信じる君、裏切る僕
「ちょっと待ってください!」
混乱しながらも、叫ばずにはいられなかった。
「オルコットって、あの、王様に抹消されたオルコットでしょう!?」
「おそらくな」
「じゃあ、何故!?何故、この人は……」
呆然と写真を見つめる。
有り得ない。あの王様が、取り残すなんて。
クラウス様は本を拾うと、取り乱す僕の肩をぽんと叩いた。
「落ち着け。俺も驚いたがな……」
驚いたと言っている割に、眉一つ動かさない。もうすでに知っていたからか。
椅子に戻ると、鋭い双眸をそっと伏せ、クラウス様は話し始めた。
「あの夜、王の開いたパーティーを襲撃した二人組のうち一人は、この女で間違いないだろう。調べてみたところ、経歴は抹消されていたが、オルコットの分家の娘だった。なかなか優れた戦闘能力を持ち、若くして暗殺部隊に入ることが約束されていたが、ある日突然家を飛び出したらしい。理由は不明」
「それは、クーデターを起こす前のことですよね」
「ああ、もちろんだ」
なるほど。あの事件の前に姿をくらませたのなら、生きていてもおかしくない。
「じゃあ、どうしてネリー・オルコットは今更襲撃なんか……?」
クラウス様の眉が僅かに寄る。
「確かあの夜、「パーティーをぶち壊す、セルシアのイメージダウン」といったようなことを言っていた」
「そうでしたっけ……?」
「覚えていないのか」
「僕はクラウス様みたいに出来がよくないんです!」
思わず怒鳴ると、呆れた顔で一蹴された。
「とにかく、そう言っていたんだ。しかし今頃あの女が、オルコット家の復讐なんかでセルシアの破滅を望むか?」
記憶の中に埋もれていたネリー・オルコットの人物像を必死で探りだす。
短気で馬鹿っぽくて、猛獣のような人だった気がする。彼女は色々と喋っていた気がする。やたらとハスキーな声で。
傍観者も好きだとか、女王様とか……。
僕ははじかれるようにクラウス様を見た。
「あの人、僕の名前を知っていました!」
「……何だと?」
クラウス様の表情が険しくなる。
「僕のこと、ハル・レイス・ウィルドネット君て呼んだんです!会ったことないのに!それから……女王様がどうとか、言っていたような」
クラウス様は何かを思案するように目を伏せたまま頬杖をつく。やや物憂げな様子も至高の芸術品のように麗しい。
思わず見惚れていていると、ふいに顔を上げた。
「なるほど、な」
「え?」
「一応聞くが、ネリー・オルコットとは、一切面識がないんだな?」
「あ、はい。もちろんです」
そもそも、僕の人間関係は狭い。
クラウス様の双眸はより一層きつくなる。
「……推測にすぎないが、ネリー・オルコットは、クロフィナルの有力者の手下かもしれない」
「えっ?」
いきなり出てきた大国の名に目を見張る。
クロフィナルといえば、僕の中ではアンジェラ様の嫁ぎ先といったイメージしかない。
「クロフィナル、ですか」
「ああ。その「女王様」とやらがな。セルシアとクロフィナルは、今では一応友好的な関係を築いているが、やはり裏では仲が悪い。いつまた、戦争が始まってもおかしくない程度には」
僕の不良品の頭でも、やっと理解できた。
つまり、クロフィナルの有力者である「女王様」の命令で、ネリーが動いていると。
「い、いきなり政治が絡んできましたね……」
「世の中なんてそんなものだろ」
「悟り過ぎです!怖い!」
「まあ、あくまで推測にすぎない。気にするな。もちろんこのことは誰にも言うなよ。……ところで、これに関係する話で、興味深い報告を受けたのだが」
「へ?」
呆けた声で聞き返すと、急激に温度が下がった。気のせいかないや気のせいだきっと。
クラウス様の目がパキパキと音を立てて凍っていく。完璧な無表情なのに、その中にある怒りが見え隠れしていて、思わず数歩後ずさった。
怖い怖い怖い怖い!
え、何?僕何かした?何もしてないよね!
しかし、この場には僕とクラウス様の二人だけ。極寒の如く冷ややかな視線は、僕に注がれているわけで。
血の気が引き、全身から汗が噴き出した。
落ち着こう。落ち着くんだ。そうだ、僕のことじゃないんだきっと。というか、本当は怒ってないのかもしれないじゃないか!そうそう気のせい。だって、僕に何もしてないし。
ちらりとクラウス様を見れば、目だけで殺されそうだった。あなたは凶器か何かですか。
クラウス様は吹雪のような目をしたまま、黙って僕を睨み続けている。僕から話せと?いや、無理ですから。怖すぎますから。
しかし、この空気を耐え抜けるほど僕は強くない。そっちの方が無理。というか、もう数秒もじっとしていられる自信がない。
メンタル面世界最弱といっていいほど小心者の僕が、クラウス様に勝てるはずがない。
仕方なく、心の中ではガタガタ震えながら、表面上は愛想笑いを浮かべて口を開いた。
「興味深い報告ですか?一体どんな……」
「知らないとでも?」
更に空気が凍る。同時に殺気まで広がり始めた。
しかしここで作り笑いをやめたらもう後がない。
「多分知らないと思います。先ほどまで、ネリーがオルコット家の人間であることも全く知らなかったんですから」
「そうか。……なら、話してやろう。パーティーをぶち壊しに来たもう一人、ライトと名乗った男のことは、当然覚えているだろうな?」
「あ、はい。覚えています」
どちらかといえば、ネリーよりそっちの方が記憶に新しい。フラウィールに言った時、ローグと共に現れ、『化け物』状態の僕と一戦交えたのだから。
しかし、誰にも言っていないのだから、クラウス様が知っているはずがない。ネリーと同等の扱いもそのせいだろう。
「それで、その男がどうしたんですか?」
「……そうか。ここまで言っても言う気なしか」
ぼそっと呟くと、急に椅子から立ち上がり、つかつかと歩み寄ってきた。氷のような殺気と共に。
ヤバイ、かもしれない。いや、確実にヤバイ。
反射的に大きく飛び退くと、本棚にぶつかり、バサバサと書物が数冊落ちてくる。逃げ場を確認しようと斜めを向いた瞬間、ガッと胸ぐらを掴まれた。
驚いてクラウス様を見ると、無表情が消え、はっきりと怒った顔をしていた。鋭い双眸がキッとつり上がる。
「……言ったよな」
「え?」
「言ったよな。フラウィールで。お前がボロボロになっていた時のことを、教えて欲しいと」
僕はビクッとした。が、クラウス様の手の力は弱まるどころか、ますます強くなる。声はいつもより低く、微かに震えていた。
「あの時お前は、覚えていないと言ったな。でも、本当にそうか?本当に」
心臓が脈打ち、体からとんでいきそうなほど高まる。今聞いたことが信じられない。ズキンとこめかみが痛んだ。
「本当に覚えていないのか?何でもいい。欠片でも、いいんだ」
怒りと懇願がないまぜになったような響きに、思わず唇を噛んだ。
ライトやローグと会った時のことだろう。どうしてそのことをクラウス様が知っているのかはわからないが、そんなことより、自分のことが恨めしくてたまらない。
嘘をついたこと。
そして、『化け物』のことを。
もしかしたらもう、僕の中の『化け物』のことを知っているかもしれない。そう考えた瞬間、恐怖と絶望で頭が真っ白になった。
嫌だ。
知られたくない。『化け物』のことなんて。あんなの、真っ当な人間なんかじゃない。
それでもまだ、クラウス様は『化け物』のことは言っていないから、知られていない可能性の方が高い。もし知っていたら、今みたいに一緒にいてくれるはずがないから。
だから、だから、僕は、
「本当に、覚えていないんです。……すみません」
嘘で誤魔化す。
クラウス様はしばらく僕の目を見つめ、パッと手を離した。軽くよろめいた僕を支えると、長く長く吐息を吐く。
「……そうか。よかった。いきなりこんなことをして、悪かったな」
僕は呆気にとられてクラウス様を見た。
クラウス様はいつもの無表情でも、怒った顔でもなく、心の底からほっとしたように微笑んでいた。
「え、あの……」
「実はとある報告が上がっていたのだが、その話を聞いて、もしかしたら、あの時ハルが俺達に嘘を吐いたのかもしれないと思ってしまったんだ。……疑って、挙句怒鳴りとばすなんてことまでして、本当にすまなかった」
クラウス様は申し訳なさそうに言うと、スッと頭を下げた。長く美しい髪が動作と一緒にこぼれる。
僕は慌てて叫んだ。
「あ、頭を上げてください!クラウス様が気にやむ必要はありませんよ!僕がクラウス様だったら、僕を疑います。こんな奴、疑って当然です!」
だって、現に僕は嘘を吐き続けているんだから。
しかしクラウス様はゆるゆると首を左右に振り、
「いや、酷いことをした。昔から俺の周りは裏で色々と策略を立てるような輩ばかりだったから、つい勘ぐってしまったんだ。お前は、友達なのに」
最後の一言が、胸に深く突き刺さる。
友達なのに。
酷いことをしているのは、僕の方だ。
「本当にすまない。友人のお前が、嘘を吐いているんじゃないかと思ったら、どうしようもなく不安に駆られて、冷静でいられなくなってしまった。俺もまだまだだな」
「いえ、そんな……」
「もう、疑ったりしない。お前を信じるよ」
クラウス様は切れ長の目を少し細め、一点の曇りもなく微笑んだ。
それは、僕の歪な作り笑いとはかけ離れた、綺麗な微笑で。
罪悪感と、ばれなかったことへの安心感。そんな自分に対しての自己嫌悪が、胸の中で渦巻く。
『嘘つき!』
リラ様の激しい怒りと悲しみに歪んだ表情が、脳裏をかすめる。
でももう、無理なんだ。嘘を吐かないことなんて。
「それで、話を戻してもいいか?」
ハッと我に返り、頷く。
クラウス様は別の書類を引っ張りだすと、ぱらぱらとめくった。
「俺が何故こんな話を持ち出したかというと、最近になって、やっと色々な情報が集まり始めたからだ」
「情報……ですか」
「ああ。あの日、お前が倒れていた場所の近くで、奇妙な男女を目撃した民間人が何人かいるらしい。そのうち二人は、ネリー・オルコットとその連れだったライトで間違いないだろう」
「え!?」
僕はギョッとしてのけぞった。
ライトはわかる。あの場にいたのだから。しかし、ネリーまでいたなんて。
もしかしたらあの時、ライトを殺そうとした直前で背後から襲ってきたのはネリーだったのかもしれない。
「驚くのも無理はない。お前は覚えていないようだし……頭でも打ったのだと思う。ライトらしき人物は重傷で、傍から見ても歩くのがやっとだったらしいから、戦った可能性が高いしな」
「そう……ですか……」
「それから、黒ずくめの恰好にやたらと宝石がついた槍を持った男と、小柄な女の姿も確認されている」
槍を持っていた男はローグで間違いない。
あの時、ローグを殺せなかった。いや、殺すまでしなくても、何かできたはずなのに。
……そもそも、こういうことを考えること自体、間違っている?
「ああ、ここか」
クラウス様は書物をめくる手を止めた。ひんやりした双眸が、僕の目を捉える。高潔な瞳。それを見るたび、罪悪感で冷や汗が止まらない。
「もし俺の推測が正しいとして、お前がライトと戦ったのであれば、相当強いな」
「誰がですか?」
「お前がだよ」
クラウス様は開いたページに素早く目をはしらせながら、静かに口を開いた。
「ライト・バロウ。これがあいつの名前らしい。もともとはセルシアの軍人で、運動能力が底抜けに高く、武の天才と呼ばれていた。特技は剣、若くして名人を打ち負かしたという記録も多い」
「え……」
ちょっと待て。
どう頑張って解釈しても、ライトは大変優れた軍人らしい。記録によれば。
その人に向かって色々言わなかったか僕?そして、記憶が正しければ、普通に殺そうとしていたような……あれ、やばくないですか。
いや、そんなことより、
「どうしてそんな人が、盗賊みたいなことを……?」
クラウス様は窓の方に目を向けた。心なしか、憂鬱そうにも見える。
「この男、過去に失敗をしている。といっても大した失敗ではないが、こいつが邪魔な人間にとっては好都合だったようだな。見事に左遷だ」
クラウス様はパタンと書物を閉じ、溜息を吐いた。
そういった策略や左遷の話は貴族の世界だけかと思っていたら、案外そうでもないらしい。よくあることだが、だからと言って慣れるわけでもない。いつ聞いても不快だ。
「不当な左遷に怒ったライトは、そのまま軍を辞めて姿をくらました。それからはほとんど消息がつかめていない。……ところで」
「は、はい。何でしょうか?」
「俺は以前、ライトと剣を交えている。その時にただものでないとはわかっていたが、これほどまでとは思わなかった。手を抜いていたんだろう。……だが、お前、そのライトをギリギリまで追いつめたらしいな」
ドクンと心臓が脈打った。
違う。違わないけれど、その話は。
あれは僕じゃない。
「もしかして、お前は普段、かなり手を抜いているんじゃないか?」
「そんなことないですよ!買い被り過ぎです!」
「いや、だが……」
やめてくれやめてくれやめてくれ。
せっかく、『化け物』のことを誤魔化せたのに。
僕は強くなんかない。普通だ。普通だ。普通なんだっ。
クラウス様は純粋に不思議そうな表情で、
「前々から、お前の力には、不自然なところがあるとは思っていた。平均的な男より華奢で、軟弱そうな外見と実際の能力の高さはギャップがあり過ぎる」
「それは……」
追求しないで。
もう、これ以上は、
「お前、どうなっているんだ?」
耐えられない。




