メッセージ投稿のマナーについて、思うところ。
『書き手―読み手間トラブル』は、なぜ起こるか。
持論としては、“メール等に特有の、精確な意図の伝わりにくさ=誤解”と“書き手の言論(自己表現)に対する敵対的否定”があると考える。
前者は、誰にでも経験があるかと思う。
ただ違うのは、小説としての文章には、『顔文字が使えない(やろうと思えば使えるかもしれないが)』というところ。
例)待ち合わせで。
「ゴメン。寝坊した!」
『別にいいよ』
この場合、『別にいいよ』には多数の感情が存在する。
気遣いの
『(慌てなくて大丈夫だから)別にいいよ?』
マイペースの
『(なるほど~。)別にいいよ?』
諦めの
『(アイツだから仕方ないか…)別にいいよ』
怒りの
『(何度言ったら分かるんだアイツは!)別にいいよ!』
個人的には、返信するときは主に前半2つ。
但し生理学的な問題で、相手から『別にいいよ』が来たら…相手が後半2つの状態じゃないか不安すぎて気が気でないです。
マイナス思考のフィルターがあるので、誉められても素直に喜べない性質です。
謝りすぎて、叱られたこともありました!
メールなら、『別にいいよ♪』とか『別にいいよ☆』或いは『別にいいよ(^-^)/』など、各種記号が使えますが。
メッセージや作品への感想など公共向けの文章としては…記号や顔文字は使えませんね(使おうと思えば出来ますが駄目駄目でしょう)。
長かったですが、つまりは。
普通に書いても読み手の汲み取る意図が時と場合…加えて人によってマチマチなので、『思うところを詳しく、そして敬語で書くのがベスト』ということです。
☆ ☆ ☆
次に、小説に対する批評についてです。
作者様や作品へのコメントや感想は、言論の自由(Liberty:秩序ある自由)を尊重しながら、言葉を選んで書くべきであると考えている。
人格否定はもちろん論外。
“作者の自己満足”“読む価値がない”“内容が薄っぺらい”などという批判をたまに目にするが、これは酷い。
表現には多様性があるのだから、好きなら読む・合わないなら読まないorやめる。これで充分だと思うのです。
知識がどうとか、悪し様に罵る文章を公共の場に投稿することは、作者様はもとより他の読者様の気分を害すると理解しているのか甚だ疑問です。
ほんと全くもって残念です。(←ボヤき、入ります)
作者も、|好意的な読者様は大歓迎し《来るものは拒まず》|離れる読者様には悲嘆せず《去るものは追わず》の精神で。
それが作者側の精神衛生上宜しいかと考えます。評価依存に陥らない自衛手段として。
長々と書きましたが、つまりは『気持ちよく作品を書き、気持ちよく作品を楽しみましょう!』ということです。
書き手を苦しませず、読み手を書き誤り(誤字など:別投稿のエッセイ参照)でヤキモキさせず。
世の中平和が一番です。
読書の時間だけでも、平和でいたいと思いませんか? …いかがでしょう。