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『化け物』は顧みない

「……リラ!?」


 クラウスは思わず叫んでいた。

 ようやく我に返ったのも束の間、ゾッとするあまり凍りつきそうになる。それでも、何とか無表情に切り替えることで耐えた。

 月光を集めて絹糸に混ぜたような髪が滅茶苦茶に乱れ、引き結んだ唇から細く血が流れ出ている。ほっそりした白い首からもわずかではあるが血が流れ、破けてボロボロになったドレスは変色していた。今にも倒れそうなほど真っ青で、足取りもおぼつかない。

 しかし、表情には決然とした何かが浮かび、目にも強い光が宿っている。

 そこに、クラウスのような恐怖や絶望は、微塵も感じられなかった。

 痛々しい様子にもかかわらず、内側からにじみ出る強すぎる何かに圧倒される。神々しくさえあった。

 けれど、その強さも美しさも、人間から離れてしまっている彼には潰されるだけだ。もうハルには、誰の声も届かないだろう。

 にも関わらず、辛そうにしながら、ゆっくりと近寄っていく。

 ハルが嗤い止む。虚無の広がった目が、リラを見た。

 焦点のあっていない真っ暗な目と、青空のように澄みきった瞳が合う。

 空気が圧迫される。息を吸うのすら難しいほどに。

 リラが目を細め、困ったように、けれど優しく微笑んだ。そうして、慈愛のこもった声で彼の名を呼ぶ。


「ハル」


 光のない目が一瞬、ほんの一瞬だけ、揺れたような気がした。血濡れた手が、そろそろと上がっていく。リラに向かって手を伸ばす。

 『化け物』としか言いようのなかったハルが、人間の、いつもの自分に戻ろうとする。

 その時、ハルの目が自分の手を見た。赤黒く汚れた手を。

 今まで暗い愉悦と、狂気、憎悪や破壊衝動しか浮かばなかった顔に、はっきりと絶望がはしった。

 動きが止まり、ガクリと人形のように下を向く。その拍子に髪の先から、紅い血がポタポタと滴り落ちた。

 ハルは固まったまま動かない。だが、それに不安と恐怖を感じた。

 絶望したような表情は普段のハル自身の素顔に見えた。

 だからこそ、危ない気がする。今度こそ本当に、戻って来れなくなってしまうような。

 それに、時間もない。またすぐに人がやってくるはずだ。今よりも多くの。

 今のこの状況は、多くの人の目に王女を殺そうとしている『化け物』と映るだろう。例え事実が違うとしても。そうなってしまっては、クラウスの権力を使っても揉み消すことはできない。

 クラウスは恐怖を頭の隅に追いやり、リラを見た。リラは怯えるでも、不安がるでもなく、ただ静かにハルを見守っている。

 危険だが、逆に言えば今しかない。

 後悔したくなければ、あのクソ王のように芯から冷徹な人間になりたくなければ、今しかない。

 クラウスは覚悟を決めて落とした剣を拾った。一歩踏み出す。

 その時、ハルが顔を上げた。

 一歩踏み出した足を思わずひっこめる。ドクドクと心臓が脈打つのが聞こえる。

 ハルは元に戻っていなかった。むしろ、更に遠く、沈んでいってしまったように思えた。


「ク、クラウス様……」


 怯えたようにソフィアが服の裾を掴んでくる。

 駄目だ。本能が叫ぶ。

 闇に押しつぶされた少年が、もはや人間ではない存在が、全てを壊しに来る。

 結局クラウスは何もできない。

 いつも完璧であろうとし、他人に距離を置いて冷たく振舞い、絶対に隙を見せないようにしてきた。無駄な完璧主義。全ては、王への嫌悪感からの行動だった。

 それなのに、このザマか。


「……くっ……リラ!今……」

「来ないで」


 決然とした眼差しで拒絶された。強く。

 あまりのことに理解が追いつかない。


「なっ……馬鹿か貴様は!わかるだろ!?今のそいつは危険なんだっ」

「じゃあ、ハルを見捨てて、逃げろと?」


 リラの言葉が胸に突き刺さった。

 非難しているわけでも、強がっているわけでもない。ただ淡々と、静かな眼差しで問いかけられる。

 その事実が、余計に傷を抉った。


「そうして、『化け物』扱いするの?……裏切るの?」

「リラ様!何を言っているのです!こいつはもう……!」


 ソフィアが甲高い声で叫ぶ。

 それが、合図だったように。

 上から押し潰されるような、物凄い圧力を感じた。部屋が、熱を含んだ冷気で満たされる。

 ハルが唇を少し吊り上げ、歪な笑みを作る。ゆらりと右手が動いた。


「これ以上好き勝手させてたまるか!」


 ソフィアが叫び、トンと床を蹴って飛翔する。大量のナイフを一瞬にして空中にばら撒く。

 ハルの目が刃の雨と、それらを放つソフィアを捉える。


「やめろ!」

「やめてっ!」


 クラウスの叫びとリラの悲鳴が重なる。

 大量のナイフが降り注ぐ。普通なら避けきれない量だ。

 しかし、ハルがふらふらと不規則な動きで軽々とかわしていく。正気の時から、ソフィアの攻撃を回避しているハルだ。簡単だろう。ソフィアが敵うわけがない。

 負ける。

 最悪の場合、死ぬ。


「クソッ!」


 ソフィアに気を取られている隙に背後に回り込む。そのままのスピードで、剣を振り下ろす。手加減する余裕なんてない。そもそも、ハルに勝てるわけがない。

 最悪だ。人生で一番かもしれないくらいに。

 どうしてこんなことになった。どうして、友人に剣を向けなければいけないんだ。

 最悪な状況。自分のしていることがどれだけ酷いことか、わかっている。

 だから、


「クラウス!ソフィアも!お願いやめてっ。ハルッッ!」


 そんなに哀しそうな声を聞かせないでくれ。

 剣が真っ直ぐハルを狙う。しかしその刹那、対象物が消えた。


「え?」


 スカッと剣が空振りする。辺りを確認するも、見当たらない。一体どこにいる?


「クラウス様っ!後ろっっ!」


 振り向こうとした瞬間、背中に凄まじい衝撃が走った。そのまま体をくの字に折って倒れこむ。


「クラウス様!」


 たかが一発。武器だって使っていない。

 それなのに、この威力は、何だ。

 体の中が破壊される。立てない。視界がグラグラと揺れて定まらない。吐きそう。どこが痛いのかさえ分からない。苦しい痛い。壊れる。壊される。

 思考回路が滅茶苦茶に乱れる。激痛でまともに考えられない。

 情けない。


「クラウス様!……こんの、よくもおおおっっ!」


 ソフィアがナイフを持って直接襲いかかる。

 駄目だ。来るな。でももう、力が入らない。意識を保っているのが精一杯で。声が出ない。

 止められない。


「ソフィア!駄目!」


 ソフィアがナイフを放つ。ハルがかわしたと同時にもう一撃。これも軽くかわす。

 最後とばかりに、至近距離でソフィアがナイフを持った手を振り上げる。

 が、ハルがその腕を掴んだ。そのまま片手で引きずり上げる。

 いくらソフィアが子供のように小さいとはいえ、男にしては細すぎるハルが簡単にやってのけるのは、異常すぎた。

 ソフィアの顔が青ざめていく。恐怖でいっぱいの目が、すがるようにがクラウスに向けられた。


「……かはっ……ふぃあ……」


 ろくに言葉になっていない。助けたいのに、もう指の一本も動かせなくなってしまった。

 やめろ。やめろよ、ハル。

 何でこんなことをするんだよ。何がしたいんだよ。

 お前は『化け物』なのか?違うだろ?違うと言ってくれ。違うなら、ソフィアを傷つけないでくれ。やめろ。俺はどうなっても良いから。破壊衝動が収まらないなら、お前を見捨てようとした、お前を『化け物』扱いした俺を殺してくれよ。それで終わりにしてくれ。

 言いたいことは山ほどあるのに、伝える手段がない。何て無力なんだろう。

 たった一人の恋人も、友人も、救えない。


「クラウス様……」


 ハルが上を向く。真っ暗な瞳が虚空を睨む。ソフィアの腕を掴んでいない方の手に力が入ったのが見えた。

 何をする気だ。やめろ。本当に、本当にそれだけは、ソフィアだけはやめてくれ。頼むから。

 ソフィアの顔がくしゃりと歪んだ。

 ハルの左手がゆっくりと上がっていく。

 ああ、もう、絶望しか見えない。

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