混乱
ソフィアはポケットから手を抜き、鈍く光る細いナイフを投げた。そのまま、ものすごい速さで投げ続ける。
「私は一発でしとめるほどの威力はない。ということでお前もやれ」
そう言っている間にもナイフの嵐は続く。しかし、背後からも敵は迫っていた。
「……何かすみません」
一応ことわっておいてから、手前の三人を殴り倒す。吹っ飛んだ三人は、後ろの盗賊達も巻き込んで倒れ、呻く。
「テメエ、軟弱な体つきのくせしやがって!」
軟弱で悪かったな!
口数の多い盗賊に蹴りを入れ、背後からとんできた剣を手で払い殴りつける。
思った通りだ。
人数は多いが全然大したことない。動きがやけにゆっくりに感じる。武器も、ろくに手入れをしていない切れ味の悪いものばかりだ。飛んでくる矢も見なくても音でかわせる。
正直、弱過ぎて拍子抜けだ。
飛びかかってきた盗賊の顔面に飛び蹴りをお見舞いしつつ、ソフィアの方を確認する。
ソフィアはどれだけナイフを持っているのか、まだ投げ続けている。これこそまさに、攻撃こそ最大の防御。ナイフは盗賊達に確実に刺さり、遠くからとんでくる矢を跳ね返す。
馬車の方は盗賊が侵入するたびクラウス様が剣でさばいている。大丈夫だろう。
そう油断した途端、剣が僕の目の前をかすめた。相手は盗賊の頭領だ。
「テメエ、なかなかやるじゃねえか」
「そりゃどうも」
振り回される剣をよけながら答える。頭領の周りには盗賊たちが群がっていて、殴ろうが蹴ろうが盾になって守るから厄介だ。というか面倒。
片っ端から周りの盗賊を投げていると、頭領の顔に気味の悪い笑みが浮かんだ。
「でも、その身なりじゃ今まで守られて生きてきたんだろう?いかにもお貴族様だ。ろくな覚悟もない」
体が冷たくなる。指先の感覚が、消える。
「どうでもいい話をしている暇があるんでしょうか」
「へっ、どうせろくな人生生きてねーよ。でも、テメエみてーな甘っちょろい『弱虫』小僧よりはマシだ」
『弱虫』という言葉を聞いた途端、体とは反対に頭がカッと熱くなった。
あんたなんかに、あんたなんかに何がわかる。
近寄ってきた盗賊を殴りとばし、盾もいなくなった頭領を睨みつける。
「黙れ!盗賊に言われたくないっ。……僕は、『弱虫』なんかじゃ、ないっ!」
息が切れる。目の前が歪む。全ての感覚がおかしい。暑いのか寒いのかすらわからない。
頭領は再びニヤリとする。
「口調がさっきまでと違うじゃねーか。それに、目つきもな。闇みてーな、『化け物』の目……」
「黙れっ!僕を『化け物』と呼ぶな……違う……違う違う違う!『化け物』じゃないっ!」
ごきりと、嫌な感触がする。気づけば頭領はいなかった。
じわりと視界が暗く淀む。目の前がグラグラして、吐きそうだ。
『弱虫』と『化け物』が頭の中で反響する。
誰かが、僕を指さして、嗤う。
違う、僕は人間だっ。『化け物』じゃない。
でも、もしかしたら。そんな疑惑がずっとあった。
大切な存在だった彼女も、ただの『弱虫』だと言っていた。『化け物』と罵って、そして。
じゃあ、僕は一体何だ?
『弱虫』も『化け物』も、全部自分?
僕はただの『化け物』?
だから、彼女も僕を捨てたのだろうか。
結局は、誰も守れない『弱虫』で、害をなす『化け物』で。足元が、血で満たされてゆく。
「もうやめてっ!」
悲鳴のような声が、響く。
歪んでいた視界がスーッとクリアになる。
「もう、いいからっ。大丈夫だから。ハルは『弱虫』でも『化け物』でもないの。……大丈夫よ」
透き通った声のする方を見ると、リラ様が僕の腕をつかんでいた。
青ざめた頬に細くてさらさらした銀髪が幾筋もかかり、その顔は今にも泣き出しそうなほど歪んでいた。
「あれ……何で、リラ様が?盗賊は?」
「もうとっくに逃げだしてる。頭領を貴様が追いかけようとするから、リラ様が止めに来てくれたんだろう。この恩知らず」
ソフィアが不機嫌そうに言う。落ちていたナイフを拾っているのはいいが、盗賊達がおいていった武器まで物色している。しかも、青い瞳には狂気じみた光が浮かんでいる。正直に言うと、怖い。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です。何かすみません」
リラ様は唇を噛み、また泣きそうな、怯えた顔をする。
「……ごめんね」
リラ様は目を伏せ、寂しそうに囁く。その様子はどこか儚げで、危うい気がする。
言われた意味がよくわからなかった。
何に対して、謝っているのか。
それに、リラ様の表情に浮かぶこの恐怖も。
僕は思いきり混乱してたけど、それは心の内の話。頭領を追っていったんなら、暴走はしていても一応平気だったはずだ。
盗賊たちに怯えていたならわかるのだが、それとも違うように見える。
透き通った瞳が深淵のように感じる。
深すぎて、複雑すぎて、透き通っているのにわからない。
「何ぼーっとしてる。よくも俺の呼びかけを無視してくれたな」
ひんやりとした声に振り向くと、凍てついた無表情の中に怒りを混ぜたような顔をするクラウス様と、馬車馬を引いてきたらしいアニーがいた。
結果として、もしかして僕は、迷惑かけてるだけなのだろうか。
キレた後っていつもテンションが落ち込むが、今回もそれにもれずへこむ。帰りたい。やっぱり外に出なきゃよかった。
「あ、あの。出発しますよ?」
「いい。ほっとけ」
「鳥に食わせます?」
どうしてそういう展開に……まあいいか。
「リラ様も行きましょう」
「ええ……」
リラ様は心配そうな目を僕をじっと見つめる。ほっそりした白い手は、いつの間にか僕の服をちょこんとつまんでいる。
「あの……」
「歩いて。邪魔、しないから」
うつむいてぽそぽそ言う。
別に邪魔にはならないから構わないけど、どうしたんだろう?
首を傾げ、ふと気がつけばもう夜だった。
不便だし危険だから、できるだけ野宿は避けたい。宿、見つかるかなあ?
盗賊は去ったけど、どうしてこんな森に来てしまったのかも含め、旅はまだまだ前途多難なようだ。
長い茶色の髪を緩やかに編み、リボンで結ぶ。藤色の薄地のドレスに身を包み、手袋をはめ、アメジストのペンダントを首からさげる。
華やかな化粧を薄く施せば、完成だ。
紅をひいた唇をつり上げ、少女は微笑む。
あの男の油断しきった顔。思い出すだけで愉快だ。どうして、あんなに愚かなんだろう。
しかし、愚かなのはちょうどよかった。愚かな人間は自分の過ちに気がつかない。民衆レベルに行くと、自分の意思すらなくなる。
ああ、何て愉快なんだろう。
国も、権力も、こんなに簡単に手に入る。
自分に余裕があれば、世界をひっかきまわして遊んでいるに違いない。
力と力のぶつかりあい。権力闘争。言葉を正しく使えない馬鹿どもは、勢いに流される。
そう、戦争だ。
国々の争いを遠くから眺めるのもきっと悪くない。
しかし、少女はそこまで世界に興味はなかった。
ほしいものは、ただ一つ。
その一つを手に入れるためなら、何だってする。
さあ、今度は誰を操ろうか。
次第に増えていく操り人形。少女のおもちゃであり、手札。
こみあげる笑いを押し殺し立ち上がると、部屋に漂う甘く誘惑的な香りが揺れる。
彼が手に入るのは、きっと、そんなに遠い未来じゃない。
「本当にここはどこなんでしょうか……」
困った顔でアニーが振り返る。助けてくださいと言わんばかりの表情だ。
もう数時間は走っているが、本当にここはどこなんだろうか。
暗い森では、時折フクロウの鳴き声が聞こえるだけで、一軒の店も家もない。
「……疲れた」
ソフィアが珍しく弱々しい目で呟く。今日前線で戦ったのは彼女だ。そりゃ疲れるだろう。
「本当に何もないな」
クラウス様は無表情で首を傾げる。
冷たい横顔にほのかに月光が当たって、一層美貌が際立っている。まるで一枚の絵のようだ。
しかし、クラウス様に見とれている場合じゃない。かなりこの状況はまずい。
「ヘタレ貴族、お前本当に看板を見たのか?」
「う、うん。確かにルスチェカの森と……」
「……仕方ない。勿体ないが、もとに道に……」
「あ、み、見えてきました!」
アニーが叫んだ。思わず身を乗り出すと、確かに明かりが見える。
「よかったぁ……」
ソフィアはほっとしたように呟き、安堵した様子で目を閉じる。
「リラ様、休憩できますよ」
隣でうずくまっていたリラ様に声をかけるが、応答なし。眠っているのだろうか。
「……リラ様?」
「え!あ、何?」
「ようやくこの森から抜けられるようですよ」
「あ、そうなんだ。よかったね」
にこにこしながら頷いている。しかし、その笑みは少しぎこちない。
「大丈夫ですか?」
「何が?それより、いい宿だといいね!ついでにそこの宿主さんに色々聞きたいことがあるし」
「聞きたいこととは?」
「ここら辺の話。名物とかいろいろ」
「じゃあ、私もそこでお料理を習いたいです。無理かもしれませんが……」
「よし、頼んでみよう」
やがて、リラ様はいつも通り明るい笑顔に戻った。
よかった。いつものも迷惑だけど、元気がないと更に調子が狂う。
「あ、あそこですね~」
白っぽい建物が見えてきた。宿らしい。
「今日は遅いですから、ここでもいいですか」
「ああ。とにかく、さっさと入るぞ」
今日の寝る場所を確保。盗賊だとか個人的な暴走だとか色々あったけど、取り合えず馬車の中で寝なくて済んだことにほっとした。