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リラ・クラリスという少女

 翌日、結局一睡もできずに朝を迎えた。

 寝不足の頭がガンガンして、吐き気がする。朝食も食べられそうにない。鏡を見ると、死んだ目をした酷い顔が映る。

 結局あれから、リラ様に関しては何も思い当たることはなかった。本当に会ったことがあるのだろうか。

 だが、僕の記憶に不確かなところがあるのがわかった今、自分自身に対する猜疑心でいっぱいだった。

 あの日、崖から飛び降りた僕が何故こうしてのうのうと生きているのかもわからない。投身自殺を図って死なないどころか、その後支障なく生活しているとなると、すでに人間卒業だ。ちょっと信じたくない。

 それに、飛び降りたのが僕なら、あの後セレナはどうしたのだろう。

 もしかしたら、どこかで生きているのだろうか。

 一瞬期待して、首を横に振る。

 生きていたとして、もう会うことはないだろう。第一、彼女は僕を恨んでいる。僕自身もあれから変わってしまった。今更再会したところで、何もできない。

 それでも、会いたいと思ってしまう愚かな自分に苦笑する。

 もう、顔もはっきりと思い出せないくせに。

 その時、ノックする音がして慌てて上着を羽織って扉を開ける。召使の少年が立っていた。


「朝早くに失礼します。あの……クラウス様が、書庫に来てほしい、と」

「書庫?クラウス様が?」

「はい。いつでもいいそうです」


 首を傾げる。突然どうしたのだろう。しかも、書庫なんて。

 僕が考え込んでいる間も、少年は不安げな目で僕をじいっと見上げていた。


「どうしたの?まだ何かあるかい?」

「い、いえ!ただ、そのぉ……」


 しばらくもじもじしていたが、意を決したように顔を上げた。


「クラウス様の様子が、おかしいんです。召使が差し出がましいとは思うんですけど……」

「おかしい?」

「書庫で、いろいろ調べ物をなさっていたんですけど。突然真っ青になって、それから警備を一切排除してしまったんです」


 思わず眉を顰めた。警備を排除するなんて、クラウス様らしくもない。


「真っ青になったっていうのは、本を読んでいる時?」

「そうだと思います。何の本かはわからなかったです」

「そっか。わざわざありがとう」


 召使はぺこりとお辞儀すると、ぱたぱたと駆けて行った。

 それにしても、どうしたのだろう。今は自分のことでも頭が痛いが、そこまで言われると心配だ。

 僕は急いで支度をし、書庫に向かった。




 書庫はひんやりとした空気が立ち込め、静まり返っている。古い本特有の甘い匂いが、今日はどこか重苦しく感じた。

 木のテーブルにうずたかく積み上げられた本に埋もれるようにして、クラウス様はいた。いつも無造作に結っている髪がほつれて半分ほどけ、顔色も悪い。

 僕に気づき、顔だけこちらに向けて手招きする。


「急に来てもらって悪いな」

「いえ、大丈夫ですよ」


 隣にあった椅子に勝手に腰かけると、切れ長の目を眇めて、


「どうした?血の気がないぞ。クマも酷いし、あまり寝ていないのか?」

「それはクラウス様のほうが酷いですよ……。もしかして、徹夜で調べ物を?」

「まあ、そんなところだ」


 答えつつ、疲れたように目頭を押さえる。やつれても怜悧な美貌は色褪せないが、痛ましさが増す。疲労だけでなく、日頃は鋭い瞳に仄暗い色が浮かんでいるのが、また心配だ。


「突然、護衛を退けたそうですね。一体どうしたんですか?」

「……聞いたのか。別に、たいした理由はない。煩わしくなっただけだ。ステラにはさんざん文句を言われたがな」


 ステラ姉さんの名前にギクッとする。

 姉さんに聞くのが一番早いのは、頭ではわかっている。けれど、向こうも忙しいだろうとか、そもそも盗み聞きしたのがバレてしまうだとか言い訳をこねくり回して、結局聞きに行く勇気が出ない。

 僕はどこまで『弱虫』なんだろう。


「どうかしたのか?ぼーっとして」


 不審そうな声にハッとする。


「い、いいえ!それより、どうしたんですか?もしかしてミシュア姉さんのことでしょうか」

「いや、悪いが違う。シャルキットの件はあまり進んでいない。ただ、彼女から得た情報から、色々とわかったことがある」


 本の山から一冊抜こうとして、そのまま倒して雪崩を起こしてしまう。僕は咄嗟によけたが、クラウス様はそのまま固まっていたので本当に埋もれてしまった。


「く、クラウス様!?生きてますか、こんなことで死なないでくださいっ!セルシアの第一王子がこんなポンコツな死に方をしたとなると、一生笑いものですよ!」

「うっ……だれが……ポンコツ、だ……」

「よ、よかった!生きてましたか!」

「当たり前だ!」


 本の山から這い出て怒鳴る。が、感情と声に表情筋が全くついて行かないらしく、ものすごく無表情だ。

 この人、本当にヤバいのでは。


「少し寝た方がいいですよ。お話はあとで聞きますから」

「平気だ」

「いや、全然平気じゃないですよね!?さっきからかなり格好悪いですよ!」

「貴様に言われる筋合いはない」


 怒ったような口調だが、やはり無表情。しかも、わざとでもなければ普段の冷たさもなく、やはり表情筋が動かないだけのようだ。これは相当きてる。

 クラウス様は死んだ目で本をガサガサし、拾っては捨て、拾っては捨てを繰り返す。頭でも打ったのかもしれない。


「お前の姉の、元婚約者のことなんだが」


 予想外の内容に目を見張った。


「……ローグ・ゼルドのことでしょうか」

「ああ。シャ……ミシュア・ウィルドネットの話と、ゼルド家に関する調べから、少しわかったことがある」


 顔が強張るのを感じた。

 ミシュア姉さんを捨て、傷つけ、僕を踏みにじった男。許せるはずがない。前よりは多少落ち着いた僕だが、今奴と会ったとして、理性を保てるかどうか。


「あの男は当時婚約者だった彼女と、お前に暴力をふるい、失踪した。そこまではいいな?」

「はい」

「あの男がそう言った行動に出る前、ゼルド家ではいざこざがあったらしい」

「いざこざ?」

「よくある一族の内部分裂だったようだ。ローグ・ゼルド側はそれに敗北し、しかも一部は王に粛清を受けている」

「王様に!?」


 話がだいぶ大きくなってきた。奴はそんな素振りは見せなかったが、そもそも感情の読み取りにくい男だ。僕がわかるはずもない。


「でも、どうして王様が?」

「敗北した側はクロフィナルの支援を受けていたらしい」


 顔が強張るのを感じた。

 またクロフィナルだ。師匠が戦争が起きそうだと言っていたのも、あの国だった。


「クロフィナルの有力貴族とかなり密接な関係にあり、セルシアの機密情報も僅かとは言え流していた。それを見逃すようなことはあの王には有り得ない」

「それと……ミシュア姉さんと、何の関係が?」

「さあな。お前の姉も知らなかったことだ、関係性を探るのは難しいだろう。ただ、ローグ・ゼルドは彼女に対し「目的の邪魔になる」と言ったそうだな」

「そうみたいです。その目的とやらが何なのかは、さっぱりですけど……」

「……奴の消息はわからないが、お前の家を襲撃した後、奴はセルシアから逃亡している。クロフィナルに渡ったと考えるのが妥当だろうな」

「でも、どうして今更……」

「復讐というには、少し妙だな。それに、この頃は鳴りを潜めてるが、ネリー・オルコットやライト・バロウについても気になる。奴らの言う、「女王様」についても」


 唐突に上がった二人の名前にギクリとした。

 僕は、ローグとその二人、少なくともライトは関わっているという事実をクラウス様に話していない。フラウィールで瀕死になったのは、ローグにまんまと連れ出され、ライトと戦うことになったからなのだが、『化け物』のことを知られるのを恐れた僕はとぼけた。

 今となってはクラウス様は知っているので、別に話してもいいのだが、騙していたようで心苦しい。

 だが、話が大事になってきた今、隠しているわけにもいかないだろう。


「あの、ちょっと話したいことがあるんですけど……」

「どうした、いきなり」

「じ、実は……」


 フラウィールであった本当のことをぽつぽつと話す。

 屋敷の主人の言いつけ通り外で待っているとき、ローグが現れたこと。怒りに任せて追いかけたがライトの介入で逃し、そのまま錯乱した僕は彼と戦い、背後から別の人間、おそらくネリーに襲われて気を失ったこと。

 クラウス様は相槌すら打たず、無表情で聞いている。だが、その目が暗くなってゆくのはわかった。


「……どうして今まで話さなかった」

「すみません……」


 返す言葉もなく項垂れる。きっと呆れているのだろう。


「まあいい」

「……え」

「正直に話してくれたんだ、よしとしよう」


 数度まばたきするが、特に変化はない。しいて言えば、クラウス様の顔色がさらに悪くなったくらいだろうか。いや、よくないけれど。


「な、何で……」

「俺なんかに打ち明けてくれたんだ、怒ったりしないさ」


 ふっと、自嘲するような笑みを浮かべる。らしくもない自分を卑下する発言に、胸がざわめいた。


「な……何言ってるんですか。……何かあったんですか?」


 じゃないと、さっきからの違和感に説明がつかない。

 だが、クラウス様は首を横に振って、目を伏せた。


「何もない。ただ、少し疲れているだけだ」


 嘘だ。

 僕が言えることではないが、この人は取り繕うのがそれほどうまくない。無表情で冷え冷えとした雰囲気のせいでパッと見はわかりにくいが、結構感情的だ。

 だが、それ以上聞くこともできなかった。


「お前の話から推測するに、ローグ・ゼルドと「女王様」とやらもかかわりがあるようだな。むしろ、ゼルド家を支援していたクロフィナルの人間である可能性が高い。当時のことを調べれば何かわかるかもしれないぞ」

「そうですね。僕は子供だったし、あの頃の記憶ってあまりないのでわかりませんけど、両親や姉は何か知っているかもしれません。他の貴族達も」

「ああ、そうだな」


 クラウス様は紙を取り出し、さらさらと書きつけて懐にしまった。あとで調べるためのメモ書きだろうか。

 クラウス様が本を片付け始めたので、僕も手伝う。黙々と作業するが、どうにも沈黙が重い。先程の話題のせいかもしれないが、居心地が悪くて仕方ない。

 僕は努めて明るく、何気ない風に話題を振った。


「そういえば、最近ソフィアを見ませんね。どうしてます?」


 バサバサバサーッ。


 クラウス様が本を落とし、せっかく片付けた箇所に指をひっかけそれも落とし、ふらりとよろめいた。


「クラウス様!?だ、大丈夫ですか!」

「ああ、大丈夫だ」

「いや、全然大丈夫じゃないですよね!?」


 もともと色が白く、今日は白を通り越して青かった顔色が、さらに悪くなってゆく。死んだ目でさっきのように本を落としては拾い、拾っては落とす。

 もしかして、もしかしなくても地雷を踏みぬいただろうか。ソフィアとは顔を合わせずに数カ月くらい経っている気がする。

 ソフィアとクラウス様の間で何かあったのだろうか。まさか破局?クラウス様に対してだけはデレデレでしかも面倒くさいタイプの乙女になるあのソフィアが?……過去に恋愛に失敗し、現在も重すぎる愛情を向けた結果微妙なことになっている僕が言えることでもないけれど。

 とにかく、話を変えなければ。


「え、えーと!この前王様に呼ばれたんです!それで……」


 グシャリ。


 クラウス様は持っていた紙を握り潰し、床に落とした。

 うわあああっ、馬鹿じゃないのか僕。父王に嫌悪とコンプレックスを持っているクラウス様に対し、今言うことじゃないだろ!


「そ、それで!リラ様についてあれこれと……って、クラウス様!?」


 フラフラしていたと思ったら、本当に倒れそうになり、慌てて支える。クラウス様は細身だが、長身でそれなりに鍛えてもいるので、僕の身長だと支えるのは結構きつい。いや、小さくはないけど!

 てか、リラ様の話題もダメなのか!?何故!


「すまない……本当に何でもないんだ……」

「絶対嘘ですよね!?本当にどうしたんですか?」


 クラウス様が辛そうに目を逸らす。ぐっと眉根を寄せ、逡巡し、やがて溜息をついた。


「もういいぞ。大丈夫だから」


 僕から離れ、やや危なっかしい足取りで椅子まで戻り、倒れこむ。普段の美しさに陰りが見えるほどやつれていた。

 こんなクラウス様、見たことがない。


「……今から話すことは、忘れてもいい。だが、正直なところを聞かせてほしい。リラのことだ」

「リラ様、ですか?」


 僕が悩んでいるのも彼女のことなのだが、ずいぶん唐突だ。


「リラは、俺達王族の中でもかなり特殊な人間だ。母方の苗字を持たず、その母の経歴も不明。後ろ盾がないわりに待遇がいいのは、王が可愛がっていることや女であることで説明がつくが、公の場にはできるだけ出さないようにしている理由がわからない。本人が境遇のわりに明るいのも、性格の問題だと思っていたが、それにしてはあいつは頭が切れすぎる」


 クラウス様の指摘にドキリとした。

 一見、朗らかで陽気で子供っぽい王女様。けれど、時折見せる老成した表情と鋭い洞察力は並外れている。言葉の扱い方が巧い、とも言えるだろう。

 それと同時に、年相応の少女らしい、脆い部分も持ち合わせている。一人の人間とは思えないほど多面的だ。


「ふとした折、あいつが別人に見えて……俺は、わからなくなった。あまりにも似ていて」

「似ている?誰にですか?」

「王にだよ」


 目を見開いた。

 リラ様が、王様に似ている?


「多くの人間は、俺が現王に生き写しだ、そっくりだと言うが、そうでもない。外見や声は似ている自覚があるが、アレの天才性は俺にはない。冷淡な態度をとるから人望もないし、予測も判断も甘い。何でもそれなりにはこなせるが、それだけだ。ただの器用貧乏だよ」

「何言ってるんですか!クラウス様が器用貧乏なら、大抵のことでダメダメな僕はどうなるんです!?あ、いや、僕の話はどうだっていいけど……」

「そういうお前が、本物の天才だろ」

「は?」


 聞き間違いだろうか。僕が本物の天才だとか聞こえた気が。


「お前は確かに、通常の人間より劣っているところは多い。まずその異様な不器用さはどうにかした方がいいし、中身にも問題がありすぎる」

「すみません……」

「だが、天才なんてそんなものだろう」


 どことなく憂いを帯びた眼差しで、クラウス様は微かに笑った。


「どこかが欠けているのを補うように、何かが格段に秀でる、そういう奴はよく見かけるよ。そして、お前のはたまたま戦闘能力だった。人と違うのが本人にとって幸か不幸かはわからないが、常人にはなしえないことができるということだ。せっかくだから、武器にしたらいいさ」


 そんな風に、僕の戦闘能力を評価されたのは初めてだった。

 力を求めすぎて、今度は持て余し、他人には恐れられる。ひとり歩きしがちな疎ましい僕の能力を、実際に目にしたにもかかわらず肯定してくれる。

 優しいな、と思った。

 だが、その優しさにどうしても自嘲のようなものを感じてしまい、不安が募る。


「ありがとうございます。……でも、いきなりどうしたんですか?」

「……いいや。ただ、それが引き金になったのかもしれないと、思っただけだ」

「え……?」

「何でもない。話が逸れたな。俺が、リラがあの王に似ていると思うところは他にもある。リラも王も基本的には底抜けに明るくて馬鹿っぽいが、その実恐ろしいほど合理的だ。持ってるものも、それを使いこなす力もある」

「でも、リラ様は腹違いとは言え、クラウス様の妹です!小さいころから知って……」

「知らないぞ。……というか、お前こそ、知らないのか?」

「何をですか?」


 クラウス様はちょっと目を見張り、それから躊躇いがちに口を開く。


「リラの存在を知ったのは、あいつがこの城に来てから……七年前くらい、か?それまでは、どこで何をしていたのか、俺は全く知らない」

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