檻から放たれた殺意
あれから数日。
リラ様の風邪はやはり大したことがなかったので、もうそろそろ元気になるだろうという話を聞いた。
だが、僕は実際には会っていない。
いや、会いにいけていない、といった方が正しいかもしれない。
リラ様が回復し始めてから、一度も。
会いに行かないのは酷いと思うし、薄情だ。
更に追い打ちをかけるように、ソフィアにナイフを投げつけられる回数が増え、クラウス様も困ったような、不審そうな目で見られる日々。ステラ姉さんからも脅迫まがいの手紙が届いた。何故ステラ姉さんが。いや、軍の人だから、噂か何かで聞いたんだろうけど。
僕だって、リラ様の顔が見たくないわけじゃない。遊ぶのは面倒だし疲れるし絶対負けるから嫌だけど、話したくないとは言わない。
でも、行って、会うのが怖かった。
理由の一つは、この前知った、リラ様の闇のような部分。
あれをリラ様が覚えているのかは知らないし、覚えていようがいなかろうが、気にせずにいればいいのかもしれない。いざとなったらとぼければいい。作り笑いをしながら。
でも、『弱虫』な僕は、一度距離を置くと踏み込む勇気がなくなってしまう。
それに、もう一つ、理由がある。
いつからか芽生えたこの想いを認めたくないがために、会うのが怖い。
認めてはいけない。想ってもいけない。駄目だ、絶対に駄目だ。
気がついても見ないふりをして、消すしかない。
だって、裏切りなのだ。彼女のへの。せめてもの贖罪だけは、やめるわけにはいかない。
けれど。
リラ様の笑顔や、優しさに触れてしまったら。これ以上は、引き返せなくなる気がして。
自分勝手だ。
自分勝手な理屈でしか、動くことができない、最低な人間なのだ、僕は。
「でも……そろそろ会いに行かないと……マズイよなあ……」
ぼーっと窓の外を眺めながら、独りごとを呟く。
今日は午前だけで三十本以上ナイフを投げつけられた。もちろんソフィアから。
まあ、それはいい。ちょっと量が増えたくらい大したことない。
しかし、クラウス様からの無言の非難とステラ姉さんからの脅迫(まだ暴力は来ていない)はちょっと……いや、かなりキツイ。ていうかこれ以上は死ぬ。
それに、怖いとか何だとか言って引きのばししているうちに、どんどん踏ん切りがつかなくなっていくのに気がついた。これ以上ビビリになるのは人としてどうなのだし。
しかも、いつも忘れそうになるけど、僕は王命でリラ様に仕えているのだ。この有り得ないレベルの職権乱用な王命さえなければ、僕は一生外に出ることはなかっただろう。
つまり、恨むべくは王命、つまり王様だ。
しかし、この国で一番怖いのも間違いなく王様。
あまり王命に逆らって逃げてばかりいると、良いことにはならないだろう。左遷とか。いや、それならまだいい。
もし万が一、再び暗殺隊に入れなんて言われたら最悪だ。
このままダラダラと逃げるか、それとも最悪を回避するために行くか。
考えること数分。
「……まあ、仕方ないな」
自然と溜息がこぼれ、こめかみがズキンと痛んだ。
行きたくはない。
でも、たまには自分から動いてみよう。最悪を回避するためなら、安いものだ。
僕は隣の部屋の王女に会いに行く用意をのろのろとし始めた。
壁の向こうで、何が起こっているのかも知らずに。
後から思えば、自分でも本当に不思議で、不可解だ。
何故あの時、気がつかなかったのか。
そして、何故あの時、彼女が助けを求めなかったのか。
わからない。どうしてもわからない、けど。
もしわかっていれば、こんなことにはならずに済んだのだろうか。
それとも、結局はいつかこうなっていたのだろうか。
どちらにしろ、結果は変わらない。
最悪だってこと以外には。
ああ、気が重い。すごく重い。
扉を叩こうとしては、手をひっこめるの繰り返し。傍から見たらただの馬鹿だ。
いい加減覚悟決めろよ。どれだけ根性無しなんだよ僕。
三回ほど深呼吸。
それから、やっと心をきめて扉をノックした。
「リラ様、僕です。入ってもいいですか?」
扉越しに声をかけると、何かがぶつかる音がした。ついで、叫び声。
「ハル、駄目!早く逃げて!」
「リラ様?どうしたんですか!何が……」
その時、ドアが開いて何かが飛び出してきた。寸前で右に飛ぶも、頬を鋭い刃が切り裂く。鋭い痛みがはしり、血が流れ出す。
目の前に黒ずくめの男がいた。そして、部屋の奥にも同じような格好の男が数人。ここからだとリラ様は見えない。
何だ。こいつらは誰なんだ!?
混乱で頭が回らない。ただ、こいつらが敵なのは間違いないだろう。早く、リラ様を助けないと。
しかし、気持ちばかりが焦って前に進めない。気を抜けば、この男に殺される。
男が剣を振りかぶる。速い。訓練を受けた人間だ。
「ハル、いいから逃げてっ!」
「リラ様!?」
思わず部屋の方を見た瞬間、肩に激痛が走った。見れば、剣が左肩を貫いている。
ああ、うるさい。邪魔だ。
「いい加減にしろ!」
剣を引き抜こうとして動けない男を、真正面からぶん殴った。男が吹っ飛び、床に倒れる。まあ、どうせ気絶してるだけだろう。
肩に刺さった剣を力任せに引き抜く。血が噴き出したが、気にしている場合ではない。剣を捨て、部屋にとびこむ。
「リラ様!大丈夫で……」
ドクンと、心臓が音を立てた。
血が逆流し、煮え滾り、足だけはその場に立ち尽くす。
さっきの男と同じような格好をした男が五六人。そのうちに一人がリラ様の首に剣を突き付け、もう一人が捕らえている。
リラ様の首から、細く血が流れていた。
「ハルッ!お願いだから行って!お願い……」
「それ以上喋るな。……あの男を殺せ」
「逃げてよ!」
リラ様が泣きそうな顔で叫ぶと、もう一人がリラ様を殴った。
リラ様を。
こいつらは、リラ様を、傷つけた。
体中の血管という血管が、全て切れていくようだった。体の奥から真っ黒な何かが流れ出し、埋め尽くすような感覚。
『殺せ殺せ殺せ消せ殺せ殺せ消せ排除しろ殺せ殺せ殺せ』
殺す。そうだ、殺そう。殺しテしまエ。
リラ様を傷つけた、お前らを、殺してやる。
『さあ、早く。いらないものは全部消す。それこそが『僕』だろう?あの時のように『弱虫』のガキになりたくなければ……』
皆、殺シテシマエ。