迷惑な再会
「ねえねえ、フラウィールはまだ?」
「まだです。あとちょっとだから我慢してください」
トランプに完全に飽きたと思われるリラ様は、ほっそりした指先で青いガラスのペンダントをもてあそびながら唇を尖らす。
柔らかな光を放つ透明なガラスのペンダントは、さっきの屋台で僕がリラ様にプレゼントしたものだ。気にいってくれたようで、ずっと手にして眺めているが、ちょっと照れくさい。なので、目を合わせられずにいる。
もうずっと、馬車の中にはリラ様と僕の声しかない。クラウス様は無言で外を眺めながらも、時折イライラしたような表情でうつむき、唇を噛んでいる。後ろで馬車に揺られているソフィアも、陰りのある表情で黙りこんでいる。しばらくナイフが飛んでくることもない。
一体何があったのだろう。
二人の様子はさっぱりわからないが、空気が酷くよどんでいることはわかる。
しかし、そこに空気の読めない人間がいた。
「クラウス、何難しい顔してるの?眉間に皺が寄ってるけど。お腹でも壊した?」
「お前と一緒にするな」
クラウス様はひんやりした声で返す。リラ様は首を傾げた。
「何で怒ってるの?」
「怒ってない」
「怒ってるって」
「怒ってないと言っている」
「そう?イライラしているように見えるけど」
「……その無駄によく回る口を縫い付けてやろうか」
「クラウス、縫物できるの?出来るんだったら、人形でも作ってよ」
会話が続けば続くほど、室内の温度が下がっていく。もう氷が落ちていても全然驚かない。
「そ、その!フラウィールは観光向けの国ですから、楽しめると思うんです!」
慌てて口を挟むと、クラウス様はふっと表情を和らげた。
「……ああ、そうだな。一応身分がばれないようにしないといけないが…」
「ドレスも駄目?」
「知るか。ばれない自信があるなら勝手にしろ」
「……あの変な服はやめてくださいね」
「わかってるよ」
リラ様が子供のように頬を膨らませる。相変わらずの幼い仕草に苦笑する。
その時、「きゃあっ!」という悲鳴と共に馬車が大きく揺れ、止まった。
「アニー、どうかした!?」
僕が声をかけると、わたわたしているアニーが震えながら前方に指をさし向ける。同時にゆったりした声が流れてきた。
「おお、悪い。ちょっと愛弟子の気配がしたもんだから。赤毛のお嬢さん、ハルっていう黒髪に黒い目の男の子、乗ってないかな?」
声の主がわかった途端、あまりの衝撃に声も出なかった。何故この人がこんなところに。
「ハル、知り合い?」
「……違います。知りません」
「でも、お前の名前を……」
「空耳です」
「視線が泳いでるぞ」
「気のせいです気のせい。とにかく馬車とばしましょう。どうせ死にやしませんから。もし死んでも次の瞬間には暢気に生き返ってるはずです」
「聞こえてるぞ弟子。逃げ切れると思ってんのか?早く出て来い」
「お断りします。アニー、このまま進んで」
「ひえっ!?」
アニーがギョッとしたように叫ぶ。その向こうで、仁王立ちしている女性に僕は絶望的な気分を味わされた。
素っ気なく一つに束ねた豊かな黒髪に、夜のような漆黒の双眸。引き締まった長身を包む、男物の服。だが、豊満な胸や括れた腰から、女性だとわかる。
母と姉以外で、僕と同じ目と髪をした人なんて、一人か知らない。
そして、その人から逃げるのは不可能だ。絶対に。
僕は溜息をこぼした。もうこの際、ヤケクソだ。
「わかったよ!出りゃいいんでしょう、出りゃ!ていうか何でお前がそこにいるんだよ!?」
キレ気味に馬車から飛び降りる。後ろで「ハル……キャラが違う……」とリラ様が呟いたのは聞かなかったことにしておこう。
全く人気のない、少し暗い森に降り立つ。フラウィールに入ってなくてよかった。不幸中の幸いだ。
僕は黒髪の女性との距離を縮めると、不機嫌全開で睨みつけた。
「相変わらず変なところで出てくる人ですね。略して変人」
「そう怒るなって。ハル、身長伸びてよかったじゃん?いくらか成長したみたいだし。前より華奢になっちゃったけどな~」
「世間話は結構です、師匠」
能天気な声を遮ると、長身の女性、僕の師匠は、ちょっと笑った。
「相変わらずだな、ハル。……でも、友達できたみたいじゃんか。やたらと美形ぞろいだけど。あれか?お前の嫁さんとか愛人とか……」
「そのバグッた頭をどうにかしてから口を開け!」
脳味噌の腐った師匠の代わりに、手近にあった気を全力で殴りつける。すると、木はバキバキと音を立てて折れてしまった……やりすぎた。
「おいおい、木は大切にしなきゃ駄目だろー」
「師匠は人間関係を大切にした方がいいですよ」
「お?さてはあたしに喧嘩売ってるな?さっそくやるか」
「……遠慮しときます」
馬車から飛び出してくるリラ様たちを尻目に、僕はがっくりと肩を落とした。もう死にたい。
「とりあえず、事情を説明しろ」
凍てついた美声が僕に突き刺さる。同時に、鋭い眼差しも。
あはは、もう乾いた笑いしか出てこない。
「……もう何年も前ですけど、この人、僕の師匠だったんです」
「今でも師匠だ」
「どの口が言うか!ふらふら旅してるのは知ってたけど、何でこんなタイミングで出てくるんだよくそったれ」
「んなのしょうがないだろ!馬鹿弟子に言われる覚えはないね」
「馬鹿が馬鹿って言うな!」
「……いい加減に黙れ」
氷のような声にギクリとし、口をつぐむ。空気の読めないアホ師匠も、さすがにクラウス様の気迫に押し黙った。
クラウス様は顔にかかる長い前髪を鬱陶しそうにかきあげ、冷たい目で僕と師匠を交互に見る。そうして、ゆっくりと言った。
「ハルの関係者だということはわかった。取り合えず、名前を言え。話はそれからだ」
「ずいぶんと生意気な口きくねえ、あんた。あたしよりガキのくせに」
瞬間、ピシリと空気に亀裂が入った。
「貴様、誰に向かってガキだと?」
「あんたに向かって言ってんのよ。身なりからして偉い方なんだろうけど、そっちが先に名前を言うべきでしょう?」
すると、クラウス様は思案するように黙って目を伏せた。自分の名前を言えば、王族であることがばれる可能性がある。
僕からすれば、こいつになら言っても平気だと思うけど。
そこに、今まで傍観していたリラ様がにっこり笑い、
「初めまして。リラ・クラリスと申します。セルシアの第四王女です」
暴露してしまった。
「き……貴様っ!何勝手に言ってるんだ!?」
「だって、ハルのお師匠様でしょう?危険はないわよ。旅は道連れ世は情けって言うし」
「それ何か違いますから。あと、このアホに情けかけたらつけあがるのでかけないでください」
「ハル、口悪くなったなあ。……えーと、リラちゃんだっけ?いつも弟子が世話になってるね」
「いえいえ。こちらこそ」
リラ様と師匠はすっかり打ち解けてしまった。
あれか。アホとアホで何か意気投合できるものがあったのだろう。そうとしか思えない。
ていうか、そのアホの弟子だという事実が哀しすぎる。
師匠は全員を見回し、子供っぽくニヤリとして言った。
「で、あんたらは?」
アニーがびくっとし、おどおどした調子で自己紹介。
「わ、私は、ただの使用人です。アニーといいます」
「……ソフィア。同じくただの使用人だ」
ソフィアが不機嫌そうに師匠を睨む。相変わらず顔色は悪いが、眼光は少しも弱まっておらず、刃物のように鋭い。
「……ただの、ねえ」
師匠が意味ありげに口元に手をやり、ソフィアを見据える。対するソフィアも更に睨む。
今すぐ逃げ出したくなるくらい、怖い。
てか逃げ出したい。
最後に、いつまでも名乗らないクラウス様に顔を向ける。
「あんたは?」
「何故俺が名乗らなきゃいけない」
「別にいたくなきゃ言わなきゃいいさ。あたしが勝手に名前をつけるから。そうだなあ、鉄皮仮面とか、氷の物体とか……」
「……クラウスだ。これで満足か」
かなり苛立っているようで、無表情が崩れている。
もう嫌だ。しかも、とばっちりを食らうとしたら僕。おそらくクラウス様とソフィアで二対一。
お先真っ暗な僕とは対照的に、師匠はカラリと笑って手をたたいた。
「結構結構。やっぱり、名前があるんだったらちゃんと言わなきゃね」
「……じゃあ貴様には名前がないと思っていいのか」
「んなわけないじゃん。見た目に反して、あんた馬鹿なんだね」
「……死ね。地獄の底に突き落としてやる」
「うわあああああ!クラウス様やめてください!駄目です、絶対駄目です!」
「あははは!あんたら仲いいねぇ」
……このクソ師匠。本当に死ねばいいのに。
「馬鹿な弟子に馬鹿な師匠か……」
ソフィアがぼそっと呟く。
師匠と同じにされるのはかなりショックだ。まだヘタレ貴族の方がマシだった。
ひとしきり馬鹿みたいに(本当に馬鹿だけど)笑った後、師匠はニッと口元をつり上げて言った。
「あたしはレウィン・ウル。レウィンって呼んでくれて結構だよ。レウィン様とかレウィン姉様でもいいけどね!」
僕の師匠レウィン・ウルは、自己紹介までアホだった。