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紫の華は猛毒故に美しく

 柔らかな光が降り注ぐ昼下がり。

 優雅な音楽と甘い花の香りに包まれた庭園は、華やかな談笑で溢れ返っている。

 ここはクロフィナル。国王の腹違いの弟に当たる公爵家によって催されたガーデンパーティー。王族や極一部の高位の貴族、宰相や将軍などの重要人物で構成されており、周りは大勢の衛兵で厳重に覆われていた。

 パーティーに招かれた客人の一人、とある王子の妻であるアンジェラは隅の方に移動し、溜息を吐いた。


「……つ、疲れたわ……」


 紅をさした唇から溜息と愚痴がこぼれる。

 金褐色の髪を高く結い上げ、涼しげな緑の瞳に合わせて仕立てた絹のドレスを纏う彼女は、優雅でありながら生き生きとした快活な魅力に溢れた美人だ。そのため、寄ってくる男が少々多かった。

 以前はセルシアの第一王女アンジェラ・ココ・ファーネスだった彼女は、敵に等しい大国クロフィナルの王子に嫁ぎ、苦労しながらもそれなりに幸せな日々を送っていた。

 生活に不自由はないし、心配していたようなこともない。夫になった王子は王族の中では身分が低いが、心優しい人だった。不満があるとすれば、腹違いの妹であるリラに会えないのが寂しいくらい。

 リラのことを思い出し、アンジェラはそっと目を細める。

 あの子は、元気だろうか。

 時々手紙のやり取りをするが、リラはいいことしか書かない。ちょっとした冗談のような文句は書いても、それ以上は絶対に書こうとしない。だから少し心配になる。

 手紙の内容には、本やお茶菓子、第一皇子のクラウスやメイドの少女のことなどが書かれているが、一番多いのは彼女の遊び相手として呼ばれた少年貴族の話だ。

 彼のことについて書かれた文章は、どれも幸せそうで、温かい。

 アンジェラが嫁ぐ少し前にリラを守るように言ったのを、彼は覚えているだろうか。


「はぁ……セルシアに帰りたいわ……」


 つい、溜息混じりに呟く。

 ちらりと中央に目をやると、アンジェラの夫は笑みを浮かべて彼の母と話している。あの二人に混ざりたいが、中央に行けばまた面倒なことになるだろう。そんなのごめんだ。

 アンジェラは通りかかったメイドの盆からケーキを取って両手に持ち、逃げるようにその場を離れた。

 華やかな談笑や音楽が遠のく。相変わらず衛兵に囲まれてはいるが、人通りが少なくなったのでほっと息を吐いた。ケーキを一口齧り、また歩く。

 さて、どこに行こうか。あまり遠くにもいけないが、あの中に戻る気はさらさらない。


「ああもう、セルシアに帰りた……きゃあっ!」


 急に風が強く吹いた。叩きつけるような冷たい強風に、思わず目を瞑る。

 が、すぐに止んだ。

 ゆっくりと目を開くと、風など吹いていなかったかのように穏やかだ。何なんだ一体。

 溜息を吐き、乱れたであろう髪に手をやると、案の定綺麗にまとめた髪がほどけ、背中まで流れている。髪飾りもない。

 あれ、結構気に入ったデザインだったのに。こんな動きにくいドレスでは、思うように探せない。また面倒なことになった。

 と、その時、絡みつくような濃密な花の香りが鼻先をかすめた。そして背後から、蜜よりも甘い甘い声。


「これ、あなたのではないかしら?」


 アンジェラは振り返り、固まった。

 幻想のような、人間だとは思えないほど美しい少女が、そこにいた。

 さらさらと腰まで流れ落ちる薄茶色の髪は、陽光を吸い込んで金色にきらめく。透き通るような透明な肌、長い睫毛に囲われた琥珀の瞳、紅い唇が完璧な弧を描いている。

 フリルの多い豪奢なドレスに濃い紫のショールを重ね、ほっそりした首に紫のリボンを結び、髪にも紫のリボンをいくつも編みこんでいる。レースの手袋をはめた小さな手を差し出し、くらくらするほど甘い香りを漂わせている。

 何て、美しい。

 言葉ではとても表現できない。できるはずもない。きっと、世界中のあらゆる美麗な謳い文句をかき集めても、この少女の前では色彩を失ってしまうだろう。

 アンジェラは美人だが、この少女とは比べ物にならない。もはや同じ生き物ですらないような気さえする。

 この少女と同等の美貌を持つ女の子を、アンジェラは一人しか知らない。彼女とこの少女の美しさは、全く別の種類だが。

 見惚れて固まっているアンジェラに、少女は不思議そうに首を傾げる。そうすると真っ直ぐな長い髪がさらさらと流れ落ち、一層甘い香りが漂う。

 類い稀なる美貌や可憐な仕草、未成熟の少女特有のあどけなさが、どことなくリラを連想させる。顔立ちも雰囲気もまるで似ていないのに。


「あの……?」


 アンジェラが随分硬直していたためか、少女の顔が不安げに曇る。ハッと我に返り、ようやく少女がアンジェラの髪飾りを持っていることに気がついた。


「あ、それ私の!」

「やはりそうでしたか……」


 少女の顔にほっとしたような笑みが広がる。途端空気が華やぎ、紫の花が一斉に咲いたような錯覚を受ける。

 何て美しい少女だろう。もしかして人間ではなく、紫の妖精なのではないか。

 一瞬脳裏を過った考えにくすりと笑み、アンジェラは髪飾りを受け取った。


「ありがとう。気に入ったデザインだったから、助かったわ」

「礼には及びませんわ。わたくしはたまたま拾っただけですもの」


 まるで貴婦人のような話し方だ。しかし、まだ十代の少女にもかかわらず、高貴な話し方は自然と馴染んでいた。


「……お姫様みたい。少なくとも、私やリラより、ずっとらしいわね」

「え?」

「何でもないわ、こっちの話よ。それより、あなたもこの茶会に招かれたの?」

「ええ、もちろん。アンジェラ様もそうでしょう?」

「どうして私の名前を!?」


 驚いて叫ぶと、少女は怯む様子もなくふわりと微笑む。


「アンジェラ様のことを知らないはずがありませんわ。有名ですもの」

「え、そ、そうかしら?」

「ええ。セルシアからクロフィナルの王子に嫁いだというだけでも大変なニュースですもの。その上魅力的な美人なのですから、噂にならないはずがありませんわ」


 とろけるような甘い声に紡がれる褒め言葉に、アンジェラは顔を赤らめてうつむく。照れているのではない。恥ずかしいのだ。

 自分の容姿については特に何も思わない方だが、千人に聞いて千人が極上の美少女と答えるような女の子に、この程度の容姿を「美人」と言われると少々複雑だ。

 そんなアンジェラの心中を知ってか知らずか、少女は大きな琥珀色の瞳で甘えるように見つめ、ますます可憐に微笑む。


「ねえ、お話、聞かせてもらえませんか?」

「お話?何を?」

「そうですわねえ……セルシアにいた時のこと、とか」


 いきなりそう言われても、パッと浮かぶことはない。アンジェラが思いつくのは、母や、可愛い妹や、何でもできるが人づきあいが苦手な弟や、退屈な勉強といったものばかりで……。


「うーん……何か聞きたい話とか、ある?」

 すると、少女はぱあっと瞳を輝かせて、

「黒の狂戦士!」

「はあ!?」


 ギョッとして叫ぶ。

 この子何言ってるの。何でそんな物騒な名称言いながら、期待に満ちたきらきらした目で私を見てるの。というか、黒の狂戦士とは一体。

 若干引いているアンジェラに、少女はこてんと首を傾げる。


「あれ、知りませんか?セルシアの人なのに」

「えーと、聞いたことないわね……。それ、物語か何か?」

「いいえ、実在する人ですわ。わたくしの聞いた話では、アンジェラ様がクロフィナルに来る前には、お城にいたはずなのですが」

「えええええええっ!?」


 聞いたこともない。しかし、アンジェラがここに嫁ぐ前ということは、会っているかもしれない。


「それ、誰?誰なの!?」

「え?えっと、確か……そう!ハル・レイス・ウィルドネット、という方でしたわ」


 ちょっと、というか全部、意味が理解できなかった。

 ハル・レイス・ウィルドネット?リラの遊び相手として城に召喚された、あの軟弱で気の弱そうなボンボンが?


「ないないないなーいっ!」


 髪をかきむしりながら叫ぶ。今まで生きた人生の中で、一番混乱しているかもしれない。

 一度会って話したが、貴族にありがちな愛想笑いで誤魔化すような、いい加減な少年だった。退屈な平穏を望むような性格で、おまけに少女のように華奢で、狂戦士なんて物騒な言葉はとても似合わない。

 ああでも、兵士の中でも強者の部類の、バルクという男を蹴り一発で気絶させたという噂を聞いたような。

 更に思い返してみると、アンジェラの婚約祝いと父王の新たな側室との結婚祝いを兼ねたパーティーが襲撃された時、クラウスと共に敵と戦ったという話を聞いたような。

 アンジェラは顔を引きつらせながら、


「あのー、そのハル・レイス・ウィルドネットって、黒髪黒目の少年貴族で、セルシアの王女に仕えている人……?」

「ええ、そう聞いていますわ」


 これで確定した。あそこに黒髪黒目の男なんて、一人しかいない。


「な、何で狂戦士なんて渾名がついてるの……」

「普段は大人しいのに、戦闘になると別人のようになるからだそうです。嗤いながら相手の骨を砕き、返り血を浴びながら圧倒的な戦闘能力で相手をどん底に突き落とす様は、もはや人間ではなく『化け物』だ、という声も多々ありますわね。例えば……」

「も、もういい。もういいわ」

「え?でも……」

「勘弁して……お願い……」


 少女はなおも言いたそうにアンジェラを見つめいていたが、顔色が悪くなっているのを見て渋々口をつぐんだ。

 信じられない。あんなひ弱そうな少年が、噂話とはいえそんなことになっているなんて。まるで二重人格ではないか。

 リラを守れと言ったが、そんな危ない人をリラの傍にいさせてよかったのだろうか。心配になってきた。

 リラの手紙からは、アンジェラのイメージ通りの平凡な男の子としか読み取れないが、リラは綺麗なことしか書かない。もしかしたら、本当は苦労しているのかもしれない。

 ますますセルシアに帰りたくなった。でも、今は無理なのだ。それが辛くて、もどかしい。


「アンジェラ様?」


 物思いにふけっていたアンジェラはハッと我に返り、明るい笑みを浮かべた。


「ごめんなさいね。ちょっと、妹のことを思い出していて」

「妹?」

「ハル……黒の狂戦士が仕えている王女のことよ。私の妹なの」

「まあ、そうでしたか。どんな方ですか?」


 少女は興味深々とばかりに前のめりになる。圧倒されるほどに美しいが、やはり子供だ。年相応の愛らしさに、アンジェラはそっと目を細める。


「あなたと同じくらい綺麗な子よ。年齢も、ちょうどあなたくらいじゃないかしら。月の光のような銀色の髪と、大きな青い目をしていて、清らかに澄んだ声で歌うの」


 最初に会った時は、無口であまり表情のない子だった。それどころか、いつも瞳に暗い影を映して、常に哀しみと絶望に耐えているように見えた。

 けれど、だんだんと心を開いてくれて、今では本当によく笑う、明るい女の子になった。

 今頃、どうしているかしら。そんなことばかり考えてしまう。


「リラ・クラリス」

「え?」


 甘い甘い少女の声が、アンジェラの思考を遮った。

 無邪気で純粋無垢な琥珀色の瞳でじっと見つめ、少女は再びあの子の名前を繰り返す。


「リラ・クラリスでしょう?セルシア王国第四王女で、公の場にはめったに姿を現さない、秘密の姫」


 甘い蜜のような声でスラスラと言う少女に、アンジェラはギョッとした。

 この子、何で知っているの。

 確かにリラがセルシアの第四王女で、自分の父である王があまり表に出さないようにしていることはそれなりに知られている。

 だが、あくまでそれなりに、だ。

 セルシアでも重鎮や貴族あたりしか知らないし、平民で彼女を知る者は城で働く者たちだけだ。ましてや、ここクロフィナルで、しかもこんな少女が知っているなんて。

 しかし次の瞬間、さらなる衝撃に襲われた。


「天才的な歌声……ある種の力すら持つ歌声。人々を癒し、光へと導くこともあれば、闇と混沌の破滅へと突き落とす力……それがリラ・クラリスの運命……」


 アンジェラは耳を疑った。

 この子は今、何と言った?ある種の力?癒す?破滅?

 唖然とするアンジェラに、少女は純粋無垢な天使のような笑顔を向ける。まるで、アンジェラが聞いたことは全て聞き間違いだとでもいうように。それとも、本当に聞き間違いだろうか?

 琥珀色の瞳には一点の曇りもない。透き通った美しい目に、吸い込まれそうになる。


「あ……なた……」

「どうかしましたか、アンジェラ様?顔色が悪いですし、汗も酷いですよ?」


 少女は不安げに首をこてんと倒す。愛くるしい姿に、少なからず安堵した。

 やっぱり、自分の聞き間違いだ。そうに違いない。こんなに純粋な女の子が、あんな変なことを言うはずがないわ。

 小さく息を吐いて、こぼれてきた汗をハンカチで拭う。それから、不安げに見上げてくる少女に微笑みかけた。


「大丈夫よ。心配いらないわ。それより、あなたはここにいて大丈夫なの?戻った方がいいんじゃない?」

「あ……そうでしたわ。そろそろ戻らないと、あの人達も心配するかも……。わたくしはそろそろ戻りますわね」

「ええ、そうしなさいな。私はもう少しここにいるわ」

「どうぞごゆっくり。それでは……」


 くるりと踵を返した少女が、足を止め、再び振り返った。

 その刹那、空気が毒々しい紫に染められ、ゆらゆらと揺れて包み込んでくるような錯覚に襲われた。

 さらりと髪が流れ、薄紫のリボンも揺れる。振り返った少女は、先ほどの純粋無垢な少女とは全く別人のようだった。

 琥珀色の瞳は翳り、暗く妖しい光を放つ。紅い唇は三日月のような弧を描き、あでやかな微笑を形づくる。ほの暗く艶やかな雰囲気を漂わせ、大人の女のような妖艶さと、抜けきらないあどけなさとが入り混じり、凄絶なまでに美しい。

 初めて見た瞬間、この世のものとは思えないほどの美少女だと思った。

 けれど、それは誤りだった。今目の前に佇むこの少女のしたたるような美しさに比べれば、あちらの方がまだ人間だと信じられる。

 暗く、冷たい、魔物じみた美貌。どこか冷めた眼差しすら色っぽく、寒気さえする。

 そんな、もはや少女と呼ぶに値しない絶世の美女が、毒々しいほど甘く、底冷えのするような冷たい声で囁く。


「よかったら今度、リラ・クラリスに言っておいて?わたくしは……『あたしは今度こそ奪い返して見せる。あなたの絶望する顔が楽しみだわ』とね」


 声が出ない。声どころか、指の一本も動かせない。

 ねっとりとした甘い香りと声に幻惑され、ぐらぐらと視界が揺れる。思考がまとまらず飽和する。ただ、紫だけがやたらと目に突き刺さる。

 それでも、無理矢理口を開いた。


「あ、なたは……誰、なの?どうして……」


「セレナ・ウェストよ」


 知らない名前がアンジェラの言葉を遮った。高慢に言い放ち、再び悪魔のような妖艶さを漂わせ、微笑む。


「あなたの可愛い腹違いの妹……愚かなリラ・クラリスならわかるわ。それと、ハルも」


 ハル、と口にした刹那、セレナと名乗った少女の瞳がとろけ、恍惚とした表情になる。反射的な恐怖にアンジェラの肌が泡立った。

 怖い。気持ちが悪い。

 この少女が何を言っているのか、まるで理解できない。目が回って、平衡感覚がおかしくなる。

 とうとう耐えきれず、アンジェラは地面にしゃがみこむ。


「それでは、よろしくね」


 絡みつくような、甘い毒を含んだ哄笑。それは幻惑するように反響し、消えた後も脳を毒し続ける。

 禁忌に、美しい毒の果実に触れてしまったような気が、した。

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