第一話
空を分厚い雲が覆い、月の光は欠片も見つからない。
だがそれをチャンスとばかりに、闇に包まれた少女の逃亡が今夜実行された。
そんな少女の後姿をただ見送るだけの、ところどころひび割れた古城を、振り返ろうともせずに。
やや急ぎ足で彼女は進む。
踏むたびにする草の音。
漆黒の中の鳥の鳴き声。
すべてが小女を恐怖へと導く。
だが、今はそれに怯えている暇はない。
見つかってはならないのだ、絶対に。
普通であれば家出で済むこの光景。
だが、背後の古城から飛び出してきたこの少女において、それだけでは済まされないのだ。
少女の名前はルノア。
金色の髪に空色の瞳、その綺麗な顔には未だに幼さが残っている。
ルノアは、16歳という若い年齢でありながら、この国、ルーチェ国の姫である。
当然ながら、姫という身分上それなりにいい暮らしはしていた。
今着ている服も、シンプルではあるが、やわらかい生地を使用した質のいい黒い上着にワンピースを着ている。
では何故ルノアが逃げ出したのか、それは『自由』にあった。
この国でいう姫という存在は、古びた昔話の本や小さい子供が読むような絵本に出てくるような可愛らしい存在ではない。
毎日大量に積み上げられた書類を整理し、関係のある貴族たちや大臣たちとの面会。
そんなことが延々と続けられ、最早軽い監禁状態になっているのだ。
いい加減限界が来ていたルノアは、遂に逃げ出した。
「ここまで来れば……大丈夫よね?」
しばらく歩いた結果、たどり着いたのは人気のない港だ。
この国で唯一、外に出られる場所。
この国は、ある理由で国名が多くに知れ渡っていた。
それは、国民が悪魔を嫌っているということ。
悪魔や魔法、龍や使い魔に呪術。
そんなものが存在するこの世界にとって、それは珍しいことだった。
もっとも、龍はもうほとんどいないに等しかったが。
10年ほど前、今の国王が即座したときに追い出してしまった悪魔たちは、復讐目的でこの国に立ち入ろうとする。
そのため、この港以外のところには国王がシールドを張ったのだ。
今現在、この港は悪魔たちには見つかっていないことが確認されていた。
シンと静まり返った港に、ただ波打つ音が聞こえる。
雲の切れ間から覗く月が水面に映し出され、ゆらゆらと揺れていた。
ルノアは足を止め、しばらく周囲の音に耳をすませる。
今にも誰かの足音が聞こえるんじゃないか、そう思うたびに自分自身の心音がものすごく大きく聞こえた。
――誰かいる気配はない。
視界の端に何隻かの船を見つけると、ゆっくりと向かった。
この国から出るには、船が必要だ。
しかし、まだ子供といっていい年齢であるルノアには、自分の船などない。
どこかの船に忍び込み、それで国を出るしかないのだ。
忍び込む船を一番近くの大きな黒い船に決めると、少し足を速めた。
かなりの大きさをしているこの船なら、人一人くらい忍び込んでもばれはしないだろう。
そう思っていたときだ。
「その船、あんたが乗るような船じゃねえだろ」
辺りに響いた低い声に、ルノアの動きが止まる。
気づけば月は再び雲に隠れ、光などどこにもなくなっていた――