表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/118

和解

「……といっても……ホント……どうしよう……」


 僕は自室で項垂れていた。

 あれから一週間。僕は怪我を理由に部屋にこもり、一度も外に出ていない。

 リラ様や事情を知らない召使の人達はやってきたが、他には誰にも会っていない。

 一度何の気まぐれを起こしたのか、ステラ姉さんが遊びに来たが、どうにか追い返すことに成功している。

 部屋にこもっていたら駄目だ。何度リラ様に諭されたかわからない。

 僕だってわかっているのだ。もう逃げないと決めたのだから。

 けれど、部屋から出て、何をすれば良い。どうしたらいいんだ。

 脳裏に、彫刻めいた美貌の青年の姿が浮かび、胸に重く痛みがはしる。

 どこをどう探したって、クラウス様に合わせる顔なんか見つからない。見つかるわけがない。

 襲撃の後のことはよく知らないが、リラ様がどうにかしてくれたらしい。襲ってきた奴らは全員瀕死で今も意識不明だが、クラウス様とソフィアは大丈夫だそうだ。

 でも、そんなの運が良かっただけだ。

 謝る?……今更、どの面下げて謝るんだよ。

 合わなければ良いだろうが、外に出てしまえばそうもいかなくなる。

 このままでは駄目だとわかっていても、何も変えられない。

 一歩すら、踏み出すことができない。

 これが、今の限界だった。




 しかし、ずっと部屋にこもっていても、結局は死ぬほど暇だった。

 リラ様は気を使ってか、やれトランプだ、すごろくだと押しかけてはこない。ありがたいが、やっぱり暇には違いない。

 たいして読みたい本もないし、眠ろうとしても一向に眠れない。眠れたとしても、悪夢が蘇りそうで怖かった。

 暇なのは良いことだ。平和が一番いい。あの時死んでいたら、暇だなんて思えなかったのだから。

 けれど、罪悪感が片時も頭を離れず、ふとした折に胸が痛む。息が詰まりそうだ。

 溜息をついて、手元にあったペンを弄ぶ。くるくると回していると、力の入れ方を誤りバキッと折れた。


「………………………………はあ」


 またやってしまった。何でこんなに不器用なんだよ。

 昔から途方もなく不器用で、特に剣は酷かった。持ち手を折ったり、何故か自分を斬ったり、ちょっと振っただけなのに刃こぼれしたり。ステラ姉さんの剣を折った時には、半日ほど怒鳴られた。

 最近はそういうこともなかったので油断していた。溜息を吐きながら新しいペンを探していると、テーブルに小さな紙切れが落ちているのが目に入った。いつからだろう。

 何気なくひっくり返すと、


『池の前まで』


 適当な走り書きで綴られている。乱雑なのにパッと見は綺麗なのがすごい。宛名はないが、リラ様だろう。

 池の前まで来いということか。何故?というか、いつ?

 まあ、考えても仕方ない。ちょうど暇だったし、散歩くらい大丈夫だろう。他の人に見つからないようにすれば。ところどころ体が痛むが、歩くのには全く問題ない。

 締め切ったカーテンを少し引くと、眩い光がこぼれて暗い部屋を照らす。思わず目を細めた。

 やっぱり、眩しすぎる光は、少し苦手だ。




 サクサクと草を踏みしめて歩く。久しぶりの感覚だ。

 いつの間にか空気も冷え、枯れ葉が舞っている。鮮やかな青空にさえ、どこか秋の哀愁があった。

 今のところ誰にも会っていない。そのことにほっとして、すぐさま嫌悪感が湧く。

 結局、逃げている。

 逃げていた年月が長すぎた。そうそう変えられるものではないだろう。ましてや、僕なんかが。

 それでも、ほんの少しでも良いから、変わりたい。

 心の中で呟くと、池のすぐ傍まで来ていた。リラ様を探す。すると、


「……えっ!?」


 今、一番会いたくなかった人がそこにいた。

 鮮やかな栗色の髪が風になびく。装飾の少ない藍色の長衣を纏い、冷めた無表情で水面を眺めている。

 何でクラウス様がここに?ていうかリラ様は?

 もしかして、仕組まれた?

 いや、それ以前にここにいては駄目だ。絶対に。

 クラウス様が気がつかないうちに逃げなくては。

 逃げる?一体どこに。いつまで。

 僕はまた、逃げようとした?

 自分自身に動揺した時、


「何で、お前がここに……?」


 冷やかで中性的な声がした。

 クラウス様が、水面ではなく僕に目を向けていた。その顔には驚きと、僅かに恐怖が見える。僕と目があった瞬間、サッと目を伏せた。

 僕のせいだとわかっていても、胸が痛んだ。


「えっと、その……人に、呼ばれて」

「……そう、か」


 重い沈黙が降りる。

 手足が石になってしまったように動かない。何か言わなければと焦るほど、何一つ言葉が出てこなくなる。愛想笑いすら、できない。

 どのくらいの間、そうしていただろう。

 先に動いたのはクラウス様の方だった。

 目を逸らしたまま、身を翻し去っていく。無造作に縛った髪を躍らせ、ゆっくりと。

 行ってしまう。

 自業自得。それが当たり前だ。覚悟していたはずだ。

 それなのに、酷く哀しい。

 手足が千切られたような錯覚に襲われる。呼吸が上手くできない。

 仕方ない。逃げ続けた罰だ。やっぱり遅かった、ただそれだけのこと。

 もう諦めよう。


『でもね、人間、いつでもやり直せるんだよ』


 耳元で、リラ様が囁いたようだった。

 優しく微笑みながら、温かな声で告げられた言葉。

 逃げ続けたって何も変わらない。自分を追い込むだけ。

 わかっているのに、わかっていたつもりなのに、本当は何も理解していなかった。

 これ以上逃げて何になる。決めたんだろう。本当に強くなりたいと。変わりたいと。

 もう一度、大切な人を守るために。

 だったら、逃げるな。

 だいぶ遠くへ行ってしまった。けれど、まだその背中は見える。僕は息を吸い込んだ。


「クラウス様っ!待ってくださいっっ!」


 大声で叫んだ。

 途端、クラウス様が駆け出したのが見えた。

 距離はあるが、僕の方が速い。確実に追いつける。

 走り出すと、冷たい風が傷口に沁みた。それを気にせず風を切って進む。

 それなりに距離が縮んできたところで、振り返ったクラウス様と目があった。向こうが怯えた顔をする。

 傷つかないわけがない。けれど、傷つく資格も暇もない。ただひたすらに追いかけ、捉えた。

 風圧で舞い上がる髪を掴み、軽く引っ張る。


「なっ……」


 クラウス様が顔を歪め、バランスを崩す。また力の加減を間違えた。その結果、転ばせてしまった。


「す、すみません!決してわざとではないんです!本当に!」


 謝りながら助けようとすると、その前にクラウス様が自力で立ち上がる。


「……わかっている」


 長衣についた汚れを払いながら、いつもより低い声で呟く。目を逸らしたまま。


「……すまない。何か用があったのか」

「え、えっと、それは……」


 口ごもる。その先を言うのが怖くて、言葉が続かない。

 でも、逃げないって決めた。なら、言うべきことはちゃんと言え。

 深呼吸を一つ。それから、全力で頭を下げた。


「すみませんでした」


 いつもいつも、謝ってばかりだ。そのせいで安っぽくなってしまうかもしれないけれど、僕のボキャブラリーは多くない。

 だからせめて、気持ちだけでも伝えたい。


「……あの日、クラウス様達に暴力をふるって、本当にすみませんでした」

「……意識、あったのか」


 冷たい声に、思わず逃げそうになる。でも、逃げない。今度こそ、絶対に。


「ほとんどなかったけれど、覚えては、います。多分に重人格みたいなもので……でも、僕です」


 足が震える。

 それでも、真っ直ぐ前を見据える。それしか方法はないから。


「……全部、僕がやったことです。取り返しのつかないことをしたと思っています。もっと早く言うべきだったのに、言えなかった。怖かったから」


 楽して強くなれるわけがなかったんだ。

 そんな、簡単なことに気づくのに、何年も遠まわりしてしまった。本当に馬鹿みたいだ。

 でも、きっと、今更なんかじゃない。

 彼女の言った言葉を信じて、前を向く。

 未来を見据える。


「クラウス様達に知られるのが、怖かったんです。嫌われたり、怖がられたりするのが。だから……、何年も逃げてた」


 これは、逃げ続けてきた代償のほんの一部でしかない。

 クラウス様の目が大きく揺れる。


「だから、許してくれとは言いません。……そんなこと言う権利、ありませんから。でも、謝らせてください」


 スッと頭を下げる。視界からクラウス様が消える。


「裏切って、本当にごめんなさい。……それと、友達になってくれて、ありがとうございました」


 ああ、やっと。

 一歩、前に進めた。

 逃げなかった。ちゃんと言えた。……ほんの少しだけだけれど、変われたじゃないか。

 これでいい。充分だ。

 うつむいたまま立ち去ろうとした時、僕の肩を弱々しく掴んだ。


「……待て」


 驚いて顔を上げると、クラウス様が戸惑った顔をして僕を見ていた。

 いつもと変わらない美貌。けれど、氷のような無表情でも、皇子らしい優しい笑顔でもない。

 どこにでもいるような、普通の人の表情だった。


「……確かに、俺はお前が怖かった……いや、怖い。今もだ。あの時のことも信じられないし、整理がつかない」


 紡がれる言葉が痛烈に突き刺さる。クラウス様らしからぬひび割れた声の痛ましさが、余計に胸を抉る。逸らされる視線や、青ざめた顔も。

 けれど、それは当然なのだ。


「わかっています。今、ここから立ち去った方がいいならすぐに……」

「それは違う」


 怒ったような、強い遮りに目を見張る。しかし、クラウス様自身も驚いたようで、


「……それは、違う。違うんだ、違う」


 と、酷く歯切れが悪い。言葉が迷子になってしまったかのように、苦渋に満ちた顔をする。


「……多分俺は、悔しいんだ」

「え?」


 思わず聞き返す。


「悔しいって……どういう……」

「お前を怖いと思うことが。情けないし、自分に腹が立つ。どれだけ驕り高ぶっていたのか、思い知らされた」

「そんなこと」

「俺は驕っていた。それだけは間違いない。……確かにお前はおかしい。どう見たって狂ってる」


 はっきりと告げられた言葉に、胸が引き絞られるように痛む。聞きたくない、逃げたい、嫌だ。……違う、聞くんだ。

 自分を奮い立たせ、唇を噛みしめる。力を入れすぎたのか、血の味が舌先に滲んだ。

 でも、と、クラウス様が続ける。


「……割りきれないんだよ。お前が怖いはずなのに、お前を憎めない。恋人だって怪我をしたのにだ」


 おかしいだろと、クラウス様が苦笑いする。冷たく乾いた風が、艶々した栗色の長髪を揺らす。


「自分でも持て余している。……けどな、許すも何もない」


 クラウス様がスッと手を差し出す。


「お前にやられたことは客観的に見ても酷いが、俺は酷いと思えないらしい。だから、おあいこってことで、どうだ」


 息を飲む。

 言葉の意味を理解した途端、全身の力が抜け、へなへなと座り込んでしまった。


「大丈夫か?」

「あー……えっと……」


 驚き過ぎて言葉にならない。リラ様といい、簡単に許しすぎだ。……優しすぎる。

 きっと、恵まれているんだ。今まで気が付かなかっただけで。


「本当に……いいんですか?」

「いいも何も……」


 何かを言いかけ、しかし口を閉ざす。少しの間迷うように目を伏せたが、ぶっきらぼうに、


「……仕方ないだろ。ほら、行くぞ」


 藍色の上着を翻す。

 口調が素っ気ないわりに、端麗な横顔は優しい。

 死にたくなるほど間違い続きの人生を、少しは変えられただろうか。

 今度こそ、本当の意味での強さを手に入れられるだろうか。

 僕がしたことは最低だ。最低最悪の裏切り。

 それなのに、リラ様もクラウス様も優しい。

 もしかしたら、本当に変えられるかもしれない。罪滅ぼしができるかもしれない。

 色々なことに胸が詰まって、泣きそうになる。

 おかしい。何年も泣いていなかったはずなのに。涙なんてとっくに枯れ果てたと思っていたのに、最近泣きすぎだ。

 どちらかといえば、『弱虫』じゃなくて『泣き虫』なんじゃないか?

 そんなことを考えながら、クラウス様の後ろをついて歩いていた時、


「ソフィア……?」


 クラウス様が呟く。

 振り向くと、確かにソフィアがいた。

 いつものメイド服ではない。黒いレースを幾重にも重ねた高価そうなドレスを身に纏い、サイドテールにしている金髪をほどいて背中に垂らしている。うちの馬鹿師匠と対決した時の恰好だ。

 木の陰に隠れていたが、僕らが見ていることに気がつくと、くるりと背を向け走っていく。


「あ……」


 思わず、声が漏れた。

 緩んでいた口元が強張り、全身に冷水を浴びせられたような悪寒が走る。胸が不快にざわめいた。

 一瞬、目が合った。


「すまない。あいつはもともと、貴族が大嫌いだから、お前のことも少し苦手なんだ。それに加え、あんなことがあって、俺以上に怖がっているんだと思う。俺からも言っておくから、どうか嫌わないでほしい。……無理なことを言っているのはわかっているが」


 ソフィアが去っていった方向を呆然と見つめる僕に、クラウス様が申し訳なさそうに言う。


「……いいえ。もともと僕のせいですから」

「本当に悪い。……しかし、あいつは意固地なところがあるし、相当時間がかかるだろうな……」


 クラウス様が疲れたように溜息を吐く。

 全身が冷たいのは、強くなってきた風のせいではない。不規則に刻まれる心音も、嫌な汗も引かず、胃をかきまわされるような錯覚に陥る。込み上げてくる吐き気を、うつむいて堪える。


「大丈夫か?顔色が悪いが……」

「大丈夫です……」


 ぼそぼそと答え、いつも通りへらりと笑ってみせる。これくらいの些細なことなら、嘘には入らないはずだ。


「本当か?やっぱりソフィアが……」

「大丈夫です。本当に何でもありませんから」


 笑顔を見せつつも、脳裏にソフィアの目がちらつく。

 眩いほど輝く金色の前髪から覗く青い瞳。血の気のない頬と、引き結んだ唇。項垂れることなく伸びた背筋と、優雅な立ち姿。

 その全てに、ゾッとした。

 目があった刹那、彼女が抱いた感情はクラウス様が言うような恐怖ではない。もちろん楽しげでもないし、いつも通りの攻撃的な眼差しとも違う。

 激しい憎悪。

 それは怒りに淀み、けれど壮絶な覚悟故、純粋に見えた。

 今まで誰にも向けられたことのないような殺意と憎しみ。何もかも、全てを破壊しなければ治まらないような。

 あの感情を、僕は知っている。

 向けられたことのない感情。……けれど、僕はそれを他人にぶつけた。だから、知らないわけがない。

 

 ソフィアの憎悪は、『化け物』の時の僕の感情と、気味が悪いほどに酷似していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ