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血染めの少年は暗く嗤う

「クラウス様」


 斜め後ろから声をかけられたクラウスは、足を止め振り返る。途端、涼しげな無表情が崩れ、柔らかい笑みが浮かんだ。


「どうした、ソフィア。仕事は?」

「終わらせました。今は休憩時間です」


 言うと、ソフィアはぱたぱたと駆けよってきた。頭の横で一つにまとめた金髪が、動きに合わせて軽やかに揺れる。


「クラウス様は、これからどうされるんですか?」

「ああ……実は、ハルのところに行こうと思って」


 途端、ソフィアの目がつり上がり、唇の端がへの字に曲がった。


「あの野郎……じゃなかった、あのクソな方のところへですか」

「フォローになっていない」

「そうでしょうか?」


 相変わらず、ハルには厳しすぎる。いや、これでも最近はマシな方か。


「実は、まだハルはリラに会いに行っていないらしくてな……」

「ああ?あの野郎……」

「ナイフは投げるなよ」

「……はい」


 大人しく返事をしつつ、不満げに唇を尖らせる。人形のような愛らしい容姿と相まって、非常に幼げで可愛いが、困ったものだ。クラウスは溜息を吐く。


「今日は説得するつもりだ。もしそれでも駄目なら、引きずってでも連れて行く」

「お手伝いいたします」

「いや、いいよ。お前が手伝うととんでもないことになりそうだから」

「そんなことありませんよ」


 愛らしくにっこりする。が、ソフィアの場合、その種の「にっこり」は不吉以外の何物でもない。


「……本当に何もしなくていいから……」

「そうですか?」


 ソフィアは残念そうに肩を落とした。

 そんなにハルをいじめたいのか。

 周りの人間が暴走しやすいせいか、クラウスは何だか自分が平凡に思えてきた。絶対違うが。

 そういえば、今から向かうあいつも、一見平凡すぎて印象が薄くなりそうなほどフツーの少年貴族だが、全然普通じゃない奴だった。

 髪と目の色以外は極々普通、体格が華奢で背も平均より低め、癖の強すぎる姉のステラと比べれば有り得ないくらい普通だ。

 しかし、あの体格と貴族の称号には絶対的に当てはまらない体術のせいで、かなり非凡な存在になってしまっている。多分、自分よりよっぽど強い。そこらの兵士など簡単に蹴散らせるだろう。

 それと、時々妙な感じがするのだ。言葉では具体的に表せないが、どことなく変というか。

 まあ、気のせいかもしれないが。




 ソフィアと並んで向かっていると、悲鳴を上げながら逃げていくメイドとすれ違った。


「何だ?」

「さあ……。でも、ここからだと、リラ様かあの野郎の部屋の近く、ですよね」


 サッと嫌な予感が脳裏を過る。何かあったのだろうか。

 クラウスは表情を消した。


「行こう。心配だ」

「はい」


 こういう時、ソフィアは足が速いので、こちらがスピードを出しても問題ない。嬉しいことだが、普段の言動を考えると複雑だ。

 駆けていくと、リラの部屋につかないうちに二人は足を止めた。ソフィアが息を飲む。


「これは……!」


 男が仰向けに倒れていた。殴られ過ぎたせいで顔は血まみれになり、元がどんな風だったのかわからない。また、体には剣が刺さっていたが、急所から完全に外れた、普通に考えれば貫けない場所に刺さっていた。この傷と出血量では、おそらく死んでいるだろう。

 ソフィアの顔から血の気が引いた。クラウスも僅かに背筋が寒くなる。


「これは、どういうことでしょうか?」

「わからない。だが、これをやったのは……」

「あの貴族、ですか」

「……っ」


 考えたくはないが、不器用すぎて武器が使えないと言ったあいつなら、できるだろう。物理的には。

 だが、出来るだけ面倒なことは避ける性格のハルが、こんなことをするとは到底思えない。そう、思いたい。


「とりあえず行こう。そのうち兵士も来るだろうから」


 クラウスはその男を視界から消し、逃げるように踵を返した。

 バクバクと心臓が嫌な音を立てる。おかしい。少し前までは、こんなことで動揺することなんてなかったのに。

 冷静でいられない。自然と駆け足になってしまう。


「クラウス様、待ってください!」


 ソフィアの声に答える余裕すらなく、走った先は。


 悪夢か、そうでなければ地獄だった。


「クラウス様?どうし……」


 ソフィアが凍りついたのが気配でわかったが、クラウス自身、石にでもなってしまったかのように動けなかった。

 リラの部屋のドアは完全に吹っ飛ばされ、部屋に入らずともその光景が目の跳び込む。

 ある男は片目から血を流して倒れ、また別の男は四肢が全て折れている。腕がない者もいた。どこもかしこも血まみれで、無事な場所なんてない。

 そして。

 音もなく、ふらりふらりと歩く少年の姿。

 衣服は血でどす黒く染まり、両手はまだ新しい血なのか鮮やかに赤い。漆黒の髪の先から、ポタポタと紅の雫が絶え間なく滴り落ちる。

 瞳には光がなく、ただ黒々と闇が広がっているばかりで、唇だけが不気味に歪んでいる。無機質なようでいて狂気に満ち、どこか愉しそうにも見える暗い微笑に、いつものへらへらと笑う臆病な少年の面影はどこにもなかった。

 恐怖。

 その感情が胸を満たすのに、数秒もかからなかった。

 理性とか常識的な判断とか冷静さとか、そういったものを全て覆すような、あるいは飲み込んでしまうような、本能的な恐怖。

 冷や汗が止まらない。足がすくむ。こんな感情、今まで王にしか抱いたことがない。

 昔から色々な物を見てきた。色々なことを知った。王位後継者である自分を殺そうとした人間など、数えたらきりがない。

 だが、一度も怖いとは思わなかった。ああ、またかと。そう思っただけで。

 これは質が違う。目の前にいる、よく知っているはずの少年は、明らかに違う。

 クラウス達から一番近くにいた男が、血を吐き、ハルを睨んだ。


「この……『化け物』め……っ!」


 『化け物』。確かに、今のハルを現すとしたら、それ以上に相応しい言葉はなかった。

 ドロリとした闇に覆われた両眼が、男を捉える。


「何?僕が『化け物』だって?」


 不気味なくらい抑揚のない声で、淡々と言う。

 次の瞬間、男の体が宙を舞った。


「その通り、だよ……ねぇ、きっと。あははっ」


 男の体が床にたたきつけられる。

 いつ、ハルが動いたのか。全く見えなかった。

 ざわざわと皮膚が泡立つ。


「で?だから何?」


 ハルが男の胸ぐらを掴み、引き上げる。


「安心しなよ。初めはカッとなっちゃったけど、簡単に殺したりしないからさぁ」


 狂的な冷静さ。見ているこちらの気が狂いそうになる。

 やめてくれ。お前は、そんな奴じゃ、ないだろう?

 しかし、口を開いても掠れた息が漏れるだけ。屈辱のはずなのに、そんなことを感じる余裕すらない。

 目の前の惨状が、友人のはずの少年の行動が、何よりも信じられない。

 これが悪夢で、目が覚めればどれほどいいだろう。

 その時、ハルの背後で別の男が動いた。右手に剣を握り、とびかかる。

 叫んでいた。


「ハル!後ろに……っ!」


 男が剣を振りかぶる。しかし、それには見向きもせず、体を少し捻っただけだった。勢いがのった剣は薄い肩を貫く。

 嫌な音と共に、鮮血が吹き出した。


「ハルッ!」


 どうして、避けなかったんだ。

 クラウスが剣を抜く。隣でソフィアもナイフを取り出すのが視界の端に映る。

 理解不能な状況だが、助けなければ。

 そう思った時、


「くく……くくくっ」


 暗い愉悦に満ちた嗤い声が、落ちた。


「あはははははははっ」


 肩に剣が刺さったまま、ハルは嗤っていた。くつくつと、蔑むように。

 呆然とする。クラウスの手から、剣が滑り落ちた。

 正気じゃない。

 いや、……人間では、ない?

 背後の男は逃げもせず、剣の柄に手をかけたまま、呆けたように嗤い続けるハルを見ている。

 ひとしきり嗤い終えると、ハルは急に表情を失くし、掴んでいた男を放り投げた。男が吹っ飛び、呻き声と、骨が折れる音がした。

 ついで興味なさげに肩の剣を見やると、顔色一つ変えずに引き抜いた。返り血で背後の男が真っ赤に染まる。それを見ると、ハルは愉しげにニヤリと笑った。


「この程度で何かできると思った?ねぇ?わざと避けなかったんだけど、全然痛くないよ。そんなに死にたいの?死にたいなら、君から殺してあげてもいいよ」


 今度は奇妙な抑揚をつけ、優しく告げると唇だけで微笑む。ドロドロと闇が渦巻く相貌には、気味の悪い虚無が広がっていた。

 全身に戦慄が走った。

 やめろ。やめろ、そんなのお前じゃないだろ違うだろやめてくれ戻ってくれ。頼むから。

 心の中で懇願し、はたと気付く。

 今までの姿は演技で、今の姿が、本物?


「あ、あ、た、助けてくれ!命令され……ああああッ!」


 ゆらりと右手が動いたかと思うと、物凄い速さで男の鳩尾にたたき込む。相手が血を吐いた瞬間、今度は左手を首にかけた。


「あ……あが……たす、け……」

「助けてくレって?……ふざケるなよ。……を、……シテ、僕がユルスとでも?……を……こそ……スルたメに。あはっ、あはははははっ!ああっ、おかし、イ……なぁ!」


 完全に狂った抑揚と、低い呟きのせいで、半分ほどしか聞き取れない。それでも、この場にいる全員の恐怖を駆り立てるには十分だった。

 血に濡れた左手が、ゆっくりと、確実に首を締めていく。男が泡を吹き始めた。ハルは相変わらず暗く嗤い続けている。

 止めなければいけないのだろう。なのに、足が動かない。こんなこと、今まで一度もなかったのに。

 その時、バタバタと数人の足音が聞こえた。


「ご無事ですか!」


 数人の護衛が駆けこんでくる。

 恐怖で麻痺した脳が、瞬間的に覚醒した。

 マズイ。この状況は、どう考えてもマズイ。

 今のハルが、暴走したハルでは、何をしでかすかわからない。でももう、止めるにも間に合わない。

 どうする。どうしたら良い。


「な、何だあれは……」


 入ってきた兵士が、ハルの姿を見て硬直する。見られてしまった。間に合わない。


「クラウス様!?どうしてここに……」

「出て行け。命令だ」

「いけません!いくらクラウス様のご命令であろうと……」

「命令だ!」


 自分でも全く迫力に欠ける睨みになってしまった。状況判断と行動が追いつかない。

 と、その時、ハルがこっちに視線を向けた。

 暗い微笑が消え、得体の知れない何かが溶けたような目が、わずかに細められる。


「排除しろ!リラ様とクラウス様をお守りするんだ!」


 ハッとして兵士を見ると、ハルに向かって剣を抜いていた。

 止める?止められない。もう、間に合わない。


「やめろ!そいつは敵じゃない!やめ……」


 思わず叫びながら目を逸らす。直視できない。


「邪魔するな」


 低くはないのに、まるで地の底から響くような声がした。

 どさり、と倒れる音に目を向ければ、兵士が全員、折り重なるようにして倒れていた。

 それは、あまりにも圧倒的で。

 ああ、駄目なのか。

 止めようとすれば、自分も一瞬でこいつらと同じように倒れるだろう。

 何も浮かばない。どうしようもない。有り得ない。こんなことが、いやもう、駄目だ。

 遠くで冷えた嗤い声がする。

 終わり。全て。積み上げてきたものが終わった。

 その時、耳元で息を飲む音が聞こえた。


「リラ……様……」


 ソフィアが掠れた声で呟く。

 血染めの少年の背後で、悪夢のような光景とはあまりにも不釣り合いな、清廉な少女が立っていた。

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