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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

レフト~無間地獄~

作者: 赤いからす


その日、嫌なことが起こる前兆はあった。



会社帰り、コンビニで弁当を買って外に出ると空が瞬く間に真っ黒に変化。



「鳥だ」と天を指差す子供のひと言で怪奇現象の原因がすぐに解明された。あらゆる鳥が種族を超え、北から南へ一斉に空を横切り空を黒く染める様子は異様だった。



しかも何かに追われるように命尽きる覚悟でまっしぐらに飛ぶ鳥たちの姿は、家路を急ぐ人達の足を強力な接着剤でもつけたみたいに立ち止まらせる。



そういえば昨日のTVのニュース番組でUFOを目撃した人が尋常じゃないくらい多かったとか。



しかも携帯やカメラで撮影した人がいるにも関わらず、一枚も真面に映っていなかったらしい。



「UFOのせいだな」

群れとなって飛来する鳥の原因をあっさり解決して俺は家に帰った。



      ★

      ★

      ★



薄暗い空間から二本の腕が突然現れた。同一人物のものと思われる左右の腕。



「どぉ~ちだ」

明るい声とともに突き出された両手はジャンケンでいうグーの形。



「なんのつもりだ?」

俺がぶっきらぼうに訊き返すと拳が左頬に飛んできた。口の中に錆臭さが広がり、床にペッと血を吐き出す。



「口の利き方に気をつけてよ。せっかくプレゼントをあげようと思ってるのに……さぁ~どっちか早く選んで」



殴った相手は再び両手を出し、たまらなく楽しそうに声を弾ませる。



「どっちを選ぶか聞く必要はないだろ」



「この期に及んでまだ左を毛嫌いするの?」

相手は驚いたように声を上擦らせ、左の拳を突き出す。



「俺はリトルリーグ時代にレフトのポジションを掴み取ることができた。でも大事な試合でエラーをしてから“左”が嫌いになったんだ」



「そんなことで……ハハハ」

相手は俺を嘲笑する。



「トラウマってやつさ。本当に左が嫌いで生活に支障をきたしてしる」



「例えば?」



「俺は遊園地でメリーゴーランドに乗ったことがない。左回りだからだ。車の助手席に乗ったことはないし、エスカレーターの立ち位置、陸上のトラック競技は左回りだから参加したことがない」



「変人ね。ということは右を選ぶということで理解していいのかしら?」



「その拳の中に希望でもあれば選んでやるよ」

悪意のない嫌味を言ったつもりだが、もう一発パンチを食らうことを覚悟しなければいけない。



「希望?残念ながら私の拳の中には絶望しかないわよ」



「だったら選べるわけないじゃないか」



「どうして?どうしてよ?」

相手はヒステリー気味になる。



「絶望なんか選べるわけないだろ」



「選びなさいよ」



「顔を見せてくれたら考えてもいい」



「わかったわ」と言って相手はあっさり拳を引っ込めた。そしてパチッと音がすると明かりが点く。



裸電球が皓々と輝き、久し振りに光を直撃した目は素直に明かりを受け入れることができず、視界がぼやけた。



視界が徐々に回復し、裸電球の白い光の輪に包まれた相手の姿は天使には見えない。



予想していたとはいえ、元カノの姿が視野に入ると俺の体に寒気が走る。



「久し振り」

元カノは長い髪をかきあげながら微笑む。



俺は思い出した。あの真っ黒い空を見た日……コンビニで買った弁当を片手にボロアパートに帰り、ダウンジャケットを脱ごうとした瞬間、背後からハンカチのような布切れで口と鼻を塞がれて気を失ったことを。



別れたとき部屋の鍵は返してもらったが、元カノは合鍵を作っていたのだろう。忍び込み、風呂場にでも隠れて待ち構えていたのだ。



俺の部屋は1階で車を横付けできるから女一人でも大人の男を引きずってどこかへ運ぶことはそれほど難しいことではなかったはず。



拉致されたのはどこかの廃墟となったビルの地下らしい。



コンクリート打ちっ放しの表面はザラとした感触をさらけ出して所々壁が剥がれ落ち、ポンプのような機械から太い配管が上に向かって伸びている。



「俺のことはもう忘れてくれないか」

立ち上がろうとしたが、まだ薬の効き目が抜けていないのか、頭が鉛のように重く、片膝をつけてすぐに座ることになってしまった。



そのとき、コンクリートの破片が手に触れた。



「嫌よ、ア・ナ・タを忘れられない」



「君のそのしつこいところが、もううんざりなんだ」



付き合いはじめたころはかわいかった。俺がテレビを見ていると猫のように寄り添ってきて興味がないはずの野球中継でも一緒に見てくれた。



しかし、それも付き合って数カ月後の俺の誕生日まで。



「ハイ、誕生日プレゼント」

渡された白い箱は底が薄く、赤いリボンが斜めにかかっていた。



なにか上に着るものだろうと思って箱を開けると額縁。しかも洒落た絵が納まっているわけではなく、一枚の書類がこれ見よがしに収まっている。



「なんだ、これ?」と訊くと、元カノはニッコリ微笑んで言った。



「見たことないの?婚姻届よ」



「あのなぁ~」

婚姻届にはすでに元カノの記入欄が文字で埋めてあった。あとは俺が名前と判を押して区役所に出せば結婚成立。



「出すのはいつでもいいから部屋の目立つところに飾ってね」



嫌だ……見るたびに結婚という呪縛にとりつかれ、徐々に真綿で首を絞められていく苦しみを味わうことになるなんて嫌だ。



「俺、結婚というものに興味がないんだ」

正直な気持ちを吐露した。額縁の入った箱に蓋を閉めた。



「そうなんだ」

海の底のような静けさのあと、元カノは無表情のまま、ゆっくり台所へ。



元カノは箱と一緒に誕生日プレゼントとして持ってきた俺の好きなスイカをドン!とまな板の上に置いて、包丁を握った。



ザクッ……ザクッ……とスイカを切りながら「あなたの頭を切るときもこんな感触なのかしら」と、元カノは言った。



ゴクンと唾を飲み込む。その音は脅えている証として元カノに聞こえたかもしれない。



その日を境に俺は元カノとの接触を避けた。



電話とメールは拒否、居留守を繰り返してきた結果、半年振りの再会が地下室だなんて……。



「さぁ、どっちを選ぶの?」

元カノは懲りずにまた両手を出した。



「俺から見て右」

しょうがなく答えてやった。



「おめでとう!正解よ!」

元カノはうれしそうに拳を開いた。手のひらにはなだらかな曲線でシンプルなデザインの結婚指輪がおさまっていた。



予想どおりの展開。元カノは俺がはじめから左を選ばないのを知って、右に指輪を仕込んだのだ。



「俺が受け取ると思うのか?」

蔑んだ視線を元カノにぶつけた。



「受け取るまでここから出してあげないわよ。永遠に待つ覚悟はできてるから」

元カノは本気だ。頬や口の筋肉を緩めているが、目は笑っていない。断固とした歪んだ決意を潜めている。



「降参だ。参ったよ」

小刻みに首を振った。



「結婚してくれるの?」

元カノが目を輝かせて訊いてくる。



「踏ん切りがついた」と言いながら俺はコンクリートの破片を拾う。形は細長く先端が尖っている。



「そんなものでどうするの?」



「俺がこの世で1番嫌いなものがようやくわかったよ」



「私?」と言って元カノは自分の顔を指差す。



「自分のことよくわかってるじゃないか。でも、君は2番目に嫌いなことがわかった」



「2番目?1番じゃないんだ」

元カノはうれしそうに微笑む。



「この世で1番嫌いなのは……俺の体の左側にあるものさ……」

コンクリートの破片を自分の心臓目掛けて突き刺す。



「?!」

コンクリート片は呆気なく、体に当たってパラパラと崩れ落ちていく。



「残念ね。あなたの傍に落ちていたコンクリートの破片はわざと私が置いたの。あなたがそれを使って自殺するかどうかを確かめるためにね。見た目は尖って心臓まで到達しそうだけれど、この部屋のコンクリートは長年の湿気のせいで脆いのよ」



「俺は本気だ!」



「いまのあなたの行動を見てわかったわ」



「あ、諦めてくれるのか?」



「結婚は諦めないわよ」



「いい加減にしてくれ!」



「大丈夫、私に全てを委ねてね。フフ……」

元カノは甘ったるい声を出したあと、卑屈な笑いを残す。



「おまえなんかと結婚できるかぁー!」



「ずいぶん怒りっぽいのね。きっとお腹が減っているから腹が立つのよ」

元カノは地下室の隅にあったエコバックから菓子パン類やおにぎりを出して渡してくる。



我慢できたのは数時間。



恐ろしく空腹なのに驚く。



俺はここにどれくらい時間閉じ込められていたのだろう?



おにぎりにかぶりついく。



しかし、おにぎりはすぐに俺の手から滑り落ちた。



「ひ、卑怯者……」

痺れる体に耐え切れず倒れてしまった。



      ★

      ★

      ★



目を開けたとき、俺は豪華な披露宴会場の主役となっていた。



真っ白いタキシードを着せられ、椅子に座らされている。ただ、残念なことに楕円形のオーバルテーブルに列席者はいない。



「フフフ……」

元カノは俺の腕を掴んで笑っている。胸元がざっくり開いた派手でセクシーなウェディングドレスを着て。



「どういうつもりだ?」

俺は動揺を抑え訊く。



「あら、気づかないの?」



「なにをだ?」



「西洋では新郎が右手にサーベルを持って左手で新婦を他の男から守るのが決まりなのよ。だから通常なら新郎の立ち位置は新婦の右側なの。あなたは私を左手で守りたくないんでしょ?」

元カノは俺の右側に立っていた。



「立ち位置を逆にしたからって結婚できるか!」

椅子から転げ落ちるようにして必死に逃げる。



『つばきの間』から出て白を基調としたモダンな廊下を疾走。



俺の足音だけがトットットッと館内に響き、中庭が見渡せる回廊、エントランス、ロビーなどに人の姿がなく、閑散としている。



とても不気味な感じがした。




披露宴会場から出ると、さらなる異変に気がつく。



真っ昼間なのに誰も外を歩いておらず、車も走っていない。披露宴会場の外は大通りに面しているのに静けさが支配していた。



「びっくりしたでしょ」

後ろから元カノの声がした。



振り返らず、黙って元カノの話を聞く。



「あなたと私が地下室で暮らしている間に冷たい風が吹いたの。世界中の人達が同時刻にその風を感じたわ。そこに空気感染する恐ろしいウィルスが紛れていて、正体は鳥インフルエンザが突然変異したものらしいんだけど、感染スピードが速くてワクチンは間に合わず、大勢が死んだのよ」



「う、嘘だ……」



「嘘って、フフッ……見れば一目瞭然じゃない」

元カノは笑いながら話す。



「どれだけの人間が死んだんだ?」



「さぁね、地下室のような密閉された空間にいて、風に触れていない人達は助かったんじゃないかな。私達がいた地下室は破綻して営業停止しになったゴルフ場の地下にある核シェルターだったの。運がよかったわ。他の部屋にはテレビやラジオもあったからニュースも見れたし、危険だと思ってずっと外に出なかったのよ」



「そ、そんな」



「不思議なウィルスなのよね。感染すると体の左側が腐っちゃうんだって、ドロドロにね」



「そのウィルスは、いま、どうなっているんだ?」

俺はゆっくり元カノのほうに首を回転させた。



「人間の目には見えないけど、まだその辺にいるんじゃない」

元カノはにっこりと微笑む。



「じゃあ、俺達も……」



「そうね、そろそろ死ぬんじゃないかしら。核シェルターは広くて食料などの必需品が山ほど残っていたけれど、さすがにウェディングドレスはなかったから外に出ることにしたわ。私はあなたと式を挙げられてこの世に未練はないの」



「あぁ~」

両手で顔を覆う。



「あっ、それからウィルスの名前は“レフト”って言うのよ」



「レフト?」と言ったあと、元カノと俺の左目からは赤い涙が流れ落ちた。



左耳にも激痛が走る。



「くそっ」と俺が最期かもしれいと思って出した一言のあと、黒くて大きな影に包まれた。



影の正体を確かめるために見上げた俺は気を失った。



      ★

      ★

      ★



もう勘弁してくれ!



心で思っていることを素直に口にできないもどかしさに苛立つ。



巨大な空間に放置されている俺。



四方は硬質そうな灰色の壁。数本の柱だけが屋根を支えているのだが、ギシギシしなっている音はするし、そんな構造で耐えられるのかと疑問に思う。



「ねぇ、あれ見て」

元カノの声がした。



おまえもいるのかよ!と罵倒したいが、事態はそんな流暢なことを言っている場合じゃない。



先端がカニのハサミの形をしたアームが出てきて右往左往しながら動いている。



「なんだあれ?そしてここはどこなんだ?



「UFOの中だと思う」



「なんだって?」

思わず耳を疑う。



「レフトウィルスの原因はUFOが撒いたんじゃないかって噂があったから」



「そ、そうなのか」

俺は頭の中が整理できないまま頷いてしまう。



「ねぇ、あそこ見て!」

元カノが慌てた様子で指を差す。



UFOの屋根や隔壁を支える支柱の繋ぎ目には蜂の巣みたいに小さな穴が開いていた。その穴を凝視すると、人間の足が見える。正確にいうと靴底が動いてジタバタしているように見えた。



「人間ネジみたいね」



人間ネジ?



そんな題名の小説があるのか知らないが、人間がネジのような扱いを受けているのは確かだ。



カニバサミのアームが俺達を探しているのは一目瞭然。



体の左半分が腐りかけている俺には逃げる体力はもうなく、運命を受け止めるしかなかった。



絶妙な力加減でカニバサミに潰されることなく、壁の穴に右回りにねじ込まれていく。



唯一の幸福な点が見つかり、白い歯がこぼれた。



父親からネジを締めるときは『の』を書くようにと教えてもらったことを思い出す。



「ネジを締めるときは右回りでよかったわね」という元カノの呑気な声が飛んできた。



     〈了〉


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