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好きでした

 目を覚ますと、そこはいつもの自分の部屋だった。

 閉じられたカーテンから漏れる光が眩しい。今何時だろう。

 体が妙にだるくて、視界もはっきりとしない。

 ふと、昨日のことを思い出した。

 雨の中でのソフィアや、クラウス様と王様のやり取り、暗示、『化け物』の声、……セレナ。

 駄目だ。思い出すな。何も考えるな。

 僕は昨日の出来事から意識的に目を逸らした。

 とりあえず、リラ様には何とか繕って、王様には極力会わないようにしよう。そういえばクラウス様は大丈夫だろうか。

 でもまあ、この暮らしもあと少しだ。

 その時が来たら、僕はネーフェ侯爵家のご令嬢と結婚して、王命も消える。厄介事に巻き込まれることもなく、『化け物』のことも忘れて、平和な生活に戻るのだ。

 それが本当の幸せなんだ。

 ……じゃあ、この気持ちは一体何だろう。

 どうして、こんなに虚しい?

 ふいに脳裏を誰かの笑顔がかすめたが、僕は頭を横に振り、ベッドから離れた。




 小さな女王の部屋は、いつもどおり甘い香りで満たされていた。

 紫色の花を生けた花瓶を手に、ネリーはゆっくりと部屋に入っていく。もう慣れたが、この部屋は意識が融かされそうになる。普通の人間が入ったら、間違いなく発狂するレベルだ。

 まるで、甘い毒のように。

 ネリーは花瓶を定位置に置くと、レースのカーテンがかかったベッドに近づき、カーテンを引っ張った。


「女王様、時間ですよ、時間。そろそろ支度してくださいよ」


 いつものように告げると、ネリーの女王様は上体を起こし、


「もうそんな時間?」


 眠そうに目をこする。

 薄茶色の髪が、体の動きに合わせてさらさらと揺れ、部屋と同じ甘い香りを振りまいた。


「そーですよ。嵐も収まったみたいだし」

「そっか。じゃあ、待っててね」

「はいはい」


 適当に返事をすると、少女は愉快そうにクスクスと笑った。

 可憐さと妖艶さ、相反する魅力を持つその魔性の微笑みで、一体何人の男を惑わせてきたんだろうとネリーは思った。

 少女は薄紫色のガウンを脱いで、濃い紫のドレスに着替える。半袖から伸びる細い腕は、やや不健康に見えるほど透き通っている。

 リボンの髪飾りを今日は胸元にブローチのように留め、ネリーの方に向きなおった。


「ねえ、どう?似あってる?」

「お似合いですよ。いつも通り。女王様は世界一の美少女なんだから当たり前でしょ」

「ふふっ。ネリーはお世辞が上手だね」


 少女は無邪気に言うと、急に赤い唇を歪めて、艶めいた笑みを浮かべた。


「さぁて、次の計画だね。まずは、ちょっと厄介な例の侯爵家から行きましょうか」


 妖艶な紫の女王が、青白い右手を明かりにかざす。

 ネリーは、この瞬間が大好きだ。

 絶対的な支配者の下す、残酷な命令が。

 ゆっくりと少女の右手が下され、焦げ茶色の瞳が冷たく輝いた。


「あたしのハルに手を出そうとしたこと、死ぬほど後悔させてあげるわ」




「ハル、用意できた?」


 荷物をまとめ終わった直後、部屋にリラ様がとびこんできた。


「ええ、できました。もう行きます」


 僕はリラ様に向かって、笑みを浮かべた。


 あれから一週間以上たつが、王様は何も言ってこなかった。

 リラ様はいつも通り僕を振り回し、ソフィアにはナイフを投げつけられるという、忙しくも平凡な日々を送っていた。

 あれ以来、クラウス様だけが少し暗い表情をしていたが、僕にできることはない。罪悪感は湧くがどうしようもないことだった。

 それに、城での日々も今日で終わり。

 一応お見合いのために家に帰ることにはなっているが、ここに戻ることはないだろう。

 そして、リラ様とも、他のみんなとも。

 クラウス様には僕がここを去ることは言っていない。悩んでいる時に僕が余計なことを言って邪魔をするのは嫌だし、何より僕が会いたくなかった。

 初めてできた友人に会ってしまったら、ここを離れられなくなってしまうから。

 今までも家族に負担をかけてきたのに、今回の話を僕が断ったりでもしたらそれこそ社会的な地位が揺らぐ。

 相手はネーフェ侯爵家なのだ。断れるはずがない。僕にできるのは、せいぜい愛想笑いを浮かべて社交辞令でも言うくらいだ。

 戻ることはできないのだから、クラウス様に会ってはいけない。

 恨まれるかなあ。

 でもまあ、いつかはこうなる運命だったんだから、仕方ない。

 寂しいとは思わない。思っていない。思っていない……はず。

 なのに、何故だろう。

 リラ様の澄んだ瞳を見ると、気持ちが揺らぎそうになる。


「……ハル?どうかした?」


 僕が黙りこんでいたからか、リラ様が心配そうに近づいてきて、僕の顔を覗き込んだ。

 ドキリとして目を逸らす。

 さりげなく距離を取って、再び曖昧な笑みで答えた。


「今日でこの部屋ともお別れかと思うと、ちょっと思うところもありまして……。まあ、リラ様から離れられるのは嬉しいですね、楽になれて」

「何ですって!人がせっかく別れを惜しみに来たのに!」

「出来れば来ないでほしかったです」

「最低!もう帰るわ、バーカ!」


 リラ様が子供っぽく頬をふくらませて怒る。しかし、帰ろうとはしなかった。

 子供みたいで、だけど時々大人っぽい眼差しをする、不思議な王女。

 思えば、僕はリラ様に嘘ばかりついてきた。


「……すみません」


 ぽつりと漏らした呟きに、リラ様が首を傾げる。


「え?」

「何でもないですよ」


 リラ様にはものすごく振り回されたし、迷惑をかけられた。

 でも、数え切れないほど助けられもした。

 その笑顔に、その無邪気さに。誰よりも美しい歌声に。

 素直に言えば、リラ様と過ごした日々は、すごく楽しかった。


「短い間でしたが、ありがとうございました」


 だから最後くらい、本当の笑顔で、本当の言葉を贈ろう。

 透き通った瞳から目を逸らさず、真っ直ぐに。


「何だかんだで楽しかったです。それに、遊びは絶対に負けるので嫌でしたが、リラ様の歌声は好きでした」


 リラ様が目を見開く。ついで、整った顔が苦しげに歪んだ。

 ああそういえば、リラ様は年下だったなと今更なことを思う。


「またいつか会う機会があったら、リラ様の歌を聞かせてください」


 リラ様は何も言わず、うつむいた。綺麗な銀色の髪がさらりと流れ落ち、表情を隠す。

 僕は無言でリラ様を見守る。

 どのくらい、そうしていただろうか。

 やがてゆっくりと顔を上げると、今にも泣き出しそうな目をしながら、震える声で、


「ええ、もちろん!今よりもっと上手くなって、ハルを驚かせてあげるわ!」


 そう告げて、晴れやかに微笑んだ。

 真夏の青空のように澄み切った、少し切なげな瞳で。


「でも、心配だな~。ハルってヘタレだし、相手にふられちゃうんじゃないの?」

「変なこと言わないでくださいよ……。何か心配になってきた」

「まあ、頑張ってね?」

「何をですか」

「ふられないようにとか?」


 冗談めかして言うと、急に穏やかな優しい目をして微笑んだ。リラ様の桜色の唇が、静かに開く。


「幸せになってね。……じゃあ」

「ええ。さようなら」


 僕はリラ様の柔らかな眼差しに背を向け、歩き出した。

 振り返らないように。真っ直ぐ。戻ることはできないから。

 もう視界にはリラ様がいないのに、あの綺麗な笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。

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