誕生日とお忍びデート(?)
あれから、色々あった。
ミシュア姉さんは牢に入った。リラ様やクラウス様が色々手を尽くしてくれたが、姉さん自身が望んだのだ。償いたい、と。
王女殺害計画についてはさすがに黙ってもらっている。さもなければ、即刻死刑だろうから。
現在はシャルキットとしての絵の取引についてや、彼女を操って暗躍している存在についての事情聴取が進められていた。
詳しいことは教えてもらってはいない。僕は身内だからそれも当然だろう。そのうち、クラウス様が伝えてくれることになっている。
父さんと母さんは怒ったり泣いたりしていたが、ほっとしたようでもあった。ステラ姉さんも元気に働いている。
僕はというと、相も変わらず、遊び相手とかいうよくわからない仕事を惰性でやっていた。
つまり、働いていない。
まっっったく、働いていない。
自分でもいい加減無職はどうかと思うのだが、何しろ王命なので勝手に抜けることもできない。が、最近は仕えている相手が遊びをふっかけてこないので、わりと暇だった。
リラ様とは、あまり会っていない。
あの日以来、何となく気まずくて避けているのだが、向こうも無理によってきたりはしないのだ。そうすると、本来は王女様と一応貴族のしがない召使風情という身分差があるので、たまたま会うことさえなかった。
リラ様のことを思い出すと、どうしようもない不安と罪悪感が浮かび上がってくる。またみっともない姿をさらしかねない。だから、これでいいのかもしれないけれど。
寂しい。
あのはた迷惑なほど明るい笑顔が、澄んだ声が傍にないことが、胸に風穴を開けていた。
こんなにも、彼女に依存していたなんて。自分でも気づかないうちに、僕の重すぎる感情がリラ様を苦しめていたのかもしれない。
それと同時に、セレナへの罪悪感が消えない。
紫の甘い毒は、未だに僕に絡みついて雫を垂らす。
こんな中途半端な気持ちでリラ様に向き合えるはずがない。それでも、今すぐにでも会いたかった。会って、言いたかった。
僕の好きになった人は間違いなくリラ様で、それだけは本当だと。だから、自分を卑下するようなことは言わないでほしい、と。
このままでは、いつかリラ様が消えてしまうようにさえ思えて、焼けつくような焦燥感にかられる。
けれど、結局何もできないまま、日々が過ぎてゆく。
今も、僕はどうしようもなく『弱虫』だった。
花の香りが薄く漂い、微かに衣擦れの音がする。人の気配に目を開け、ポカンとした。
「おはよう!今日はずいぶんぐっすり寝たんだね。いつもは真夜中でも人が来ると起きるのに」
くすくす笑うその声を久しぶりに聞いた。
リラ様が僕の真上にいた。というか、毛布を挟んで僕に乗っていた。何やってんだ。
長い髪が僕の頬や首筋をくすぐって、清楚な香りを振りまく。顔も近い。少し遅れて、顔が赤くなるのを感じた。
「な、なななな何やって!?」
「おはよう」
「何やってんですか!馬鹿なんですか!早く降りて……」
「お、は、よ、う!」
寝起きの頭が現実逃避した。
「……おはようございます。あの、ここはどこですか」
「何言ってるのよ、ハルの部屋でしょう?」
「……なら何故リラ様がいるんですか」
「いいじゃないそんなの」
よくない。ぜんっぜん、よくない。
この人は自分の性別と容姿を理解しているのだろうか。してないだろうな、きっと。間違いでも起きたらどうするつもりなんだ。
朝っぱらから深々と溜息をつき、ひょいとリラ様を抱き上げて追い出した。
「うわあ、雑!もっと丁寧に扱ってよ!せっかく私が起こしに来てあげたのに」
「誰も頼んでいませんけどね」
酷いとリラ様が頬を膨らませる。子供か。
呆れながらも、いつも通りのやり取りにほっとした。あのことを忘れることはできそうにないけど。
寝癖を適当に直しつつ、尋ねる。
「どうしたんですか、いきなり。何か用ですか?」
「何よその態度!そもそも、私に使われることがハルの仕事でしょう」
「違いますけど。それで、何ですか?」
リラ様はにっこり笑って、
「今日は何の日でしょう!」
「へ?」
いきなり謎かけから来たか。
考えてみるが何も思い浮かばない。祭日ではないし、城の催しも特になかったはずだ。
「あ、わかった!王様がまた妃を迎えるんですね?」
「ちっがーう!」
「じゃあ、他に何があるんですか?」
「わからないの?これだからハルは……」
妙に芝居がかった仕草で肩を竦める。そうして、ふふんと胸を張ると、
「今日から私は十六歳です!」
「……誕生日なんですか!」
「何で知らないの!後、知らなかったとしても知ってるふりするのが礼儀でしょ!貴族失格!」
「ご、ごめんなさい……」
リラ様がまた頬を膨らませた。
いやでも、僕に非はないと思う。
通常、王族の誕生日には貴族や他国の有力者から数々の祝いの言葉と贈答品が贈られる。地位によっては祭日とすることもあるくらいだ。王族の人間の生まれた日を知らないなんてことは、貴族には有り得ない。
ただし、通常ならば。
リラ様はイレギュラーな存在だ。リラ様のことを知っている庶民はほとんどいないし、貴族でも存在は知っている程度。たまに社交界に顔を出すことはあるが、それも短時間だという。
また、彼女の母はすでに他界している。その理由や出生は不明だが、王侯貴族でないことは確かだ。庶民とも、特殊な一族の出とも聞く。
だが、噂は噂でしかなく、本当の苗字すらもたず、後ろ盾もない第四王女リラ・クラリスは、ほとんどが謎に包まれたままだった。
僕も、リラ様にわざわざ呼ばれなければ、彼女のことをほとんど知らなかっただろう。今でもちゃんと知っているかと聞かれれば、わからない。
興味がないわけではないが、詮索するのは好きではない。一度それとなく聞いた時もはぐらかされたし、本人が話したくないのであれば無理強いはしたくなかった。
そんなわけで、リラ様の誕生日を知らないことは仕方のないことだった。と同時に、やるせない気持ちにもなる。
誰にも祝ってもらえないというのはどれほど寂しいだろう。しかも、他の母親の違う子供達は盛大に祝われているのに。
「リラ様、遅くなりましたがおめでとうございます。何か欲しいものがあったら言ってください。……えっと、僕が用意できる範囲で」
大量の本を要求されたらどうしよう。もしくは珍しい宝石とか。言ってから冷や汗が流れ始めたが、リラ様の顔を見た途端、それも消えた。
頬を染め、花がほころぶように微笑む姿は、どことなくいつもよりおとなしくて、とても可愛らしかった。
が、要求は可愛くなかった。
「なら、ハルをちょうだい!」
「は?」
「間違った、ハルの時間をちょうだい!ハルなんてもらってもただのお荷物だし」
「さらっと失礼なこと言いますねほんと……。で、時間って?」
だんだん嫌な予感がしてきたが、ちょっと遅かった。
「私と出かけましょう?城の外に!」
僕は憂鬱な気分で、久しぶりに城外の街を歩いていた。髪と目の色が目立たないように帽子を深く被っている。
隣では、辺りをきょろきょろと物珍しげに見回すリラ様がいた。こちらはしっかり変装している。万が一にでも王女であることがバレたら大変だからだ。
茶髪のカツラを被って、町娘のような質素な服に身を包んでいる。けれど、平凡を絵に描いたような僕と違い、リラ様はたぐいまれな美少女であるため、道行く人々が振り返っていく。主に男。そのたびに面白くない気持ちにさせられ、憂鬱に拍車をかける。
「もうっ、何でそんな暗い顔してるの?」
あんたのせいだ。
リラ様の無理無茶無謀なお願いを断固拒否したが、事前に王様に外出許可と多額の「お小遣い」をもらっていたらしく、さらに親バカ丸出しで暗殺部隊を護衛としてこっそりつけているらしい。
そして、僕が一緒について行くということを条件に、約束を取り付けたと言う。王様からしたら僕はリラ様の護衛なのだろうが、リラ様からしたらただの遊び相手なので心労が酷い。
つっぱねようにも、最初にできる範囲で何でもすると言ったのは僕なので、逆らえなかった。時間を巻き戻したい。そして僕を全力で殴りたい。
そういうわけで、今に至る。
「見てみて!あの屋台の飴、可愛いっ!」
リラ様が目を輝かせて振替る。ふわふわと淡い茶色の髪が揺れて、思わず顔が引き攣る。
しかも、それが完全にバレてしまった。
「……この髪、嫌い?違うカツラにした方がよかった?金髪とか」
「あ、いや。そういうわけじゃないんですけど……」
嫌いなわけじゃないし、新鮮で可愛いと思う。
けれど、どうしてもその髪色を見ると、あの子を思い出してしまうのだ。僕が死なせてしまった彼女を。
全く同じ髪型というわけではない。あの子は真っ直ぐな髪を肩くらいで切りそろえていた。リラ様の使っているのものは緩く波打っているし、とても長い。
それでも重なってしまうのは、何故なのだろう。似ているはずもないのに。
ただ、これだけは正直に言える。
「でも、普段のリラ様の髪の方が僕は好きですよ。さらさらで、月の光と同じ色で、とても綺麗ですから」
リラ様が硬直した。
僕を驚いたように見つめ、その目がゆっくりと潤み、唇が震える。何かを言おうとして、けれど掠れた息が漏れただけだった。
脆く、儚い表情だった。
それをかき消そうとするかのように口角が上がり、またくしゃりと歪んで、泣き笑いのような形になる。
突然の変化に僕の方が動揺した。何か、変なことを言っただろうか。
「すみません、別に今の姿が悪いってわけじゃないんです!むしろ似合ってるし、そういうのもたまにはいいと思うし……」
「……やっぱり、だめだわ」
「へっ?」
うつむいて何かを呟く。賑わう街の中では全く聞き取れない程度の声で。
そうして、僕が尋ねる前に勢いよく顔を上げた。
「私を口説くなんて百万年早いわ!」
「は?え?……ち、違う!違います!口説いてなんかいません!」
「嘘ばっかり~」
「誤解だ!」
朗らかに笑い声をあげて、リラ様が僕の手を握った。
「さあ、行きましょう!時間がもったいないわ!」
僕の返事も待たずにぐいぐい引っ張って進む。僕は情けないことにされるがまま。
文句を言いつつ、先ほどの表情が忘れられなかった。
僕の言葉の何が、あんな顔をさせたのだろうか。どうして、何も言ってくれないのだろう。
またはぐらかされたのはわかっていたが、リラ様の楽しげな顔を見ると、それ以上何も言えなかった。




