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相手は意外なあの人でした

 ドアをたたく音が聞こえる。

 いつの間にか寝ていたらしい。体が酷くだるい。


 ああでも、もうちょっと寝ていよう……。

「起きろ、ハル。これ以上寝ているとステラが殺しに来るぞ」


 寝ぼけた頭に温度の低そうな美声が響く。

 目をこすり、ぼーっとしながら起き上ると、目の前にそれはそれは美しい顔立ちの人が無表情で僕を見つめていた。少し顔を動かせば、艶やかな栗色の髪がさらりと揺れる。


「あれ?こんな女の人いたっけ?」


 ビキッと空気が凍る音がした。




「ごめんなさいごめんなさいっ!本当にごめんなさい、悪気はなかったんですよ本当に!」

「……悪かったな、女みたいで。正直女顔のお前には言われたくなかったが」


 ギロリとクラウス様に睨まれる。


「本当に悪気はなかったんですよ!寝ぼけてたし、あんまり綺麗なんで女の人と間違えたというか、髪をおろしてたから」


 必死に弁解すると、クラウス様は冷たく凍った無表情を崩し、


「お前の母親に頼まれたから髪をおろしていただけだ。普段は結んでいる。鬱陶しいからな」

「じゃあ何で切らないんですか?」

「面倒だから。あと、切ったら王と同じ髪型になってしまう」

「……そ、そうですか」


 相変わらず、自分の父親が嫌いなようだ。

 クラウス様はひんやりした瞳を更に凍らせ、睨む。


「お前がいつまでも寝ているから迎えに来たんだ。もう来てるぞ、ネーフェ侯爵家一家」

「嘘ぉっ!」

「嘘じゃない」


 冷たい声でバッサリ切られる。

 ちょっと待て自分。何で寝たんだ。初対面で寝るとか有り得ないし馬鹿すぎる。


「うわああああああ……」


 思わず変な呻き声が漏れた。

 クラウス様は呆れたように溜息をつき、ふいに僕の頭に手を伸ばしてきた。


「寝癖ついてるぞ」

「うわあっ!」


 恥ずかしさに顔が赤くなる。穴があったら入って埋まって永眠したい。

 クラウス様が気がついてくれなかったら、寝癖頭のまま仮の婚約者と顔を合わせることになっていた。そんなことになったら一分も正気が持たない自信がある。


「直ったぞ」

「あ、ありがとうございます。すみません……」

「出来れば普通に「ありがとう」と言ってもらいたいがな」

「うっ」


 痛いところをつかれた。

 本当に申し訳ないとは思ってる。思ってはいるけど。


「……無理なものは無理です」

「薄情者め」

「何でそうなるんですか!?」

「薄情じゃないのか」

「……」


 否定はできませんね、はい。

 むしろ薄情者の代名詞と言ってもいいぐらいだと思います。


「そ、そういえば!クラウス様はお見合い会的なやつをやってる間はどうするんですか?」

「お前の数少ない友人として出席することになった。……当事者が的なとか言っていいのか?」

「まあ、よくはありませんけど。それより数少ないとか言わないでくださ……」

「たった一人の友人でもいいけど」


僕はがくりと項垂れた。


「すみませんでした……」


 どうせ僕は友達いませんよ。過去は暗黒だし。そもそも自分自身がどうかしちゃってるし。


「おい、目が死んでるぞ……?」

「もともと死んでますから」


 他愛のない……と言っていいのかは微妙な会話をしながら階下を下りていく。

 部屋はもう準備が整っていて、正装した父さんと母さんが同じくらいの年の男女と話している。おそらく、ネーフェ侯爵とその夫人だろう。

 戸口付近にいたステラ姉さんは、僕らに気づくとつかつかと歩み寄ってきた。


「遅いわよ愚弟。皇子サマ……じゃなかった、フェルクももっと早く呼んできなさいよ。ったく男ってのは……」

「ハルが寝ていたんで起こしにくかったんだ」

「そんなのぶん殴ればいいでしょう」


 ステラ姉さんは僕とクラウス様をギロリと睨む。


「あ、あの、姉さん。今日はちゃんとドレス着たんだね。腕に包帯巻いてるから微妙に格好がつかないけれど……」

「誰のせいよ」

「僕ですごめんなさい」

「わかれば今すぐぶん殴りたいのを我慢してあげる」


 そこは普通、わかればいい的なセリフじゃなかったっけ。


「ここでグズグズしててもしょうがないでしょ。さっさとついてこい」


 部屋に入ると、今まで話していた父さん達が会話をやめた。


「やっと来たのか。すみません、うちのせがれが遅れて……」

「いえいえ。これくらい構いませんよ」


 侯爵であろう男性が柔らかな笑みを浮かべて、僕に手を差し出した。


「初めまして、ハル・レイス・ウィルドネット君。私のことは聞いているね?」

「あ、はい。ネーフェ侯爵……ですよね」


 侯爵は優しい笑顔のまま頷く。そして、夫人の背後に隠れている小柄な影を呼んだ。


「ほら、アネル。こっちに来て挨拶しなさい」

「はい」


 夫人の後ろから聞こえてきた声には、聞き覚えがあった。

 髪を綺麗に結いあげ、ふんわりしたドレスに身を包んだ少女が出てきて、僕に向かって控えめに微笑む。

 くるくるした赤い癖っ毛に、蜂蜜色の丸い瞳。やや幼げな顔立ち。


「アネル・キャセラン・ネーフェと申します。お会いできて嬉しい限りです、ハル様」


 僕はポカンと口を開けた。

 令嬢らしく綺麗な格好をしているし、まとう雰囲気も仕草も優雅だ。

 しかし。しかしですね。どう頑張って意識から取り除こうとしても、別人だと言い聞かせても。


「……アニー?」


 あの滅茶苦茶な旅で同行した、侍女のアニーにしか見えない。

 僕が恐る恐る尋ねると、アネル嬢は恥ずかしそうに頬を染め、


「はい。お久しぶりですね」


 こくりと頷いた。

 え、何それどうなってるの。僕の頭はギリギリアウトだと思っていたけど、実はもっと逝っちゃってるんだろうか。

 思考は完全に遮断され、猿レベルくらいには馬鹿になっている僕は、いつも通りの愛想笑いをつくった。


「あー、うん。久しぶり」


 あはは。これは夢か何かかな。

 夢オチに期待して逃げていると、急にアニーが唖然としたように固まった。視線は僕の隣。

 もちろんそこには、クラウス様がいるわけでして。


「あ、あの、そこにいるのってクラ……」

「待って!アニー頼むから言わないでお願いいだっ!」

「え、で、でもでもその人どう見ても」

「頼むから言わないで!」

「ハル、落ち着け!俺の件は大丈夫……」

「ちょっと来て!」


 混乱やら何やらで完全に思考力がゼロになった僕は、後先考えずアニーの手を掴んで走り出した。


「どこに行くんですか!?」

「わからないっ!ごめん!」


 自分でも何をしようとしてるんだか理解不能だ。


「だから待てって!ハル!」

「人の話を聞きなさいよ愚弟!」

「ハル、待ちなさい!」


 背後からとんでくる声ももはや単なる雑音にしか聞こえず、僕は無我夢中で走った。




 勢いで家を飛び出し、茂みまで来てやっと僕は足を止めた。

 アニーの手を離し、息が整うのを待つ。

 そうしているうちに、壊れた脳にも一応冷静さが戻ってきて、僕は青ざめた。

 何やらかしてるんだよ僕。


「ご、ごめんアニー!さっきのは勢いというか何というか、頭がおかしかっただけなんだ!混乱しすぎたというか、いやそんなのどうでもいい。戻ろう」


 筋の通らない滅茶苦茶ないい方に、アニーは困惑した顔になる。

 今の僕に説明とか、ここら辺の家を全て破壊しろと命じられるよりもよっぽど大変だ。……僕はもともと壊し屋だけど。


「何かもう本当にごめん!とりあえず戻ろう!」


 急いで踵を返すと、服の裾を強く引かれた。

 振り向くと、アニーが酷く真剣は眼差しで僕を見つめていて、妙に恥ずかしい。


「ハル様。できれば、ここで少しお話しませんか?」

「……え?それ、冗談……とか?」

「冗談ではないです」


 ……ですよね。はい。


「二人きりで話したいと思っていましたから。……全てお話ししますので、ハル様も私の質問に答えて下りますか?」


 アニーは自信のなさそうな顔をする。

 そんな顔をされたら、断ろうにも断れない。

 後でみんなには何て言い訳をしよう。あーあ、ステラ姉さん怒ってないといいなあ。


「……わかった。いいよ」


 途端にほっとしたように口元を和ませ、可愛らしく微笑む。


「よかった」


 少女らしい、あどけなさの残る優しい笑顔に、胸がズキンと痛んだ。

 何かが重なったような気がして。

 引き絞られるように痛む胸を押さえると、アニーが心配そうに顔を曇らせた。


「どうかされましたか?」

「……いや。何でもないよ」


 脳裏に浮かぶ何かを振り払い、作り笑いをする。

 こういう時は、笑顔は便利だといつも思う。例え、偽物でも。


「じゃあ、私からお話ししますね?」

「うん。よろしく」


 アニーは一瞬視線を彷徨わせ、すぐに僕と目を合わせた。


「まず、謝らせてください。私はハル様を騙しました。本当に申し訳ありません」

「ああ、侍女の時のことだね」


 僕が頷くと、アニーは辛そうに唇を噛んだ。


「あれは、ハル様がどんな方かを知るための仮初の姿です」

「……え?」

「旅に出る前から、私とハル様の縁談話は出ていたのです」


 アニーの言葉を理解するのに、たっぷり五分は固まっていたと思う。

 僕は軽くよろめき、木の幹に手をついて何とか体を支えた。


「大丈夫ですか!?」

「うん……それはいいんだけどさ……。つまり、何カ月も前から、僕と君の婚約は決まっていたの?」

「決っていたというか……まあ、簡単に言えばそうなります」

「それで、君は僕を見定めにアニーという偽名を使って、侍女のふりをしていたの?」

「それは違います!」


 急に叫んだかと思うと、アニーは再びおどおどした目になり、


「ほ、ほとんどその通りですけど……アニーは偽名じゃありません。私の愛称です……」


 最期の方は蚊の鳴くような声になって消えてしまった。

 アニーは怯えたような表情のまま、上目遣いで僕を見つめる。


「本当に申し訳なかったと思います。許してもらえなくても……」

「別にいいよ」

「へ?」

「僕、そこまで心狭くないし」


 アニーは信じられないものでも見るような顔で、瞬きをし続けている。

 実のところ、僕の壊れた頭では整理できず、何がなんだかよくわかっていないのだ。

 でもまあ、それくらいのことで謝ることもないと思う。

 僕が笑いかけると、アニーは瞬きをしながら、


「本当にいいんですか?」

「うん」

「私はハル様を騙したんですよ?」

「それくらい騙したとは言わないよ」

「……本当に、いいんですよね?」

「うん」


 アニーは深々と溜息をつき、僕と同じように木にもたれかかった。


「……怒られるのも、嫌われるのも、軽蔑されるのも覚悟してたのに……拍子抜けです」

「そんな大袈裟な……」

「ハル様は優しい方ですね」


 再び、胸がズキンとする。

 でも胸が痛くなる理由がわからない。

 僕は、何を重ねている?


「ハル様?」

「え!えっと何?」

「何だか哀しそうに見えたので……。やっぱりお許しいただけ」

「違うから。……何でもないよ。それより、次は僕が答える番だよね」

「はい」


 話を逸らすのは成功したようだ。内心安堵しながら、言葉を紡ぐ。


「説明下手だから、わかりにくいかもしれないけれど……」

「いいえ、そんな!……まず、聞きたいことなのですが、さっきハル様の隣にいた方はクラウス様ですよね?」

「そうだよ」


 ここで嘘を言っても仕方がない。もうすでにばれている。


「何であそこにいらっしゃるのですか?」

「……それ、僕が聞きたいな……」

「え?」

「いや、こっちの話。クラウス様の件は、僕にもよくわからないんだ。多分僕のせいだけど。あの人がクラウス様だってこと、秘密にしてくれないかな?」


 アニーは少し混乱しているようだったが、僕が頼むとこくりと頷いた。


「わかりました。お約束します」

「ありがとう。じゃあ話も終わったし、戻ろうか」

「お待ちください」


 アニーがどこか必死な声で叫んだ。

 振り返ると、困ったような、申し訳なさそうな目で僕を見上げている。


「まだ、話してないことがあるの?」

「いいえ。私が、ハル様にお聞きしたいことがあります」


 珍しく早口でまくしたてると、また迷うように口を閉ざす。

 何だろう。何か聞かれるようなことしたっけ?

 ていうか、何か前にもこんなやり取りがあったような。

 内心首を傾げながら、アニーの質問を待つ。

 アニーは迷うように視線を下に落とし、うつむく。

 やがて顔を上げると、真剣な表情で口を開いた。


「ハル様は、本当にリラ様の恋人ではないのですか?」

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