少女の嘆きと僕の想い
突然感じた熱に驚いて振り向くと、僕の手を掴んでいたのはリラ様だった。
うつむいているせいで流れた前髪に隠れ、表情が見えない。
「何してるんですか!?やっと寝たと思ったら!」
というか、どうして気がつかなかったんだろう。いつもなら、背後に誰かがいれば、例え相手が気配を消していても気がつくのに。
奇妙に思い首を捻りながらも、出来るだけ優しい声で言い聞かせる。
「ほら、寝てください。風邪が治りませんよ」
「……でも、ハル、行っちゃうんでしょう」
「え?」
「逃げて、遠くに、行っちゃうんでしょう」
どうしたのだろう。明らかに様子がおかしい。
「逃げませんよ。というか、逃げられません」
「じゃあ、何で出ていこうとしたの」
「ちょっと用がありまして。すぐ戻りますから」
柔らかな白い手を、さりげなくほどく。が、僕が手を引っこめようとした瞬間、今度は両手で掴んできた。痛いくらいに強く、熱がしみ込んでいく。
やっぱり変だ。熱で、意識が朦朧としているのかもしれない。医者を呼んできた方がいいのだろうか。
その時、
「嘘つき」
リラ様がぽつりと、呟いた。
「え……?」
思わずリラ様の顔を見て、更に衝撃を受けた。
哀しみと怒り、絶望と葛藤が入り混じったような表情。熱で虚ろなのに、それ以上に 燃え盛る炎のような激情をあらわにした瞳。
まるで、心臓を貫かれたようだった。こんなリラ様、見たことがない。
いつものようなはた迷惑な明るさも、寂しげでどこか陰りのある笑顔も消え失せ、壊れかけの危うさと儚さを纏っていた。
リラ様の異様な姿に圧倒され、眩暈のような感覚に襲われた。
「嘘つき」
さっきよりも強く、激しい声で繰り返す。
「リラ様……?」
「嘘つきっ!嘘、でしょう!どうせまた!」
「リラ様、どうしたんですか?」
「嘘、嘘、嘘!どうして、嘘をつくの!」
悲痛な叫びがザックリと刺さる。
どうして、嘘を、吐く、のか?
どうしてリラ様はそんなことを?
もしかして、リラ様は僕が嘘ばかり吐いていたことに、気がついていた?
思考が半分以上遮断された脳が動くことはなく、僕は最早癖になっている愛想笑いの片鱗のようなものを張り付けることしかできなかった。
「僕がいつ、嘘をつきましたか?」
リラ様が目を見開く。一瞬、その目に何かがよぎったが、すぐに炎のような激情が覆い隠す。
「いつも……今もだよ。今も、楽しくもないのに笑っているじゃない」
「……僕の顔はいつもこんな感じです」
「違う!だって……ハルは、全然、ちゃんと笑ってないじゃない!」
胸が斬られるような痛みがはしった。
ちゃんと笑っていない。……そうかもしれなかった。
「どうして、誤魔化すの!逃げるの!私、ちゃんと伝えてる!言ってるのに……どうして、無視するのっ」
もう、リラ様の言っていることの半分もわからなくなっていた。常に誤作動気味の脳が、意識的に音を消す。
聞きたくない。
見たくないものから目を背け、聞きたくないことに耳を塞いで生きてきたせいで、自分に向けられた負の感情に耐えられなくなってしまった。
それに、リラ様なのだ。
リラ様はいつも、振り回しながらも気遣ってくれて、……守ってくれたと思う。僕の勘違いかもしれないけど。
それでも、そんなリラ様が、真正面から僕の欠落したところを突き付けてきた。
僕が見ないようにしてきたことを。聞かないようにしてきたことを。
もう、何も聞きたくない。
「……わかりました。出ていきます」
何を言ったのか自分でもわからないまま、リラ様の顔を見ないようにして後ずさる。
あーあ、何で帰ってきたんだろう。馬鹿だなあ。本当は嫌われてたのに。
わざと馬鹿馬鹿しくて安っぽい言葉に作り変えて。でも、凍りついた心はそのまま。
その時、僕の右手を包んでいた熱が離れた。
無意識で顔を上げ、愕然とする。
異様な雰囲気が消え、見開かれた瞳からも炎のような激しさが消えていた。
大切な宝物を奪われた子供のような顔で、薄い肩を震わせる。ゆっくりと、目に、唇に、表情に哀しみが広がる。
青い瞳から大粒の涙がこぼれて、滑らかな頬をつたう。
「い、いか、な……い、で」
そよ風に消えてしまいそうなほど弱く、震える声で囁く。
そうして、ぽろぽろと涙をこぼしながら、幼子のように繰り返す。
「いかな、いで。いか……ない、でっ。一人は嫌。嫌なのっ。独りぼっち、寂しい、から。消えたくない!」
無防備に泣きながら、ただ、いかないで、と。
「忘れられちゃうの、また。それで、みんないなくなって……消えて、誰、も、見てくれない……。誰も!あたしに、気付いてくれないっ!だ、から……いかないで。いかないでよ……。さびしいの、いや……だ……から」
どうしようもなく切ない気持ちに襲われる。
何て、哀しそうな目をするんだろう。子供みたいに。
僕は、リラ様の何を見ていたのだろうか。
年のわりに幼稚で、明るくて、破天荒で。それとは反対に大人びた、透明で切ない優しさを持っていて。天使のように綺麗な、多才で、天上の歌声を持つ王女。
でも、本当は、今の姿が本当の姿なのかもしれない。
捨てられた子供のように、泣いて、すがって。
そんな姿に、胸に罪悪感と痛み、動揺、愛しさが広がって。
僕は涙を流す少女の手を引いて、そっと抱き締めていた。
「え……?」
リラ様が驚いたような声を漏らす。
自分でも内心、ひどく驚いていた。それでも。
折れてしまいそうなほど華奢で、儚い少女を抱き締めたまま、囁く。
「わかった。行かないよ。どこにも行かない」
「……ほん、と?ほんと、う、に、いかな……い?」
「うん、行かない。寂しい思いをさせてごめんね」
「……あたし、消えない、の?」
話し方や仕草だけでなく、一人称まで「私」ではなく「あたし」になっている。子供の頃は「あたし」だったのだろうか。
そんな些細なことにも、切なさと愛情に似た何かが込み上げてくる。
「消えないよ。大丈夫だよ、リラ」
名前を呼んだ瞬間、ビクッと跳リラ様の体が跳ねた。
そして力一杯しがみついてくる。
今までで一番小さな声で何かを呟くと、嗚咽を噛み殺したような声で泣き出した。
どれくらい経っただろうか。
泣き止んだリラ様は、まだ幼さがはっきりと残る表情で、不安そうに僕を見上げる。
大人しくなったリラ様の額にそっと手を当てると、心なしかさっきよりも熱くなっている気がする。
「もう、大丈夫ですか?」
「……うん」
「じゃあ、寝てください。熱も上がっているようですし……」
「でもっ」
見上げてくる瞳にはっきりと恐怖が宿る。
僕はリラ様に向かって、多分、いつもよりはマシな微笑を浮かべた。
「いなくなったりしません。さっきも言ったでしょう?」
リラ様はしばらく哀しげに僕を見つめていたが、やがてこくりと頷いた。さらりと綺麗な銀髪が流れる。
「……あ、あのね、ハル」
「何ですか?」
リラ様は泣き出しそうな表情になり、僕の袖を掴む。すると、更に哀しそうな目になり、
「あの、あの、あたし、本当は……」
何かを言おうと唇を開く。しかし、ゆっくりと瞼が下がり、リラ様から力が抜けていくのがわかった。
「……リラ様?」
反応はない。泣き疲れて眠ってしまったようだ。熱が上がっていたせいもあるだろう。
真っ直ぐな銀色の髪をそっと梳くと、絹糸のようにさらさらと揺れる。行く筋も涙の跡が残る頬は赤く、触れると酷く熱くて、とろけそうなほど柔らかい。
本当に綺麗な人だ。
不謹慎だと思いつつも、鼓動の高鳴りを抑えることができない。それと同時に疑問も感じていた。
どうしてあの時、「リラ」と呼んだのだろう。それに、最後にリラ様が言おうとした言葉は、何だったのか。
僕は、リラ様の過去を知らない。
リラ様が昔、どこで何をしていたのかも、どういった経緯でこの城に来たのかも。
本当は何を胸に秘め、思い、苦しんでいるのかも。
それでも、リラ様の過去について一つだけ、わかっていることがある。
リラ様の母親は、すでに亡くなっている。そして、もう一つ。
リラ様の存在は危うく、いつ消えてしまってもおかしくないということだ。




