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1.エルシオン・ウィンダミア 14,08.01

『8月1日、今日も一日がはじまる。

 ベッドから飛び起きて、一番に俺は門のわきにあるポストへ走った。七つのときに基礎学校の授業で作った、四角い箱に顔を描いた垂れ目のポストで、俺はけっこうイカスと思う。で、そいつの口に腕をつっこむと、固い紙の感触がある。しめたとばかりに底の三通をさらって、玄関のほうへ駆け戻る。

 そこに、女中兼世話係のカシスが扉で待ち構えて、おっかねえ顔をしている。頭の上で茶髪のお団子をつくった大女。力でかなったことはない……

「エル坊ちゃま。そんな格好でお外に出ないようにと、何度申し上げたでしょうか!」

「あーはいはい」

 てきとうに返事して、ちゃちゃっと着替えて、食堂に行く。そこには冗談みたいに長いテーブルが待ち受けている。平民議員の親父が、政治家仲間を集めてパーティーが出来るように設計したからだ。その隅っこに一人腰かけて、さっきの手紙をかざしながら、もう片方の手で焼きたてのパンを頬張る。

 隣では、ジュースのお代わりを運んできたカシスが、老け顔に眉を吊り上げている。

「お坊ちゃま! 食事時に手紙なんて――」

「やめてくださいまし~、だろ」

 俺は椅子と怖い顔の中年女の間をすべるようにすり抜けた。もう朝食はいらない。自室に戻って机に向かい、二通目の封を切る。

 チュール村のロマランからだ。あいかわらず汚い字だと思いつつ、笑いながら便箋を繰っていく。三通目はユーディット。あいつ、どうしてるかな。

 三通の手紙をみんな読み返して、俺は机に白い便箋を広げ、羽ペンの先をインクにつける。

 伝えたいことは山のようにある。まずは誰に返事を書こうか――。

 よく考えれば、君はあまり俺のことを知らないと思う。

 俺は十二で基礎学校を出て以来、二年ほど家庭教師に勉強を教えられている。学校がなくて羨ましいなんて、とんでもない。建国の祝祭が近づいて、今は他のやつらと同じように休みを満喫しているが――実際、家庭教師はどいつもこいつも鬼だ。親父は俺を大学に行かせるつもりらしいから。

 他に……見た目は普通だ。普通のつもりだ。青い眼差しが母親似だとよく言われる。髪はありふれた淡い金髪で、そろそろ伸ばせと言われて伸ばしているが、肩にかかって鬱陶しいのでやっぱり切ろうかと思っている。体格も普通だと、俺は思っている……身長だって、そのうち友達に追いつくさ。

 熱中すると時間なんてわからない。ノックの音が聞こえて、俺は反射的に書きかけの手紙をぶ厚い教本で隠した。扉の隙間から、カシスがうらめしそうに顔を出している。

 ああ、いつものお小言だ。

「エル坊ちゃま。お手紙もよろしいですが、たまには外にでも出て運動をなさっては?」

「おい、その発言は国中の少年少女を敵に回すぞ?」

 言わずもがなだが、趣味は文通。珍しくもなんともないが、かける情熱は誰にも負けないつもりだ。郵便制度についてなら、三日三晩語れる自信がある。

「ほら、こんなにいいお天気ですし」

 何かを促すように、カシスはするするとカーテンを引いていく。なるほど確かにいい天気だ。だからそれがどうしたっていうんだ――!?

 次の瞬間、俺はガラスが破れんばかりに窓を押し上げ、外へ身を乗りだしていた。

 見渡すかぎりの青天に、のたうつような軌道を引きずる黒い点があった。

 灰色のレモン形をした気球が、黒煙を噴き上げながらゆるやかに落下していく。

「シトロネラ型気船……嘘だろ!」

「まあぁ」

 へなへなと腰を抜かす世話係を放って、俺は一目散に駆け出した。

 屋敷の門を出て、住宅街を区切る石畳の道を全速力で走った。街を取り囲む、レンガ色の城壁がせまってくる。俺はそのままの勢いで、衛兵の銀色の鎧へ住民証をかざしながら城壁の門をくぐりぬけ、草原を見渡す。

 かすかな地響きが、足下を揺らす。

 その源は西の方角――遠くのほうでどす黒い煙と炎を巻き上げる、一点を見つける。

 この時間に、北方環状風航路――あれは第38郵便気船だ。

 朝一番に西の小さな町を経ち、首都へたくさんの手紙を届けるはずの、気球。

 日頃の運動不足がたたった。俺が息も絶え絶えで墜落現場にたどり着くころには、どこから集まったのか、もう野次馬の人だかりができていた。

 気船は燃え盛っていた――下部に吊り下げられたコンテナもろとも。

 気球の薄い膜は炎に縁取られ、描かれた目玉模様がみるみるかき消されていく。大破したコンテナはぎっしり詰め込まれた紙の白い塊ごと明るい炎の渦を巻き上げていて、風に舞い上がった紙片が、一帯を炎の蝶のようにひらひらと踊っていた。

「誰か火を消せよ!」

 周囲を見回すが、誰も意外なほど無反応だった。

 そうしている間に、足元で白い封筒の束が燃え尽きていく。西の街や村から、俺に想いを届けてくれる人々の顔が、鳥肌とともに甦る。

 俺は悲愴になって腕を伸ばしていた。

「リズフェール、ノーラ、ミラベル……母さん!」

 一つかみの封筒が、ふわりふわりと順に燃え尽きていく。俺はそれを地面にたたきつけて、靴で何度も踏みつけた。足を上げると、まるで焚き火の痕だ。黒い燃えカスの残骸の中に小さな火が見えて、もう一度踏みつけた。

 顔を上げれば、巨大な気球がもう間もなく燃え尽きるところだった。

「ちくしょう!」

 足元を蹴り上げれば、灰が粉塵になって舞い上がる。その中に、白い色が現れた。

 拾い上げてみると、やはり封筒だった。

 表面が半ばまで焦げているが、中身は無事らしい。知らず、安堵の溜息がもれる。期待を込めて封筒の裏表を確かめるが、どう見ても俺宛てじゃなさそうだ。とりあえず、上着の中へ放り込んだ。

 数分か、十数分……周囲の草原を巻き込んだ火事は、完全に終息した。黒い焦土にはコンテナの残骸が炭となって転がるだけ。

 見物人がぽつり、ぽつりと散らばっていく。

 徒労だった。唇を噛んで、帰るか、と踵を返そうとした俺を、じっと見上げている瞳があることに気づいた。

 子供だった。黒い髪に鉛色のつぶらな瞳の男の子。誰に連れてこられたのだろう。さっきの俺の慌てっぷりを一部始終、そうやって見つめていたのだろうか。

「……ごめんなさい」

 そう、ぽつりと呟いた。俺が眉をしかめている間に、母親らしい、日傘を差した女に手を引かれて、子供が背を向けた。下ろしたほうの手には、赤いものがしっかり握られていた。

 肩を落としてとぼとぼと歩いていた俺は、いつの間にか城門まで戻ってきていた。門衛の銀鎧に住民証を見せて、城壁の中へ。俺は一つ、大きな溜息を吐き出した。

 別に、あの中に俺宛ての手紙があったなんて確証はない。ただ、誰かが日がな夜がな時間をかけて俺のために書いてくれた手紙が、もしかしたら灰になってしまったかもしれない。それだけで気が重くなるには十分過ぎた。

 その手紙のことを思い出したのは――部屋に帰って、椅子に腰を落としたときだった。

 袖の中からひらり、と封筒の重みが落ちた。手にとってみると、住所も宛名も黒く煤けてわからない。青い封蝋が押されているが、焦げた端から中身が抜き出せた。

「なんだ、これ」

 固い紙をひっぱり出して、広げた第一声だった。

 中身は一枚――上のほうに宛名らしい二つの行と、文末に差出人のサインらしい達筆。その名も、間を埋める文字も、みな実のなったツル草みたいでさっぱり読めない。それが、かろうじて芸術作品ではなく文字だとわかるくらいだ。

 届けようにも返そうにも、これじゃ手がかり無しだ。

 遺失物として届けてもよかったが――きっと誰も取りに来ないだろう。そんな気がした。悔しくなって、もう一度、不思議な字面を見る。

 ずいぶん丹念に書かれた文字らしい。一点や、払った筆先の軌道にまで繊細な神経が通っているようで、大きさも、見えない枡に収められたようにきっちり整っている。

 もし結婚式の招待状だったら、誰かの訃報だったら、もっと大切な何かだったとしたら――この手紙に込められた想いは、きっと無駄になる。

 思うところがあって、俺は黄金鳳レイリーの羽のペンを取った。


『 親愛なるノアへ


 今朝、郵便気船の事故を見た。第38航路だ。さいきん、事故が多すぎないか。

 じつは、その墜落現場で手紙を拾った。でも俺にはさっぱり読めない。

 写しを付けておくから、もし何かわかったら教えてもらえないだろうか。


           エルシオン・ウィンダミア 14,08.01』


 文末に、名前と年齢と、書き終えた日付を入れる。誰がはじめたのか知らないが、民間じゃこの書式が普通だ。昔は王国暦がコロコロ変わったので、個人の年齢を頼りにするほうが、年月を追うのに確実だったのだとか。年齢を入れるか入れないかで、親しさが計れると聞いたことがある。

 それから、俺は苦労して例の手紙を書き写し、一緒に封筒の中に入れた。

 サインの形も真似てみたつもりだ。封筒にノアの住所を書く。住所の丸暗記には自信があったが、不安を覚えていちおう住所録で確かめておく。

 彼女は南の大学帰りの秀才で、専門は言語学。これほどの適任者もいないだろう。

 屋敷から歩いて五分のところにある、レンガ造りの『城市フランネリス第89郵便局』に行って、顔なじみの親父さんに封筒を手渡す。

「短信の速達で」

「あいよ」

 と、返事をした時にはもう彼は手続きを始めていた。きっと無言で手渡しても同じ手続きをするだろう。速達にするのは癖みたいなもんだ。

 部屋に戻って時計を見ると、もう午後一時を回っていた。

 本棚から市街地図をひっぱり出して、五区の全体図を開く。ノアの家は大通り沿い。三区から五区までの速達だから、巡回便で一時間もかからないだろう。

 朝食を中途半端にしたのが今になって祟ってきた。ちょうどカシスが呼びにきたので、食堂へ向かう。

 昼食を終えて部屋に戻った。もう手紙は着いているころだろう。今ごろノアは見晴らしのいい大窓のある二階の書斎で、手際よく翻訳してくれているに違いない。俺は、昼の便で届く手紙に返事でも書いてよう。

 さて、短信が返ってきたのは三時だった。桃色の封筒を開く。


『 親愛なるエリーへ


 手紙を読んだわ。本当、最近事故が多すぎるわね。墜落現場に行ってきたって、どうせあなたは考え無しに飛んでいったのでしょうけど、あまり危険なことはしないで。

 普通に考えれば、乱気流に巻き込まれたのかしら? わたしは百年に数度って言われている、大規模な磁気嵐が原因と思うんだけど。そういえば、船が落ちる前に、ローブ姿の集団が輪舞を踊っているのが目撃されるんですって。面白がって『朝露の輪舞』なんて呼ばれているわ。ただの噂だと思うけど。あなたはどう思う?

 本題に入るわ。あなたに貰った手紙の写しのことだけど、率直に言うと、わたしにも読めない。だけど、これは少し前まで大陸の東部で使われていた文字に似てる。

 推測だけれど、たぶんそのもっと古い形なんじゃないかしら。もし、まだ解読されていない言語なら、翻訳に最低でも半年はかかるでしょうね。

 少しだけ、手がかりがあるわ。けれどこれはわたしの推測、あまり当てにしないで。

 宛名なんだけれど、二列になってるでしょう? これは二人に宛てて書かれたみたい。そして、名を示す三つの単語の後ろ二つが同じ。二人は血縁者ね。

 第38航路なら、ほとんどがこの都宛てでしょう? この街で三つ名を持つ人物は限られているわ。語感から見ると……


  グレナディン・デ・フランネリス

  アンディーヴ・デ・フランネリス


 ……そう、王様と王女様宛てなんじゃないかしら。そうだったら、何か重要なことが書かれている可能性があるわ。でもこれはわたしの憶測。ぜんぜん違ったら大変だから、あまり信用しないで。

 もう一つ、少し前の東部言語と共通点があるわ。それは数字ね。

 文中にある記号の羅列をこちらの言語に直せば……33、08、07、7よ。王国暦33年、8月7日のことじゃないかしら。建国の祝祭の初日よね。そうなれば最後のは時刻かしら? 午後7時なら、ちょうど祝祭の始まる時間だけど……もし正しければ、よ。

 もっと詳しい人がいるなら、その人に訊いてみて。あまり力になれなくてごめんなさい。

 ところで今度、いっしょに馬上試合を見に行かない?

 手紙もいいけれど、せっかく近くに住んでるんだから、たまには遊びましょうよ、ね。


         ノワゼッタ・フリューリン 24,08.01』


 ――俺は便箋を置いて、ゆっくり息を吐いた。

 もし、とか推測だ、なんて言ってるが、ノアが言うならきっとそうなんだろう。

 王様と王女様宛ての手紙? もしそうなら、届けるべきだろう……もう一度ノアの手紙を読み返して、俺は頭に電流が走るのを感じた。

 追い立てられるように、新しい便箋を取り出した。ペンにインクを滲み込ませて、文字をつづりはじめる。

 親愛なるアレイシア――

 そう、君だ。

 交友関係の広さには自信がある。と言っても、それは流浪の吟遊詩人である母さんが、あちこちで一人息子の住所をばら撒いてくれたおかげだ。俺が寂しくないように、って。

 俺はノアに宛てたのと似たような文面をもう一通作って、例の手紙を苦労してもう一度書き写して、二枚を重ねた。きちっと四つに折りたたんで、封筒にすべりこませる。

 封蝋を押して、郵便局へ向かう間に、考えていた。

 ずいぶん昔のことだ。母さんが、大陸東端の山脈で暮らす女の子の住所を教えてくれたのは。

 今まで、あまり交流がなかったのは何故だろう?

 文通相手には色んなタイプがいて、普段からくだらないことでもよく語り合うやつ、話が盛り上がったときだけ頻繁にやり取りをするやつ、一年単位で近況報告を送りあうような間柄から、挨拶を交わしたっきりなんとなく疎遠になるタイプ――最後のだろうか。

 君のことを忘れていたわけじゃない。いや、忘れていたとも言える。毎日たくさんの手紙をやりとりする中で、振り返る余裕がなかったのだろうか。

「短信の、速達で」

 というわけで、君に写しを送った。郵便局の親父さんが眠たそうな目を突然、かっと見開いた。人相が変わってる。

「おや、この住所はGPSじゃないかい」

 何か閃いたように、奥から分厚い住所録を一冊抜き出して、ぱらぱらとめくりはじめた。ぴっと指差された一行を俺ものぞきこむ。

 自分で書いていて気づかなかったが、確かに他の住所と表記法が違う。

 GORDEN PISA SARE――古い言葉で『渡り鳥の巣』、略してGPS。

 それは移動可能な住所を導く、希少な鉱石だ。正式には『赤の石』と呼ばれているらしいが、文通愛好家の間ではGPSで通っている。

 この住所なら、各地の郵便局を経由せず、個人宛に直接小さな風船を飛ばせる。

「風の調子にもよるが……下手すりゃ一日で着くかもなあ」

 親父さんが、感心したように眼鏡をかけなおした。君はすごいものを持っているんだな。

 欲しいものを何でもやると言われれば、俺は間違いなくGPSと即答するだろう。だがそれも遠い夢だ。圧倒的に産出量の少ない鉱石で、基本的に売り物じゃない。大金を積めば闇市で買えるらしいが、それもまた遠い話。

 実はうちにも一つ、あるにはあるのだが――親父のだ。平民議員に贈られる王様からの下賜品だが、はっきり言って、宝の持ち腐れ。首都にいれば、どこにでもポストがあるし、持ち歩く必要もないって言ってたか。

 レンガ造りの建物を出ると、わずかに和らいだ日差しが照りつけた。夏の日はまだまだ長い。

 俺は家には戻らず、その足で一区にある王城へ向かった。すぐに後悔した。どうせ家の前を通ったのだから、ベレー帽を取ってくればよかった。ようするに、インドア派にこの日差しはきつい。

 陰の多い住宅地を抜けると、二区の繁華街に出る。白や薄茶や淡いオレンジの壁の、縦長の家屋がぎゅう詰めで並んだ大通りは、いつにも増して活気に満ちている。

 祭りが近いからだ。そこらで店番をほっぽって、街灯や壁の飾りつけをしてるやつがいたり、女たちは浮かれて道端で立ち話に花を咲かせているし、唯一汗を振りしぼって働いているのは祝祭用のドレスを縫うお針子さんたちぐらいなもので。あと、酒場の店主……おいおいまだ夕方だぞ。

 俺は途中でフルーツジュースのスタンドに寄って、冷たい飲み物で身体を冷やした。軟弱だ、とは思っても言わないように。

 大通りを抜け、人で賑わう広場を抜け、ようやく行く手に王宮の城壁が現れた。

 数十年前には現役で使われていたという白い壁には、焦げ目や生々しい砲弾の痕が残っていたりする。

 その高い城壁に半分を飲まれた白亜の宮殿は、東西に一対の尖塔がそびえ、中央には丸屋根、それぞれにフランネリス王国の紋章旗が翻っている。巨大ではないが質実剛健にして堅牢、かつては難攻不落とまで謳われた国王の居城だ。

 近づいてみると、一つしかない入口には二重の鉄柵が下ろされていた。

 ――変だ、まだ閉まる時間じゃないはずなのに。もう食材の搬入が終わったのか?

 銀色の鎧を着た門衛へ、黒服の背の高い男が、なにか騒ぎたてながら詰め寄っていた。その腰には、鞘に収めた剣がぶら下げられている。

「入れないって、どーいうことだよ!」

「ですから、何人も通してはならんと、陛下のご命令がありまして」

「王様が? でまかせ言ってんじゃねえよ。おら、開けやがれ」

「でまかせではありません。従われないのなら、あなたを捕らえることになりますが……」

 門衛は男の剣幕に圧倒されたのか、微妙に背をのけぞらせながら答えた。

「はっはーん、なるほど、そういうことか……」

 何か悟ったらしい帯剣の男が、兵士の目にも留まらぬ速さで足元の小石を拾い――王宮の丸屋根に向かって投げつけた。

「あーそうですか! オレ様の顔も見たくないってね~~!」

 まるで子供のケンカ、いや酔っ払いの凶行か? 俺は小石の描く放物線を見送っていた――が、突然炎に包まれ、赤みを帯びた焼け石となり、勢いを失って地面に落ちた。

 王宮を取り巻くように、空がうっすらと赤く染まって、呼吸を取りもどす間に収まる。それは夕焼けが駆け足で訪れて、引き返したようにも見えた。

「げっ、ファイア・ウォールが作動してやがる」

 ファイア・ウォール――それは宮殿に張り巡らされた、対飛来物用の炎のカーテンだ。以前、手紙を使ったテロがあって以来、ときどき作動させていると聞いた。

 その無頼漢はますます気を悪くしたらしい。門衛に頭突きをくらわせ、振り返ってこっちへずかずかとやってくる。

 あ、あの男、いい身体してんなあ。しっかり筋肉質なのにゴツくない……おお、俺より三十センチは上か……

 すれ違いざま、俺の頭の上を短い灰色の髪がかすめた。顔立ちが分かりづらいほどの、いかにも不機嫌なしかめ面だった。

 だけど、振る舞いは颯爽としている。なんというか、その雰囲気が……会ったこともないのに、どこかで会ったんじゃないかという気にさせた。

 別の門衛が俺のほうを見ている。俺は懐から例の青い封蝋の手紙を取り出して、王宮と見比べた。

 ノアはああ言ったが、本当に大切なものなら、やっぱり届けなきゃならない。

 心を決めて、門衛のもとへ歩いていく。いやに緊張する。

『何者か。王城に何の用だ』

 とでも言ってくれればよかったのに、

「何のご用かな、坊ちゃん」

 ときた。俺はちょっとムカッとしながらも、愛想笑いを心がけた。

「この手紙、拾ったんですけど。ひょっとしたら王様宛てじゃないかなって」

「でも君、封筒が破れて住所が読めないじゃないか……いや、焦げてるのか。これが王様宛てだって、どうしてわかるんだい」

 差し出した手紙を受け取って、ためつ眇めつしていた兵士が、門の右脇に立っている同僚を振り返った。どうする、と困惑顔で目配せする。

「けど、中に王様の名前が……」

 言いかけて、俺は言葉を止めた。もし間違っていたら、ノアを困らせることになるのか。口ごもっていると、兵士が俺に封筒を突っ返した。

「どうかと思ったが……だめだな。その王様の命令でな、いまは書面および人員の出入りは固く禁じられている」

 はあ、やっぱりな――恨めしい目で手元の封筒を見つめていた俺だが、あきらめて帰ることにした。大人の事情はよくわからない上に長引くだろう、アレイシアの返事を待とう。振り向くと、茜色に染まった雲が、尖塔と丸屋根の間にまで棚引いていた。

 王城の門から市街地へ続く、長い道の両側には、野原が広がっている。馬を並べたり、陣を張ったりするから家を建てるなという立派な法律があるが、どこか寂れた感じがする。疲れきった俺がその道をとぼとぼ歩いていると、街の入口に差しかかったところで、目の前に音を立てて自転車が止まった。

「エリー! やっぱりここにいたのね」

 木組みの自転車から飛び降りたのは、マリーゴールド色の長い髪をポニーテールにした、色白の美人さんだ。淑女には珍しいふんわりとしたズボン履き。詰まった襟に息苦しそうに手を入れて、いつもは細められている渋い茶色の瞳が見開かれている。

「ノア!? なんでこんなとこに……」

「手紙は? 持ってるわね。いいこと、家に帰っちゃいけないわ」

 ノアは俺の手にあった封筒を見て、ハアッと安堵の息をついた。ただごとではない様子だ。

「なんでだよ。どうしたんだよ。いったい何があったんだ……」

「どうしようかな……じゃ、後ろに乗って」

 よくわからないまま言われた通りにすると、ノアは物凄い速さで自転車をぶっ飛ばした。南のほうで流行ってるらしいが、つくづく危険な乗り物だと思う……正直、生きた心地がしなかった。なんだって角を曲がるとき、あんなに横倒しになるんだ?

 自転車が砂埃を巻き上げて到着したのは、五区の役所街にあるノアの家だった。レンガ造りにはめた木の戸口を抜け、階段を上がって、二階の扉をくぐる。

 目に飛び込んできたのは、不自然にひっくり返された部屋だった。書棚から本という本が落とされ、机やタンスの引き出しは片っ端から開けられ、そこら中に手紙や書類らしい紙が散乱している。開け放たれた窓に、カーテンが揺れている。

「どうしたんだよ、これ……!」

「誰かに荒らされたの。無くなったのはエリー、あなたから貰ったその手紙の写しよ」

「何だって……」

 その意味が頭に染み渡るのに、少し時間がかかった。心臓がうるさいくらいに鳴っている。

 ノアは窓際の机に腰かけて、外の並木道を見下ろした。

「荒らされたのはわたしの部屋。この意味、わかるかしら」

「わからねえよ。なんで、そんなに落ち着いてるんだよ」

 彼女は腕を組み、可愛らしく唇を尖らせて、言う。

「慌てたって仕方ないことだって、あるもの。わかることは一つだけ、狙われているのはその手紙。そしてわたしの部屋が突き止められた理由は……あなた、机の上にわたしの住所、残してきたんじゃない」

 変わり者と評判のノアだが、冷静すぎるくらいだ。俺は混乱してそわそわと足が落ち着かない。

「そういや、そうだ……住所録を開いたままにしてきた」

「おバカさん。ということは、ここを荒らしたやつら、先にあなたの家に行ったのよ」

「何だって!? じゃあ、俺ん家も……」

「同じ状態になってる可能性が高いわね」

 駆け出そうとした俺の襟首を、すかさずノアがつかんだ。

「だから行っちゃだめって、言ったでしょ。狙われているのはあなたなの。わたしのところにあった写しが、あなたの書いた偽物だって気づいたら……また、あなたの家に何者かが押しかけることになるわ」

「なんで俺が……この手紙のこと、ノア以外に話してねえよ。それに、カシスや下働きのやつらはどうなるんだよ!」

「誰か、あなたが事故現場から戻ってきたのを見ていたんでしょう。使用人さんならきっと大丈夫よ。泥棒は部屋を荒らすのが目的で、事を荒立てるのが目的ではないわ。危険なことに違いはないけれど……まさか、命を取ったりはしないと思うけれど……」

 そんな光景を想像しただけで――さっと血の気が引いていくのがわかった。

「ダメだ! 帰る!」

 俺は彼女の手を振り払って、扉に体当たりした。休暇期間中の役所通りは人気が少ない。弱々しい日差しが残るだけで、頭上には薄闇が広がりはじめていた。

 全速力で駆けて、すぐに息が切れた俺の隣に、木材特有のきしみをあげて自転車が止まった。

「まあ、乗りなさいな」

 言葉に甘えることにした。二人乗りでふらついた自転車が、通りのど真ん中をトップスピードで駆け抜ける。

「悪い……心配で」

「きっと大丈夫。一番危険なのはあなたなのよ。まずは治安兵に連絡しなきゃ……」

 夕日の光を編んだようなポニーテールが、俺の顔にかかった。

「治安兵も休暇中だろ?」

「当直がいるわよ――」

 言うが早いか、九十度ターンを決めた自転車が急ブレーキで止まった。俺ごと自転車を放り出して、ノアは治安隊詰め所の扉を連打している。実はけっこう怒ってるんじゃないだろうか。ようやく顔を出した男は治安兵の鎧も身につけていなかった。髭が伸びているし酒の泡がついているし、手から賭け事に使うカードがこぼれている。

「家が荒らされてるの。すぐに人数を集めていらっしゃい」

 続けて早口にうちの番地を伝え、ノアが戻ってくる。今度は寄り道なしで、三区の住宅地まで急行した。

 到着すれば屋敷の門は閉ざされており、鍵はかかっていない。二人ならんで庭を忍び足で進む。せーの、で玄関の扉を開ける。すぐそこで気の抜けた悲鳴が上がった。

「ひいいいぃ……あら、坊ちゃんでしたか」

 扉の向こうで尻餅をついていたのはカシスだった。扉の陰に潜んでいたノアが、ひょこりと身を乗り出す。

「あらまあ、ノワゼッタ様まで。もう、驚かさないでくださいな」

「なんともないの?」

「なんとも、でございますか? 何かあったのですか」

「いや、何でもない」

 俺はノアの腕を引いて屋敷の中へ入った。階段を上がって、俺の部屋へ向かう。

「あまりカシスを驚かせないでくれ。あいつ、腰悪いから」

 みんな取り越し苦労ならいい――淡い期待だった。

 扉を開けると、部屋は散々な状態だった。衣服や本が乱雑に散らばり、花瓶が割れて絨毯が水浸し。手紙箱も開けられ、片っ端から中身を引き出されている。冷や汗が流れて、眩暈をおぼえた。

「……徹底的な隠密行動ね。カシスさんの様子だと……姿を見たものはなし」

 ノアが腕を組んで言った。俺は膝を落とし、踏みしめられて靴跡のついた便箋を拾い上げる……

「ちっくしょう! あの手紙が、いったい何だってんだよ!」

 その大声に驚いて駆けつけたらしい世話係が、部屋をちょっとのぞいて、やっぱりというか腰を抜かした。

 俺は二人を残して他の部屋も見て回った。寝室の引き出しが開いていたのと、親父の書斎で机が散らかっていたくらいで、他に荒らされた形跡は見当たらなかった。出しっぱなしの住所録を見て慌てたらしい。

 自室に戻ると、ひっくり返ったままの大女をノアが雑誌で煽いでいる。腰を抜かしたのではなく、卒倒していたらしい。

「どうしようかしら?」

「どうもこうも、ねえよ。許せねえ。俺の宝物を、あんなにしやがって」

「カシスさんが気づいたら、どこまで話そうかしら? 相手はどうしても正体を知られたくないみたい。無闇に話して、事情を知ってる人を増やさないほうがいいのかしら」

 その時、玄関で呼び声がした。件の治安隊が追いついたらしい。

 結局、二人で相談した結果、物盗りが出たことにした。何かを探しているらしいが心当たりがない、また襲われる可能性があるぞと説き伏せて、門の警備に二人、兵を残してもらった。非番だぞとぼやいていたが。

 下働きの者には各自帰宅してもらった。カシスは目覚めたが、腰が痛いとまだベッドでうなっている。彼女によると、親父は今日も帰ってこないそうだ。

 用意されていた夕食を、ノアと二人で勝手に食べた。向かい合わせに人が座っているのは、ずいぶん久しぶりな気がする。厨房で見つけたらしいリング・ババロアを持ってきて、ノアが言った。

「今からわたしの家に来る?」

「でも、カシスがなあ」

「狙われているのはあなただって言ったでしょう」

「俺じゃなくて、手紙だろ? みんな話して、治安隊に渡しちまうか」

 俺は懐から白い封筒を取り出して、ひらひらとかざしてみせた。

「でも、そうしたらきっと届かないわ……これはわたしの勘だけど。悪に屈するなんて、腹立たしいものよね」

「そうだよなあ……」

 結局話がまとまらないまま、柱時計が九時を打った――その重い響きを、男の短い悲鳴がかき消した。

 外からだ。

 俺たちは同時に立ち上がった。足に震えがきた。

「ノア、カシスを見ててくれ!」

 俺はそう言い置いて玄関に回り、庭へ飛び出した。門の向こうで何かが横たわったまま、動かない。

 治安兵の男だ――そう悟ったとき、頭上から空気を切る音が響いてきた。

 青白い月に重なる鳥の影……凧のような大鷲だ。めいっぱいに広げた両翼から、白いつぶてが飛散する。宝石のような小さな光が、小さな流星のごとく庭にふりそそいだ。

 その時だ。

 俺はまず自分の目を疑った。なぜって――庭土がぼこぼこと盛り上がり、俺の前で壁みたいになった。壁が身震いすると、土くれが飛び散って、中から巨大な人形があらわれたのだ。

 でかい。俺の三倍はある。まるで鎧兜を着た兵士の、精巧な粘土細工みたいなそいつが、俺に向かってずしりずしりと歩いてくる――いったいどうなってんだ!?

 俺は数歩下がったが、無駄だと知った。そいつは散歩してるみたいなのに、脚が長いせいでぐんと距離がつまる。手甲をつけた土色の手が、挨拶するみたいに、にゅっと差し出されて、垂直に振りあがる――その瞬間、俺はそいつの顔を見てしまった。

「うわああああぁ」

 目と口のかわりに窪みがあるだけ。無精ひげのような芝生がくっついてる。元が土だから当たり前といえばそうなのだが、俺は情けない悲鳴を上げていた。

 どうなってんだ!?

 ぶうん、と空気が唸る。図体のわりに素早いチョップが地面を割った。俺は逃げた。とにもかくにも走りだしたが、すぐに影がせまった。

 柵の際に追いつかれ、後にも引けず立ち往生する俺に、頭上から土色の手のひらが迫ってきた。まるで天井が落ちてくるみたいだ。

「どわあああぁ」

 悲鳴を上げたのは、そいつの脚の間から、庭のあちこちでむくむくと立ち上がる土人形たちが見えたせいだ。

 これは夢だよ、な?

 頭上の手が極限まで迫って、つかまれる。いや、潰される。そう思った直後だった。

 指の合間に見えたカブト頭が水平に飛んで、きれいに月が見えた。一息置いて、足元に土の塊が落ちて、どう、と炸裂した。

 何が起きたんだ?

 続き、頭を失った土人形が、ぼろっと形を崩して目の前に小山を築く。

 巻き起こる土煙にむせながら、俺が見たのは黒い影――人の姿をした闇が、目にもとまらぬ速さで庭を駆け回って、接触するたびに土人形が崩れていった。全部で六体の人形を土に還して、ようやく視認できる姿に留まる。

 それは背の高い男だった。手にした剣が一閃すると、周囲に土くれが飛んだ。

 あれは、まさか……

「英雄イズオール!?」

 俺はその背に向かって声を張り上げていた。

 『闇夜の覇者』や『二面獅子』の異名を持つ国王の騎士。常に漆黒の鎧をまとい、十代の若さで北方から来た人喰い魔獣を倒したとかいう、なかば都市伝説と化した王都の英雄だ。

 振り向いた男の、あからさまに嫌そうな表情といったら。

「大はずれだ! オレの顔を見忘れたってのか、ボーズ?」

 灰をまぶしたような色のくせ毛に、広場の銅像みたいに彫りの深い顔立ち。射抜かれそうな、くっきりと濃い緑の瞳。まだ少年のように若い。見惚れたのはいい体格だったが。

「あ、夕方王宮の前ですれちがった……なんで俺ん家に! ていうか、ボーズってなんだよ!」

「いや~、面白そうなことになってるなと」

「答えになってねえよ!」

 と、目尻を下げて首筋をひっかいていた男の目つきが、虚空をにらむ。

「下がれ!」

 叫ぶなり、俺を後ろへ押しのけた。同時に、庭の小山の一つが跳ね上がった。それは再び鎧兜の上半身の形になって、よっこらせと地面から脚を引き抜いている。

「おらよっ!」

 銀色の尾をひいて、男が豪快に幅広の剣を振り下ろす。土の兵士が斜めに両断され、沈んだ。

「なんなんだよこいつら!?」

「知るか。とりあえず叩っ壊せばいいんだろ」

 見れば、庭の盛り土から、ゆらりゆらりと巨人が立ち上がっている。さっき崩れた場所から再生しているのだ。男は動じたようすもなく、まるで訓練用の藁人形を切るみたいに片っ端から粉砕していく。俺は、もうなんだか呆気に取られて見守っていた。

 つえーよこいつ。速すぎて動作が見えない。

「おい、どうなってんだ!」

 しかし、斬り落とし、叩き潰すそばから土人形たちが復元していく。

 男が庭の隅へ向かううちに、俺のほうへ二体がざくざくと歩いてくる。反射的に男のほうへ逃げると、そいつらもぞろぞろとついてきやがる。

「おまえ、えらく好かれてるな。熱烈なラブレターでもばら撒いたのか?」

 呆れたように男が言った。俺が直角に向きを変えると、そいつらも直角ターンで後ろからついてくる。まるで奇妙な行進だ。ひたすら逃げる俺に、悠長についてくる人形。追いかけては刃を振るう剣士。俺は、そいつらが六体以上に増えないことに気づいた、その時だった。

 屋敷のほうで、ぶ厚いガラスの派手に割れる音が轟いた。

「しまった……ノア! カシスっ!」

 俺は屋敷へ向かって駆け出した。すぐに追いついた剣士が横並びになる。

「女の子か? カワイコちゃんか? 紹介しろっ!」

 この非常時に何を言ってんだこのおっさんは。

「……カシスがカワイコちゃんだよ」

 二人して開け放したままの玄関になだれこんだ。ちらと振り返ると、俺を追ってきた土人形の一体が段差に片足をかけた姿勢のまま止まっていた。背後の巨人たちも、なぜか杭のように立ち尽くしたまま微動だにしなかった。まるで庭との間に見えない境界線でもあるみたいに。

「ひええええぇ!」

 上階から吸い込むような女の悲鳴が届いた。年齢を感じるカシスの声だ。

 階段を一段飛ばしで上がり、二階の廊下を駆けていた俺の隣で、知らぬ間に男がいなくなっていた。行く手に、カシスを寝かせていた部屋の扉が中から開いて、俺はたたらを踏んだ。引きずるような足取りで誰か出てくる――俺は息を呑んだ。

 黒い覆面の男が、細い人影――ノアを羽交い絞めにし、首筋にナイフを押し当てている。今にも白い皮膚が裂けそうだ。その背後に、眼だけを露出させた頭巾のようなものを被った覆面の男が二人出てくる。俺を認めて、茶色の瞳がほくそ笑んだように見えた。

「小僧、拾った手紙をわたせ。この女の命と交換だ」

「だめよエリー、渡しちゃだめ」

 一瞬、事態が把握できなくて戸惑った。震える声で言った、ノアの顔がみるみる青ざめていくのがわかった。

「おい、やめろよ……」

「それとも……この女の命は、紙切れ一枚より安いのかな」

 相手が子供一人だと高をくくったのだろう。挑発するようにナイフを上下に閃かせた覆面男の下で、ノアが押し殺した声を出す。

「……あなた、最高に、ムカつくわ!」

 言うなり、後方へ伸び上がって男の顎に頭突きをくらわせた。彼女の引き攣った表情は、恐怖ではなく憤怒が原因だったらしい。

 覆面男はのけぞってバランスを崩した。その背後へ瞬間移動のように黒服の剣士があらわれ、左手でナイフを払い落とし、右腕で首投げをきめた。半回転したその流れでもう一人の首に鋭角の蹴りが入る。棒立ちのままの最後の一人に左手で手刀を打ち、俺が瞬きしたときには――もう三人の覆面が床に転がっていた。

「すげえ」

 思わず拍手を送りたくなった。だが当人は振り返るなり甘えた声を出した。

「おっ、君がカシスちゃんか。カ~ワイ~」

 と、少女の肩をつかまんばかりに詰め寄ったその顔面へ、おしゃれなブーツのカカトが突き刺さった。

「女性の名前をまちがえるなんて失礼な人ね。それにわたし、軟派な男はきらい」

 見事に振られてやんの。ざまあないな……ふっと背後に回った軟派男が、俺の首を後ろへ折った。ごき、と鳴った。

「てめえ! 騙したな、この野郎」

「いーてててて、自業自得だろ、このタラシ男!」

 どうにか首が戻ると、ノアが蹴り飛ばしたばかりの顔面をじっと見つめている。

「あなた……英雄イズオール?」

「ああそれ、俺も言った」

 当の本人は寝癖のように巻いた髪に手を突っ込んで、ぐしゃぐしゃかき回している。

「だーかーら、違うって。俺はソリテール、王宮に仕える一介の騎士だ。ソルとでも呼んでくれ……ま、ノアちゃんがお付き合いしてくれるなら、君の英雄になってもいいけどぉ」

「あなたに名乗った覚えはないわ」

 完璧に脈なし、と判断したらしい。うさんくさい笑顔をやめたソルが、ぱきぽきと首を鳴らした。

「けどマジな話、なんでそう思うんだ? 英雄の中身を見たやつなんて、誰もいねえだろ」

 そう、『漆黒の勇士』の異名はだてじゃない。そのまんまなのだ。去年のパレードで見たときは、王女さまの隣で真っ黒な甲冑が直立していたなあ。

「戦い方よ。身のこなしや動きが英雄とそっくり。闘技場でいつも見てるのよ」

「それに、あんたが尋常じゃなく強いからさ。さっきだって動きが速すぎて、黒い服が漆黒の鎧に見えたんだ」

 ノアと波長があったのだろう、俺も畳みかける。

「歳も近そうね。英雄は十八だったかしら。あなたも同じくらいでしょう? ま、だけど性格は噂と似ても似つかないわね」

「おお……そりゃあどうも」

 持ち上げた挙句にバッサリ切り捨てられて、エセ英雄は唇を尖らせた。

 英雄の、もっとも有名な呼称は『二面獅子』――戦場で鬼神のごとき強さを発揮する一方で、頭が切れ、普段は物腰柔らかで、王宮にたむろする貴婦人たちの憧れの的だとかなんとか……噂を思い返していた俺の足元で、忘れ去られた覆面男が身じろいだ。

「いや。そんなことはどうでもいいんだよ、なんであんたがここにいて、こいつら一体誰なんだ」

「そんなの、本人に聞いてみりゃいいだろ――」

 その青年――ソルが呟いた瞬間、三人の男が飛び起きて、出てきた部屋に駆け込んでいった。狸寝入りで逃げる機会をうかがっていたらしい。

 後を追うと、小部屋の中にはガラスの破片が散乱していた。窓にかけた縄梯子へ覆面が吸い込まれていく。飛ぶように駆け寄った剣士が、最後の覆面に手をかけて引き抜いた。

 薄茶色のモミアゲが太い、よく日に焼けた中年男だった。

「おまえ、大臣の――」

 ソルは後を追わなかった。窓わきのベッドでカシスが泡を吹いていた。また気絶したらしい。介抱にノアを残して、俺と黒い騎士は食堂へ移動した。

 行きがかり上、俺は今日の出来事をすべて彼に話すことになった。

「そんじゃ、狙われてるのは、謎の手紙ってわけか」

 返事の代わりに、俺は隠し持っていた手紙を食卓に広げた。向かい側のソルが手に取る。緑の瞳がちらちらと、左右に動いた。

「なるほど、じいさんなら読めるか……」

「今度はあんたが話せよ。この手紙を狙ってるやつを知ってるのか?」

「うん、そうだな……どっから話せばいいんだ? まず、俺は王宮を守る騎士だ。その騎士が王宮に入れなかったってのは、おまえも見たろ? どういうつもりかと思ってたが、今ので少し謎が解けたな。あれは大臣の仕業だったんだ」

「大臣? 王様の命令だって城の門衛は言ってたけど」

「詳しいことは言えんが……王様はいま、命令なんか出せる状態じゃねえんだよ。オレはてっきりまたお姫様の気まぐれかと思ってたんだが……大臣が出したってんなら、心当たりがなくもない」

 ソルは机に肘をついて、歯切れよく言葉を放つ。

「思い直してな。いくらお姫様がムチャクチャでも、理由もなく王宮を封鎖なんてしないはずだ。手紙も、人の流れも遮断するなんて只事じゃない、王宮でなにか起きてるんじゃないか……そう思って、オレは異変を調べまわってたんだよ。そしたら、治安隊の詰め所の連中におまえらのことを聞いてな」

 なるほど――そのお陰で俺は助かったというわけか。

「で、さっきの覆面は知り合いか?」

「ああ。あのモミアゲ男、大臣の手の者だ……二人で話しているのを見たことがある。大臣は最近、宮廷での立場を悪くしていてな……もし王命を騙っているのがやつなら、何か大それたことを企んで、まずいな、しかももう実行に移してやがるのかもしれん」

「大臣が何かしてるってのはわかったよ。でもなんで手紙を狙うんだ」

「それなんだよ。やつの目的はなんだ? おまえの言ったように、もし血眼になって探しているこの手紙が、王様と王女宛てなら、辻褄は合うな……鍵はここにあるわけだ」

「それじゃ、わたしの推測は当たっていたわけね。わたしの部屋を荒らしたのも彼らの仲間かしら?」

 食堂の大扉が少し開いて、ノアが滑りこんだ。なぜか表情がまぶしいくらいに輝いている。

「カシスさんはもう大丈夫ですって。まだベッドからは起きられないようだけど」

「ありがとうノア。ノアまで巻き込んじゃって、ごめん」

「あら、いいのよ。友人の力になれるなら、喜ばしいことよ」

 ノアが左隣の椅子に座った。なにか気恥ずかしくなって、俺は席を立った。

「じゃあさ、庭のやつらはなんだったんだよ。あれも大臣の手下? どんな手品を使ったっていうんだ――」

 大窓のカーテンを引いた俺は、無言で尻餅をついた。鎧兜の土人形が六体、何百年も前からそこにあったみたいにそそり立っている。

「何でまだいるんだよ! どうすんだよあれ!」

 指差したガラスの向こうで、土人形の頭がじり……とこちらを向いた気がした。首からカラリと破片がこぼれた。

「うん、どうやらおまえに反応してるみたいだな」

「じょ、冗談じゃねえよ! あんなのに付きまとわれてたまるかよ」

「というか手紙に、だろうな」

 何事かと駆け寄ってきたノアが、珍しくはしゃいだ声を上げた。

「わぁ、すごーい!」

「どういう仕掛けなんだよ? ソル、あんたはえらく落ち着いてたな。俺はまだ信じられねえよ。どこの手品師の仕業だよって」

「ああ……オレは、話には聞いたことがあってな。あのモヒカン頭の鎧兜、三十年前の戦争のころにゃ、あんなのがうじゃうじゃいたっていうぜ。たしかララエスの秘術とかいう……」

「大臣の手下にはすごいのがいるんだな?」

「いや、引っかかってるのはそれなんだ。王宮にあんなマネのできるやつはいない」

「でも、あのお人形さん……彼らは手紙を狙っていたんでしょう?」

 ソルは目を細めて顎を引き上げた。どうも癖になっているポーズらしい。

「ひょっとしたらあの手紙、色んなところで恨みを買ってるのかもしれん。で、もう一つ気になることがあってな……そうだ、ボーズ。まだ名前を聞いてなかったな」

「エルシオン」

「よし、エル坊だ」

「おい!?」

 傍らでノアが笑いを噛み殺している。恨むぞ。

「エル坊、おまえ、あの手紙をどこで拾った?」

「……事故現場だって言っただろ」

「そうなんだ、あの手紙は燃えてしまうはずだった。それをおまえが拾ってしまったんだとしたら」

「どういう……まさか、誰かが故意に気船を落としたっていうのか!? 不可能だ、そんなこと!」

「世の中わからんぞ? さーて、面白くなってきたじゃねえか」

 皮肉った笑いに、めいっぱい同意した女がいた。

「たしかに面白いわね!」

「おい、ノア……」

 実は、彼女が一番この状況を楽しんでるんじゃないだろうか。長いつきあいだ、ひしひしとそんな気がする。でもその気持ち、わからなくもない……

「それで、どうするんだよ」

「オレは王宮に仕える身だ。そんなご大層な手紙なら、なんとしても届けにゃならん」

「どうするつもり? 王宮に入れもしないのよ。風船を飛ばすのかしら」

「そっか風船なら……いや、ファイア・ウォールだ」

 一度は身を乗りだした俺だが、すぐに腰を落とした。

「厄介だなあ。締め出し食らっちまったし、人づてだと届く前に処分されちまうのが落ちだろ……手紙てがみてがみ……お!」

 ソルが手のひらで机を打った。ちょっとした仕草も、図体がデカいので迫力がある。

「方法があるぞ、<風の道>だ! ここから東のパルテロイ山脈を越えて、北上したところに<風の道>の起点がある」

「<風の道>? なんだよそれ」

「王宮の真上に吹き降ろす恒常風だ。あれに手紙をくくった風船を乗せれば、ファイア・ウォールを越えられる」

「聞いたことないぞ、そんなの!? 王国の気流図は丸暗記でかけるのに」

「そりゃ、国家機密だからだよ。王族しか存在を知らないのさ。ま、オレは偶然知っちまったわけだが……それに、今じゃ旧道なんだ。戦争のころには、前線からの直通回路として連絡に使われてたらしいがな。ただし、風は今でも現役だ」

 テーブルに指で何かを書いていたノアが、口を挟んだ。

「着地点がずれたりはしないの?」

「大丈夫だ。なんせ、王宮のほうが<風の道>に合わせて建てられたんだから。つーか、オレが実証ずみだ。たまにこっそり使ってる」

「大臣に先に見つかるってことはないのか?」

「まあ、大丈夫だろ。そんなものがあるとは、夢にも思わんだろうから……ノアちゃんを信じるなら、手紙の期限は8月7日だ。明日の朝一で発てば、四日の夕方か、遅くとも五日の昼には現地に着くだろう。速気流だから、そこから数時間とたたずに王宮へ届く」

「それじゃ……」

 俺は焼けた封筒を持ち上げかけて――手を止めた。渡してもいいはずだ。

 ソルが不思議そうに俺を見下ろしている。

「おまえも行くんだよ」

「え……」

 心の水面で葛藤が生じていた。でも、奥底から湧きあがる気持ちが抑えられない。

「乗りかかった船だろ。人手は多いほうがいいしな」

「だめよエリー。危険だわ」

 俺は手元に封筒を引き寄せた。このまま手放すなんて、できない。

「行くよ」

 ソルが閉じていた両瞼を開いた。

「エリー!」

「ごめん。でも、悪に屈するのは嫌だって言ったの、ノアだろ? それに俺……確かめたい。俺の拾った手紙がなんなのか。見とどけたい、この手紙がちゃんと届くところを」

 口をついてあふれだす言葉に、驚いていた――でも偽りない本心だ。正義感とか、使命感じゃない。手紙に込められた想いがちゃんと届くように、そう願うだけ。

 まさか、拾ったときにはこんなことになるなんて、想像もしなかったけど。

「もう……わかったわ、気をつけて。カシスさんのことは、任せてちょうだい」

 ノアが微笑んでいた。嬉しそうに見えるのはなぜだろう?

 自分の、口元がゆるんでいることに気づいた。こんな笑いかたをしたのはなぜだろう?

 俺は、部屋にとってかえすと、カバンに地図と着替えを少々、それにインク瓶と羽ペンと封蝋と、詰められるだけの便箋と一束の封筒をつめた。それから、親父の書斎に入って、飾り棚をあけ、金の装飾が施された小箱を取りだした。

 そっと蓋を開ける。

 中身を手に取る――火口をのぞきこむような赤が目を惹きつける。

 手のひらの上で、細長い石の破片が、きらきらと鉱物特有の鮮やかな色彩をはなっている。

 これがなくちゃ、旅になんて出られない。

 俺は上端に開いた穴に紐を通して、首にかけた。


 そういうわけなので、アレイシア、返事は俺のGPS宛てに送ってほしい。


               エルシオン・ウィンダミア 14,08.01』

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