初恋の夢
「ところで、さっきはどんな夢を見ていたんだ?」
「へ?」
思わず間抜けな返事になる。
「珍しく幸せそうな顔で寝ていたからな。つい、気になって」
「珍しい、ですか?」
「ああ。お前、いつも苦しそうな顔ばかりしているから」
最後の一言にドキリとする。
確かにここのところ、悪夢ばかり見ている気がする。
「どんな夢、見てたんだ?……いやまあ、答えたくなければ聞かないが。余計な詮索だろうし」
「い、いや、そういうわけじゃ」
しかし、簡単に言うには恥ずかしい内容でもある。
僕は照れ笑いしながら、
「昔の……子供の時の思い出です」
「昔の?」
「はい。友達と出逢った日です」
「ちょっと待て。お前、友達いないって言ってなかったか?」
「……よく覚えてますね」
僕の黒歴史を覚えていてもらっても困る。
「実はいたんですよ。一人だけ」
「一人だけ……か」
「一人でも大事ですよ一人でも!一人もいない時期が……何でもありません忘れてください」
気のせいかな。クラウス様の吹雪のように冷たい瞳が、何だかぬるくなってきている。
「お前……可哀想な奴だな……」
「やっぱりそう思ってたんですかーっ!」
「まあそれはどうでもいい。で、どういう奴なんだ。その一人だけの友達」
どうでもよくありません。
しかし、ここで蒸し返すのも何なので、簡単に彼女の説明をした。
「背は普通だったかな?髪は薄茶色で、色白の可愛い子でしたよ」
「……まさかそいつ、女?」
「ええ。それがどうかしましたか?」
「………………何でもない」
何でもないなら妙な空白開けないでください。
「性格は明るいけど大人しくて、人見知りでした。いつも寂しそうな顔で、でも、同じくらいいつも活発で元気で。すぐうつむいたり目を伏せたりする癖があったけれど、笑顔は本当に可愛かったです。好きなものは……」
「別にそこまで聞いていない」
バッサリ切られてしまった。
「というか、その女、矛盾してないか?」
「何がですか?」
矛盾何かあっただろうか。僕は彼女のありのままを話しただけなんだけど。
「明るくて人見知りなんて聞いたことないぞ。矛盾しすぎだ」
「あ……確かに」
しかし思い返してみても、ある時は世界の全てを魅了するような華やかな笑顔で人を惹きつけ、またある時は、必要以上に人を怖がっていた。
両極端な二面性。それが、彼女なのではないか。
「お前、その女のこと好きだろ」
クラウス様が中性的な美声で鋭く言い放つ。僕は彼女のことを考えていたので、反応が遅れた。
「……ええまあ、そうですね……って、え?」
その女のこと好きだろ?って、それは、その?そういう意味ですか?
「そういう意味だ」
僕の心を読み取ったように答えが返ってくる。
その瞬間、頭が沸騰して全身が燃えるように熱くなった。
「い、いやそういうわけじゃ!って、そういうわけだけど、そうじゃなくて!いや、セレナのことは好きだけど、そういう意味でも好きだけどうわああああっっ!!」
自分で自分が何を言っているのかわからなくなった。頭の中はパニック祭り状態で、正常な判断などとっくに消えている。
「あ、あのですね!いやそのつまり、だからええっと!?」
「好きなんだろ。セレナとかいう奴が」
クラウス様が冷静に返した言葉に、更に全身の体温が上がる。
「ってそういうわけじゃ!……いいえ、その好きですけど、好きだけど、好きだけど……」
「少し落ち着け。うるさいし、周りの人間は驚いてこっちを見ているだろうが。迷惑だ」
「無理です!落ち着けるわけないでしょう!」
辛うじて敬語が外れていないだけ偉い。
クラウス様は、相当赤くなっているであろう僕の顔をちらりと見て、溜息をついた。
「そんなに好きなのか、お前。で、その女は今どこにいるんだ?そもそも誰だよ」
クラウス様の言葉を聞いた瞬間、蒸発しそうなほど熱くなっていた体が急激に冷えた。バクバクと荒れ狂っていた心臓が元に戻り、代わりに斬られるような痛みが刻まれる。
セレナは、どこにもいない。
どこにも。
「……どうした?」
僕が黙ったからか、怪訝そうな顔になる。
駄目だ。これ以上はバレる。
「実は彼女、何年も前に引っ越してしまったんです。だいぶ遠くに。もう、セルシアにはいないと思いますよ」
「そうか……」
クラウス様の目に同情が浮かぶ。
引っ越してくれたなら、よかった。
それなら、またいつか、会えたかもしれないのに。
震えそうになる指を後ろに隠し、僕は作り笑いのまま続ける。
「初恋だったんですけどね……伝えられませんでした。失恋です。でも、やっぱり彼女のことは好きですし、今でも忘れられません」
そう、忘れられない。
忘れることなんてできない。
「そうか。だから、あんな顔で寝ていたんだな」
「そうでしょうね。ひどく懐かしい気持ちになりましたから」
へらり、と笑って。
表面上は上手く笑えている。少し歪でも、それは感傷に浸っているということになるだろう。クラウス様も疑っていない。
でも、本当は、本当は。
本当……は?
何だ?
ふと浮かんだ疑問に背筋が寒くなる。全身を流れる血が、嫌な音を立てて凍りつく。
いや、考えるな。関係ない。本当かどうかなんて考えるからいけないんだ。
しかし、こめかみがズキンといたみ、軽く眩暈までする。こめかみの傷はもう治っているだろうから、どう考えても精神的なものだ。
どうしてこう、僕って弱いんだろう。
無駄に殺人的な能力ばかり強くて、中身は欠けてばかりの欠落品だ。歪んでいる。
好きでこうなったわけではないのに。
「ついたぞ」
意識が泥沼に沈みかけていた時、クラウス様の声でハッと我に返った。
他の部屋と変わらない、木の扉を指で軽くたたく。
「ここだ」
「資料室……ですか?」
「ああ。見せたいものがある」
洗練された手つきで鍵を取り出すと、小気味よい音を立てて回しドアを開けた。
ふわりと、古い紙特有のほのかに甘い匂いに包まれる。
スタスタと入っていくクラウス様の後をついていきながら、辺りを見回す。
部屋はだいぶ古いようだが掃除が行き届いていて清潔だ。絹のカーテンや、窓ガラスも綺麗にしてある。当然、書物はきちんと整理されていた。
クラウス様はあるものを抜きだすと、端に会った椅子に腰かけた。
「誰もいませんね」
「人払いしてあるからな。……っと、これだ」
紙をめくり僕に差し出す。受け取った瞬間、絶句した。
長い金髪に、鋭い灰色の目。凶暴な肉食獣を思わせる雰囲気をまとった女の写真があった。
「これって……!」
「覚えているか?俺達が出逢ったばかりの頃、舞踏会に乱入してきた女の方だ」
「はい、覚えています」
「隣の説明書きを見てみろ」
言われた通りに視線を移し、思わず本を取り落としてしまった。
驚きのあまり、まともに声も出ない。
まさか、そんな。
「驚いたか?俺もだ」
説明書きの一番上。
そこには、「ネリー・オルコット」と、記されていた。