姉さんも彼も不機嫌なようで
快晴の午後。
ちょっとお茶を飲むのに便利な店で、僕は愛想笑いを浮かべていた。
目の前には、不機嫌絶頂のステラ姉さんと、鉄壁無表情の美青年。
僕、何しに家に帰ってきたんだっけ。
「……遅い」
「黙れ」
「貴様、俺に向かってそう言う口のきき方……」
「黙らないと首をとばすぞ」
ステラ姉さんがドスのきいた声で凄むと、向かいの青年は溜息をついた。
不快そうに眉根を寄せる姿すら、美しい。
そんな最上級の芸術品のような青年は、無表情で僕を見つめ続ける。氷の眼差しは、一見冷たいが奥に明確な怒りを隠していた。
あの、僕はどうすれば。というか、どうしてこうなった。
「……失礼ですが、どちら様ですか?」
恐る恐る尋ねると、青年は鉄壁の無表情を僅かに歪ませた。
「しらを切るつもりか」
「い、いや、そんなつもりでは」
「……聞き方が悪かったか。お前は、俺が誰に見える」
一瞬で人を凍らせるような氷雪色の鋭い双眸。艶やかな栗色の長髪を無造作に結び、軍隊の服や帽子で隠しても、隠しきれない美貌とオーラ。
誰に見えるかと聞かれれば、一人しかいない。
「……クラウス様、ですよね」
クラウス様は無表情のまま頷いた。
……できれば間違いでいて欲しかった。
クラウス様は無表情のまま、凍てついた美声で
「どういうことなのか、説明してもらおうか」
「いやあの、先に僕が説明してほしいです」
クラウス様は冷ややかな視線を僕からステラ姉さんに移す。しかし、ステラ姉さんは怯えるどころか、相変わらず不機嫌全開顔だ。我が姉ながらすごい。
「まさか、言ってなかったわけじゃないだろうな」
「私は暇じゃないのよ。いくら皇子サマだからって調子に乗らないでくれる?」
バキッと空気に亀裂が入った。姉さんとクラウス様の間に。
怖いです。滅茶苦茶怖いです。
「あの……二人とも、落ち着いてくれませんか。周りの人が怖がって……」
「誰のせいだと思っている」
二人同時に遮りやがった。
この人達に接点あったっけ?いつの間にこんなに仲良く……はないか。どう見たって険悪な雰囲気全開だ。
おかげでお茶を飲んでいた客はそそくさと逃げ去り、入ってきた客は店主と顔を合わせる前にでていく。店主さえ、怯えて厨房から出てこない。
これ、深刻な営業妨害なんじゃないだろうか。
僕は作り笑いをひっこめ、溜息をこぼす。
「説明しろというなら、します。でもその前に、クラウス様から話してもらえませんか」
クラウス様が瞳を冷たくきらめかせる。そうして、薄く微笑んだ。
「……いいだろう。お前が聞きたいのは、何故ここに俺がいるか、だろ?」
「ええ」
「ステラは俺の護衛の一人だ」
「えっ?」
思わずステラ姉さんの見ると、姉さんはじろりと僕を睨み返す。
「何か文句ある?」
「文句はないけど……」
そんな話聞いてない。
「お前に話が伝わる前に、ステラから聞いた」
……え?
あの、それはつまり。
「姉さんっっっ!何軽く人の個人情報流してるんだよ!」
「何よ。文句ある?」
「それこそ大アリだよ!せっかく誰にも話さないでおこうと……」
「だから俺にも言わなかったわけだな」
全身から温度が抜けた。ついでに魂も持って行かれそうになる。
怒ってる。
クラウス様、滅茶苦茶怒ってる……!
全身から冷たいとかいうレベルじゃないほどの冷気が発せられ、同時に膨大な量の殺気がビシビシ来る。ちょっとでも触れた絶対に凍る。物理的に。
ここで作り笑いしたら、余計怒らせるだろうか。
しかし染み込んでしまった癖はどうにもならず、また曖昧な笑みを顔に張り付けた。
「……怒ってますか?」
「ああ。見ればわかるだろ」
そう言いながらも、完全なポーカーフェイス。余計に怖い。
「あの、どうやってこんなところまで来たんですか。クラウス様ほどの地位のある人がこんな……」
「今はそんなのどうでもいいだろ」
さっきまでの氷の彫刻は一瞬で溶けた。
切れ長の目をつり上げ、明らかに怒った顔をした。
「どうして言ってくれなかった」
「あまり、他の人に知らせたくなかったので。すみません……」
「謝るな。それと、そんな言い訳は聞きたくない。……どうして俺に言ってくれなかった」
ザックリと胸を抉られる。
クラウス様は怒ったような、哀しげな顔で続ける。
「だいぶ前になるけど、覚えているか。旅先でした約束」
「約束?……友達になろうって話ですか?」
僕が聞き返すと、クラウス様は更に目をつり上げた。
「それは約束とは言わないだろ。俺が言ってるのは、「クラウス様」という呼び方と、敬語をやめろって話だ」
「あー……そういえば、そう、ですね。そんな話もあったような。でも、約束した覚えは……」
「ないとは言わせない」
バッサリ切られた。
こっちに非があるので何も言い返せないのが辛い。
「あんたこの皇子サマにそんな約束とりつけられてたの?いつからよ?」
「ステラ姉さんには関係ないから……」
「何ですって?オイコラぶっ殺すぞ愚弟」
「ハルを愚弟と呼ぶな」
「世継ぎだからってエラソーに指図するなクソ皇子」
「……処刑していいか」
「やれるもんならやってみなさいよ」
ステラ姉さんが加わったせいで、話の収拾がつかなくなってきた。
ていうかこの状況、本当にどうしよう。
「……あのーそろそろ喧嘩はやめに」
「誰も喧嘩はしてない」
二人そろって言い返すのやめようよ!
「大体どうして貴様がここにいるんだ。話が進まないのはどう考えたって貴様のせいだ!」
「はあ?あんた誰のおかげで外に出られたと思ってるの!?」
「貴様は何もしてないだろ!」
「したわよ!ちゃんとハル連れ出したし!」
この二人、僕から見たらどうしてった喧嘩にしか見えない。黒々とした殺気がぶつかりあっていなければ。
「もーいいわ。世間知らずの皇子サマに何言っても無駄ね」
「……次、皇子サマと言ったら本当に殺す」
「文句あるならやるか!?」
「いいだろう。殺される覚悟があるならな」
「この私があんたごときに殺されるわけないじゃない。死ぬのはあんたよバーカ!」
うわっ、姉さん大人げない!二十歳を超えた大人が言うセリフじゃないよ!
でも確か、クラウス様も十九、二十くらいだったような……?
と考えているうちに、本当にヤバイ事態が発生した。
店内であるにも関わらず、クラウス様が腰にさした剣を抜き、ステラ姉さんの方に構えていた。
見惚れるほど美しい姿勢。が、残念ながら見惚れている時間はない。
「クラウス様、やめてください!ここ店内ですから!」
クラウス様がハッと構えを解く。その瞬間姉さんが飛翔し、
「もらったわよ!」
クラウス様に向かって蹴りを放つ。紙一重でそれをかわしたクラウス様は、再び剣を構える。
「いやだから姉さん!それは店の迷惑だって!」
「うるっさいわねガキのくせに!」
体勢を立て直したステラ姉さんは、僕を無視してクラウス様に拳を放つ。遠くで悲鳴が上がった。おそらく店主だ。
「姉さん本当にやめて!クラウス様も剣をしまってください!」
「この状況じゃしまいたくてもしまえないだろ!」
確かにクラウス様の言う通りだ。今のところ一撃も当たっていないが、ちょっとでも隙を見せるとやられる。剣をしまってる間は絶好の隙だ。
しかし、万が一剣が店内の物を切り裂いたら大問題。店主らも危険だ。こうなったら姉さんを止めるしかない。
正直言ってやりたくない。
いい加減戦闘には耐性ついてきたけど、後でステラ姉さんにどんな抱腹をされるかと思うと、気が引ける。
でもまあ、やるしかない。
軽く息を吸い込み、間合いを詰めてステラ姉さんの腕を掴もうと手を伸ばす。が、その瞬間まともに蹴りをくらって吹っ飛んだ。
「おい、ハル!?大丈夫か」
クラウス様の焦った声。再び悲鳴も聞こえる。ただ、思い切り頭を打ったせいで視界がぼやけていた。
やっぱり姉さんはえげつない。
「私の邪魔するなっての、愚弟のくせに」
「だからハルを愚弟と呼ぶのはやめろ」
「うるさい!女一人止められない奴に言われたくないわねっ。ったく、『弱虫』のくせにでしゃばるんじゃ……あっ」
空気が凍りついたのと、脳内ですでにボロボロ状態のリミッターがはじけとんだのはどちらが先だっただろう。
ゆっくりと立ち上がり、服についた汚れを払う。
「ちょ、ハルごめん!さっきのナシ!」
「ハル、落ちつけ!」
引きつった顔で謝るステラ姉さんの声も、クラウス様の警告も、全く耳に入らない。
何を今更。
「……ステラ姉さん、今、僕を『弱虫』って言ったよね」
「いやだから」
「姉さんを止めればいいんだろう?」
「ハル、やめろ!ここじゃ被害が……」
クラウス様の制止がとんだ時には、もう遅かった。
「すみませんすみません本当にすみませんごめんなさい」
さっきから謝りっぱなし。でも、それしか僕に道はなかった。
「謝ってすむとでも思ってるの」
「思ってないけどごめんなさい本当にごめんなさい」
ステラ姉さんに凄まれ更に謝る。一方、クラウス様は複雑そうな顔をしていた。
「……結局ハルが暴れた被害が一番大きかったな」
「ごめんなさいすみませんごめんなさいっ!」
「……どうでもいいけどよく噛まずに謝り続けられるな」
クラウス様は小さく溜息をつくと、わずかに表情を緩めた。
「もう謝らなくていいから。俺もステラも平気……」
「平気じゃないけど!」
ステラ姉さんは目をくわっと見開いて怒鳴りつけた。
「あんたのせいで私の左腕がボッキリ逝ったんですけどどうしてくれんのよ!おまけに背中と後頭部強打!ふざけんなっつーの愚弟が!」
ギクリと身を引く。
「俺もかなり痣はあるがな……」
ぼそりと呟かれた言葉に反論できない。
だって、事実だから。
ステラ姉さんに『弱虫』と言われ、理性がとんで暴れたらしい。自分では覚えていないのでそのとき誰に何をしたかは全くわからないが、正気に戻った時には店は悲惨な状態になっていた。
壁はひびだらけ、家具は全て倒れていて壊れていなものはほとんどなく、ガラスは割れていてとにかくめちゃくちゃ。
おまけにステラ姉さんとクラウス様は負傷しているのに僕だけ無傷。
どう考えたって僕が悪い。
というか、最近『化け物』になるのが早すぎる。もはや短気とかいうレベルじゃない。
自分で自分をコントロールできない自分に恐怖さえ感じた。
「あの、本当にごめんなさい」
謝るものも、クラウス様の目を見ることができず、つい視線がそれてしまう。
「……だからいいって。店の修復費用は俺が手を回しとくし、怪我のことなら気にするな。ステラも元々休みを取っているから、仕事の心配もない」
「だからって私に怪我させた罪が軽くなるわけじゃむぐっ!?」
クラウス様はステラ姉さんの口を塞ぎ、溜息をつく。
「それに、俺とステラの責任もあるしな。悪かった」
「い、いいえ……」
何となく居心地が悪く、視線を彷徨わせる。
クラウス様は悪くない。それがわかっていながら、甘えてしまう自分に苛立つ。
どうしてこうも、弱いんだろう。
「それはそうと」
ステラ姉さんの口から手を離し、クラウス様は急に冷ややかな目をして言った。
「さっきの答えを聞こうか」
「……答え?」
「何故俺に言わなかったのか。それと、呼び方と敬語の件」
うわっ、覚えてたのか!
「いやその……それはナシということ……」
「できないな」
「いやでもっ!ほら、クラウス様はそろそろ帰らないとマズイんじゃ……」
「ああ。それは心配しなくていい」
「へ?」
どういうことですか、それ。何だか嫌な予感がする。
恐る恐るクラウス様を見ると、冷やかな表情にうっすらと笑みを浮かべていた。
「答えを聞くまで、お前の家にいることになった」
……僕は本格的に頭がおかしくなったかもしれない。