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皇子様の秘めごと

「ふふ……また私の勝ちね!」


 リラ様は勝ち誇るような微笑みを浮かべ、トランプを宙に放る。一方、僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 もう、何度目かわからないトランプ。哀しいかな、僕はこの王女様に一度も勝てた試しがない。

 どう戦略を練っても、先にちょっとズルをしてみても、あっさり見透かされてしまうのだ。まあ、自分で言うのも何だが、僕は脳筋みたいなところもなくもないし。


「……リラ様は、やはり強いですね」

「当たり前でしょ〜?ハルは弱いもの」


 当然と言いきられるのは、あまり気持ちのいいものではない。僕は少なからずムッとした。

 いつもなら、絶対に負ける遊びなんてやりたくない。仕事をサボっていると言えなくもないが、そもそも十五歳の王女と遊ぶ仕事が存在するのがおかしいのだ。

けれど、昨日のリラ様は僕を慰めてくれた。穏やかに微笑みながら、気遣ってくれた。

その恩返しのつもりで、承諾したのだけれど。


「もう、やりませんから」

「酷いっ。どうして?ハルが弱すぎるから?男のくせに情けないなぁ」

「リラ様が偉そうだからです。あと、初めてトランプした時のように、願い事は聞きませんから。……ていうか、いつになったら決めるんですか?」


 すると、リラ様は少し首を傾げて、青く澄んだ瞳で僕を見つめた。そんな無防備な顔で見つめられると、不覚にもドキッとする。

 リラ様は少し考えるような様子を見せ、それから桜色の唇をゆっくりとほころばせ、花が咲くように微笑んだ。


「……だって、簡単に決めたらつまらないじゃない」

「つまらないも何もありません。遅いので取り消しにしていいですか?」

「えっ!それは駄目よ!」


 慌てる様子に、ふっと笑みがこぼれる。まあ、いいか。無理なお願いじゃなければ聞こう。……無理じゃなければ。


「とにかく、遊びの時間は終わりです。読書でもしていてください。僕は寝ます」

「酷い!」

「リラ様の方がよっぽど酷いです」

「何それこの薄情者っ!」


 頬を膨らませて叫ぶと、パッと腕を振り上げた。白い手に持つのは、いかにも芸術的価値のありそうな美麗なイラストのトランプ。

 何がしたいんだ、この人。

 半ば呆れながら尋ねる。


「何する気ですか」

「トランプでハルを刺す!」

「……無理ですから」


 僕の忠告に耳を傾けることなくすべてのカードを集めていく。あーあ、やっぱり精神年齢幼すぎる。昨日の少し大人びた様子は、僕が美化してしまったのだろう。


「さあ、準備は整ったわ!勝負よ!」

「何が勝負よ!ですか!?あんた何歳ですか!」

「なっ!王女である私をあんた呼ばわりなんて!覚悟しなさ……」


 あまりにも馬鹿馬鹿しくなり、僕はリラ様が言い終わる前にトランプを手で払った。その時だ。無用に風なんか吹きこんできたのは。

 開いていた窓から強い風が吹き込み、たまたま窓辺付近で宙を舞っていたトランプは、窓の向こうへと風にさらわれていった。

 全てはあっという間の出来事だった。

 リラ様はしばらく呆然としていたが、我に返ると泣きそうな顔でしがみついてきた。


「ハルの馬鹿ぁ!トランプが……トランプが!」

「わわっ!すみませんでした!……でも、また買えばいいじゃないですか」


 トランプぐらい、王女であるリラ様にはいくらでも入手可能なはずである。僕は内心首を傾げた。

 すると、リラ様は激しく首を振って否定。さらさらした銀髪が甘く揺れ、そこからのぞいた青い瞳は恨めしそうに僕を見据える。


「……あれ、世界で一つしかないのよ」

「……はい?」


 思わず聞き返すと、リラ様はうなだれた。


「あのトランプ……シャルキットが作ったの……」


 え?何だって?


「シャルキットって、あの画家のシャルキットじゃないですよね?」

「ご名答」

「……えええええっ!」


 柄にもなく絶叫してしまった。だが、あいた口がふさがらない。

 シャルキットとは、いつでも仮面に黒いローブという不気味な格好の謎の画家である。年齢、性別、全てが謎。しかし、絵の腕は確かで、貴族の間ではその名は高く評価されている。


「何で、そんなの持ってるんですか!しかもトランプとか!」

「ああ、それはね、ある時、私がどうしても側室入りを認めなくて、お父様が困っていたのよね。どうしても嫌だったから部屋に引きこもって断食して……」

「……そこまでしたんですか」


 その根性は素直にすごい。僕には真似できない。


「ふふん、私を甘く見たら後悔するんだから!で、しばらくねばったのよ。そうしたらお父様が洋服や宝石や本をたくさん贈りだして……。そういえば、あの奇妙な剣をもらったのもあの時ね」


 僕は絶句した。刀と言うのは、東の極地にある小さな島国の剣で、非常に切れ味がいい。だが、あまりにも希少価値が高いため、コレクションマニアの大貴族くらいしか持っていない。それを、娘にぽんとやってしまうとは。

 最初リラ様があれを出してきた時は本気にしなかったけど、あの王様ならやりかねない。側室を迎え入れるためには、城を一つ用意しろと言われても笑顔で実行しそうな人だ。

 僕はこめかみを押さえて溜息をついた。


「つまり、リラ様はシャルキットのトランプにつられて、承諾したんですね」

「えへっ」


 照れ笑いしてうつむくが、格好悪いことこの上ない。

 ん?待てよ。シャルキットのトランプということは、国宝級のカードで、それが窓からとんでいってバラバラになったということは、つまり?

 サーッと血の気が引いた。


「どうしたの?青ざめてるけど」

「どうしたのじゃありません!」


 いきなり怒鳴った僕を、リラ様はきょとんと見つめた。

 シャルキットのトランプが落ちているという事実が知れ渡ったら、それこそ一大事だ。カードサイズで小さいとはいえ、あそこまで繊細で美しいイラストで、シャルキット。一枚でも売れば庶民なら遊んで暮らせる。

 誰かに拾われる前に回収しなければいけない。絶対に。

 僕は酷くなる頭痛に顔をしかめながら言った。


「早くそのトランプを探しに行きましょう!誰かに見つかる前に!」





「あった!あったわ!」


 歓声が上がったかと思うと、にこにこしながらリラ様は駆け寄ってきた。白魚のような手には、クラブの1とダイヤの7。


「これで、後はハートのクイーンとスペードのキング、クラブの3だけですね」


 ポケットの中のカードにリラ様から受け取ったものを重ね、ほっとした。残りは三枚。落としたところはだいたい検討がつくとはいえ、短時間でよくここまで見つかったものだ。

 しかし、まだ安心はできない。

 僕は軽く息を吐き、リラ様に言った。


「では、残りのカードを探しましょう。リラ様は南の方を探してください。もしかしたら風でそちらに飛んでいっているかもしれませんから。くれぐれも、他の人には見つからないように気をつけてくださいね、面倒なので」

「了解!」


 何故か元気いっぱい敬礼すると、リラ様は裾の長いドレスをものともせず、走っていった。

 一方、僕は別の場所を当たることにした。取り合えず、庭園の奥へと進んでいく。

 それにしてもどれだけ広いんだよこの城。土地代も人件費も妃の数も他の国と比べて無駄すぎる。

 何となく王様を恨むような気持ちで茂みをかき分けていると、声が聞こえてきた。


「……は……無理……」


 生垣の向こうから可愛らしい声が流れてくる。だが、何を言っているのかわからない。わざとではないが盗み聞きするような形になってしまったので、さっさと別の場所を探そうと立ち去りかけた時。


「大丈夫だ。……すれば、問題ない。心配するな」


 高くもなく低くもなく、ひんやりとした声が聞こえた。

この声は、クラウス様?

 驚いて動きを止めるが、彼らの会話は続く。


「……クラウス様は……です。私の……気なんて……」

「俺はお前以外に興味はない」

「けどっ!」


 少女の声にふと、聞き覚えがあるような気がした。気のせいだろうか。

 いつの間にか、トランプ探しを中断して聞き入っていた。けれど、今更立ち上がるに立ち上がれず。優柔不断で情けない性格が、ここでもまた出てきてしまった。

 自分にほとほと呆れかえる。ていうか、もうどこかに行って欲しい。

 僕の願いは届かず、やはり会話は続く。


「……ですか。私は……です。……から……無理です」

「……か?」

「違います!」


 少女の方は、やはりどこか聞いたことがあるような。しかし、何かが決定的に違う気がする。


「……じゃあ?」

「……の迷惑に……なり……」

「そんなこと、心配しなくていいよ」


 突然、クラウス様の声だけが明瞭になった。氷のような声は相変わらずなのに、どこか優しく、柔らかく響く。


「大丈夫だ。今までだって、バレたことないだろう?」

「でも……」


 迷うような少女の声。それがふいにやんで、温かく誠実な言葉が紡がれた。


「……もしもの時は、俺が必ず守る」


 中性的な美声による優しすぎる言葉に、少女は何も言わなかった。そして、本来関係な僕まで絶句する。

 あの冷たい印象のクラウス様が!あんなに優しい言葉を!しかも、声だけなのに格好いいし!天は二物も三物もクラウス様に与えまくったらしい。

 というか、これ逢引では?他人のいちゃつきなんか聞きたくなかった。

 ガックリしながらそっとその場を離れようとした時、


「貴様、そこで何をしている?」


 凍りつく。恐る恐る振り向くと、氷の彫刻のような美貌と、思わず後ずさりたくなるような迫力の持ち主が僕を睨んでいた。


「……クラウス様!」

「立ち聞きとはいい度胸だな。貴族の間ではそれが流行りなのか?」


 体の芯から凍りつきそうだ。切れ長の藍色の瞳をマトモに直視することができない。

 僕はサッと頭を下げた。


「すみません!トランプを探していて、たまたま……。聞くつもりはなかったんですが!」

「つまり、聞いたと?」


 クラウス様の目に冷たい怒りと焦燥が滲む。しかも見事なまでに無表情かつこの美貌なので、ものすごく怖い。今すぐ逃げ出したい。


「すみません、本当にすみません!でも、内容はほとんど聞いてないですし、相手もわかりませんし」

「嘘だ」

「即答しなくでもいいじゃないですか!?本当に聞いてないんですよ!」

「信用できない」

「どうしてですか!?」

「誰だろうと聞いてないと言うからだ」

「…………」


 春にしては冷たい風が吹き、クラウス様の艶やかな栗色の髪がふわりと波打った。氷雪色の双眸は、少しも揺らぐことはない。

 ガタガタ震えながら次の言葉を待っていると、クラウス様は目を伏せた。


「……まあいい。信じることにしておこう。その代わり……一言でも無駄なことを言ったら容赦はしない。首の一つは覚悟しておけ」


 氷のような声に思わず総毛だった。首は一つしかないよ、殺されるよ。


「あ、ありがとうございます」


 噛みながら答える。情けない。情けなさすぎる。穴があったら入りたい。


「礼を言われるようなことはしていない。……そういえば、トランプがどうのと言ったな」

「ひぃっ!はははいっ!そうです、ごめんなさい!」

「これのことじゃないか?」


 差し出されたのは、金髪の美しい少女が描かれたハートのクイーンと、白髭に王冠のクラブのキングのカードだった。


「ああっ!それですそれ!」

「そうか。こっちに移動してくる途中、落ちていたのだが、随分と綺麗な絵だったから拾っておいた」

「ありがとうございます!」


 ほっと胸をなでおろす。これで、残るは後一枚。本当によかった。

 トランプをそっとしまう僕に、クラウス様は怪訝そうに、


「そんなに大切なものなのか?」

「ええ。……じ、実は、シャルキットのトランプで」


 クラウス様の目が軽く見開かられた。


「ということは、リラのか。……国宝もののトランプをどうしたら庭にばらまくことになるんだ……あの馬鹿……」

「……はは……」


 本当は僕のせいですけどね。リラ様ごめんなさい。

 クラウス様は呆れたように溜息をついた後、表情を消した。引き結んだ唇が、静かに動く。


「……以前会った時、お前の髪と目のことを聞いたが、悪かったな」

「……え?」


 予想外の言葉に思わず聞き返してしまう。クラウス様の表情には何の変化もなく、かなりわかりにくい。謝っていると気づくのに時間がかかった。

 しかし、何故?


「あの、謝ることではないです。僕が黒髪で黒い目なのは事実ですし、そもそもクラウス様は悪いことはしていません」

「だが、あの時具合が悪そうに……」

「関係ありません」


 クラウス様の目を見て、はっきりと言いきった。そう、関係ない。クラウス様が気にするようなことじゃない。

 あれくらいでぐらつくようじゃ、駄目だから。駄目な僕が悪いから。

 僕は自然な笑みを浮かべて、


「少し立ち眩みがしただけです。心配させてすみませんでした」


 クラウス様は何か言おうとして口を開き、うつむいた。栗色の髪がさらりと流れ落ちる。


「気にしてないなら、いい。昔からどんな顔をすればいいかわからなくて、無表情になってしまうから、傷つけたかもしれないと思ったが」

「そんなことないです」

「嘘つくな。鏡がなくてもそれくらいわかるぞ」


 うっと言葉に詰まってしまった。確かに、クラウス様の表情筋は全く仕事をしていない。感情の欠片も見当たらないほどに。

 僕が対応に困ったせいか、クラウス様は微かに苦笑を浮かべていった。


「お前みたいに、上手く笑えたらいいのだけどな」

「僕は上手くは笑えません。それに、クラウス様だって、今苦笑してます」

「ちょっとだろ」

「まあ、確かに」

「……やっぱり、表情を作るのは難しいものだな」


 僕は無言で通した。是とも非とも言わずに。

 僕は、どちらでもあるし、どちらでもないから。

 ただ、いつも通りの愛想笑いを浮かべて、


「クラウス様は今のままでもいいと思いますよ」


 ゆっくりと言った。

 クラウス様はわからないとでも言うように首を傾げる。やや不満げなのは気のせいだろうか。


「待たせてる人がいるから、俺はもう行く。……念の為に言っておくが、絶対に言うなよ」

「……わ、わかりました」


 僕が頷くと、素早く踵を返す。それから、少しだけ低い声で、


「……リラを頼む」


 ひとりごとのように呟いて、去って行った。

 リラ様を頼む、か。

 幼稚で考えなしだけど、憎めない王女。温かな笑顔と、優しく澄んだ歌声が思い浮かぶ。

 クラウス様も、リラ様のことを義理の妹として大切に思っているのかもしれない。


「頑張って頼まれてみます。……仕事ぶんは」


 誰にも届かない答えを返すと、僕を呼ぶ声が聞こえた。

 長い銀髪を風に乱し、手を振りながら駆けてくる。細く華奢な指にはカードがしっかりと挟まれていた。

 一生懸命走ってくる姿に、思わずくすりと笑った。

 これで一件落着、だろうか。




 少女は一人、ワイングラスを傾けていた。薄暗い部屋で、艶やかな笑みを浮かべながら。

 自分の力は、まだ完全ではない。けれどそれを待つ猶予も、少女にはなかった。

 陶器のように白く細すぎる指を伸ばし、ゆっくりと髪飾りを手に取る。そして、艶やかな髪に少し乱暴に挿した。

 少女の瞳が憂いに染まる。

 何年も彼と離れ離れだった。彼を縛り付けるには、ああするしかなかったから。

 彼と会えないことが、どれほど辛かったか。

 誰よりも愛しい人。

 その声を、その笑顔を、その仕草を、その髪と瞳を、誰よりも愛している。彼の全ては、彼女のものだった。

 少女にとって、彼の存在が全てだった。

 けれど、あいつが幸せを奪った。彼と自分の幸せを。

 あいつのせいで、少女は一度全てを壊さなければならなくなったのだ。大切な彼を、どれほど傷つけることになっても。

 少女は、時を待った。待って、待って、待って。

 そして、ついにこの時が来た。

 時を待ち続けた少女にとって、これから始まる計画ストーリーは、どこまでも邪悪で甘美なものだった。

 赤い唇がそっと開く。

「待っててね……。すぐに迎えに行くから。あたしの綺麗な部屋で……一緒に遊んで……一緒に過ごして……」

 少女の華奢な手が天井に向かってのばされ、ゆっくりと握りしめられる。空気が甘く揺らぎ、少女はにっこりと笑った。

「……そうしたらね。もう二度と、外には出してあげないから」

 ゆらゆら、ゆらり。紫の霧が、闇の中で揺らめく。


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