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灰色の空、黒い雨

 灰色の分厚い雲に覆われた空に、少し湿った空気。今にも雨が降り出しそうな曇天だ。

 何だか不吉なことが起こりそうな気配が。もうすでに起こってるけど。

 僕は溜息をつき、王家専属庭師ご自慢の木の陰に隠れ、様子をうかがう。

 いつもより明らかに多い護衛の数と、その中心で向かい合う一組の男女。

 一人は、華やかなドレスに身を包んだ若い女性。そしてもう一人は、装飾の少ない藍色の長衣に、長い栗色の髪を結んでたらした美しい青年。

 女性は柔らかな微笑をたたえつつ、ひっきりなしに青年に話しかけている。一方青年は、氷のような無表情。たまに相槌は打っているようだが、愛想の欠片もない。


「……クラウス様らしいけど、そこまで冷たくすると色々とマズイんじゃ……」


 青年……クラウス様は、見ているこっちが冷や汗が出てくるほどのつきはなし方だった。

 しかし、それにめげずに愛想を振りまく王女様もすごい。

 天気のせいか、多すぎる護衛のせいか、はたまたクラウス様とその婚約者の一方通行なやり取りのせいか、空気があまりにも重かった。

どうしてクラウス様と異国の王女のやり取りを盗み見ることになったかと言うと、数分前にさかのぼる。


 大ニュースを告げた後、ミーナ様は子供のように(実際子供だけど)泣き出し、宥めても一向に泣きやまず、何だか場違いなような気がした僕は部屋を飛び出してきたのだ。

 つまり、ミーナ様の慰め係をリラ様に投げて逃走。

 我ながら情けないし卑怯だし最低だとは思う。

 しかし、泣いてる子供を泣きやませるなんて無理。絶対無理。

 所詮僕の笑顔なんてたいてい作り物だ。肝心な場面では何の役にも立たない。

 ……と、どうしようもない言い訳を並べつつ、庭に出た。自分の部屋はリラ様の隣だし、それ以外は居場所がない。許可なく城の外に出ることもできないので、それしか道はなかった。

 行くあてもなくふらふらと彷徨っていると、偶然護衛に囲まれたクラウス様と異国の王女様のお茶会を見つけてしまったのだ。

 誰だってわかる。

 あの王女様が、クラウス様の婚約者なのだ。

 公には知らされていないが、今の状況はお見合いパーティーのようなものなのだろう。

 となれば、ここにいるのは非常にマズイ。

 今すぐ回れ右して去るべきだ。

 隠れているのが見つかったらただでは済まないし、最悪、スパイに間違われかねない。

 知らなかったふりをして逃げれば何とかなる。面倒事なんてごめんだ。関わらないに限る。

 今からでも遅くない。逃げよう。知らないふりをすることも大切だ!

 ……ところが僕の足は、危険地帯から離れようとするどころか、さらに見やすい場所へと移動するばかりで。

 好奇心なんてとうの昔に消えたはずなのに。

 やっぱり、深く関わりすぎた、かな。

 苦笑いしつつ、再びクラウス様に目を向ける。

 凍りつきそうな無表情は変わらない。そんなクラウス様に、異国の王女様は明確に焦りの表情を浮かべ、身を乗り出す。

 どうやらあの王女様は、クラウス様に惚れこんでしまったようだ。

 無理もないと思う。クラウス様はその容姿だけで何千人もの女性をおとせそうなほどの美形で、文武両道。しかも、王位後継者ときた。

 ここまで完璧な王子、いや皇子は世界中探したっていない。

 でも、王女様の努力はほとんど無駄だ。

 クラウス様には恋人がいるから。

精一杯愛想を振りまき、全力でアピールしている王女様が、何だか哀れに見えてくる。

 そういえば、ソフィアは婚約の件を知っているのだろうか。

 ふと疑問がわき、その瞬間ダラダラと冷や汗が流れ始めた。

 知っていようが知らなかろうが、いずれ公になる。もしこの話がソフィアの耳に入りでもしたら……その先は考えたくもない。

 お願いです、神様。今だけ、王女様がこの国に滞在されている間だけでもいいので、ソフィアに知らせないでください。じゃないと犠牲者が出ます。最悪戦争が勃発します。

 らしくもなく目を閉じ手を合わせて神様に祈っていると、さっきよりも空気が重く、湿っぽくなってきた。今にも雨が降ってきそうだ。


「うう……ぐすっ……う」


 しかもすすり泣く声まで聞こえて……って、泣き声?

 振り返ると、黒い雨雲を背中に背負ったような雰囲気のメイドがいた。


「ソフィア!?」


 思わず叫んでしまい、手で口を押さえる。

 護衛の方をそっと窺うと、相変わらず直立不動だった。僕としては気づかれない方がいいけど、君達護衛失格だよ。


「あのさ、いつからそこにいたの?」

「……別に、いつでもいいだろ」


 紡ぎだされたハイトーンの声は、いつもの鋭さを失い弱々しかった。

 長い金色の髪からのぞく目は赤く、頬に涙の跡が残っていた。


「泣いてた……とか?」

「泣いてない」

「いや、でもさ」

「泣いてない」

「だけど」

「泣いてないと言ったら泣いてない!」


 潤んだ瞳で睨まれる。


「わ、わかったよ。ごめん」

「謝るくらいなら死ね」


 いつものように毒を吐き捨てるが、キレ味がない。

 ただでさえ小柄なのに、一層小さく、そしてか弱く見える。

 これなら、今すぐ王女様を殺しにいくようなことはしないだろう。安堵の溜息がこぼれる。

 同時に、何とも言い難い気持ちに襲われた。

 同情、かもしれない。


「……ほら、クラウス様は気がないみたいだし。心配することないよ」


 微笑みながら語りかける。

 気休めにもならないような、嘘。

 政略結婚なんて、本人達の意思でどうにかなるものじゃない。

 それが、どちらかが乗り気だとしたら、なおさら。


「心配はしてない」


 ソフィアはクラウス様を見つめながら言った。

 湿り気のある風が、金色の髪を揺らす。


「思っていたよりも、少しだけ早く終わった。ただ、それだけ」

「え……?」


 ソフィアはクラウス様の姿を一心に見つめ続けていた。まるで、目に焼き付けようとするかのように。

 そして、唇の端を僅かに緩めて微笑んだ。


「例えクラウス様が、あの王女をふったとしても、同じことだ。私とクラウス様とでは世界が違う。私は悪だから」


 木々がざわざわと揺れ、不吉な影を形づくる。どこかで鳥が鳴いた。

 ソフィアは冷酷なようにも繊細なようにも見える不思議な笑顔で続ける。


「……まあ、何が正義で何が悪なのかは知らないけれど。そういう基準で言ったら、私は悪だ。もしかしたら、歴史に名を残すくらいのね」

「それは……どういう……」

「時が来たら、ソフィア・フリスは消える」


 心臓が嫌な音を立てた。

 冷や汗が流れ、急激に体温が奪われていく。

 違う。雨が降り出したのだ。幻のようにか細い霧雨が。

 護衛が慌てふためく声が遠くで聞こえる。次第に強くなっていく雨音が妙にうるさかった。

 何を言われたのか、わからなかった。

 ただ、その消えるという言葉が生々しくて。

 僕に過去を、彼女を思い起こさせる。


「消えるって……どういうこと」


 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。

 ソフィアは呆れたように肩をすくめる。


「それくらい自分で考えたらどうだ?せっかくヒントをあげたんだから」

「で、でもっ!本当に消えたりはしないよね!?」


 ひどく不安で、怖かった。

 一つでも欠けたら、何もかも壊れてしまいそうで。

 漠然とした不安から逃れたくて、救いを求めてソフィアを見つめる。


「何を馬鹿なことを。貴様は私がいなくなった方がいいんだろう?」

「そんなこと……!」


 ソフィアは首を左右に振り、真っ直ぐ僕を見つめた。

 リラ様より冷たく、クラウス様より淡い青い瞳が、怒りと哀しみと絶望に燃えているような錯覚を覚える。暗くきらめくそれから、目を逸らすことができない。


「貴様は、誰かを本気で殺したいと……そいつを殺すためなら何を失ってもいいと思ったことがあるか?」


 脳裏にローグ・ゼルドの姿が浮かぶ。


「……あるよ」

「私もある。私の人生は復讐のためにあるようなものだ。……そいつらを殺すためだけに、生きている」

「それは……貴族の誰か?」

「ご名答」


 ソフィアはニヤリと笑った。

 これまでの貴族に対する異常な嫌悪。それは貴族の誰かがソフィアに植え付けたものだったのだ。


「私は、貴族が大嫌いだ。死ぬほど嫌い。見るだけで殺意がわくほどに」


 怨念のこもった言葉が、ナイフのように僕の胸に突き刺さる。

 何も言えない。

 僕も貴族だから、貴族がどういう生き物なのかは嫌というほどわかっている。

 だから、


「ごめん」


 つい、謝ってしまった。

 一度謝ったくらいで許してもらえるはずがないのに。

 本当に、馬鹿だ。


「何で貴様が謝る?」

「貴族だから」

「……馬鹿だな」

「僕もそう思う」


 沈黙が流れた。

 冷たい雨が、全身をたたきつけるように降ってくる。うねる風が悲鳴のように聞こえて、眩暈がした。

 雨音がどんどん遠のいていき、世界から取り残されたかのような錯覚に陥る。

 冷たい雨が真っ黒な雲から降り注ぎ、全てを黒く染めていく。負の感情を引き出し、埋め尽くす。

 どれくらいそうしていただろう。もしかしたら、数分だったかもしれない。

 ソフィアが弱々しく、


「今日のことは、忘れてくれ」


 ぽつりと言った。

 水の滴る前髪を鬱陶しそうにかき上げ、次の瞬間には青ざめた唇に傲然と笑みを刻む。くるりと軽やかにターンし、一瞬で距離をとる。

 舞を舞っているかのような優雅な仕草でふわりと着地し、冷たく高慢な微笑のまま、高い声を響かせる。


「ヘタレ貴族サマにご忠告して差し上げます。私のように見るからに怪しい人間にはお気を付けください。下手したら強制的にあの世行きですよ?」


 さっきまでとは別人のように明るく可愛らしく、奇妙な殺気を漂わせながら言葉を紡ぐ。わざとらしい仮面の被り方にゾクッと肌が泡立った。

 でも、どこか無理をしているような気もする。気のせいかもしれないけれど。


「それともう一つ。数年前に起こった大事件、あれに気をつけてください」

「えっ?」

「あなたなら知っているはずですよ?何て言ったって貴族なんですから」

「え、いやちょっと待って。どの話?突然言われたってわからないよ」


 むしろそれでわかる奴がいたら薄気味悪い。

 貴族なら当然知っている大事件。そんなの多すぎてわかるわけがない。


「そんなに難しく考えないでください。遠い昔のことではないんですから。……さぁて、らしくない忠告タイムはこれで終了です。では、私はこれで」


 優雅に一礼すると、足早に去っていこうとする。そんな彼女を、気がつけば呼び止めていた。


「待って!」


 ピタリと足を止め、振り返る。迷惑そうに眉を潜めつつも、いつもの用に殺気は出していなかった。


「何ですか」

「え、いや……あの……」

「用がないなら戻ります」


 どうしよう、何も考えずについ呼び止めちゃった。

 何か言おうと口を開くと、自然に言葉がとび出した。


「あのさ……本当に消えないよね!?」


 自分で自分が言った言葉に驚き、固まる。

 何で今更そんなことを。

 驚いたのはソフィアも同じだったようで、目を見開いていた。


「どうして……そんなことを聞く」

「特に理由はないんだけど……。その、本当に消えちゃったら、きっとクラウス様が哀しむから」


 ソフィアは息を飲んだ。

 息をするのも忘れたかのように、凍りつく。

そんなに変なこと言っただろうか。僕にしてはわりとまともだったと思うんだけど……。

 やがてソフィアは、ひどく哀しそうに、泣き出しそうに笑った。

 青い瞳にたまった雨が、涙のように頬をつたい流れていく。


「本当にそうだったら、私は幸せ者だな」


 切なげに唇を震わせながら、そっと目を伏せる。

 そうして、しなやかな動きで踵を返すと、降りしきる雨の中を駆けていった。

 一人取り残され、僕は呆然と空を見上げる。

 黒と灰色の織り成す世界。まるで、人の悪意をぶちまけたかのような。

 ふと、さっきまでクラウス様達がお茶会をしていた場所に目をやれば、当然誰もいない。とっくの昔に城の中に戻っているはずだ。

 今ここにいるのは、僕一人だ。

 そう思うと、笑いが込み上げてくる。

 思い出してしまった彼女との別れ。忘れた日なんてなかったけれど、必死で目を逸らし続けてきたのに。


「何か……もう駄目だ」


 何が駄目なのか、わからないけれど。

 それが一番駄目なんだろう。

 何かが動き出した世界を包み込むように、黒い雨は止まない。

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