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『化け物』の独り言

「……おい。しっかりしろ。ハル!」


 クラウスは微動だにしない友人の肩を揺さぶる。そのままグラリと傾く体を慌てて受け止めた。

 姉を探しに行ったはずのハルは、冷たい床に座り込んでいた。少なくとも、クラウスがここにやってきた時から、ずっと。

 気を失っているわけではない。その証拠に両目とも開いている。

 だが、まともでないのも確かだった。


「ハル、何があった?意識があるなら返事をしろ」


 声をかけても一切反応しない。聞こえていないのだろうか。

 うっすらと開いた闇色の瞳は、焦点があっていない。瞬きすらせず、ただ深淵の底を覗かせるだけ。暗い、昏い色。絶望の色。

 その、狂気と言ってもいいほど異様な目を、クラウスは以前にも見たことがあった。

 ハルは情緒不安定な面がある。この目を見たのは、賊が城に入り込みリラの命が狙われた時。

 圧倒的な力で相手を追い込み、正気を失った彼はクラウス達も敵とみなした。リラが目を覚まし、止めてくれたからよかったものの、あのままでは間違いなく死んでいただろう。

 血に塗れて、愉しげに笑う姿。地獄としか言いようのない世界。あまりに無力だった自分。

 思い出すだけでゾッとするような光景が、今のハルに重なる。

 今は生気すら失っているが、何かのはずみで暴走しないとも限らない。クラウスでは彼には勝てないし、レウィン・ウルを呼んでくるのが正しいだろう。しかし、レウィンを探しに行っている間、ハルを一人にするのは更に危険ではないか。

 悩んでいる間にも時間は立つ。悠長に構えている暇はないのだ。


「……仕方ない」


 念のため、いつでも抜けるように剣の柄に手をかけ、表情を消す。

 今まで、何人もの暗殺者を自力で撃退し続けてきたのだ。もしハルが暴走しても、瞬殺されることはないだろう。そう、信じる。

 クラウスは冷たい殺気をこめて、友人の名を呼んだ。


「ハル、返事をしろ」


 ピクリと肩が動いた。男にしては細い指先が微かに動く。

 思った通り、ハルは殺気に敏感らしい。


「目を覚ませ、時間がない。何があったのかは知らんが……姉を見つけたのか?」


 その時、漆黒の双眸が見開かれた。

 突如圧迫感に襲われ、クラウスは思わず剣を抜いた。ざわりと皮膚が泡立つ。……失敗したか。

 しかし、ハルは動かなかった。

 茫漠とした、いっそ無防備にすら見える表情で、白銀にきらめく刃を見つめ、緩く瞬く。どろりとした暗い瞳に一層濃い陰が落ち、哀しげな微笑が浮かんだ。


「……僕が……殺シた……」


 暗い、あまりにも暗く深い、絶望。たどたどしい言葉と、うっすらと浮かぶ微笑があまりに痛々しく、酷く哀れに見えた。


「……殺した、だと?何を言って……」

「だって……死なセたのは……ぼく……。ぼくが、ころシたんだ……」


 ひびわれた笑い声がこぼれる。それすら、すぐにかき消えて。


「いつ、だって……だ。ぼくが……みんな、を……。ねえさんも……あの子も……み……な……」


 だんだんと掠れ声になり、瞳も虚ろになっていく。そのままゆっくりと瞼が下がり、肺が締め付けられるような異様な空気が軽くなっていくのがわかった。


「何を、言って……?」


 声をかけたのとほぼ同時に、ハルの身体が横に傾く。クラウスは慌てて受け止め、いったん壁に寄り掛かれるように座らせる。

 驚くほど軽く、頼りない。とても十代後半の男には思えない軽さだ。身長は平均よりも低めだし見るからに華奢だが、あまりにも軽すぎる。

 この身体でどうやってあんな怪力を?……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 気を失っているのか眠っているのか。目を閉じて壁に身体を預ける姿は、はっきり言って子供だ。外見も、そして恐らく精神年齢も幼いのに、戦闘能力だけ異常に抜きん出てしまったことは、ハルにとっては不幸だったのだろう。

 傷つきやすい年下の友人に同情しながら、クラウスは次に取るべき行動を考えていた。

 このままここにいても仕方ないが、どこへ行くべきかもわからない。ハルは「姉を殺した」と言っているが、それは違うと思う。

 ハルは強いが、お世辞にも綺麗な戦い方とは言えない。そのため、量は違えどいつも返り血を浴びることになる。

 だが今は返り血はおろか、地面にも何も見当たらない。

 何より、そう簡単に、自分の姉を殺すとは思えないし、思いたくない。

 だとしたら、何がハルを追い詰めたのか。

 そして、ハルの姉はどこにいるのか。生きているのか。


「……そもそも、何故ハルの姉は脱走できたんだ。この城の警備はそれほどまでに弱体化していたのか……?」


 もしくは、ハル並みに強いのか。しかし、シャルキットに芸術以外の才能など聞いたことがない。一体どういうことなのだろう。

 出来ればレウィン・ウルとも連絡を取りたい。こんな時にソフィアがいれば、助かるのに。

 ソフィアの顔が浮かんだ途端、常時自然に出来上がっている無表情が微かに歪んだ。

 もう、ずいぶん彼女と話していない。様子もおかしいままだ。

 もともと短気で荒っぽいところのある少女だが、あれほど殺気立っている姿は見たことがない。まるで怨念に取りつかれているようだ。

 本当は気がかりで仕方がないのだが、現状何も出来ていない。

 最近王の動きも怪しい。本当は調べたいところだが、問題が次から次へと降り注ぎ、全く余裕がない。

 何となく、大きな問題の核心が、小さな問題の洪水に流されていくような気がする。

 見えない何かがうごめき、絡まり合い、膨れ上がってく。それは徐々に近づいている。

 風に煽られる髪を苛立たしげに払い、クラウスは不吉な雲に覆われ始めた空を睨んだ。


「何が……起こっている……?」

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