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『弱虫』と『化け物』

「よぉ、覚悟はできてんだろーなぁ?」


 重そうなチェインメイルに身を包み、大男(名前は知らない)はニヤリと笑った。鍛えられた腕をやたらと振りまわして威嚇し、右手で棍棒を握りしめている。

 さっきから冷や汗が止まらない僕は、


「で……できてないです……」


 抗議の声すらしぼんでしまう。

 周りでは彼の家来や取り巻きがワイワイやっていた。


「さっすがバルク様!貫録が違うなあ!」

「あの棍棒を持つ姿、何と神々しいことか」

「それに比べてあの子、武芸は駄目っぽいな」

「そうね。それを考えると、あの子可哀想。ボロボロになっちゃうわ」


 僕はかなりボロクソに言われていた。一方、バルクさんとやらははやし立てられている。まあ、当たり前だけど。

 うっかり僕がぶつかった後、バルクさんは因縁をつけて僕を引きずっていき、人を集め、勝負をすると宣言した。

 僕の抗議は受け入れてもらえず、甲冑と安物の使えない剣を持たせられた。

 僕が戦えるなんて、誰も思いやしないだろう。僕が彼らだったらそう思うし。

 暗い気持ちで自分の手のひらに目を落とす。一瞬視界が明滅して、赤黒い血の色に染まった。

 もう、同じ過ちは繰り返したくない。辛いも思いもしたくない。だから封印したんだ。

 ここで、それらを水の泡にするわけにはいかない。

 覚悟を決めて僕はバルクさんの巨体を見据える。


「何だよ、その目つきは。オレ様に勝負を挑むってか?」


 そもそも喧嘩を売ってきたのはあなたですと言いたいところだったが、必死に抑えて、僕は愛想笑いを浮かべた。


「いいえ、お断りします。僕はこの通り武芸のたしなみはありません。ただの貴族です。剣も苦手ですし、賠償金なら払いますので、どうかご勘弁を」


 僕がどれほどの嘘を織り交ぜつつ話したか、この大男には見抜けないだろう。しかし、剣が苦手なのは本当のことだ。

 しかし、周りのざわめきの中、バルクさんはニヤリとした。


「じゃあ、剣を捨てろ」

「はあ?」

「剣を捨てろって言ってんだよ。苦手なんだろう?この上なくオレは親切だからなあ」


 だらしなく口元を緩めて笑うバルクさんの言葉に、僕はギョッとした。

 剣を捨てろというのは、色々な意味で自殺行為だ。

 しかし、剣を捨てろという声はやまない。


「おい、ガキ!バルク様の親切なお言葉に従えないのか!」

「そうだっ!さっさと捨てろ!」

「本当は剣も持てないのに、不安でしょうがないから持ってんじゃないのか~!?」

「ちょっと、それは可哀そうよ」

「黙っとけ。……とにかく、あのガキは駄目だな。完全なる『弱虫』なお子様だ」


 『弱虫』。

 『弱虫』な、僕。何の力もない、誰も守れない愚かな子供だと嘲笑う声がよみがえる。

 理性と臆病な心が、珍しく揺れる。手が震えるのを隠すので精一杯だった。

 そんな僕の様子に気づく様子もなく、バルクさんは取り巻きの言葉に嬉しそうに笑い、棍棒を一振り。


「見てろよお前ら!こんな『弱虫』のガキごとき、オレが片付けてやらぁ!」


 野獣のように吠える彼が言った『弱虫』という単語に、体中の血が沸騰した。ふつりと理性が切れる。

 うるさいんだよ、くそったれ。

 使い物にならない重い剣を勢いよく投げ捨てる。

 バルクさんやその取り巻きたちの笑い声がやみ、僕に視線が集まる。


「……僕に剣を捨てさせたのはあんた達だからな」


 僕の口調も態度もガラリと変わったからだろう。この場にいた全員が一瞬固まり、笑いだした。


「聞いたかお前ら!」

「本当ですねえっ!あははははっ!」

「身の程知らずもいいところだ!」

「うるさい」


 パキリと指を鳴らす。久しぶりの感覚だった。だいぶ身体がなまっているのがわかる。


「僕が弱そうに見えたから、鬱憤晴らしに連れてきたんでしょう?」

「な……!」

「悪いけど、僕はあんたが思うほどは弱くないと思うよ」


 淡々と言うと、相手は顔を歪めて怒鳴った。


「ふざけるな!そんなに言うなら試してやるよ!」


 手にしていた棍棒を振り上げると、僕の顔めがけて一直線に叩きつける。

ああ、鈍いな。とても鈍い。

 大男を避けると体を半回転させ、ふりむきざまに鳩尾に蹴りを入れる。足に伝わる生身の人間の、肉と骨の感触。

 大男の体が吹っ飛び、塀に頭をぶつけて伸びてしまった。その手から離れた棍棒が転がっていく。周りで悲鳴とどよめきが上がる。


「う、嘘だろ!バルク様が……」

「無事なのっ!?」

「ば……『化け物』だ!」


 取り巻きたちの言葉を聞くにつれ、怒りがスーッと引いていく。後には後悔と恐怖が残るだけ。

『化け物』じゃない。

違う、僕はそんなつもりじゃない。

 頭の中にマイナスの単語がぐるぐると渦巻き、冷や汗が滝のように流れていく。

 非常にマズイ。怒りにまかせて蹴り飛ばしちゃったけど、相手はそれなりに偉そうだし。そうじゃなくたって、僕はもう、二度とヒトを傷つけるつもりはなかったのに。

 じりじりと後退する。逃げなきゃ、早く。


「……す、すみませんでした!」


 呆然とする人達に背を向け、全力で走り去った。




 部屋にとびこむや否や、僕は扉を閉めて鍵をかけ、部屋の隅にあるベッドに転がり込んだ。震える手で毛布を手繰り寄せ、体に巻きつけて縮こまる。

 部屋に入ってくる光すら怖くて、しかしカーテンを引く勇気もない。我ながらどうしようもない。

 『弱虫』という言葉が引き金になって、何年も引きこもっていたはずなのに、体が勝手に動いていた。あれほどもう争い事には関わらないと決めていたのに。

 後悔しても繰り返して。

 『弱虫』という言葉が、僕ほど似合う人間はいないだろう。

 剣も槍も駄目。どうしようもなく不器用で、取り柄もない僕は、唯一体術の才能だけはあった。不必要なほどに。

 貴族のくせにそっち方面はからっきし、社交性も根性もない。ついでに友達もいない。

 けど、何故か戦うことだけは得意だった。

 ある人から技術を教わってからというもの、『弱虫』と呼ばれることもなくなった。

 それはそうだろうと、今ならわかる。両手を血で染め、骨を砕く子供に『弱虫』なんて言えるはずがない。

 次第に多くの人からうとまれるようになり、並外れた体術と黒髪・黒目という異国的な容姿も相まって、いつしか『化け物』と恐れられるようになっていた。

 でも、それももう昔の話。

 二度と同じ過ちは繰り返さないと決めていたのに。


「……全然、変わっていないな」


 溜息と共に、自嘲するような笑みがこぼれる。

 もう、『弱虫』にも『化け物』にもなりたくないのに。

 彼女はもういない。僕が戦う理由も、生きる意味も、わからなくなってしまった。

 再び毛布を引き寄せようとした時、ドアをノックする音が聞こえた。

 今は人に会う気になれない。いないふりをしてしまおうとうつむく。

 しかし、ノックの音は止まない。それどころかだんだん乱暴になっていく。


「こらぁっ、ハル!帰ってきたのは知ってるわよ。ドアを開けなさいっ。無視するとたたき壊すわよ!」


 清らかな水のように澄み切った声が、怒ったような口調で叫ぶ。

 こんなときにリラ様の相手をするのは、かなり嫌だ。ただでさえへこんでいるのに、なけなしの精神力をねこそぎ奪われそうだ。

 けど、このままではドアが壊されてしまう。そうじゃなくても後から面倒なことになりそうだけど。

 しばらく考えた後、溜息をついた。

 仕方がない。

 毛布を払いのけ、ドアを開ける。目の前には、怒った顔をしたリラ様が仁王立ちしていた。


「やっと開けた!何で私を無視するの!」

「……すみませんでした」


 何か言うのも面倒で、取り合えず謝る。すると、リラ様はその青い瞳を見開いた。


「どうしたの?随分疲れてるみたいだけど」

「ええ……まあ。何でもないです。ところで、リラ様こそどうしたんですか?」


 さりげなく話を変えると、リラ様は目をつり上げた。


「ハルが逃げたせいで、本を片付けるのが大変だったのよ!」

「……そうですか」

「そうですかって何よ!普通、手伝ってくれるものでしょう?ソフィアが一緒にやってくれたからよかったけど、本当に大変だったんだから。ちょっとくらい反省したっていいんじゃない」


 リラ様は頬を膨らませて主張した。けど、僕は何も悪いことをしていないような。

 いつもなら皮肉を交えて反論するところだったけど、今日は言い返す気にもなれなかった。


「逃げてすみません……」


 僕がぼそぼそと謝ると、リラ様は目を丸くした。それから、心配そうな顔をする。


「ハル、本当にどうしたの?元気ないけど……」


 いつもは滅茶苦茶なことばかりの癖に、心配そうに覗き込んでくる瞳は優しかった。愛想笑いも苦笑いも浮かんでこない。

 やっぱり、この王女はズルイ。

 どうして、彼女に対しては誤魔化しがきかないんだろう。

 何も言えずうつむいていると、リラ様が僕の手を取って、椅子に座らせた。それから廊下に出て通りかかった召使いに何か言い、戻ってきて僕の前に腰かける。

 柔らかな白い手で僕の手をそっと包むと、ふんわりと微笑んだ。


「本当はね、ハルをしかる予定だったんだけど、やめるわ。疲れているのに怒ったら可哀想だもの」


 しかるって、僕は子供か。相変わらずなめられている。


「……疲れている時は、ハーブティーでも飲んで、美味しいものを食べて、ゆっくりするのがいいのよ。日向ぼっこをしながら読書なんて素敵だと思うけど、もし光が嫌なら、部屋の隅っこでぼーっとするのもいいし、眠っちゃうのも一つだよ。……悪夢を見そうで怖いのなら、私が傍にいてあげるわ」


 春風のように温かい声が、乾いた心にしみていく。

 油断すると、涙があふれてしまいそうだった。

 僕はやっぱり『弱虫』だから、何も言えずうつむくことしかできない。けど、リラ様はそんな僕を見守るように、優しい眼差しを向けたまま、静かに微笑んでいた。

 しばらく沈黙が続いていると、侍女がお茶とお茶菓子を銀色のお盆に載せて運んできた。因みに、ソフィアではなかった為これ以上落ち込むということはない。助かった。

 リラ様はティーポットからお茶を注ぎながら、


「カモミールティーよ。安らぐ効能があったはずだから、飲んでみてね。このスコーン、美味しそうね。ハルは、クリームとジャム、どっちが好き?」

「……クリーム、ですかね」


 ぼそぼそと答えると、リラ様はクリームを僕の方に押しやり、自分は苺ジャムを選んだ。

 ハーブティーのすっきりした香りと、スコーンの香ばしいバターの香りが漂う。

 その香りに、ほんの少しだけ、気持ちが高揚する。


「じゃあ、いただきましょうか」

「はい……」


 リラ様はスコーンを一口齧って、にっこりと笑った。


「美味しいわ。私、ジャムはやっぱり苺が好きなの」


 澄んだ声が、甘く耳に響く。

 僕は微かに頬が熱くなるのを感じながらハーブティーを口にする。苦くすっきりとした味が口いっぱいに広がる。しかし、リラ様の無邪気な笑顔が、ハーブティーの味をいとも簡単に変えてしまった。

 ……ズルイんだよ、この王女は。

 僕はリラ様と目を合わせず言った。


「砂糖入れたでしょう」


 途端に目を丸くして抗議する。


「入れてないわよ!紅茶ならまだしも、ハーブティーはそのままでいただくのが常識でしょう?」

「でも、甘いです」

「も、もしかして、味覚が変なんじゃない!?」


 慌てふためく様子はいつものリラ様だった。子供っぽい仕草に、微かに頬が緩む。

 クリームをつけたスコーンを齧ると、香ばしい香りと優しい甘さが広がった。

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