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××××

 白く華奢な指がゆらりと動き、次の瞬間テーブルの上のワインを跪く三人に浴びせかけた。

 形のいい唇が歪み、瞳が冷たく三人を見下ろす。


「欠点が見つからない?何をふざけたことを言っているの、あなた達は」


 少女とも女性ともつかない妖艶で甘い声が、容赦なく罵倒する。

 ワインを浴びせかけられ、しずくをぽたぽたとたらしながら、それでも三人は身動き一つとらない。

 それが少女の怒りをかきたてたようで、少女は苛立たしげにワイングラスを投げる。ワイングラスは壁に当たり、ガシャンと音を立てて砕け散った。


「貴族なら誰しも、汚いことの一つや二つしているはずでしょう。それなのに、よりにもよって高位の……ネーフェ侯爵家で見つからない!?あなた達の目は節穴なの!?」

「申し訳ありません」

「すいません、女王様」


 顔を上げる気ともできないまま、ローグとネリーは謝罪を口にする。

 しかし、ライトは少女を見上げると、


「本当になかったんですよ!侯爵家と言うのが嘘みたいにお人好しばっかで……」

「よせ、ライト」


 ローグが無感情に遮る。すると、渋々と言った風にライトは押し黙った。

 少女は無言で近くにあった香水瓶を手に取ると、蓋を開けて空中に撒き散らした。


「この、役立たずっ!」


 少女が叫んだのと同時に香水が三人にふりかかり、少女自身にもかかった。

 部屋の中の毒のような甘い香りが、更に濃くなる。紫の霧がゆらゆらと揺れた。

 少女は濡れた薄茶色の髪をかき上げ、苛立たしげに歩きまわる。その間中、三人は身じろぎすら出来ずじっとしていた。

 やがて三人の前につくと、少女は人形のように整った顔を歪め、今にも泣き出しそうな目で叫んだ。


「出てって!あなた達の顔なんか見たくない!出て行きなさい役立たず!」


 ネリーとライトはビクッと体を震わせ、足早に出て行った。だが、ローグは跪いたまま、ただ少女を見上げる。

 少女は恨めしそうな顔でローグを睨んだ。


「命令が聞こえないの。出て行きなさい」

「……よろしいのですか?」

「何がよ!」


 ローグはうっすらと酷薄そうな笑みを浮かべた。


「ネーフェ侯爵家はほっといても問題はありません。ライトの言う通り、ただのお人好し貴族です。万が一、女王様の危惧する事態になったとしても、簡単に潰すことができる」


 途端に、少女の顔から怒りが消えた。代わりに探るような目でローグを見下ろす。


「何が言いたいの?」

「何だと思いになりますか?」

「言いたいことがあるならはっきり言って。あたしは機嫌が悪いのっ」


 ローグはワインと香水が混ざって髪をつたう雫を一瞥し、興味なさそうに払う。そして、低い声で囁いた。


「問題は王女です」


 少女の大きな目が、更に大きく見開かれた。紅を引いた唇が震え、青ざめる。

「あいつが……あいつが、何をしたの。ねえ、何をしたのっ!あたしのハルに、あの女!」


 さっきまでの怒りとは比べ物にならないほどの怒りが少女を支配する。透明な瞳が瞬く間に暗く濁り、憎悪と殺意が渦巻く。


「ローグ!あの女、あの女が何をしたのっ!何を、何を!」

「落ち着いてください。まだ、大丈夫です」


 今にも爆発しそうな少女の肩に手を置き、低い声で続ける。


「……例のスパイの者によれば、ハル・レイス・ウィルドネットは、どうやら……」

「嫌っ!聞きたくない!」


 少女は悲鳴を上げ、両手で耳を塞ぐ。大きな瞳から大粒の涙がこぼれていく。


「認めない!認めない!いやぁっ。ローグ、今すぐあの女を殺して。そしてハルを連れてきて。お願いっ」


 少女は子供のように、泣きながら叫ぶ。

 不安定で凶悪で、狂った愛情を全てとする、美しく小さな女王。

 ローグは泣き叫ぶ少女を見つめ、やがてすすり泣きぐらいになると話し始めた。


「あの女を殺すことは容易いことです。しかし、今殺しては意味がありません。今までの女王様の我慢を、下の者の苦労を、全て無にするおつもりですか」


 淡々とした実直な言葉に、少女は気弱げに眉根を寄せる。すると、匂い立つような妖艶さが消え、儚げでか弱い少女のように見えた。


「そう、だけど……でも……」

「大丈夫です。全て、上手くいきます。女王様の望む、全てが。ですからもう少しの我慢です」


 少女は焦げ茶色の瞳を微かに揺らした。うつむき、柔らかな前髪がさらさらと流れ落ちる。

 次に少女が顔を上げた時には、すでに、さっきまでの弱々しさは消えていた。

 残酷で妖艶な女王の声が、紫の空間に響き渡る。


「わかったわ。もう少しだけ、待ってあげる。……あたしのために、ね」


 甘く綺麗な、夢のために。


「感謝します。……少ししたら、召使に部屋の片づけをさせましょう」


 ローグは堅苦しく一礼すると、規則正しい足取りで部屋から立ち去った。

 少女は濡れたドレスを着替えることもせず、ふらふらとベッドに近寄り倒れ込んだ。

 上を見ても下を見ても、右を見ても左を見ても。

 ただ、あるのは暗闇と紫の霧。

 どれほど豪奢な家具も、闇と霧と、部屋の主には敵わない。


「ふふふ」


 少女はいつも思い描く夢の一つを取り出し、可愛らしく笑った。

 どの夢にも、必ず君がいる。

 そして、無残な姿になり朽ち果てたあの女の姿も。


「早く、現実にならないかな」


 その日が待ち遠しい。

 蜜のように甘く、残酷で、夢のような日々の始まりが。

 それまでせいぜい、夢を見るがいい。どうせあの女は、少女には敵わない。


「今のうちよ」


 そして、あの女は二度目の絶望を味わうのだ。

 絶望し、嘆き、苦しんだ末に、死よりも残酷な生を与えてやろう。

 そうして、あの女自身の懇願により、死ぬのだ。

 少女と彼の目の前で。

 少女は心の底から嬉しそうに微笑み、甘くとろけるような瞳で闇を見つめる。


「ああ、楽しみだなあ。……××××、ハル。だいぶ待たせちゃってるよね。待っててね?もうすぐだから……」


 それまで、待っててね。





 ××の瞳から、涙がこぼれた。

 我慢していたものが決壊したように、とめどなく流れていく。

 願っていた。

 覚悟もしていた。

 それなのに。


「何で……」


 自分は、何て愚かなのだろう。

 震えが止まらない。隠していたはずの××が、××が、涙に溶けて流れていく。

 この、感情は、知っている。

 あの時絶望と共に知った、大嫌いな感情。


「×××」


 口に出してしまえば、認めたも同然で。

 涙が止まらない。

 わかっていたはずなのに、どうして。

 窓の向こうを見れば、霧のような雨が降り注いでいる。

 それが、幸せだった時間も確かにあったけれど。


「……一人じゃ、×××よ」


 いつからこんなにも弱くなったんだろう。

 これでは、守るなんて言えたものじゃない。

 それでも、彼が幸せなら。自分の全てを犠牲にしてでも、願ったことだから。


「大丈夫。大丈夫だから。今まで×××××。私は平気だよ」


 ××××、弱くて。泣かないって決めたのに。


 君の代わりに、本心で笑って見せるから。


 だから、今だけ許してね。


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