『化け物』が目覚める時
あれから数日。
ちょうどいい宿が見つからなかった僕達は、まだあの屋敷に滞在させてもらっていた。
出発からずっとドタバタして休まる時のなかった旅だが、ここ数日は一応平和だった。……一応。
「ねえ、ハル。海行こうよ海。あ、ショッピングでもいいよ!」
「……海は昨日行きましたよね。一昨日も。というかもうずっとぶっとおしで外出している気がするんですが、気のせいですか」
「気のせいじゃないよ。そして今日も行く」
「嫌ですよ!」
「え~」
リラ様が子供っぽく頬を膨らませる。あんた何歳だ。
「本当に今日は行きませんからね」
溜息をついてその場を離れようとしたところへ、ものすごい力で腕を掴まれた。
「まあ待て。出かけるくらいいいじゃないか、なあ?ついでにあたしの酒と食事もよろしく」
いつものように男装した師匠が、ニヤッとしながら言う。
「よろしくされませんよ!行かないって言ってるでしょう!」
「ノリが悪いぜ、ハル」
「そうそう。あ、レウィンさんも一緒にどうですか?」
「いいねえ。ありとあらゆるものハルのおごりっていうことで」
「だから行かないってば!」
人の話を全く聞かない二人に思わず怒鳴ると、これまたお決まりのようにナイフがとんでくる。
「少しは分をわきまえたらどうですかヘタレ貴族。あまり反抗するんだったら存在を抹消してあげますよ?」
いつの間にか現れたソフィアが冷やかに微笑む。
やっぱりきた。もう半分諦めてるよ。
たいがいこの三人に追われて僕の休暇は休む暇ゼロだ。特にソフィアは、クラウス様の見てないところでは遠慮なく(普段からあまりしてないけれど)攻撃してくるので、本気で逃げないと命にかかわる。
女難の相でも出ているかもしれないな。うん、きっとそうだ。
ここ最近のことを思い出し、自然と乾いた笑いが漏れる。
「うわあ……何笑ってるんですか。気持ち悪い」
「ソフィア、あんまりへこませないでやってくれ。あれで結構へこみやすい」
嘘つけアホ師匠。僕を庇うような発言のくせに、顔が笑っている。
「気持ち悪くはないけど、何か枯れてるよね。もうちょっと明るく笑ったら可愛いのに。……ハル、さっきからどんどん暗くなってない?」
「……誰のせいだと思ってるんですか」
「誰のせいなの?」
「さあ?」
「自分自身のせいですよ、きっと」
そんなわけあるか。
この時点で反抗する気力もだいぶなくなっている。枯れてもしょうがないだろ。
助けを求めて周りを見渡すも、部屋の隅でびくびくしているアニーくらいしかいない。
こういう時にクラウス様がいればソフィアだけでも何とかなるのに。
「何きょろきょろしてるんだよ?」
「どうでもいいでしょう。……それより師匠。屋敷の主人の依頼とやらはいいんですか?」
悪あがきのつもりで尋ねると、師匠は何故か溜息をついた。
「ああ、あれねえ。もういいんだってさ」
「え」
「とある人を探して欲しいっていう話だったんだけどさ、もう見つかったらしいんだ」
「そうだったんですか」
「うん。お詫びに好きなだけここに泊っていいってのはありがたいけど、ちょっとガッカリ。報酬もないしね~」
師匠はひどく残念そうに言った。
そうか。だからいつも暇そうだったのか。
てっきり師匠が馬鹿でアホで間抜けだからサボっているのかと思っていた。
突然師匠は、前髪をかきまぜ少年のようにニッと笑った。
「というわけで、あたしは退屈を紛らわせるために出かけるぞ!よし、ハルついて来い!」
「どうしてそこに戻るんだ!?」
「細かいことは気にするな!」
「レウィンさんの言う通り、レッツ・ゴー!」
「わけわかんないですよ!」
せっかく話を変えることに成功したのに、結局最初に戻ってしまった。
もう面倒になってきた。折れちゃおうかな。
でも、この後死ぬほど疲れることはわかりきっているし……。
周りの声にこめかみがズキズキと疼きだす。ああもう、本当にうるさい。
と、そこに、柔らかな声が加わった。
「いやあ、ハル君は人気者なんだねえ」
にこにこと温和な笑みを浮かべてやってきたのは、この屋敷の主人だった。突然リラ様が背筋を伸ばし、しとやかな笑顔を浮かべる。
「私達、とても仲いいですから。今日もみんなで出かける予定で……。喧嘩だってほとんどしないんですよ。ねえ?」
何がねえ?だ。
リラ様は他人に対して猫かぶりすぎだ。もともとが美人なので立ち居振る舞いや言葉遣いに気をつければ王女そのもので様になるが、普段の幼稚すぎる性格からすると少し不気味だ。
そんなリラ様を遠目に眺めていると、主人が僕に向かって手招きした。
何の用だろうか。内心首を捻りながら近寄っていく。
「何でしょうか?」
「実はね、ハル君に少し頼みごとがあるんだ」
「頼み事ですか?」
ますますわからない。クラウス様やリラ様ならわかるけど、僕なんかに出来ることがあるんだろうか。
僕は内心不思議に思いながら続きを待っていると、主人は少し困ったように、眉根を寄せた。
「うん、そうなんだ。これから出かけるところ、申し訳ないんだけど……」
「大丈夫です。何をしたらいいでしょうか!」
思わず身を乗り出す。これはリラ様達から逃げる絶好のチャンスだ。逃してたまるか。
「取り合えず、私についてきてほしい。ゆっくりでいいから、用意ができたら玄関で待っていてくれるかい?」
「わかりました」
僕が頷くと、主人はリラ様達に話しかける。
「というわけだ。すまないねえ」
「いいえ。あまり役に立たないかもしれませんが、いくらでも使ってやってください」
いつから僕はリラ様の所有物になったんだ。
リラ様を軽く睨もうとして、その隣にいるメイドの突き刺すような視線とぶつかり、慌てて目をそらす。
「そういえば、君達はハニステア通りに行ったことあるかな?」
「ハニステア通りですか?」
リラ様が首を傾げる。
僕も話で聞いたことはあるが、よくは知らない。ただ、ここより結構遠くにあるはずだ。
「せっかくフラウィールに来たんだから、行った方がいい。あそこには新鮮な海産物や果物をたっぷり使った料理がたくさんあるし、上質なワインや貝殻が安く買えるんだ。ここからだと少し遠いけど、馬車を使えば問題ないはずだよ」
主人のワインという言葉を聞いた途端、師匠の目がパッと輝いた。
「よっしゃ!今日はそこに決定だ!あたしが御者やってやるよ」
「お断りします。あなたなんかが御者をやったら、またリラ様の具合が悪くなってしまいます。少しは反省したらどうですか」
「あはははは!まあまあ、気にするなって」
ソフィアの冷ややかで棘のある口調にも動じず、師匠が豪快に笑う。さすが馬鹿で空気のくの字も読めないアホ師匠。呆れを通りこして感心してしまいそうだ。
師匠に数秒間氷の眼差しを向けた後、ソフィアはくるりと向きを変え、部屋の隅で縮こまっているアニーに呼び掛けた。
「そこの赤毛のメイド」
「は、はい!私ですか!?」
「この部屋に赤毛のメイドなんて一人しかいないから、多分そうでしょうね」
痛烈な皮肉に、アニーが怯えたように後ずさる。何というか、不憫な子だ。
「この女に任せると暴走馬車で移動しなきゃいけなくなるし、私はやりたくない。だからお前がやれ」
「ぎょ、御者を?」
「それ以外に何があるんだ」
「は、はい。そうですね」
「……ソフィア。何でもかんでも、厳しくすればいいってもんじゃないわよ」
「……すみません。気をつけます」
リラ様がたしなめると、ソフィアは不満げながらも頷く。ソフィアが言うことをきくのって、本当にリラ様とクラウス様だけのようだ。
リラ様はソフィアにちょっと微笑むと、明るく楽しげに
「では、ハニステア通りに行ってきます!ハル、失礼のないようにね」
「はいはい。楽しんできてくださいね」
「うん!」
リラ様は無邪気な笑顔で頷く。
僕は三人から解放された満足感に、リラ様と同じように自然と笑みをこぼしていた。
「あの……乗ってから結構時間がたつと思うんですが、この馬車はどこに向かっているんですか?」
「もう少しだよ。すまないね」
「あ、いえ。大丈夫です」
温厚そうな顔に申し訳なさそうな表情を浮かべられると、何も言えなくなってしまう。僕は複雑な気分で黙りこんだ。
仕方がないので外を眺める。
住宅街はとっくに過ぎ、視界に入るのは木々ばかり。一体どこへ向かっているのだろうか。
さっきから感じる不安に、気持ちが重くなる。
この虫も殺せなさそうな顔をした主人が危害を加えるとは思えないが、万一ということもある。油断は禁物だ。
いつでも動けるように周囲を警戒していると、突然馬車が止まった。
「ついたよ。ここだ」
主人が柔らかな微笑と共に言う。
「え、でもここ、ただの森じゃ……」
「ほら、あそこに家があるだろう?」
主人が指し示す方を見ると、確かに小さな家が木に埋もれるようにして建っていた。
「私はあそこに用があるので、ここで待っていてほしい」
「え?何故ですか?」
「以前ここに来た時、御者を一人で待たせていたら、たまたま通りかかった盗賊に襲われてね。幸い御者は無事だったんだが、今回はそういうことが起こらないように、外で見張っていてほしいんだ」
僕を呼んだのはそのためだったらしい。
でも、それって結構危険なんじゃ。
「見張っているといっても、あの家の近くで隠れてみているだけでいい。もし何かあったら、すぐ私の所へ来てくれ」
「はい。わかりました」
それならたいしたことじゃない。何より、ただで寝泊まりさせてもらっているんだ。これくらいはするべきだろう。
僕は馬車からおり、主人と共に家の近くまで歩いていく。辺りは木で埋め尽くされていて、葉や土の香りが生ぬるい風に混ざって散らばる。
主人は家から少し離れたところで止まった。
「じゃあ、ここで待っててくれ。何かあったらすぐに来なさい」
「はい。わかりました」
それだけ言うと、主人は足早に小さな家の方へと姿を消した。
僕は近くにあった木の幹に寄り掛かり、そのままずるずると座り込んだ。
暇だ。暇ということは、平和の証拠。いいことだ。
自然の香りや葉の隙間からこぼれる光が、眠気を誘う。
馬車を見張りながらしばらくぼーっとして、どのくらい経っただろうか。
ふいに、頭上から声が降ってきた。
「背は伸びたようだが、あまり成長していないな」
その瞬間、眠気が吹っ飛び一気に覚醒した。
冷たく無機質で、まるで人間味のないその声。
忘れることのできない、その声の主。
僕はサッと立ちあがり、声のする方を振り向く。
そこには、一人の男がいた。
黒いフード付きのローブを着て、芸術的な宝飾の施された長槍を持っている。フードに隠れて顔はよく見えないが、冷酷そうな薄青い双眸がのぞいている。
何より、身にまとう冷たく異質な雰囲気が、あの男だということを物語っていた。
男が、口元を緩ませて笑う。
「久しぶりだな。ハル・レイス・ウィルドネット」
ゾクリと背筋が泡立ち、激しい憎悪が体中を駆け巡る。
怒りで声が震えて、喋るのもままならない。
「よくも……よくも、僕の前に現れたな。ローグ・ゼルド!」
殴りかかりたくなる衝動を押さえこみ、真っ向から対峙する。
「お前がどういうつもりであんなことをしたのかは知らないし、知る気もない。だけど、お前のせいでミシュア姉さんは、ボロボロになったんだ!」
ありったけの憎悪をこめて、吐き捨てる。
すると、突然ローグは笑いはじめた。
感情が全くこもっていない、不気味な笑い声が反響する。
そして、静かに言った。
「ミシュア、か。そんなやつもいたな」
その瞬間、僕の脳内で何かが音を立てて切れた。
そんなやつだと?お前のせいでミシュア姉さんがそれほど傷ついたと思っているんだ。何年たっても、癒えないほどの傷を負わせておいて。
許さない。絶対にユルサナイ。
僕の中で、『化け物』が目覚める気配がした。
「殺してやる」




