誰にも言えない僕の狂気
「……色々と疑問はあるんですが、取り合えず、これは一体どういうことですか。説明してください」
現在の僕の顔は、おそらく引きつっていることだろう。病み上がりのせいか愛想笑いも苦笑も出てこない。
「説明って、何を?」
僕の隣の肘掛椅子に座っていたリラ様が首を傾げる。
「何日も眠っていたせいで記憶がところどころ抜けているんですが、覚えている限りでは、僕は出血多量だったはずです」
「うん。あともうちょっと止血が遅かったら、ハルはあの世行きだったよ」
「ということは、傷は結構深かったんですよね?」
「うん」
「しかも一ヶ所じゃなかったんですよね?」
「うん」
僕はリラ様の返答を頭の中でまとめる。リラ様の言っていることには、何一つおかしな点はない……ように聞こえる。
僕は大きく息を吸い込んだ。
「だったら、何で傷が完治してるんですかっっ!」
叫び終わると同時に頭や鳩尾辺りに痛みがはしる。自分でやっといて何だが、今のはものすごく響いた。
涙目になってうずくまる僕に、リラ様はさらりと言葉を返す。
「お医者様の腕が良かったからじゃない?」
「そんなんですむはずないでしょう!?」
「そう?」
「そうですっ!」
死んでもおかしくないようなレベルの傷を二週間弱で治すとかどんな天才医者だ。有り得ない。そんなに腕がよかったら、とっくに王専属の医者になってるはずだ。
「じゃあ、ハルがすごいとか」
「んなわけあるか!」
眠っている間に体中の傷を全て治すとか僕は人間兵器か。師匠に無理矢理修行させられてボロボロになった時だって、傷が完治するまで結構かかったはずだ。
どう考えたっておかしい。異常だ。異常すぎる。
変なテンションであれこれ考えていると、突然リラ様が微笑んだ。
「……ハルが元気になってよかった」
透き通った優しい囁き。
純粋に嬉しそうな笑顔に毒気を抜かれ、黙りこむ。
リラ様のいつも通りの笑顔にほっとすると共に、罪悪感が胸を締め付ける。
いつもは星のように輝く青い瞳は翳り、目の下には濃いクマができている。酷くやつれていて顔色も悪い。以前から華奢だったが更に痩せ、簡単に壊れてしまいそうなほどだった。
常に明るく破天荒なリラ様が、まるで病人のような姿になってしまったことから、どれほど心配させたのかが伝わってくる。
「心配かけて……すみませんでした」
ぼそぼそと謝ると、リラ様は静かに首を横に振り、
「気にしなくていいよ。……そのかわり、元気になったら、今までハルが寝ていた分たっぷりと遊んでもらうからね!」
人差し指を立て、リラ様は悪戯っぽくニヤリと笑う。
僕はがっくり肩を落とした。
「何ですかその詐欺師みたいなセリフ!がっかりです!しかも子供っぽすぎるでしょう!」
「何ですってぇ!酷い、酷いわ!こんなに優しくて美人で完璧な王女のどこが詐欺師よ!」
「自分で自分のこと完璧とかどうなんですかそこ!?」
「本当のことなんだからしょうがないでしょう!文句ある!?」
「元気そうだな、ハル」
中性的でひんやりした美声に、僕は慌てて口をつぐんだ。
戸口の方を見ると、いつの間にか部屋に入ってきていたクラウス様が、静かに微笑んでいた。
「す、すみません。うるさくて……」
「いや、いい。気にするな。……リラがうるさいのは迷惑だけどな」
クラウス様が冷たい視線をリラ様に注ぐ。
「ハルは病み上がりなんだから、無茶苦茶なこと言うな」
「べ、別に、すぐになんて言ってないし……」
そう言いつつ、リラ様は思いきり目を泳がせる。
……何だか、あまりにもいつも通りで拍子抜けだ。
安堵の溜息をつき、それからクラウス様の方に向きなどおる。
「迷惑かけちゃって、すみません」
今度はしっかりとした声で謝る。
クラウス様はわずかに表情を曇らせ、困ったように笑った。
「いや……俺は何もできなかったから。元気になってよかったよ」
「あ、そのセリフ、私の真似!?」
「……誰が真似するか」
柔らかな笑顔が消えていつもの無表情になる。
室内の空気の温度も絶対に下がった。
「と、とにかくすみませんでした!そういえば師匠はどこへ!?」
「え?ああ、ウルならどこかへ出かけたぞ。お前の目が覚めたなら問題ナシとか言って」
「……そうですか」
師匠の頭の中はどうなっているんだろう。一度のぞいてみたい気もする。
ふとクラウス様の顔を見ると、綺麗な無表情の中に、真剣さが入り混じっていた。
「ところで、ハルに聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「え?」
「……あの日、何があった」
低い声にギクリとする。
あの日、というのは、わざわざ言わなくてもわかる。
「お前は屋敷の主人と出かけた。その後、帰るのがあまりにも遅いため、俺とウルで探しに行ったところ、お前はここからかなり離れた場所で倒れていた。……何があったんだ?」
有無を言わせぬ強い口調に、思わずうつむく。
クラウス様は怒りを含んだ冷たい声で続ける。
「主人は、あれ以来見つかっていない」
「……え?」
「主人だけじゃない。主人の召使いや、馬車。もしかしたらと思って捜索したら、金や高価な家具なども跡形もなく消えていた」
「それは、つまり……」
「主人があの日のことに関わっているのは間違いない。……だから、ハル。話してくれないか?」
切実な眼差しだった。
懇願するような、強くて真っ直ぐな瞳。
出来ることなら話したい。話したい、けれど。
「実は僕……あの日のこと全然覚えてないんです」
僕には、それしか言えない。
「そうか……」
「すみません、役に立たなくて……」
「気にするな。屋敷の主人だった男やその関係者と思われる者については、城に戻り次第情報収集もとい捜索させる。あと一日休んだら、この屋敷をたつことになるが、構わないか?」
気遣うような表情は、僕の怪我の具合に対してだろう。いつも通りの優しさが身にしみる。
「大丈夫です。帰りも馬車ですし、ほとんど治ってますから。でも一応、リハビリ程度に散歩してきます」
「ついていこうか?」
クラウス様は不安げに表情を曇らせた。
確かに、また一人になってあんなことにならないとも限らない。クラウス様が心配してくれているのはわかった。
でも、今は一人になりたかった。
「……この屋敷の庭を散歩するだけですから。でも、ありがとうございます」
整理の追いつかない複雑な感情を、曖昧な笑みで誤魔化す。
しばらく動かなかったせいか、床に足をつけると少しふらついた。それもほんのわずかな間だけで、すぐに戻る。
「気をつけてね」
澄んだ声で呟かれた声に振り返ると、さっきまで無言だったリラ様が、にっこりして僕を見つめていた。
クラウス様の無表情なのにどこか翳りのある姿とは対照的で、眩いほど純粋な笑顔に、胸の奥が軋む。
「リラ様にしては珍しくまともな発言ですね」
「何ですって!ちょっと待ちなさい、今何て言ったの!?」
子供のように頬を膨らませて睨んでくるリラ様に、僕は逃げるように部屋を出た。
外の空気は新鮮で、木々の隙間からこぼれる陽光は優しい。生ぬるい風が、フラウィール独特の海の香りを運んでくる。
穏やかな時間だった。
争いのない、優しい時間。
僕が好きな、だけど不釣り合いな存在。
木の幹にもたれかかって空を見上げれば、鮮やかな青い空に、ふわふわとたなびく純白の雲。綺麗だ、と思う。この手が血で汚れていても。
自然と溜息がこぼれる。
「……また、嘘ついちゃったな」
誰にともなく呟いた言葉に、苦笑する。
今更何を言っているんだろうね、僕は。嘘で身を守ってきたくせに。
……全然覚えていないというのは、嘘だ。
屋敷の主人に連れて行かれた場所のことは覚えていないし、所々記憶が抜け落ちているのも本当のことだ。
でも、ローグやライトに遭遇し戦ったことは覚えている。
ローグの冷酷な薄青い目と会った瞬間から、誰かに後ろから刺されて意識を失うところまで。
きっと、言うべきなんだ。本当は。
言った方がいいのはわかっている。
だけど、
「……言えるわけ、ないよ」
完全に『化け物』になっていた時の僕の話を。
あんな僕を知られたら、きっと嫌われる。
『弱虫』か『化け物』という単語に反応してキレた時は、若干おかしくなってもすぐに戻る。
周りが見えず、自分の中でパニックに陥り苦悩しながら、体は勝手に動いている状態の時もまだ問題はない。いや、普通の人からしたらじゅうぶん問題あるだろうけど。
一番問題なのは、完全に『化け物』になっている時だ。
何の躊躇いもなく攻撃し、どれほど血を流しても流させても、何も感じない。良心というものが全くなく、『化け物』という単語にも反応しない。
ただ、相手が追いつめられていく様子を、笑って、嗤って、ワラウ。
もはや人間ではない。
全身を血で染め、嗤い、破壊する。
そして、破壊している間は絶対人間に戻れない。
破壊行動が終わるか、気を失って目覚めれば、元に戻る。そうして、激しい自己嫌悪に襲われるのだ。
また、自分は『化け物』になってしまったと。
「……と言っても、普通は『化け物』になったりしないんだけどなあ……」
穏やかな風景を眺めながら、独り言を呟く。
本当に『化け物』になったのは数年振りだ。
子供の頃からたまに『化け物』になっていたが、それは怒りや絶望、恐怖といった負の感情に完全に支配された時だけ。
今回は激しい憎悪、ローグへの復讐心によって『化け物』が目覚めてしまったようだ。
理性が失われ、負の感情に囚われた『化け物』を止めることができるのは、僕の知っている限りでは師匠だけ。
しかし僕の中の『化け物』が外に出てくるようになったのは師匠がどこぞへ旅立ったあとだったので、制御不可能だった。
僕は『化け物』になるたび暴走し、周りの人に恐れられ嫌悪されて、正気に戻って後悔して。
そうしていくうちに、僕の周りには家族と彼女しかいなくなった。
僕にとって大切な存在はほんの少ししかなくて、だから守りたかった。
守りたかったのに。
結局守りきれず、彼女を失い、そして失うことが怖くなった。
怖くて怖くて、ただ、怖くて。
だったら、大切な存在をつくらなければいい。
僕は家にひきこもり、その間に自分の狂気と弱さを隠す方法を身に付けた。
嘘をつき、笑って誤魔化す。
貴族らしい汚い身の守り方。
自分の殻に閉じこもり、『化け物』にならずに済むように頑張ってきた。
「それでも、結局僕は『化け物』なんだ」
必死に隠しても、血に染まった手は元に戻せない。
心は弱いくせに、人を傷つける力だけが強すぎて。
だから僕は、自分が怖い。いつ『化け物』になるかわからない自分が。そして、止められない自分が。
そして今、再び大切な存在ができてしまった。
彼らが『化け物』になった僕を見たら、きっと離れていってしまう。
それは当然で、仕方のないことだ。
でも、失いたくない。
初めてできた友達を、滅茶苦茶だけど楽しい日々を、……あの歌声を。
失いたくないから、あの時、嘘をつくしかなかった。
後悔はしていない。
でも、クラウス様の真っ直ぐな眼差しや、リラ様の笑顔を裏切ったと思うと、どうしようもなく胸が痛むのだ。
何て矛盾。
でも、しょうがない。
いくら否定したって、その言葉から逃げたって、結局僕は『弱虫』のままなんだから。