彼女の疑惑
今回は短いですのでゆっくりお読み下さい。
家に帰ると、彦星はカバンを掛けて、お菓子を持って二回にあがり、テレビをつけて、くつろいだ。
今日も疲れる一日であったと締めくくる。
人生というのは一に疲れて、二に疲れ、三四がなくて五に疲れと言われるように全般的に疲れることしかない。なんで僕生きてるんだ?
そんなことを彦星は思いながらぼけっとテレビを眺める。
「わたしは、他のだれでもない、山本彦星さんが好きなんです。」
ふと、先日言われた言葉が脳裏に呼び起こされる。確か昼休みに桜雅に言われた言葉だ。
彦星は、自分のことを至って普通の人間だと思っている。確かに、魔法学校へ通えるぐらいの魔法技能は習得しているが、それ以外に何か特別なことが出来るわけじゃない。誰かと徒競走でもしたら僅差で負けるだろうし、怒られたら泣いちゃうかも知れないし、ボタンを押せば核爆弾を発射できたりする立場にもいない。
じゃあ、僕って何のために生きて、今こうしてテレビなんかを見ているんだろうって考えたときだった。ほんの少しだけ、桜雅のために生きていると言えるようになりたいと思えた。
「ただいま~。」
「あ、おかえりー」
そんなことを考えていると、もう遅い時間になっていたのか母が帰ってきた。今日も両手に重そうな買い物袋を持っている。
「あれ? また叶は帰ってないの?」
母が玄関の靴を確認したのか聞いてくる。
「うん、また遊んでるんじゃない?」
「全く……。ほんとにあの子は懲りないんだから……。」
全くその通りである、と彦星も思う。なぜあんなに怒られても夜遊びを止めないんだ? 怒られたいのか? 彦星の脳裏に叶のチャラチャラした服装や言葉遣いが浮かぶ。
まあ、いっか。彦星は考えることをやめ、先に風呂に入ることにした。
そして、その夜、またもや夜遊びに嵩じていた我が妹叶は父にこってり絞られていた。自業自得だが、あの父の剣幕をそう何度も拝みたいと思う人はなかなか少ないはずである。そう考えると叶は本当にバカだな、などと思いつつ彦星は眠りについた。
今日の一日も昨日と全く変わらない。
物理魔法でリモコンを手元に引きつける。
巧くいかない。
リモコンは上に持ち上がりこちらに近づく途中で魔法が切れて床に落ちた。
僕は最近ずっとこんな感じで唯一といっても言いとりえが全くの使えない状態。要するにスランプの状態にあった。
きっかけはネット上で見た広告だった。
「お安くS○Xしましょう! お値段なんと○万円から! ご連絡はこちらまで! ~~!」
お恥ずかしながら僕はいわゆる道程にあると呼んで「童貞」であった。世間から童貞がどういう目で見られるとかそういうことを書きたいわけではない。
一言で言うと僕はそのことに少なからぬ不満があるということだ。
一生に一度くらいS○Xをしてみたい(ような気もする)。
しかし、S○Xをしたからと言って何が変わると言うのだろうか?(反語)
所詮は自己満足の延長にしか過ぎない薄いプライドを満たしても後に残るのはきっと、念願の復習を果たした後のような一抹のわびしさだけだろう。
でも、まあ交尾として考えればそれは必要な行為であることは明らかである。
つまりは、それは過程なのだろう。子を作り、大地を人で満たすことを僕たちは脳の奥底にインプットされているのだから。だから、子育てをして初めて、この世に存在することを実感できるのだろう。人間としての役目をやっと、遂げることが出来たような、このまま死んだら死後の世界で胸を張ることが出来るような気持ちを持てるのだから。
「~~~~~
~~
当店人気の女!!! ○○○○! ○○○○! 桜雅!
気になったら来てね❤」
最初は訳が分からなかった。
なぜあの人の名前がここに有るのか。
桜雅は風俗をしていたのか?
一度芽生えた疑惑を振り払うことはそんなに簡単じゃない。
それとなく話題を振ってみる。
「桜さん。ちょっといいかな」
「あ、山田くん。何でしょうか?」
場所は教室の端っこ。まだ今日は学校に来たばかりで生徒達はそれぞれ談笑している。しかしここはエリート学園というだけあり中には一心不乱に勉強をしている黒めがね(男女問わない)も結構多い。
僕は一応会話が聞かれるとマズイかなと思い、周囲に防音の結界を張ることにする。もちろん普通にやったら桜さんに気づかれる。だから、魔力探知不可の結界を同時に展開させる。相手が容易には探知出来ないくらい、広範囲のものを、この2階のフロア全体に。
「ああ、いや何と言うわけでは無いんだけどさ、今日なんか熱くない? 熱いよね。制服がじめじめだよ。」
「あはは、そうですね! 私も熱くて制服脱ぎたいです!」
いつも通りの笑顔を振りまく桜さん。念のため言っておくけど制服を脱ぎたいは決して変な意味には聞こえなかった。純粋に熱いような感じだ。
そして今思ったけど会話のスタート地点を置くとこ間違えたな。大分ゴールから遠い気がする。こっからどうやって風俗の話に持ってくんだよ!
「ふ、風習があってさ、僕の家に。何か、汗は流しっぱなしにすると体温を奪い取って涼しくなるらしいよ。だから、汗かいたらそのままにしといた方が良いかもね」
「ええ~!そうなんですか! 初めて知りました! じゃあ、私これからそうしてみますね!」
これまた純粋に驚く桜さん。
「うんそうすると良いと思うよ。それにあれだしね。男子は女子の薄着が大好物な奴がたくさん居る可能性も無きしもアラズって言われているからね。ほらだから制服着て汗かいていた方が安全かもよ。」
早口。自分でも驚く位の早口。最後の方何言ってるのか分からないだろ。
目を白黒させている桜さん。
「あ、あはは……。そうなんですか? でも私は薄着も良いと思いますけど。」
「やっぱり? 僕もそう思う。 薄着の方が見てて涼やかだしね。あはは……。」
掌返しと苦笑いでごまかす僕。
「じゃあ、そろそろ授業なので私は席に戻りますね! また話しましょうね!」
そう言って席に戻っていく桜さん。
僕も防音の結界を解除して魔力探知不可結界も解く。
やはり会話しただけでは風俗やっているのかどうかなんて聞けないし、分からないな。でも結構うぶな反応してたからやってるようには見えないよな。
今思い出すと途中で完全に変態になっていた気がするぞ、僕。
とにかくこのときは僕は有力な手がかりは何一つつかめなかった。
加賀さんの号令が響き渡り、今日も勉強をしなくてはならない。
「ねぇねぇ山本くん。さっき桜さんと話してなかった?」
着席の号令を掛けた加賀さんが小声で話しかけてきた。
「あぁ、まあね。挨拶しただけだよ」
「ふ~ん。何か珍しいね、桜さんと朝から話してるなんて」
「そう? 別に仲が良いのは良いことだろ?」
委員長は少し疑わしげな視線をしていたが、それも一瞬ですぐに普段通りの顔に戻ってそれもそうかもね、といって去って行った。
何気にめざといというか鋭い委員長。だてにその地位に居るわけじゃ無いのか。
そんなことを考えていると先生が教室に現れる。
比喩ではなくて本当に何も無いところから現れる。
この学園の教師ともなるとほとんどの人が上位転移魔法での移動がほとんどで、大抵の教師達がこの方法で現れる。
だが、ここだけの話この方法はあまり世間一般では使用されていない。なぜならそのメリットに対してリスクが大きすぎるからだ。転移魔法というのは物理干渉魔法に属する。つまり使用には大量の魔力、そして精密な魔力操作が求められる。つまり朝から出勤するだけで半分以上も己の魔力を使用するのは割に合わないのだ。
まあ、今更だがこの学園は結構ぶっ飛んでる気がする。
「おおし、みんなおはよう。今日も元気に授業を始めるぞー」
ちなみに余談だが僕らの担任は男で、名前は大谷茂という。
体育会系の体つきをしていながら社会科を教えているという本当に普通の男性教師で性格はおおざっぱ。生徒からは結構信頼されている。なんだかんだ言って僕も結構好きだった。
ここら辺から僕は授業を聞き流し始める。防音の結界と魔力探知不可の結界、遮音の結界をギリギリ教師が指名したときに聞こえる位の音量に調節してはる。これで僕は自分のことに専念出来るわけだ。
正直なぜかは分からないのだが最近になって授業の内容がつまらなくなってきてしまった。どの教師も同じ事を繰り返し繰り返し言うだけ。もう既に知っていることを何度も言われたら誰だって飽きるのは道理だろう。
だから僕は魔方陣の構成図の予習をするのだ。
やがて学校も終わり帰る時刻になる。
校門に前田先輩が待ち構えていたのは良い思い出だ。
今日は金曜だから明日が休みだった。帰りながら考える。じゃあ今日は宿題やんなくていいな。こういうといつもやってるみたいだが常日頃からやらない日も多いのが僕だ。
いつの間にか帰っていた母がご飯だよ、と呼びかけている。
宿題やってから寝よう。
僕はそんなことを考えて、ベッドから勢いよく跳ね起きて、ドアを開けて階段を降りた。
階下に見える明かりから伸びる影が蜃気楼のように踊っている。その蜃気楼は三つ。父、母、そしてどうやらつい先程帰宅したのだろう妹のものだ。何となく3人揃って夕飯を一緒に食べるというのはすごい久しぶりなんじゃ無いかと思う。リビングのドアを開けると既に3人とも席に着いてご飯を食べていて、何だかそんな日常が一瞬だけ僕を除いてどこか遠くの世界であるように感じた。
「どうしたの? 早くご飯食べなさい。」
母が遠目に、リビングに立ち尽くす僕に声を掛けてくれる。食卓には今日は4人分のハンバーグが並べられていて、こんがりと焼けた肉の上の赤いケチャップと、脇に添えられた青いレタスの山がひどく綺麗に見えた。
「そうだね。今食べるよ。」
僕にはいろんな悪癖があるけれど、その中の一つに考えすぎというものがある。例えば、今ここにあるご飯を僕は食べても良いのだろうかとか、そんな答えの出ない問題が頭のなかでぐるぐると回り始める。ただ漠然とした疑問が、答えを求めて老人のように頭の中を徘徊する。例えば、このご飯を作るためにどれほどの労力が支払われているのかとか、本当に、僕が考えても何もならないことなのにそんなことばかりが頭の中で回ってる。
僕はご飯を食べるとすぐに部屋に戻って布団にくるまった。情けないことだけれどそれが昔から一番落ち着く場所だった。暗闇の中でなら何も考えずに済むから。
その日はそのまま寝てしまった。
次の日は体がだるいという理由で学校を休むことにした。母に行ったら心配して休んでくれようとしたので僕はそこまでひどくないからと止めるのに一苦労した。妹と父は何も言わずに出て行った。
一人で食べる朝食は何の味もしなかった。僕はただ光を反射するだけの無機質な目をしてテレビを見ながらなんで僕はここにいるんだろうって思った。
思えば不思議なものだ。普段学校に行っているから気づかないけれど、僕は昼間の時間学生以外がどのようにして生活をしているのか知らない。今頃仕事が終わって眠りにつく人や、仕事も無くて何もせずに座り込む人や、会社に勤めていて上司に叱られている人が、同じ時間帯にいるということが僕には実感出来なかった。
部屋に戻ると驚くほど僕にとって必要なものというのは少ないことを再確認出来た。パソコンもノートも鉛筆も教科書も机も椅子もベッドも食べかけのお菓子や付けっぱなしのエアコンも、全部そういったこととは無関係なものに思える。
好きという言葉は気軽に使える言葉じゃない。それは人を惑わせる言葉だからだ。だって今僕は惑わされている。
桜雅。
僕を好きだと言ってくれた人だ。
子供の頃は僕だって気軽に使えていた。ハンバーグが好き、とか、サクランボが好きとか。それが今になってはその言葉に様々なものが壊されようとしている。言ってしまったら元には戻れないものが出来てしまったからだ。
僕はその意味を確かめたい。
そのために僕はまず一つの肩掛けカバンを押し入れの奥から引っ張り出した。釣られてゴミがたくさんひきづり出されたのにまるでカバンに防汚魔法がついているみたいにはがれ堕ちた。次に必要なのは双眼鏡だ。僕は父の書斎にいろんな道具が一緒くたにしまわれていることを思い出し、苦労して双眼鏡を探し出した。僕はそれらをカバンに詰めるながら、ふと僕は病気じゃなかったっけ? なんて自分に訊きながら、「ああ、そうだよ。だから今から僕はちょっと出かけるなんてことはするはずないだろ?」そう呟いて、玄関の扉を開けた。
玄関を開けるとすぐに夏特有の強烈な日差しが僕の視界を白く染め上げた。前が見えなくなってからしばらくすると青い空に薄く白い雲が流れていた。
背徳感。圧倒的背徳感を僕は味わっていた。みんなが学校や職場に行く中僕だけがどの集団にも属さずにひとりで行動している。まるでガラスケースに飾られているアリの巣を眺めているかのように、僕は今完全に社会から切り離されていた。
外に出て一番に思ったのは学校へ行くことだった。僕は今日は風邪で休みということになっているから、教室を除けば僕が居ないときどのような感じなのかがわかるし、そうでなくても外から学校を観察するというのはかなり面白いと思った。だって学校っていうのはほぼほぼ社会から切り離された空間に子どもだけが隔離されてりるようなものだからだ。
校舎に一番近い木にダイブ(魔法による空間転移のこと)した僕は持ってきた双眼鏡で教室の様子をのぞき込む。
僕達の学校の西側には道路と面している。そのため騒音対策なのだろうか、それは定かでは無いが街路樹が茂っていた。これが中々高い木々で、一番低い物でも校舎3階ぐらいまでの高さがある。僕はそのうちでも一番高い物にダイブしている。ここからだとちょうど校舎5階が真正面に観察できるし、僕のクラスがある3階も視野に収められるからだ。
真正面の5階をみると誰も彼もが人形みたいに前を向いてマジメに先生が話すことをノートに写したり、相打ちを打ったりしていた。




