姉と王女
久しぶりに会ったステラ姉さんは、全く変わっていなかった。
テーブルを挟んで向かい合う。
ステラ姉さんは何を思ったのか僕を上から下までじろりと眺めまわす。居心地が悪いのでやめてください、姉さん。
「若干、灰色が抜けたわね」
「……は?」
押しかけてきたと思ったら、開口一番それか。ていうか意味不明。
「姉さん、訓練しすぎて頭でもおかしくなったの?」
「相変わらずクソ生意気なガキね。わざわざこの超多忙の私が会いに来てやったっていうのに」
滑り出しからイラッとするような発言だが、ステラ姉さんは常にこういう人なので今更気にならない。
僕達三人の中で一番社交的で、軍人としても活躍している。家族を支えているのだってステラ姉さんだ。それを考えれば、多少の上から目線も我慢が必要だ。……多少は。
「はいはい。で、何?超多忙のはずの姉さんが何の用?」
「大事な弟がどうしてるか心配になったから……っていうのは、考えられないわけ?」
「姉さんに限ってそれはない」
「それもそうね」
さっすが現実主義ドライ女。あっさり頷きやがった。
「茶番はいいから、用件があるならさっさと言って。疲れてるんだから」
「ほんっとうにクソ生意気ね、この愚弟が。まあいいわ。私もそんなに時間ないし」
軽く肩をすくめ、威圧的な緑の瞳が僕の目を見据える。そして、どこかドライな笑みを浮かべた。
「あんたに見合いの話が来てんのよ」
「……は?」
呆けた返事をすると、苛立ったように
「別に有り得ないことじゃないでしょ!この家柄で年齢も頃合いなのに、私たちみんな未婚ってのが異常なんだから。今までは何とかさばいてきたけど、もう限界なのよ。わかった!?」
「……はあ。そう」
「何気の抜けた返事してんだこのアホ!自分のことなんだからしっかりしなさいよ!」
ものすごい形相で怒鳴られ、やっと自分ことだと気づく。我ながら確かにアホだ。
しかし、久しぶりに会った姉にいきなりそんな話されて、スマートな対応取れる奴が何人いるのか。少なくとも僕には無理です。疲れてるし。
脳内で現実逃避していると、突き刺さるような視線を感じた。
「……あんた……本当に人の話聞いてるわけ……?」
「聞いてるよ!聞いてるから怒るのナシ!」
怒りで肩を震わせるステラ姉さんを慌てて宥める。
忘れてたけど、ステラ姉さんはものすごく短気なのだ。しかもキレると結構めんどくさい。
……僕も人のこと言えないけど。つい最近おかしくなったばかりだし。
「……ちょっと、何黙ってんの」
辛辣な声に我に返る。マズイ、またやっちゃった。
「え?ああ、ごめん。……何の話だっけ?」
「もう、ちゃんと聞きなさいよね」
ステラ姉さんは呆れたように溜息をつき、急に真顔になった。それと同時に、自然と背筋が伸びるところが軍人らしい。
「あんたにお見合いの話が来てる。二週間後、うちの家で三日間その人と過ごしてみて、よさそうならそのまま婚約、どっちかが嫌だっていったら破棄。あ、拒否権はないわよ」
話の展開が急すぎる。整理が追いつかない。
拒否権がないというのはちょっと乱暴なような気もするが、それは仕方ない。むしろ、
いきなり婚約させられるより全然マシだ。
「相手は?」
「ネーフェ侯爵の娘ですって。詳しくは知らない」
吐き捨てるように答える姉さんの表情を見る限り、そして相手の家柄を考えると、間違いなく政略結婚だ。
わかってはいたが、あまり嬉しいものではない。
しかも僕の父さんは伯爵だから、格上のご令嬢。こっちから断ることはほとんど不可能だ。
自然と苦笑が浮かぶ。
「了解。……ところで、王命はどうしよう?」
僕は王命でリラ様の傍にいなければいけないので、よほどのことがない限り、外には出られない。無断外出なんてもっての他だ。
すると、ステラ姉さんはふっと不敵に笑った。
「私をなめないでくれる?もちろんそっちは手配済み。あんたはいつでも里帰りオーケーよ」
「……ステラ姉さんを甘く見た僕が馬鹿でした」
「わかればよろしい」
大仰に頷くと、ガサツさが消え貴族的な雰囲気が漂うから不思議だ。
時々思うけど、師匠に出会うことがなければ、ステラ姉さんはおしとやかで優雅な令嬢に育ったのではないだろうか。いや、傲慢なところは変わらないだろうけど、そうだとしてもまだまともだったと思う。
やっぱり師匠は悪影響必至だ。
「……ステラ姉さん、すっかり男みたいになっちゃったし。これじゃ一生独身……」
「それ以上言うと首がとぶわよ」
いつの間にか口からこぼれていた言葉は、ステラ姉さんの怒りに触れていたらしい。
うわあ、怖くはないけど絶対に後で面倒なことになる。
僕はとっさに愛想笑いを浮かべた。
「何のこと?さっぱりわからないけど」
「とぼけんな愚弟。へらへら笑ってれば誤魔化せるなんて思ってんじゃないでしょーね」
「別にへらへらしてるわけじゃ……」
「うるさい黙れ。私に対してまで作り笑いする必要ある!?他人用ならそりゃいいわよ、かなり上手いし」
「あはは。姉さんが褒めてくれるなんて珍しい」
「褒めてないっつーの!」
ステラ姉さんが本気で怒っているということに気がついた時には、もう遅かった。
椅子を蹴り倒し、僕の胸ぐらを掴みあげる。
怒りにぎらつく緑色の瞳が僕の目を射抜く。
「あんたいつまでガキやってんの?ちょっとは灰色抜けたかと思ったけど、ぜんっぜん抜けてない。むしろ黒に近くなったわよ!」
灰色?黒に近くなった?
ステラ姉さんらしくない曖昧な表現に、僕は首を傾げた。
「どういう意味?」
「そんなの自分で考えろ!……ったく、何でうちのはこんな奴ばっかなのよ。ハルもお姉ちゃんも……」
「ミシュア姉さんは違う」
自分でも意外なほど険しい声だった。
ステラ姉さんの手を乱暴に振り払い、立ち上がる。
「ミシュア姉さんは、違う」
強く繰り返すと、ステラ姉さんは頬を朱に染めた。
「偽善者ぶるな!あの時のことに責任感じてるわけ?あれはハルのせいじゃないし、うじうじして立ち止ったままなのはあんたと一緒よ!むしろお姉ちゃんの方が害あるわ!」
「違う。ミシュア姉さんは一方的に傷つけられたんだ!だから、僕と一緒にするな!」
僕みたいな、『化け物』何かと一緒にしないで。
ミシュア姉さんは、仕方がないんだから。
「ガキが偉そうに!」
ステラ姉さんの手が、上がる。
殴られるのだとわかったけれど、あえて避けなかった。避ける気力がなかった。
勢いよく振り下ろされたその時、
「駄目っ!」
鈴の音のように澄んだ声に阻まれ、ステラ姉さんの手が止まる。
振り返らなくても誰だかわかった。
優しく美しい、どこまでも澄みきった声の主は、一人しかいない。
「……リラ様」
足音一つ立てずに近づいてきたリラ様は、青ざめていた。しかし凛とした表情は、王女らしい高貴さや威厳が溢れ、か弱さは微塵もない。
一方、ステラ姉さんは突然現れたリラ様を、呆然と見つめていた。さっきまで怒りで真っ赤だった頬はリラ様よりも青く、全身を小刻みに震わせている。
何故ここにリラ様がいるのか疑問だったが、それ以上にステラ姉さんの様子は明らかにおかしかった。姉弟喧嘩を見られたのは、そんなにまずかったのだろうか。
今の状況を疲れ切った脳で判断するというのは無理な話で、頭の中が滅茶苦茶な状況だった。
誰も何も言わず、部屋が重い沈黙に支配される。
しかし、それも束の間だった。
リラ様がぱっと表情を緩め、微笑んだ。
「お初にお目にかかります。セルシア王国第四王女、リラ・クラリスと申します」
優雅な仕草で一礼する。
洗練された無駄のない動きは、普段のリラ様からは想像もできないほど美しい。
そんなリラ様を凝視していたステラ姉さんは、突然溜息をつくと、へなへなと絨毯の上に座り込んだ。
「……あーあ、どうしようとか思っちゃった自分が情けない……カッコ悪い……」
哀しげにぼやく。しかしすぐに立ち上がり、サッと敬礼した。
「お初にお目にかかります、ステラ・ウィルドネットです。先ほどは大変お恥ずかしいところをお見せしてしまい、まことに申し訳ございませんでした。また、いつも愚弟がお世話になっております」
きびきびした口調で挨拶する。切り替えの早さと鋭い眼差しは兵士らしく、震えも完全に収まっている。
二人ともいつも通りで、僕一人が取り残されたようだった。
「あの、リラ様何で……?」
「ん?そろそろ休憩もじゅうぶんかなって。トランプのでもしようと思ったの」
そう言うと、無邪気ににっこりする。
あまりに子供っぽい笑顔と発言にすっかり毒気を抜かれ、言葉を失う。
さっきの喧嘩もどうでもよくなってきた。
「さっき帰ってきたばっかりなのに、またトランプですか。いい加減にしてくださいよ」
「いいじゃない。途中でソフィアに投げたくせに」
唇を尖らせ抗議する。
しかし、絶対に負けるとわかっていたら、誰もやりたがらないと思う。
「リラ様とやると絶対に負けるじゃないですか。嫌ですよ」
「それはハルが強くなればいいだけのことよ。それなのに言い訳しちゃって、かっこ悪~い。負け犬の遠吠えだ~!」
「……いい加減にしないと怒りますよ」
リラ様とはもう数カ月の付き合いになるが、まだまだ忍耐力を鍛えなければならないようだ。
怒鳴りたいのを必死に我慢していると、隣で溜息が聞こえた。
そっと振り返ると、ステラ姉さんが苦々しげな、しかしどこか嬉しそうな、複雑な顔をしていた。
「どうかした?」
「……何でもないわよ。仲いいなって思っただけ」
「よくない」
即座に否定すると、リラ様に睨まれた。
「酷い!私は仲いいつもりなのに」
「僕はそんなつもりないですね。振り回されているだけです」
「振り回してなんかないよ!」
「そこまで図々しいといっそ清々しいです」
「失礼な!私は図々しくなんかない!」
「そういうところが図々しいんです!」
ギャーギャーといつものように言い合っていると、ステラ姉さんがポンと僕の肩に手を置いた。
「……ハル、王女様借りていい?」
「へ?」
何をいきなり。
「さっきのこと伝えといてあげる」
「ああ、あれね。でもいいよ。あとで自分で伝え……」
言い終わらないうちに、ステラ姉さんは首を左右に振る。
「それだけじゃなくて、色々と話したいことがあるのよ。……いいですか、王女様?」
リラ様はきょとんとしていたが、すぐに笑顔になり頷いた。
「いいですよ。二人きりで?」
「ええ、その方がいいですね」
「わかりました。では、私の部屋に移動しましょうか。すぐ隣だけど」
くすりと笑い、僕に向かって悪戯っぽく
「盗み聞きしちゃ駄目だからね?」
「しませんから!」
叫び返すと、楽しそうにクスクス笑う。悔しい、からかわれた。
がっくりうつむいているうちに二人は部屋から出ていったらしく、戸を閉める音が聞こえた。
僕は足をずるずる引きずり、再びベッドに横たわる。
もちろん盗み聞きなんかしない。興味ないし。
でも、ステラ姉さんがリラ様に何を話しているのかは、やっぱりちょっと気になった。僕のことに関係しているんだろうけど、変なこととか言ってないだろうか。かなり心配だ。
そういえば師匠も用があるって言ってたし、今日は色々重なってるなあ……。
ぼんやり考えるうちに眠気に襲われ、僕はそのまま目を閉じた。