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少年のトロイメライ

「白は嫌い。紫が好きなの」


 そう言って、君は笑う。

 その華やかな笑顔は太陽より眩しくて、つい目を細める。


「そっか……。あれ?でも、紫も嫌いなんじゃなかったっけ?」

「うん。嫌いで好き」

「えっ」


 意味がわからなくて、混乱して。慌てふためく僕を君は面白がるんだ。

 抜けるような青空の下、二人でいつまでもただ過ごしていたかった。

 幸せだった。

 胸が締め付けられるくらい、綺麗で優しい日々だった。

 さらさらと風になびく薄茶色の髪も、少し大人っぽい笑顔も、澄んだ瞳も、優雅な仕草も。

 全て、鮮明に思い出すことができるんだ。

 でも、何故だろうね。

 僕は何か、大切なことを忘れているような気もする。

 僕と、君と。時々ステラ姉さんも加わって遊んだ時間。

 欠けてるものなんて何一つないのに、何だか寂しく感じる。

 それは僕が『弱虫』だから?

 別に、本当は『弱虫』でも『化け物』でもよかったんだ。君が傍にいてくれれば。

 でも、君はいなくなってしまったね。

 僕が『弱虫』だから?それとも、『化け物』だから?

 今更尋ねたって遅い。

 もう、何もかもが遅いんだ。

 それに今の僕は、昔の僕じゃない。

 未来には歩めないくせに、退化はしてるみたいだ。

 ああ、嫌だ。

 僕はどうして生きてるんだろう。

 死ぬのが怖いから?

 きっとそうだね。やっぱり『弱虫』だ。

 ごめんね、セレナ。

 やっぱり、君なしじゃ無理だよ。

 僕は外に出たらいけないんだ。自分で自分を止められない。君がいないと、ただの危険物になってしまう。

 どうしたら、また君に会えるかな?

 君はどこにいるの?


『じゃあ、お前はどこにいるんだ』


 さあね。真っ暗で何も見えないんだ。わかるわけないよ。


『お前は誰だ』


 あれ?思い出せない。

 僕は誰だっけ。


『思い出せないなら、全てを捨てろ』


 どうして?


『そうしたらセレナに会える』


 本当?

 それなら、従うよ。


『そうだ。お前はただ、『化け物』として生きればいい』


 そうか。そうだね。

 教えてくれてありがとう。

 やっと、存在理由に気づいた気がする。


「違うわ」


 凛と透き通った、綺麗な声がした。


「駄目よ。忘れちゃ駄目。あなたは人間だよ!」


 僕が人間?

 何で忘れちゃ駄目なんだ。


「きっと戻れなくなる」


 別にいいよ。そういう運命なんだから。もう、生きること自体辛いんだ。

 セレナに会えればそれでいい。

 もう僕は、自分の名前さえ思い出せないんだから。


「なら、私が教えてあげる。君はハル・レイス・ウィルドネット。せっかく変わった名前なんだから、忘れないでよ」


 ハル・レイス・ウィルドネット?それが僕の名前?


「そうだよ。思い出した?」


 ……わからない。でも、そんな名前だったような気もする。

 じゃあ、君は?

 君は誰?


「私は……君の、忘れてしまった過去の一つ」


 過去か。ああ、だから、何だか懐かしいような気がしたのかな。

 でも、ごめん。君のこと、思い出せないみたいだ。


「いいよ。私のことは忘れていてもいいの。……でもね」


 急にふわりと温かな風に包まれて、同時に胸に痛みがはしる。

 誰だかわからないこの存在の、綺麗で哀しげな声のように。


「……君には、未来に進んでほしい。それが、私の罪滅ぼしで、願いだよ」


 それだけ告げると、声が、音が静かに消えていった。




 また、闇に戻ったみたいだ。

 何も見えないけれど、そんなような気がした。

 過去の一つ。それが、僕の欠けた部分の一つなんだろうか。

 答えはない。……そりゃそうだ。

 皮肉めいた笑い声をあげても、すぐに消えていく。

 何もできないし、何もしたくない。自分が今どこにいて、何をしているのかもわからない。ただ、闇に身を任せて沈んでいく。

 目を開けてもどうせ変わらないから、目は瞑ったまま。

 でも、何故だろう。

 右手だけ、少し温かかった。

 闇に温度なんてあるわけがない。感覚はすでに消えた。

 なのに、何で。

 まあ、いいか。何だか気持ちいし。それに、この温もりがある間は、さっきの声と自分の名前を思い出せるような気がした。

 ふっと口元を緩めると、耳のすぐ傍で再び声がした。


「目を開けて」


 さっきとは違う声だった。

 似ているけれど、もっと幼くて甘い。それなのに、寂しげな響きのある声だった。

 懐かしい声。遠い過去のカケラ。


「お願い。目を開けて」


 どうして?目を開けたって、何も変わらないじゃないか。


「そんなことない。お願い」


 嫌だよ。僕はもう、疲れたんだ。


「……うん、わかってる。ごめんね。でも、開けて」


 わかったよ。開けるよ。

 うっすらと目を開くと、やはり何も見えなかった。

 ほらね。変わらない。闇しかないじゃないか。

 再び目を閉じようとした瞬間、右手の温もりが強くなった。


「右手を見て」


 反射的に目を向ける。すると、ぼんやり光っていた。

 今にも消えてしまいそうな、小さな淡い光。しかし、闇の中だから充分眩しかった。


「その光はね、私にとってのあなただよ」


 ……嘘だ。

 僕が光になれるはずないじゃないか。今だって、自分が見えない。


「そんなことない。あなたは私にとっての希望なの」


 光がだんだんと強くなっていき、思わず目を細める。

 と同時に、今まで僕しかいなかったはずの空間に、華奢な姿が浮かび上がった。

 右手の光をかざす。そうして、自分の目を疑った。

 透き通るような肌、さらさらと揺れる薄茶色の髪、すらりと手足が長く大人びた表情を浮かべているが、まだ幼い少女だった。

 切なげに透き通った瞳が僕を見つめる。


「君は……!」


 久しぶりに出した声は、掠れてみっともなかった。

 逆に少女から発せられる透明で涼しげな声は、闇の中に響き渡る。


「大丈夫。きっと、すぐに忘れる。私は必要のない過去」


 そんなことないと言おうとしたのに、実際には言えなかった。ただただ、その懐かしい姿を見つめることしかできない。

 少女が唇をゆっくりほころばせ、微笑んだ。


「でも、ずっとずっと、ハルの味方だよ」


 見惚れるほど美しい笑顔だった。

 少女はその笑顔のまま、スーッと闇の中に消えていく。


「待って!」


 まだ何もしてない。何も言えてない。だって、僕は、僕はっ!

 必死で手を伸ばす。しかし何もつかめない。あるのは闇だけ。

 何で。何で待ってくれないんだ。

 謝りたいのに。ありがとうって言いたいのに。……傍にいて欲しいのに。

 目の前がぼやけていく。頬を、冷たい何かが流れていた。

 ねえ、これは何?君ならわかる?

 この問いかけは、誰にも届かない。それはわかっている。

 それでも僕は祈るように、再び目を閉じた。

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