皇子とメイドの恋愛事情
そこにいたのは、背筋が凍りつくような笑みを浮かべたソフィアと、諦め顔のクラウス様だった。
予想通りというか、何というか。
何とも言えない状況に、自然と苦笑が浮かぶ。
「……言い訳みたいに聞こえるかもしれませんが、僕は散歩していただけで、決して悪気とかはないんです。だから、許して……」
「嫌だ。殺す」
「だからやめろって言ってるだろ」
クラウス様が言うと、ソフィアは少しムッとして、八つ当たりするように僕を睨んできた。
取り合えずソフィアから目をそらし、クラウス様に向かって尋ねる。
「一応聞きますけど、その……クラウス様とソフィアって……」
「お前の考えている通りだよ。恋人みたいなものだ」
驚くほどさらりと言う。クラウス様の表情も、どこか清々しい。
あれ、何で?
ばれちゃマズイことじゃなかったのか?
普通なら、こんなことがばれたら大騒ぎになるはずだ。それに、今まで一度もそういったうわさがクラウス様から流れたりしなかったんだから、細心の注意を払っていたのだろう。
それなのにクラウス様は慌てるどころか、とても落ち着いていた。
内心首を傾げていると、クラウス様はちょっと笑って、
「俺の態度に驚いているみたいだな」
うわっ、心読まれた。
「俺だって、他の奴なら即座に口封じしている。そこまで間抜けじゃない」
僕はクラウス様の言葉にますます混乱してきた。クラウス様が間抜けなんかじゃないことはよくわかっているけど、じゃあ何で……。
「ハルだからだよ」
「え?」
「ハルは、誰かに言ったりしないだろ?ばれてしまったものは仕方ないし、友達のことは信用したいからな」
クラウス様はそう言うと、柔らかく微笑んだ。
僕はクラウス様の言葉を頭の中で反芻し、指先がほんのり温かくなるのを感じた。
嬉しかった。
そんな風に、信用してくれたことが。
と、その時、ものすごい殺気を感じてギクリと身を引いた。
「クラウス様に優しくしてもらったからっていい気になるなこの野郎……」
ひんやりした声でつむがれる悪態に、数歩後ずさる。
「い、いや別に、いい気になんか……」
「なってないと?そう言うのなら証明してくれますか?まあその前に私の手で抹殺……」
「ソフィア」
静かな声がソフィアを遮る。
クラウス様は、いつもより少し低い声で続けた。
「……いい加減にしろ。どうして自分の手を汚そうとする。それから、むやみに人に悪意を向けるなとも言ったはずだ」
ゆっくりとした口調だが、どこか威厳を感じさせる雰囲気がクラウス様にはあった。
ソフィアはスッと口を閉じ、うつむく。
「……ごめんなさい」
急にしおれたソフィアに、クラウス様は溜息をつき、そっと頭を撫でる。
一方で、僕はその様子をポカンと見ていた。
そこでうつむいている少女は、一体誰。
少し潤んだ瞳や、肩からこぼれた艶やかな金髪が頼りなく揺れる様子は、可憐で儚げで、いつもの子供らしからぬ話し方や振る舞いとかけ離れていた。
何これ。いくら何でも変わり過ぎ。
あれですか、恋する乙女がどうのってやつ。
恋する乙女は何でもアリなんですか?
そういえば、これとはちょっと違うけど、リラ様に対してもごく普通の少女とあまり変わらなかった。
というか、もしかして悪意やら敵意やら殺意やら全開、いつでもどこでも殺してやりますオーラ出している相手って、僕だけだったりして……。
自分で出した答えがあまりにも有り得そうなものだったので、軽く落ちこむ。何故ここまで嫌われなくちゃならないんだ。
まあ、理由は僕が貴族だからなんだろうけど。
そっと溜息をついてソフィアを見ると、もう立ち直っているようだった。こっちを睨んではいるが、殺気は出していない。色々な意味でクラウス様と友達でよかった。
「それにしても……クラウス様にそういうのがあるなんて……」
何だか妙な気分だ。居心地が悪いというか。
「おかしいか?」
「いや、おかしいというか。てっきり女性嫌いとかそういうやつかと……」
「……そう、見えるか?」
クラウス様は驚いたように目を見張った。
あれ、まずかったかな?
「あ、いや。クラウス様ってそういった噂が全然ないので、てっきり」
「それはクラウス様がひとえに誠実で素晴らしい方だからに決まっているでしょう。馬鹿なんですか、あ、馬鹿でしたね」
「俺を美化するな。あと、暴言つけたすのもやめろ」
「……う。はい」
再びソフィアがしゅんとうつむく。
ソフィアの弱みはそこにあるらしい。今まで散々言われっぱなしだったので、ちょっと得した気分だ。ソフィアが恨めしそうに睨んでくることはあえて見なかったことにしておこう。
怨念のこもった視線を意図的に避け、無理やり会話を続ける。
「そ、そういえば!このことって、リラ様とかも知らないんですよね」
「ああ、ずっと隠してたからな。話すのも面倒だし。……まあ、恋人と言っても、たまに会って話すくらいだが」
「え?」
クラウス様はやんわり苦笑すると、足元に視線を落とした。
「本当にそれだけ。だから、もしかしたら隠す必要はないのかもしれな……」
「必要あります!」
ソフィアの叫び声が、クラウス様の言葉をかき消す。
紅潮した頬に金髪が幾筋かかかり、闇の中できらめく。
「私はただの侍女ですよ!?本当は、お傍にいることだって有り得ないんです」
「わかってる。……でも、正直恋人なのかどうかも疑問なんだよな……」
「え」
いいのかそれで。
「というか、恋人の定義って何だ?」
「そこからですか!?」
それじゃ恋人とは言わないんじゃないか。
しかし言われてみれば、どこからどこまでが恋人の定義なのかは、いまいちよくわからない。そもそもそういうのって本人達の認識だから、確かな定義なんてない気がする。というか、何故人の恋愛事情で僕が悩まなきゃいけない事態に発展しているのでしょうか。
「……そういうの、僕は専門外なんでわからないです」
「専門外て、専門家なんていないだろ」
「いや、そういう意味ではなく」
「じゃあどういう意味だ?」
「……恋愛経験がないんです」
「ああ、なるほど」
クラウス様が納得したように頷く。
ふとソフィアに目をやると、こちらを睨んではいなかったものの、唇を尖らせすねたようにそっぽを向いていた。
「……二人で話しちゃって」
僕はギクリとした。
多分、いや絶対にすねてる。
こういう様子は見たことがないけど、僕にとってマイナスな何かが起きるのは間違いない。
「何か言ったか、ソフィア?」
「……いいえ、何も」
ソフィアの目が「あとで覚えてろぶっ殺す」と言ってるのが伝わってくる。そういえば、以前クラウス様にも目で脅されたような覚えが……いや、そんなのどうでもいい。
僕はお決まりの愛想笑いを浮かべ、
「長居しすぎちゃったので、これで失礼します」
サッと踵を返し何か言われる前に駆けだす。
背後でクラウス様の声が聞こえたような気がしたが、振り返らずそのまま走り続けた。
「はあ……何か、微妙に大変なことに巻き込まれたなあ……」
立ち止まると、自然と溜息と共に言葉がこぼれる。走ってきたため、だいぶひんやりしてきた風が心地良い。分厚い雲もどこかに消え、月がほのかに蒼く輝いている。
しかし、どうしてだろう。
最近やたらと色々なことに巻き込まれている気がする。それとも、これが普通だったりするんだろうか。
いや、落ち着け自分。いくら世間一般の普通がよくわからないからって、それはないだろ。というか嫌だ。
やっぱり、どう考えたってこれが普通じゃないんだ。
「……もしかして、僕って運が悪いのかな……」
溜息交じりに言った瞬間、背後でシュッと風を切る音が聞こえた。横に避けると、銀色のナイフが地面に刺さっている。
……またか。
「会うたびに攻撃してくるの、いい加減にしてよ……」
「嫌です」
闇にとけこむように立ったソフィアが、尊大な眼差しで僕を見上げていた。
「クラウス様は?」
「待ってもらっています。すぐ戻る予定なので」
「そう。……で、用件は?」
ソフィアは唇の端を上げてニヤリとするだけで、何も言わない。
ソフィアが一人で追いかけてきた理由は、何となくわかる。あまり考えたくないけど。
しばらくの沈黙ののち、僕は溜息をついて言った。
「だいたい予測はつくよ。さっきのことで念を押すか、……僕を消すか」
すると、ソフィアは冷笑したまま
「それもいいかも。楽しそうですし」
馬鹿にするように言い放つ。
でも、それもいいかもってことは、違う用件ということか。
なら、一体何の話だろう。
すると突然、ソフィアがズンズン歩きだした。異様な雰囲気に押され、自然と後ずさる。
「逃げるな。止まれ」
「何故」
「逃げたら殺す」
どっちにしろナイフがとんでくる時点で殺されそうな気がする。
トンと踵を打ちつけ、僕の目の前で止まる。そして目をつり上げ、キッと睨んだ。
「一つ、言いたいことがあります」
「う、うん」
「クラウス様を」
いったん言葉を切り、大きく息を吸い込む。
「……クラウス様を取るなっっっ」
かなりの広範囲に響き渡るような声で叫んだ。
「………………。……えっと、それってどういう意味?」
僕は愛想笑いというか、曖昧な笑みを浮かべて問いかけた。質問が質問なので、どんな顔をしたらいいのか、さっぱりわからない。
ソフィアはムッとしたような顔で答える。
「いいですかこのボンクラ貴族。クラウス様はああ言ってたけれど、私は恋人のつもりです。ですから、クラウス様が他の人に取られるのは不本意なんです」
ああ、うん。それはわかる。いわゆる嫉妬というやつなんだろうきっと。
「でも、僕は女の子じゃないし、ただの友達だから別にそんなの……」
「わざわざただの友達と言うところが怪しいですね」
「……はあ?」
ソフィアはツンと横を向いた。
ちょっと待って。何かがおかしいよ。つまり、ソフィアの発言の意味は。
「……僕がその……あっちの人だって言いたいの?」
「はい」
非常に言いにくい質問に対し、あっさり頷きやがった。
「えええっっ!それないから!ほんとないから!何その被害妄想!?」
「……だって、クラウス様が簡単に人に気を許すはずがないし」
「だからってそれは酷いよ!」
「……だって、わからないじゃない。リラ様をおとそうとするやつだし」
「……へ?」
今、聞き捨てならないことを聞いたような。
「リラ様をたらしこもうなんて、百万年早い。もし何かしたら自動的に始末しますから」
「ちょっと待ってよ!それもすっごくおかしいから!何でリラ様!?あと、何で僕がタラシになんなきゃいけないの!」
倒れたくなるような被害妄想の数々に思わず怒鳴りつけると、ソフィアはきょとんとした。
「違うんですか?」
「違うよ!」
「本当にリラ様もクラウス様も……」
「違うって言ってるだろ!」
叫びすぎて眩暈がしてきた。やめてくれ。
ソフィアはしばらくの間腕を組み、何事か考えていたが、やがて静かに口を開いた。
「わかりました。半分くらい信じておきます」
「半分て何!?ほんとないから!というか言いふらしたりしないでよ!?」
「……それはお互い様です」
「はいはい。こっちも内緒にしとくから」
「言ったら即刻殺しますので」
「……怖いからやめてください」
がっくりと肩を落とす。今日で一番疲れたかもしれない。
突然、ソフィアがクスクス笑いはじめた。いつもの邪悪で冷たいものとは正反対の、柔らかで少女らしい、無邪気な笑顔。
「あなたの反応、ちょっとは面白かったですよ」
「……それ褒めてるの?」
「褒めてません」
「だよね……」
ソフィアはまた少し微笑むと、くるりとターンし、
「では、クラウス様のもとへ戻るとします……このことも、秘密ですよ?」
一度だけ振り返ると、すぐに駆けだし闇の中に消えていった。
嵐が過ぎ去ったかのような虚無感に襲われ、僕は膝をつく。
疲れた。ものすごく疲れた。強烈に疲れた。
恋愛なんて本当にろくなもんじゃないよ全く。できれば避けて通りたいものの一つだ。
……でも。
たまには、悪くないかもしれない。
そんなことを考えている自分に呆れ、僕は自嘲気味に笑った。




