I will stand by you, whatever happens.
「メフィストフェレスがいってしまうよ」
阪口くんが、珍しく駆け込んできた。
「この町に契約相手がいて、それを終えたから。自分の領地に帰るんだって」
いつもいつも、阪口くんがどこから情報を仕入れてくるのか気になったが、そんな場合ではなかった。
私は礼も言わずに部屋を飛び出すしかない。
私はよく知っていた。
彼の情報は、結局はいつも正しい。
鳥居をくぐろうとしていた黒い犬を後ろから捕まえた。
「メフィスト兄さん!」
ただの犬だったらどうしようかと思ったが、
「何だ、明るい内から」
犬の口から聞こえたのは、間違いなくメフィストの低いバリトンだった。
それでも犬は、姿を変えない。
いつものようには。
「阪口くんから聞いたわ」
「またあいつか」とメフィストは悪態をつかなかった。
代わりに、私の腕からするりと立ち上がり、背を向ける。
契約相手って誰なのよとか、私は駄目だって言ったくせにとか、何で黙ってたのよとか、その背中にぶつけたいことはたくさんあった。
何故ここに来たのとか、どうして動かないのとか。
「行ってしまうの……?」
その時風が、びょうと吹き抜けた。
黒い犬の形が、徐々に膨れ上がり、胴は伸び、手足の爪は大きく変化し、身体は硬そうな毛に覆われ、ばさりと広い翼が翻った。
ドラゴンのようであったが、獅子にも鷹にも見える、邪悪な黒さを持った生き物が、そこにいた。
「――メフィストフェレス」
こちらを向いた水晶のような眼球は蒼い。それが、彼の本来の姿なのだと判った。
「行ってしまうのね」
「阪口に聞いただろう」
掠れてはいるが、メフィストの声は明瞭に響いた。
不思議な言い方だ。
まるで、自分が阪口くんに言付けたみたいではないか。
「なすべきことが終わった以上、いつまでもここにはおれん。影響が少ないとはいえ、地獄に住むもののいる土地ではないからな」
どうだ、おれは醜いだろうと訊いてきた。
とんでもない。私の知るどんな生き物より美しかった。
「そばに、いたかったのに」
泣いてしまいそうだ。
どんな姿でも私はこのひとが好きなのに、そばにいることは叶わない。
しゅるりと、生き物は私の良く知る悪魔の姿に戻った。
蒼い眼で、私を見ている。
私のために、本当の姿を見せてくれたのだと、自惚れてもいいだろうか。
「阪口から聞いたが」
メフィストが絶対に口にしないと思っていた台詞だ。
「スタンド・バイという言葉には、そばにいる、という以外に意味があるらしいな」
突然の話に、それでも思い出した。
「味方になる、でしょ」
『スタンドバイミー』という歌があり、その話をしているときに阪口くんが教えてくれたのだ。
「そばに立つ、というのは味方になることなんだね」、と。
「おれはお前のそばにはいてやらんが、味方にはなってやろう。数穂」
それは結局何もしてくれないのと同じではないかと思ったけれど、私は言わなかった。
彼が私のために何かすると言ってくれたのが嬉しかった。
名前を呼んでくれたのが、何よりも嬉しかった。
「判った」
震える唇で笑みを作ると、メフィストはあの悪魔らしい表情になる。
「信用してもいいのか。裏切りは悪魔の十八番だぞ」
「そうね。でも専売特許じゃないでしょ?」
「まぁそうだ」と頷き、去ろうとする彼に、もしかしたら二度と会えないかもしれないという予感がした。
だから私は叫んだ。
「もし私が死んだら」
馬の蹄がかつんと音を立てる。
「私が死んだら、その時は迎えに来てくれない? それなら契約は要らないでしょう? 一緒に連れて行ってほしいの。私の魂を」
ゆるりと振り向く。
その顔を、私は死んでも忘れないだろう。
彼が迎えに来てくれるまで、ずっと瞼に焼付けるだろう。そう思った。
「お前は、馬鹿だな」
メフィストが呆れたように、微笑んだ。
"何が起ころうとも、私は君の味方だ"
夜のデート、これにておしまい。
お付き合いくださり心から感謝しています。




