痛み
自分の部屋の椅子に腰かけ、本に目を落とす。パラリとページをめくると、またもや難解な古代文字が大量に出てくる。僕の平凡極まりない頭では到底無理だ。
「クラウス様、ここのところどう読むんですか?」
隣でさらさらと筆を走らせていたクラウス様は、ついと顔を上げると書物を覗き込んだ。
「ん?ああ……これか。翻訳、書いてやろうか?」
「お願いします」
クラウス様はテーブルに放り出された紙を引き寄せると、書物を見ながら流れるような綺麗な字で翻訳していく。まるで、ただ写しているみたいな自然な動作。
リラ様もそうだが、クラウス様と一緒にいると、自分の無能さがものすごく身にしみてちょっと哀しくなってくる。
初めから勝負にすらならないのはわかっている。だって、天才だし。
でも、やっぱり自己嫌悪は自然とわき出てくるわけで。
周りが美形だらけ天才だらけなせいか、自分がどうしようもない駄目人間に見えてくる。いや、駄目人間ですけどね。
ほとんど平凡、何年も家から出ずろくに友達もいないうえ、過去は暗黒未来にも希望ナシ、おまけに唯一の特技のせいでもはや殺人鬼レベル。
……考えるとものすごく哀しくなってくるからそれくらいにしておこう。
「書けたぞ。……お前、何でそんなに暗くなってるんだよ」
「……改めて自分がどれだけ無能で危険な駄目人間なのか、再確認しました」
「突然すぎないか?」
泥沼に入り込まないうちにクラウス様が翻訳してくれた紙に目を走らせる。
「ああ、なるほど……。ありがとうございます」
「だから普通に「ありがとう」と言えと何度言ったらわかる」
「こちらも何度も言っていますが、無理なものは無理です」
クラウス様の氷の視線は翻訳された紙を読むことで気がつかないふりをした。
「ところでお前、何でそんなもの読んでるんだ?」
クラウス様が書物に目をやる。数百年ほど前の伝説について書かれた本だ。
「こういうの趣味だったか?」
「いいえ。でも、ちょっと興味のある話があって」
話の一つに、絵の才能に恵まれた黒髪の少女の伝説があった。……どうしても、ミシュア姉さんを思い起こさせる。
ミシュア姉さんは今でこそ部屋からほとんど出ず、半分壊れてはいるが、芸術方面、特に絵画の腕はそこらの芸術家よりもよっぽど優れている。しかも、黒髪だ。
ミシュア姉さんと重なってしまい、普段は苦手な古代語の書物も何となく手に取ってしまったのだ。
クラウス様は僕が開いてるページを見ながら、
「そういえば、シャルキットはこの娘の生まれ変わりだと言われているな」
「そういえばそうですね」
シャルキットといえば、リラ様が窓から落としてしまったシャルキットのトランプを探したことがあった。あれは大変だった。というか焦った。
そういえば、初めてクラウス様に脅されたのもあの時だ。
ふと、クラウス様と話していたハイトーンの声を思い出す。
あれって、もしかして。
「クラウス様、僕がリラ様が落としたシャルキットのトランプを探していて、クラウス様と会った時のこと、覚えていますか?」
「え?……ああ、あれか。覚えているが、どうかしたか?」
「あの時、クラウス様と話していたのって、……ソフィアですか?」
ソフィアの名前を出した途端、クラウス様の口の端が上がった。鋭い藍色の瞳が優しげにきらめく。
「そういえばそうだったな。そんなに昔でもないのに、何だか懐かしい」
「そうですね」
僕も頷きながら、リラ様と出逢ったばかりの頃を思い浮かべた。
年齢よりも幼稚で、さんざん僕のことを振り回して、遊んで、笑って、怒って……本当に目が回るような日々だった。
もう、終わってしまったけれど。
胸がズキンと痛み、僕は唇を噛みしめた。
昨日の夜から治らない。弱い痛みがずっと残っていて、時々強く痛む。まるで呪いのように。
気にするな。どうせすぐに治る。ミシュア姉さんや彼女のことも、何とかなったんだから。
僕は笑顔を張り付けると、クラウス様に話しかける。
「そういえば、クラウス様とソフィアはどういった経緯でそういう関係になったんですか?」
何気なく聞くと、クラウス様は硬直した。そして、らしくない乾いた笑顔を浮かべる。
「……きっかけは、ソフィアに殺されかけたところから、だな」
「えっ」
「いきなりむこうがぶつかってきたのに逆恨みされ、次に会った時はナイフを投げつけられた」
「……」
何ですかそのヤバそうな始まり。本で見かけるような甘いラブロマンス的な要素が一ミリも入ってない。
というか、ソフィアは初対面でいきなり殺そうとしたのか?一国の跡継ぎを?しかも相手はクラウス様。普通に考えて死にますね。
ソフィアの脳内は理解不能だ。
「聞きたいか?」
「……微妙です」
聞きたくないけど、ちょっと気になる。でもやっぱり怖い。
怖気づいた僕に、クラウス様はふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「そのうち話す。というか、お前が約束を果たしてくれたらな」
「約束って何の」
「ことでしょうとは言わせない」
見事な遮りに僕は黙り込んだ。
「ところで、俺からも聞きたいことがあるんだが」
「何ですか?」
顔を上げると、いつもの無表情に戻ったクラウス様が僕の目を真っ直ぐに射抜く。冷たく鋭い眼差しにドキリとした。やっぱり、慣れていてもちょっと怖い。
「お前、二股かける気か?」
クラウス様は感情の読めない目のまま、淡々と言った。
「……………………は?」
聞き返すと、クラウス様が首を傾げた。
「違うのか?」
「違うも何も、何を言われたのかさっぱり」
「お前二股かける気か、と聞いた」
クラウス様の言葉を頭の中で繰り返してみても、全く理解不能。やっぱり耳か頭が壊れたな。
「すみません。僕耳の調子が悪くて空耳が聞こえたような……」
「空耳じゃないぞ」
キッパリ告げられ、ますます混乱してくる。
「ちょ、ちょっと待ってください。僕に二股なんかかけられると思います?まず相手いないし!」
「お前、アニーの件は断ってないんだろう?」
「そりゃ、正式に決まるのは明日だし、僕は嫌じゃないですからね」
「二股じゃないか」
「いやだから何でそうなるんですか!?」
思わず叫ぶと、クラウス様は冷ややかな無表情を崩し、不思議そうに尋ねた。
「じゃあ、リラは?」
翻訳された紙が絨毯の上に落ちる。
一拍置いて、僕は椅子ごと後ろにひっくり返った。
「おい、何をやっている!」
クラウス様がギョッと身を引く。
僕はふらふらと立ち上がり、椅子を元に戻す。
「どうしてみんな寄ってたかって僕とリラ様を恋人にしたがるんだ……」
「みんな?ってことは、俺の他にも言ってるやついるのか?というか、いちいちリアクションが大きいような……」
クラウス様の言葉が全く耳に入ってこない。
ふふふ、と僕は不気味な笑い声を漏らす。
「じゃあ聞きますけど、僕とリラ様って恋人に見えますか!?」
「ああ」
「即答するなぁっ!第一、だいぶ前に否定しましたよね、それ!?」
クラウス様は一瞬考えるような仕草を見せ、ああと頷いた。
「フラウィールの海でのことか。しかし、あれからずいぶん経っているし、やはり……」
「だから何で同じセリフ!?」
もう泣きたい。僕は一生否定し続けなければいけないのだろうか。
しかも、また胸が引き絞られるように痛む。
「……同じって、俺以外に誰が聞いたんだ?ソフィアか?」
「いいえ。ソフィアの場合、聞く以前に僕を殺しに来ると思います」
すると、クラウス様は急に口の端を下げ、溜息をついた。
「……あいつ、まだお前に迷惑かけてるのか」
「まだというか、おそらく永遠に」
「悪いな……。あいつは警戒心が強いというか、『周りは敵』みたいな認識があるから……。俺も、しばらく命を狙われたし」
「……」
クラウス様の命を狙い続けて、よく生きていられたな。
「ソフィア、実は暗殺者だったりして」
「…………冗談じゃ済まないからやめてくれ」
額を押さえ呻く。そして再び吐息を吐く。
僕はさっきから気になっていることを言おうか迷い、結局尋ねることにした。
「……あの、何度殺そうとしましたか?」
「そうだな……覚えているだけでも、百回は殺しに来たな。しかも俺が褒めたり優しくしたりした時に限って。そのくせ、俺が本当に怪我をすると泣き出すし」
僕より酷い。酷すぎる。
「あの、そんなに命を狙われまくったのに、どうして恋人になってるんですか?」
有り得ないだろう、普通。
すると、クラウス様の陶器のような白い頬にわずかに朱が入り、下がっていた唇の端が緩んだ。氷雪の瞳が、とろける。
「おそらく……惚れた弱みってやつだ」
少し照れたように、優しい微笑みを刻む。
何かもう色々とどうでもよくなるような笑顔と発言だった。
この顔でこんな笑顔でこの声でこのセリフはものすごく反則だと思います。そこら辺に女の子がいたら九割は気絶するだろう。
「すっっっごいのろけ……」
「は?」
しかも自覚してないときた。わー罪だ。
自分の周りの人がやたらと美形で天才なのは慣れたけれど、それでも哀しいものは哀しい。だって僕普通だし。個性といったら戦闘能力と頭がおかしい部分だけ。
世の中は不公平だ。
「のろけって何だ?」
「自分で考えてくださいよ……」
クラウス様は首を傾げ、それからいつもの顔に戻った。
何か、嫌な予感が、する。
「ところで、さっきのは話を逸らすために言ったんじゃないだろうな」
やっぱり来たか……。
僕は表面だけの薄っぺらい笑顔を張り付ける。
「嫌だなあ、個人的に興味があって聞いただけですよ」
「なら、いいな」
「……嫌です」
「お前が嫌かどうかは聞いていない」
真冬の北風のごとくピシャリと言ってのける。鋭い瞳が僕の奥底を探るように冷たさを増す。
正直に言うと怖いです、皇子サマ。
へらへらと笑うしかできることがないので、取り合えず笑顔のままクラウス様から目を逸らす。
クラウス様は青い瞳をひんやりと光らせ、唇を開く。
「本当に、リラのことは好きじゃないんだな?」
一泊、沈黙が落ちる。
僕は笑った。
「ええ。違います」
また、胸に鋭い痛みがはしる。それを唇を噛みしめてこらえた。
クラウス様は僕の顔を見つめ、急に物憂げな表情になり目を伏せた。
「そうか。……だが、それは」
クラウス様が何か言いかけ、迷うように口を閉ざす。そして再び口を開いた時。
「失礼します」
柔らかい声と共に、アニーが入ってきた。
クラウス様はスッと無表情になり、逆に僕は慌てふためいた。
「や、やあ!えっと、どうかしてないよ!」
「え?」
「……ごめん、今の忘れて」
嘘吐きのくせにこういう時墓穴を掘る僕って、何なんだ。……一言でいえば馬鹿ですよね。わかってるよ。
アニーは首を傾げ、部屋を見渡す。蜂蜜色の瞳が古代語の書物を見つけると、ぱあっと目を輝かせて駆け寄った。
「これ、すごく有名な書物ですね!ここに出てくるお話、大好きなんです!」
「へえ、そうなんだ。僕はあんまり読んだことないけど……」
「そうなんですか?とっても面白いですよ!」
アニーはにこっと笑うと、大事そうに本を抱きしめた。
その無邪気であどけない仕草が、誰かと重なってドキッとする。
その誰かは、リラ様のようにも、セレナのようにも、……別の人にも思えた。
「お伽噺みたいな伝説が多いですけど、今に通じる話もありますよ?特に、シャド一族はオルコット家の先祖と言われて……あっ」
楽しげに語っていたアニーが、ハッとしたように黙りこむ。そして怯えたように僕を見上げ、ついでクラウス様を見る。
オルコット家。
家にこもっていた駄目貴族の僕ですら知っている、悲劇。
昔、シャド一族という強大な一族が存在した……らしい。らしいというのは、伝説なので事実かどうかわからないからだ。
シャド一族は何故か金髪しか生まれず、そのため金色の一族という異名を持つ。
オルコット家は、シャド一族の末裔と言われ、古くから存在する貴族の家だ。シャド一族同様、生まれてくる子供のほとんどが金髪だった。呪いのように。
また、オルコット家には、国を動かすほどの力があった。
学問、芸術、あらゆる方面で優れた人材を輩出したオルコット家。だが、最も優れていたのは武力。
オルコット家の軍人は多いがそれは表向きで、実際は裏……暗殺者がほとんどだったと聞く。
優れた力。
それが、悲劇を呼んだ。
オルコット家の強大な力を恐れた貴族達は、オルコット家にありもしない罪状を突き付け、次々と失脚させた。
貴族達におとしめられられたオルコット家は、一族でクーデターを起こす。
オルコット家の力を考えれば、そう簡単には終わらない。……はずだった。
王様が直々に手を下し、血の大粛清を行っていなければ。
王様は、オルコット家のものは女子供関係なく次々に処刑し、王家に匹敵する力を持っていたオルコット家は歴史から消え去った。
今、オルコットの姓を持つ人間は、一人としていない。
これらが、数年前の悲劇だった。
クラウス様は感情の読めない冷ややかな目でアニーを一瞥し、淡々と言った。
「別に、俺の前で言ったって構わない。ハルも同じだ。……まあ、王には聞かせない方がいいけどな」
冷たい声音はいつも通りで、怒りも侮蔑もない。中性的で美しく、冷やか。
それでもアニーは眉を下げ、泣きそうな顔でうつむく。
「すみません……」
「謝れとは言っていない」
「でも……本来、このことは軽く言うべきでは……」
「そう思うなら言わなければいい。勝手に言っておいて、泣きそうな顔で謝るな」
クラウス様は冷たく言い放つと、再び書きものに戻った。
気まずい沈黙が降りる。
横目でアニーを見ると、今にも泣き出しそうな顔で唇を噛んでうつむいている。もとものと幼さの残る顔立ちだからか、ひどく弱々しくて胸が痛む。
といっても、何と声をかけたらいいのかわからなかった。
しばらくあっちを見たりこっちを見たりと怪しい行動を取りまくり、溜息をついた。
愛想笑いをつくって、アニーに問いかける。
「あの、他にどんな話があるの?」
「え……」
「よかったら、教えてくれないかな?」
アニーは驚いたように数回瞬きし、すぐににっこりした。
「はい、喜んで!例えばですね、不思議な舞で雨を降らせた民族や、歌で魔法を引き出す種族の伝説があって……」
さっきまでの表情が嘘のように、アニーが嬉しそうに話し始める。
人間的に見て絶対点数の低い僕だけど、この愛想笑いが役に立つなら、まあ、いいかな。こんな日々も。
そう思ったのと同時に、胸の奥で何かが軋む音がした。




