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青いガラスのペンダント

 眠ってしまったリラ様を抱きあげるとやはり酷く軽くて、胸が軋む。無防備で幼い寝顔が寂しそうなことにも切なくなり、目を伏せた。

 起こさないようにそっとおろし、毛布をかけたところで、胸元に何かが光っているのが見えた。ずれて、服からとびだしてきたのだろうか。

 何気なく引っ張り出すと、それは真っ青なガラスのペンダントだった。窓から差し込む光を反射して、繊細にきらめく。


「あれ……?これ、どこかで……」


 透明なガラスを指ではじく。王女が身につけるにしてはあまりにも安価なペンダント。

 僕はハッとして思わずリラ様の顔を見た。

 同時に、どうしようもなく胸が締め付けられる。切なくて、でもどこか甘く優しい痛みに、苦笑いする。

 どうしてすぐわからなかったんだろう。

 目にしみるほど鮮やかな青い海。晴れ渡る空に、眩しい陽光。フラウィールの浜辺。

 あそこでリラ様は、初めてトランプをして勝った時の「お願い」を使った。あの時僕が贈った、ガラスのペンダント。

 もう随分前のことで、僕はすっかり忘れていた。

 リラ様だって、一時の気まぐれで欲しがって、すぐ飽きてしまうだろうと思っていたのに。それが悪いことだとは思わない。むしろ当然だ。王女であるリラ様が持つ数々の宝石類に比べれば、ガラクタでしかない。

 それなのに。

 風邪をひいて寝込んでいるくせに。飾り気のない寝間着姿で、熱で朦朧としているくせに、こんなものを身につけているなんて。

 そういえば、僕がこのペンダントを贈って以来、全くと言っていいほどアクセサリーをつけなくなった。たまに、簡素な髪飾りや生花を使う程度。特に首には何かをつけていた覚えがない。

 もしかして、もしかしたら、ずっと身に着けていたのだろうか。服の中に隠していただけで。

 推測でしかないし、もしこれが当たっているのなら、そんなことをする意味が全く分からない。そもそも今、リラ・クラリスという少女が、頭の中で滅茶苦茶に絡まって、見えなくなってしまっている。

 もう、何が何だかわからない。わからないけれど、この想いに名前をつけるとしたら、多分、いや、きっと。

 何だかひどく泣きたい気分になって、表情が歪むのがわかる。

 馬鹿みたいだ。

 すやすやと寝息を立てるリラ様の髪に触れ、恐る恐る梳く。指の間から銀色の髪がさらさらとこぼれて、儚い感触と淡い花の香りが残り、それらもまた消えていく。

 こんなことをしても、何かが元に戻るわけじゃない。ますます鼓動が早まり、相反する絶望感も増幅するだけ。

 もうとっくに気がついている想いの名前と、それを認められない罪悪感の理由。曖昧な昔と微妙な形をした現在いまが重なったり、ぶれたりして、胸の奥がかき乱されていく。


「どうして……ですか?」


 気づけば、言葉が自然とこぼれていた。


「どうして、そんな玩具みたいなペンダントを、つけているんですか?もっと綺麗で高価な首飾りがいくらでもあるんだから、そっちを使えばいいのに。よりにもよって、どうして今……」


 言い訳なのは、わかっているけれど、認めるわけにはいかない。

 認めてしまったら、自覚してしまったら、この気持ちにどう蓋をすればいい。

 必死に誤魔化してみないふりをするしか、方法はないのだ。

 それなのに。


「……はは」


 乾いた笑い声が部屋に落ちて、消えた。




 綺麗な、茜色の空を見ていた。

 真っ赤な夕日が目に沁みる。蜂蜜色の柔らかい光と混ざり合って、空気そのものを染め変えていくさまは、幻想的で、いつもよりお伽噺に近い風景。

 不思議な色彩に溢れた、そんな道を歩いていた。

 今から思えば、ずいぶん奇妙だったと思う。

 夕暮れ時、フラフラと、しかし確かな足取りで、何かに導かれるようにして歩いていた。いや、本当に『何か』を辿っていたのかもしれない。

 でも、わからなくて。曖昧にぼやけて、溶けてはカタチを造り、揺れる。音の消えた、夕暮れの狭間を。

 トン、と、靴音を立てて止まる。

 焼けるような紅の空をバックに、少女が立っていた。

 色素の薄い茶色の髪が日の光に透けて金色に輝き、華奢な背中で揺れている。ほっそりした長い手足も、裾の長い簡素な服も、茜色に染まっている。

 長い前髪と濃い影が重なり、顔だけが見えない。

 それでも、まるで女神様のように美しかった。

 顔が見えないのにも関わらず、抗いようのない魅力が溢れている。それでいて、どこか儚い。


「 」


 僕が笑って話しかけると、何かを呟きうつむいてしまった。

 ゆらりと、黒い影が揺らめく。鮮やかな夕陽が、ゆっくりと沈んでいく。


「ほん……とう、に?」


 少女が風に消えてしまいそうな声で囁く。今まで聞いたことがないほどに綺麗な、甘く透き通った声の少女に、僕は当然の如く頷いた。


「あの、友達になってくれないかな?」


「……トモダチ?」


「うん。駄目?」


「いいよ……多分」


「本当!?ありがとう!えっと、ぼくはハル。ハル・レイス・ウィルドネット。きみは?」


 少女はちょっと首を傾げた。さわさわと風が葉の間を通り抜けていく。

 ほんの一瞬、長い前髪が風で流れ、影が遠ざかる。垣間見た少女は、泣きそうな、けれどとろけそうなほど甘く微笑んでいたような気がして。


「あたし……?あたしは……」





 ドンと体に強い衝撃を感じ、ハッと目を開けた。続いて、絶対零度の声が耳に流れ込む。


「貴様……貴様まで寝るとは、どういうつもりだ?」


 あれ、何でだろう。命の危険を感じるような気が。

 声のする方をゆっくりと振り返ると、クラウス様が美しすぎる顔をいつも以上に完成度の高い無表情にしていた。

 最近は優しさの滲むようになった青い双眸が凍りつき、底知れぬ殺気を放っている。


「あ、えっと、おはようございます?」


 とりあえずへらっと笑ってみると、優雅な仕草で剣の柄に手をかけた。あ、本当にヤバイ。


「言い訳を聞いてやる。何故この状況で寝た?そもそも貴様、最近寝てばかりだが、理由があるのだろうな」


 理由がないのならわかっているだろうなと目が脅しにかかっている。

 冷や汗が一気に噴き出した。

 忘れてた。

 親しくなってから、冷たくされることがなくなり、ソフィアのストッパーにまでなってくれていたが、会った当初は脅され睨まれ殺気をバシバシぶつけられていたのだ。はっきり言ってソフィアより怖い人だった。


「………………そのっ、頭打ちました!」

「それはよくないな。俺が見てやろう」


 スラリと剣を抜き、氷のような無表情で僕のこめかみにつきつけてくる。

 あの、ちょっとでも動いたら斬れそうなんですけど。


「結構ですごめんなさい」

「遠慮するな。苦しまずに済ませてやる」

「絶対嫌だあっ!」


 足に力をこめ大きく後ろに跳び退く。その拍子にこめかみが斬れ、わずかに痛みがはしった。傷口から血が細く流れ落ちる。

 クラウス様は冷え冷えとした目を僕に向けた。


「本当に殺すわけがないだろう。……ここで」

「ちょっと待ってください。今ここでって言いましたよね!?」

「黙れ。リラは病人なんだ。いくら原因が馬鹿の極みで病状もたいしたことはないと言ってもな。それなのに、一人でついていたお前が寝てどうする。責任とれるのか?」

「……すみませんでした」


 恥ずかしさにうつむくと、溜息をつくのが聞こえた。ついで目の前にハンカチがさしだされる。


「え……」


 驚いて顔を上げると、冷たい双眸のままぶっきらぼうに言った。


「さっきはやり過ぎた。逃げられるとは思っていなかったしな。血を垂れ流されてもこっちが迷惑だから、さっさと止めろ」

「あ、ありがとうございます」


 やっぱり、クラウス様は優しい。冷たく見えるだけで。思わず頬が緩んだ。

 ハンカチを受け取り、こめかみに当てながら、


「でも、心配いりませんよ。子供のころはこれくらい毎日のことですし、一分で止まりますから」


 ほら、と見せると、クラウス様は無表情で固まった。


「どうかしました?」

「……お前の体は……どうなっているんだ……」

「え?」

「いや、何でもない」


 どうしてそんな複雑そうな顔をするのだろうか。

 クラウス様はしばらくの間沈黙すると、思い出したように言った。


「そうだ。そういえば、リラと話したか?今は寝ているようだが」

「はい、しました。リラ様……」


 さっきの激しい負の感情をあらわにした姿と、幼い子供のような姿が脳裏を過る。胸の奥が軋む音がした。

 クラウス様の無表情が怪訝そうに崩れる。


「もしかして、喧嘩でもしたか?」

「あ、いえ。何でもないですよ。いつも通りわけわかりませんでしたけど」

「そうか。なら、いい」


 ふっと表情を緩め、微かに微笑む。優美な微笑に内心ほっとしながらも、少し前のことが頭から離れず、上手く笑えていない気がする。

 リラ様の話を続けるとぼろが出そうなので、へらへらしながら話を変えてみた。


「ところで、クラウス様、僕に何か用があって来たんじゃないですか?」

「……ああ、そうだった」

 

 スッと笑みが消え、代わりに険しい表情が刻まれる。双眸がより鋭さを増す。

 ただごとじゃない。僕はごくりと唾を飲んだ。


「少し、話したいことがある。気になる事実が見つかってな。場所を移動するぞ」

「でも、リラ様は?」

「少ししたらソフィアが来るから心配するな。俺もあまり時間がないから、できれば今すぐに」                

「……わかりました」


 有無を言わせぬ鋭い口調に、不安を煽られる。

 王様のことだろうか。以前僕を暗殺部隊に入れたがっていたことを思い出し、指先から冷えていく。

 それとも、他の何かか。

 逃げたいという気持ちを飲みこみながら、一度リラ様を振り返る。


「時間がない、行くぞ」


 中性的な冷たい声で言い放つと、サッと踵を返す。艶やかな栗色の髪が揺れた。


「……すぐ、帰ってきます」


 誰にともなく呟いて。

 僕は慌ててクラウス様の後を追いかけて行った。




 二人がいなくなった部屋の中で。

 リラは眠ったまま、斜めにずれたペンダントのガラスを握りしめた。雪のように白い指の隙間から、青い光がこぼれる。

 閉じた瞼はそのままに、長い睫毛が微かに揺れた。透明な雫が、白く滑らかな頬を滑り落ちていく。

 唇が、開いた。


「おかあ……さん……」


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