通りの状況だ。
「道にでも迷ってるの?」
俺は敢えて笑顔を女の子には向けず、興味なさげな表情で炭酸を飲む。ここで安心させようと笑ったら、それこそ誘拐犯だと思われてしまう。
「い、いえ。大丈夫です」
女の子は迷いながらも断る。
「あ、そ」
俺は潔く退く。
目的だった女の子と話すという友達からは低レベルだと笑われそうな願いは達成できたし、親切の押し売りは最低だからだ。
「この辺りの方ですか?」
去ろうとした俺の背に女の子の声がかかる。
「そうだけど」
振り向き俺が答えると、視界が紙に覆われた。
「道を教えてください!」
俺は思わず苦笑してしまった。
「君って方向音痴だね」
「う~、すみません」
渡された地図を広げて俺は再び苦笑することになった。
彼女の目的地は最寄りの駅から南に下り、少し道を外れれば十分ほどで着くのだが、どう間違えたら駅から南東二十分以上かかる、この公園に来るのだろうか?
「まあ、良いか。案内してあげるよ」
「ありがとうございます!」
うう。チョー眩しい笑顔。こんな女の子が彼女だったらな。
俺は下心を隠し、自販機に硬貨を入れる。
「何か飲む?」
「え、でも……」
「遠慮しなくても良いよ。熱中症になったら大変だし」
「では、お茶を」
余程喉が渇いていたのだろう。ペットボトルの緑茶を渡す(蓋を開けといてあげる俺の紳士ぶり)と、ごくごくと緑茶を飲んで五百ミリリットルの半分を空にした。
「助かりました」
女の子はふ~っと一息つく。
「じゃあ行こうか」
「はい!」
俺たちはショートカットするため公園の中に入った。
「あれは電車ですか?」
公園に入って右手に女の子は興味を持つ。
「ああ、そうだよ。昔、動いてたのを展示しているらしい」
この公園には昭和の時代に実際に動いていた古い電車が一両だけ展示されて残っているのだ。設置されている階段を上れば実際に乗ることも出来る。
「そういえば君は電車で来たんだよね。こっから遠いの?」
「はい。二時間ほど」
「それは遠いね」
左手の小川に沿って公園の草地を進む。
「すごい! トーテムポールがあるんですね!」
女の子が指差したのは何故か公園にある謎のトーテムポール。動物の頭が積み重なっている本格派である。
「私、本物のトーテムポール初めて見ました!」
「これが本物かどうかは分からないけど、俺も初めて見たときは驚いたよ」
俺たちは二人揃って笑った。
散歩する人やアスレチックで遊ぶ子供たちの横を抜け、公園を出た。閑静な住宅街を通り、公民館の大通りに出た。
「この公民館で地元の人が催しをやったり、温水プールもあるんだよ」
大通りを西へと進み、店などを説明していくと女の子は興味深そうに話を聴いてくれて俺は饒舌になっていく。歩道が狭く、危ないのでエスコートしながらだ。
「おっと」
余りにも女の子との会話が弾んだため信号を渡り、そのまま通りすぎるところだった。
「ここが駅前通りだよ」
恐らく、この地区で国道に次いで交通量が多い通りだ。おかげでバスが時間通りに来ない。
「ここ来たことあります!」
「うん、道に迷ってなければ、すぐ着くけどね」
「うッ!」
俺の皮肉に女の子は肩を落とす。反応が一つ、一つ可愛かった。
俺たちは駅前通りを南に下り、大きな建造物が見えると駅前通りを外れて小路に入った。
「これが総合病院。県でも大きい部類の病院だよ」
俺は女の子に大きな建造物を説明していく。今亡き小説家が病院を白い巨塔と表現したのが分かるほどの大きな病院なのだ。
総合病院の前を通り、突き当たりを左に曲がる。
「ここで合ってる?」
「はい!」
地図を確かめて女の子は強く頷いた。
「そういえば、スマホ持ってないの? あれなら地図アプリでルート案内あるよね」
俺の言葉に女の子は驚愕してハンドバックからスマホを取り出して苦笑する。
「昨日、お母さんに買ってもらったばっかりで……電話は出来るんですけど」
俺はスマホを借りて地図アプリを教えてあげる。
「使いなれてるんですね!」
「まあ俺はガラケーなんだけどね」
俺はポケットからガラケーを取り出して苦笑する。
「あっ! パカパカですね。両親が使ってました」
「ぷっ」
俺は思わず噴き出してしまった。
「何で笑うんですか!?」
「いや、ごめん。今どきガラケーをパカパカって呼ぶ子が居るとは思わなくて」
頬を膨らませる女の子を可愛いと思ってしまうのは一目惚れしたためか。
「じゃあ俺は行くよ」
笑顔で格好良く立ち去ろうとした俺だったが、服の裾を引っ張られる。
「一緒についてきてもらっても……良いですか?」
俺は女の子の目的地だった霊園の一つのお墓の前に立った。
「偉いな。お盆に墓参りに来るなんて」
「そうなんですか?」
女の子が不思議そうに小首を傾げる。
「まあ、疎遠になったら、な」
女の子は『日向家』の墓に手を合わせる。
「お盆はキュウリの馬で帰ってくるんですよ」
女の子は唐突に言った。だが、その後は黙ったまま墓石を見つめる。
「君の名前は何て言うの?」
話題を探していた俺は『日向家』の墓石を見て、訊いた。
「日向 明です」
女の子ーー日向 明は悲しげに目を伏せた。
俺は墓石の隣にある墓に眠っている者の名前を刻んだ石を見た。
「日向 明。そうか死んでいたんだね」
「はい」
女の子は俺を向き、目端に涙を溜めてーー心が安らぐほど笑ってくれた。
「お兄さんのおかげで、私は今日も"笑って生きていけます"」
そしてキュウリの馬を俺に渡してくれた。
「ご家族が待っています! 緑茶ありがとうございました!!」
女の子は夏の日差しに負けないほど眩しい笑顔をくれると霊園を出ていった。
一人残された俺は墓石に置かれたボロボロのガラケーを手に取る。
連絡先から『自宅』を選ぶ。
しばらく発信音が流れ、母さんが電話に出る。
『はい、どちら様?』
怪訝そうな母さんの声。
俺は話す。
「母さん、今から帰るから」
俺ーー日向 明はガラケーを閉じた。
今日は今年一番の暑さで今年最後の、お盆だった。