雷鳴は轟く
激しい雨と唸るような風がうるさくて、欝屈した気分を一層不快にさせる。
どこかで悲鳴が聞こえたような気がした。
肌寒さを感じ、薄紫色のガウンの上からショールをはおり、再びベッドに横になった。
外と切り離された閉じた世界。
世界中のどこよりも美しく、永遠に相応しい空間。
ベッドの上で、少女は甘い闇に手をかざし、スーッと唇を開く。
「あーあ……この悲鳴が、あの女のものならいいのに。雷があいつを焼き殺してくれないかしら……なんて、ね。ふふっ」
子供のようなあどけなさと、大人のような艶っぽさがないまぜになった不思議な笑顔で、歌うように囁き続ける。
「それじゃ駄目だよね、やっぱり。あいつは……××はあたしが殺してあげなくちゃ。あの綺麗な×色の髪に火をつけてあげようかな~?それとも、肌がぼろぼろになるまで痛めつけてあげようか?ちょっとずつ毒を与えるっていうのもいいし……」
雷が落ち、闇に包まれた豪華な部屋をカッと照らし出す。
「それにしても、この前のハル、すっごく可愛かったな!全身が傷だらけで血に染まってて……もう最高!あんまり可愛くって、殺したくなっちゃった」
少女の甘い嗤い声が、生気のない部屋にこだまする。
「でも、ね。それはちょっともったいないから。ハルは、あたしが大事に大事にしてあげなくちゃ。誰にも見せないように。二人っきりで。……だから」
宙に延ばされたままだった蝋のように白い手が、ぐっと握り拳を作った。
誰かを殺そうとしているかのように、憎悪と狂喜をこめて。
「邪魔な存在は、みんなみんな、消してやる」
「ま……迷った……」
暗い廊下でポツリとつぶやく。
雨をたっぷり吸った洋服が体にまとわりついて、ものすごく不快だったが、今はそんなこと気にしている場合じゃない。
ヤバイ。ヤバイヤバイヤバイ。
完っっっ全に、迷った。
もうこの城での生活は何ヶ月かたつが、迷子になったことは一度もなかった。
なのに、何故。こんな時に限って迷うんだよ僕。ダサいにもほどがあるだろ。
そもそもの失敗は、誰にも見られないように部屋に帰ろうとしたことだった。
こんなずぶぬれ状態を誰かに見られでもしたら、絶対に怪しまれる。クラウス様と異国の王女様のお見合い会の関係者だったら、なおさらだ。
まあそんなに気にしなくてもいいじゃないかと思うが、昼間のリラ様への罪悪感も手伝って、人目を避けてきた。
……のが失敗だった。
ここ、どこだよ。
まず人気がない。
明かりもない。
不自然なほど重い静寂が、雷雨と混ざり合って薄気味悪い空気を作り出す。
床は相変わらず豪華なカーペットが敷いてあり、天井のシャンデリアや壁紙も変わらない。
しかし、部屋が全くなかった。
だいぶ歩いたと思う。慎重に周りを見ているので、見逃すわけがない。
おかしい、と思った。
妙な悪寒がはしり、皮膚が泡立つ。
体が濡れているからというだけではない寒気がする。
戻ろう。戻れば召使にでも会うだろう。そうしたら、部屋まで教えてもらえばいい。かなり情けないが、しょうがない。
僕が踵を返したその時、物が倒れる音がした。ついで、誰かの声も。
向こうに人がいる。そう思った瞬間、今までの緊張が嘘のように溶けていった。笑みさえ浮かぶ。
やっぱり考えすぎだ。
声のした方へ駆けだす。すると、すぐに明かりが見えてきた。
今まで何もなかった壁に、焦げ茶色の重厚な扉。そこから漏れる光。
僕は何の警戒心も持たず、ドアの取っ手に手をかけた。
「ふざけるな!」
激しい怒声に止まる。
空気を震わせるような、雷鳴さえ遮る怒りの叫び。
「俺は約束を守っている!それなのに!それなのに、貴様は……!」
声はクラウス様のものだった。
でも、違うような気もした。
感情の起伏が少ないせいか常に無表情で、時折怒ってもこんな風に声を荒げたりしない。やや冷たい面もあるけど、優しく落ち着いた人だ。
そんなクラウス様が、ここまで怒り狂った声を上げるのは聞いたことがない。
「王になるのは嫌だった!それでも、あの時の契約があったから仕方なく受けたんだ。貴様のせいで今まで俺がどんな思いをしてきたかわかるか!?常に命を狙われ、他人から距離を置かれる毎日。この敵だらけの日々を!」
続けざまに叫んだせいか、クラウス様の呼吸が荒くなっているのが聞こえる。
僕は取っ手に手を伸ばした姿勢で固まったまま、動けないでいた。
どうしよう。
ここにいるのはマズイ。それはわかっているけれど、動けない。
と、突然、クラウス様に似た声が響いた。
「そうやって被害者ぶるのか?」
音を立てて空気が凍りついた。
話している相手が誰なのかは、隙間が細すぎて見えない。
でも、わかる。
一見柔らかく、しかし刃物のように鋭利な声。一瞬で空気を支配する圧倒的な存在感。
残酷なまでに誇り高く、美しいその人は。
……本当に何で、こんなところに来てしまったのだろう。
自嘲気味な笑みがこぼれた瞬間、背後に薄く気配を感じた。
間一髪で首をひねると、首のあった場所に短剣が突きだされた。ぞわりと冷や汗が吹き出す。
振り返ると、黒衣の男が再び短剣を構えていた。
「誰だ」
僕の問いかけに答えることなく、短剣を振りかぶる。短剣をかわして男の鳩尾に拳をつきこんだ。確かな手ごたえと共に、男が唸りながらうずくまる。落とした短剣がカランと音を立てた。
息をつく間もなく、今度は二人とび出してくる。
「私も、お前と同じ世界を生き抜いてきた。いや、今よりもっと辛い時代をね。なぜ私が逃げなかったかわかるか?」
刃のような声に身がすくみそうになる。しかし、今は目の前の刃に集中するべきだ。
黒衣の男が剣を振り下ろし、それを避ければもう一人が襲ってくる。防戦一方で反撃する暇もない。
極限まで押し殺した気配と殺気、音一つ立てない動き。
おそらく、王家専属暗殺部隊の奴らだ。
だとしたら厄介だ。早く何とかしないと、増援が来る可能性がある。
激しい雷雨のせいか、クラウス様と王様は、こっちの様子に気がついていないようだった。
「それが運命だからだ」
避けきれなかった剣が腕をかすり、血が噴き出す。
ふと気がつくと、うずくまっていた男がいつの間にか回復し、短剣を手に襲いかかってきた。
三対一。
圧倒的に不利な状況だ。
「お前は運命から逃げるのか?そうして幸せだけは掴もうと?何とも卑怯な話だ」
「それは……!」
「違わないだろう?」
クラウス様が狼狽している様子が手に取るようにわかる。
「逃げれば逃げるほど、逃げ場はなくなっていく。最終的には生きる場所がなくなっているかもしれない」
蹴りを放とうと隙を見せれば、すかさず攻撃を食らわせられる。
「だが……それとこれは別の話だろ!?俺は」
「同じ話だ」
うるさい。
「私はお前に、逃げるなと言っているんだ」
うるさい。
王様が言葉を発するたびに、僕のリミッターが切れていく。
『殺せ』
うるさい。黙れよ『化け物』。僕はもう、お前に奪われたくない。
『邪魔なものはすべて殺してしまえ』
黙れ。おまえは不必要だ。消えろ。
『生きたければ、殺せ』
「うるさい!」
とびこんできた男を蹴りあげた。跳ね上がると同時に、二人目を渾身の力で殴って気絶させる。
後ろから襲いかかってきた剣をかわし、最後の一人を投げる。
やけに派手な音を立てて男が倒れる様子を、僕は無言で見つめた。
『化け物』の声はおさまったようだ。
ほっとしたと同時に、全身の力が抜けていく。
「ハル!?何でこんなところに!しかも、こいつらは……」
部屋から出てきたクラウス様が、血相を変えて駆けてくる。
「あはは……ちょっと、色々ありまして……」
「色々って何だ!?あと、何でそんなに濡れてるんだ」
「これにも事情が……」
「あったのかな?」
どこか楽しげな響きに振り返ると、興味深そうに僕を見つめる王様がいた。
王様の姿を見た途端、サーッと血の気が引いた。
何故、王家専属暗殺部隊が襲ってきたか。それは王様とクラウス様を守るためだ。
じゃあ、何故二人がこんなところにいるのか?おそらく誰にも聞かれてはいけない話だから。
となると、わざとじゃないにしろこんなところに来てしまったうえに、盗み聞きして、挙句の果ては暗殺部隊ぶっとばしてしまった僕はどうなるか。
……そんなの、子供だってわかる。
僕は全身全霊で王様に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした!どのような理由があろうと、許されるはずがないのはわかっています。ですが、命だけは……」
「君は、何か悪いことをしたのか?」
「へ?」
いや、あの何言ってるんですか真面目に。
「悪いことをしていないのなら、謝る必要はない。むしろ、私のものが迷惑をかけてしまってすまないね」
僕はポカンと口を開け、鮮やかに微笑む王様を呆然と見上げた。
えっ、何ですかそれ。わけわからないんですけど。
そんなに簡単に許していいものなの?ていうか何で王様が謝ってるの?『化け物』を抑え込んだ僕の努力は一体何だったんだ。
……でもまあ、取り合えず。
「……えっと、ありがとうございました」
有り得ないけれど、ずいぶんラッキーな話なわけで。
僕は微妙な気持ちを隠して愛想笑いを作った。
ちらりと王様を見上げると、一度見たら絶対に忘れられないような整った顔立ちに、不思議な笑顔を浮かべている。少し離れたところでは、クラウス様が硬直していた。
本当に不思議な親子だと思う。
王様とクラウス様は、髪や目の色、顔のつくりまでそっくりだ。親子というにはあまりにも似すぎていて、一見、同じ人間が二人いるかのような錯覚を覚える。
しかし、二人を見間違う人は、絶対にいないだろう。
同じ顔なのに、浮かべる表情やまとう雰囲気が、明らかに違った。
クラウス様は無表情が多く人を寄せ付けないような美貌だが、たまに見せる優しさや笑顔は普段とは反対で、温かなものだ。どちらかというと、柔らかな表情の方が素のような気がする。
一方、王様は華やかさが前面に出ており、同時に国の主としての威厳や高貴さが目立つ。何も知らない人が二人を見たら、王様の方が親しみやすく見えるかもしれない。
けれど、僕は王様に対して恐怖に似た何かを感じるのだ。
王だから、ではない。
鮮やかな微笑の裏に、何を隠しているのか全く分からない。氷雪色の瞳は、全てを見透かしているかのようで直視できない。
この人の本質は、きっと、どこまでも冷たく残酷だ。
よく知りもしないのに悪いが、僕にはそんな風に思えて仕方がない。
「しかし……私の暗殺部隊をあっさり倒してしまうとは……」
「えっ!いやあのっ、何でしょうか!」
王様とクラウス様を見比べながら考えていたので、話を聞いていなかった。ヤバイ、墓穴を掘った。
「いや、ここで気絶している男は、みな腕がいいのだが……こんなに簡単にやられてしまうとはと思ってね。何でそんなに慌てているのかな?」
「あ、慌ててはいません!それからその、あれはマグレで……」
挙動不審になってしまっている。もっと自然に。自然に……僕!
しかし、いつも通りの曖昧な笑みを浮かべるのに精いっぱいで、気の利いた言葉は全く浮かんでこない。あああ、僕の脳みそって本当に役に立たない。
すると、王様は笑いをこらえるように震えながら、
「誤魔化さなくてもいいんだよ、話は聞いてるから」
「え」
「まず最初に、喧嘩をふっかけてきた兵士を一瞬でふっ飛ばしたようだね」
バルクさんの件か。
「次に、パーティーの夜に事件を起こした侵入者を、クラウスと二人で追い返したと聞いた」
何で知ってるんだ。
「旅先で襲ってきた盗賊も返り討ちにしたらしいし」
いや、ちょっと待って。
「そうそう、あの伝説の戦士レウィン・ウルとも関わりがあるそうじゃないか」
だから何でそんなこと知ってるんですかあんた。
「そして、今日のことを考えれば、君はかなり戦闘慣れしているようだね」
「あ、いや、そういうわけでは……」
思わずしどろもどろになる。
何でこんなに色々知っているんだ。はっきり言って薄気味悪い。
クラウス様に視線で助けを求めると、苦しげな表情で首を横に振る。
「あの……よろしければ、そろそろ失礼させていただきたく……」
「いや、ここではなんだから、場所を変えて少し話をしようか」
王様は有無を言わせぬ笑顔で断定されやがった。
「でも時間が……それにずぶぬれ状態ですし……」
我ながら情けない言い訳を呟くと、王様はにこりと笑い、
「途中で着替えれば問題はない。服は用意させよう。……それとも、私とお茶を飲むのは嫌かな?」
「い、いえ!そんなめっそうもない……」
本当は嫌ですけどね。そんなこと、言えるわけないだろう。
「なら、問題はないね。……クラウスもついてきなさい」
「……ああ。わかっている」
いつになく不機嫌そうなクラウス様の声は、鋭い雷鳴にかき消された。




