嫌な予感は当たるもの
食べ物が運ばれてくるのを待っていると、クラウス様から殺気を感じた。青い双眸が冷酷にきらめく。
「外でもそうだったが、何故俺をじろじろ見てくる。俺は見せ物じゃない」
意外なことに、クラウス様は四方八方からの視線に気づいていたらしい。
「気のせいじゃない?私は何も感じないよ」
首を傾げるリラ様に驚きを通り越して呆れた。この人は天然なのかアホなのか。
「あいつらは他国のスパイなのか?それとも俺を馬鹿にしてるのか?どっちにしてもあの下衆な視線を片っ端から封じ……」
「それは駄目です!」
僕が叫んだのとソフィアが立ち上がったのはほぼ同時だった。ソフィアは腰に挿した剣に手をかけているクラウス様の手を握ると、そっと引き離す。
「ここは庶民の店です。耐えてください。……後で私が脅しておきますから」
最後のつけ足しにぞわりと鳥肌が立つ。ソフィアなら本当にやりかねない。
「わかった。……お前の頼みだからな」
「ありがとうございます」
頬を赤らめにっこりする。笑えば可愛らしい少女なのに、もったいないというか恐ろしいというか。
しかしナイフを投げてきたり睨んできたりするのは僕に対してだけなようなので、正直へこむ。
とまあ僕が小さく根暗モードに切り替わったり、ソフィアが笑顔で会話をしつつ的確にナイフを投げたり(投げられた側は悲鳴をあげて訴えたが、透明な糸で即刻回収したため見つからず店内は騒然となった)と色々あったけど、どうにか和やかに進み食事時間は終了。
外に出ると、まだまだ明るい。再び馬車に乗り込み街道を走る。
食べ物を見かけるたびにリラ様がほしいとわめくので、馬を捜査している僕としては大変迷惑だった。子供でもないのに、全く。
「ねーねー、トランプやろうよ~」
後ろからとんできた声に思わず溜息をつく。この人の無茶ぶりには呆れても呆れても足りない。
「僕は現在手が離せないのでできません」
後ろでぶつぶつ言う声を無視し、たまにとんでくるナイフを手で払いつつ馬を操作。かなりきつい作業だと思う。
辺りは再び森に入り静かになる。やや薄暗く、人が全然いないことが逆に気味悪く感じる。
後ろから流れてくる会話を聞くでもなく聞きながら馬車を進める。しばらくすると、妙な違和感を感じた。
ここら辺のルスチェカの森は散歩に最適と名高く、人通りも少なくない。しかし、僕ら以外には誰もいないのだ。
「おい、お前。ここは本当にルスチェカの森なんだろうな!」
「はい、そのはずです。看板を見ましたから」
「……それにしては静かすぎる。人もいない……」
ソフィアとクラウス様も僕と同じことを思ったらしい。
また、嫌な予感がする。
馬の手綱を掴んでいる手がじっとりと汗ばんでくるのがわかる。
重々し雰囲気の中で、リラ様は
「ど、どうしたの?何が起こってるの?」
不安げにきょろきょろとみんなを見渡す。
「私も何とも思わないのですが……」
アニーが申し訳なさそうに呟く。
「もしかしたら気のせいかもしれないから」
「……まあ、そうかもしれないが、油断はするな」
「はい」
振り返れば、クラウス様の双眸はいつもよりも冷たく深い。
緩んでいた手綱をしっかりと握りなおした時、突然感じた気配に戦慄が駆けぬける。
来る。
「おいっ!」
「わかってます!とばすのでしっかりつかまって!」
馬に鞭を入れ全力で走らせる。
「きゃあっ!」
後ろで悲鳴が上がる。だけど、振り向いている時間はない。
「ヘタレ貴族!急げ!」
ソフィアが叫ぶ。
あからさまな足音。人数はだいたい五十人以上。もちろん武器も持っている。
いくらとばしたって、馬車は馬車だ。馬だけならまだしも、荷物も人間も乗った馬車では追いつかれる。
足音が近づく。気配も濃くなる。
そして、馬車に向かって矢が放たれた。
慌てて馬を引き、止まる。同時に武装した大勢の男が馬車を囲む。
その中でも、一番身なりのいい男が口を開いた。
「オレ達に狙われたのが運のつきだったなぁ、お前ら。武器と女と持ってるものを全部よこしな」
リラ様とアニーが恐怖に顔をひきつらせる。クラウス様が「盗賊か」と呟いた。
「貴様らのような下賎な者どもの言うことを、何故この俺が聞かなければならない?それに、どっちにしろ俺やハルは女ではないから殺す気だろう」
クラウス様の凍てついた声が響く。すると、周りで爆笑が巻き起こった。
「よぉくわかってんじゃねぇか。でも、オレ達の言うことを聞けば、楽に殺してやるぜ」
「残念だったなあ。全員女だったら助かったのに」
「つーか、そこの偉そうな奴すげー美人じゃん。女だったらな!」
「そっちの坊ちゃんも顔は女の子みたいだしな。可哀想に」
散々馬鹿にして、また笑う。
さすがに苛立ってきた。僕は女顔かもしれないが指摘されて嬉しくはない。
その時、凍りつくような殺気が広がった。だがクラウス様じゃない。氷の彫刻のごとく冷たいが、かなり冷静だ。
怒りに瞳を燃えたぎらせ、憎悪を全開にしているのは、ソフィアだ。
紺色のローブを脱ぎ捨ていつものメイド姿になると、いきなり馬車を飛び降りた。
「いい加減にしろ、貴様ら!私にぶっ殺されたいか!」
殺意でギラつく瞳で男達を見回す。
「やめろ、ソフィア!」
クラウス様の声に、ハッとしたようにリラ様も続く。
「そうよ、駄目!危険だわ」
しかし、ソフィアの瞳は微塵も揺らがない。
「この状況で考えれば、戦わないわけにはいきませんよね?だったら、死んでも惜しくない上に戦闘能力もある人間が妥当です。そうしたら、もう私しかいないじゃないですか!」
「死んでも惜しくないだと!?ふざけるな!」
クラウス様が声を荒げる。冷徹冷酷冷静な彼の面影はない。
「でも、本当のことでしょう?……あ、私一人だとさすがに無理だから、ヘタレ貴族もつきあえ」
「え」
「……やるよな?むしろ死んでもいい辺りを私より適任だ。やるよな」
「……はい」
言外にやらなきゃぶっ殺すと聞こえた気がする。平穏な日常を望んでいるだけなのに、どうして僕が戦うことに。
しかし、この状況では仕方ない。どうせ、ちょっとは戦うつもりだった。
「なら、俺も……」
「いけません。あなたは自分の地位を理解しているのですか!?」
厳しい声音にクラウス様の顔が強張る。
ソフィアの表情がふっと和らいだ。殺気が消え、柔らかな笑みが浮かぶ。
「それに、クラウス様まで戦ったら、この馬車が襲われた時、誰がリラ様とアニーを守るのですか?」
クラウス様が衝撃に目を見開く。そして諦めたように目を伏せる。
「……わかった。気をつけろ」
「おい、内緒の相談は終わったか」
盗賊の頭領らしき男が声を張り上げる。
「ああ、貴様らを倒すことに決定した。全滅間違いなしだから覚悟しておけ」
メイド姿でか弱そうなソフィアの言葉に、再び盗賊たちは笑いだす。しかし、ソフィアの余裕のある表情は変わらない。
クラウス様が馬車に戻るのを確認すると、ソフィア僕の耳元に顔を寄せ、
「……今更だけど、戦えるのか?」
「本当に今更だね。戦えるよ。武器は何も使えないし、そもそも持ってないけど」
「……は?それでどうやって戦う?貴様馬鹿か?」
「素手だよ、素手で。あと、蹴りとかなら足で済むし」
「……私の足を引っ張るなよ」
どうやら信用されてないらしい。僕だって、こんな細い奴が武器なしで戦うって言ったら多分信じないけど。
「ソフィアは戦えるの?」
「もちろんだ。私が死ぬとでも思ったか?」
そう言うと不敵な笑みを浮かべた。
僕も、さらさら死ぬつもりはない。けれど昔と今じゃ違うし、この前微妙に体がなまっていた。油断はできない。
それに、僕だけが助かればいいのでもない。
「……今度こそ」
守らなきゃいけない。
振り返ると、リラ様が不安げな目で僕を見ていた。
青ざめながら、真っ直ぐに僕の目を捉える。
僕が笑いかけると、切なそうに目を伏せ、そうして優しい微笑みを浮かべた。
「頑張って」
澄んだ声が耳に届く。そうすると緊張もほぐれ、安心した。
「はいっ」
「何にやけている。気持ち悪い」
ソフィアが僕を睨みながら吐き捨てる。
大丈夫。
前回バルクさんを蹴り飛ばした時みたいに、キレたりはしないはずだ。たぶん。……最悪、『化け物』さえ出さなければ、大丈夫。
「なあ、そろそろいいかぁ?ここまで待ってやる親切な盗賊なんて、そうないぞ」
「ああ、いないだろうな。世界一の間抜け盗賊よろしく待ってるんだから」
挑発的に言うと、エプロンのポケットに手を突っ込み、凍りついた盗賊たちに可憐な微笑むを向ける。
空気が怒りの色に染まってくのがわかった。
「……嬢ちゃん、口の達者な女は嫌われるって知らないのか?」
「まあ、可愛がってやるけどよぉ!」
「下品な格好で馬鹿みたいに笑って力で何でもかんでも手に入れておまけに男尊女卑の男はろくでもないということを知らない方が狂ってると思うがな。はぁ、世も末でしょうかね?」
爽やか笑顔で毒々しい言葉を吐き散らし、馬車にこもったリラ様達に問いかける。
もちろん無言。聞かれても困る。
「あの……あんまりあいつらを挑発しないでほしいんだけど……」
「私は負けないから問題なし。貴様のことは知らん」
それはあんまりだ。
やや幼さの残る可憐な顔立ちに、歴史に残る悪女のような微笑みが浮かぶ。怖すぎる。大昔に生まれていたら絶対に魔女だったに違いない。
一方、悪態疲れるだけ疲れた盗賊たちは、怒りに真っ赤になって震えていた。
これは面倒だ。癖になってしまった溜息をつく。
遠くで待機している盗賊達は弓矢を構え、近くの盗賊たちは安っぽい剣を握りしめる。
そして、盗賊の頭領は眉間に皺を寄せ、真っ赤になって怒鳴った。
「やれぇっ!」
むさくるしい掛け声が轟き、いっせいに動き出す。
青い瞳に冷徹な光を閃かせ、ニヤリと唇をつり上げるソフィアの横で、僕はもう一度小さく溜息をついた。