太陽のような長姫
「あなたはもうさがっていいわ。そのかわり、お茶とお菓子を持ってきて」
「かしこまりました」
礼儀正しくお辞儀をすると、侍女は部屋を出ていく。残された僕に、アンジェラ様は微笑みかけた。
「来てくれてありがとう。どうぞ座って」
向かい側の椅子に座るように促され、取り合えず席に着く。
「初めまして。セルシアの第一王女アンジェラ・ココ・ファーネスよ。知ってるわね?」
「はい、もちろんです。……えっと、ハル・レイス・ウィルドネットといいます。今日はお招きくださり、ありがとうございました」
ビクビクしながら自己紹介をすると、アンジェラ様は、
「でも、こういうのってちょっと堅苦しいわよね?私、やっぱりやめるわ。性に合わなくて疲れるのよ」
と言って、椅子に寄りかかった。おまけにあくびまでする。
何か、噂と雰囲気が違うような。
緩やかに波打つ金褐色の髪や、涼やかな新緑のような瞳は噂通りの美しさで、衣類や家具も品がよく、さすがは高貴な血筋を引く王女様だ。
が、何だろう、この適当な感じ。僕の知ってるお姫様達はどうして変な人ばかりなのか。
更には、一応客である僕を無視して、勝手にお菓子をつまみ始めた。
「どうかした?」
どうしたのじゃねーよと思わなくもないが、誤魔化し用の愛想笑いを浮かべる。
「すみません、ぼんやりしてしまって。……ところで、今日はどのようなご用件でしょうか」
すると、アンジェラ様はうつむいて黙りこむ。その間ももぐもぐしている。この人、嫁いじゃって本当に大丈夫なのか?旦那さんもびっくりだろう。
ごくんと飲み込み、急に整った眉を顰め、顔を強張らせる。なかなか口を開かない彼女に、僕も少し緊張してきた。
一体、何の話なのだろうか。
「えっと……」
迷うように視線をさまよわせ、ふと僕の顔を見て、からりと笑った。
「ごめん、忘れた!」
「……はあ?」
「えへへ、ごめん。でも、ちゃんと思い出すから、そんな呆れたような顔はしないで?そんなに重要な話じゃないからさ~。あれ、でも重要だったかな?」
「……何だったんですかあのシリアスな空気は」
「え、そんなのあった?」
アンジェラ様が意地悪く笑った。
「くく……自意識過剰だなあ」
「誰が自意識過剰ですか!?いきなり呼び出されて深刻な顔されたら誰だって……あ」
うっかり怒鳴ってしまった。慌てて口を押さえるも時すでに遅し。思わず頭を抱える。
一方、僕のどこが面白かったのか、アンジェラ様は体をゆすって大笑い。
「あはははっ、チョロいなぁ……あれくらいでキレるとか……あはははは!」
テーブルを叩いて大爆笑。笑い過ぎて目の端に涙が滲んでいる。
笑われている僕としては、非常に居心地が悪い。ていうか、腹が立ってきた。
完全に見かけに騙された。このノリ、ステラ姉さんとちょっと似ていてイライラする。
穏やかで優雅な王女の鏡とか言ったやつ、一体誰だ。
アンジェラ様の陽気な笑い声を聞きながら仏頂面をしていると、侍女がお盆を手に戻ってきた。
「あはははは……ん?ああ、ありがとう。そこに置いて」
「かしこまりました」
追加の紅茶とお茶菓子がテーブルに並べられる。明らかに二人ぶんの量ではない。
「あらあら、ベーコンのサンドイッチ。太ってしまうわ〜」
ふざけたことを言いながらも、さすがに王女なので作法は完璧だ。しかし、食べるのがめちゃめちゃ早い。
「あれ、ハル君は食べないの?」
「……いただきますが、それより思い出していただけましたか」
「何を?」
「僕を呼んだ要件ですっ!」
イライラしながら叫ぶと、凄まじいスピードでサンドイッチを消費しながら首を傾げる。
「それねぇ。ハル君に聞きたいことがあって。いいの?」
「どうぞ」
「じゃあさ、リラのことどう思う?」
予想外の質問に、思わず固まってしまった。何も口の中に入れてなくてよかった。
アンジェラ様は笑みを浮かべていたが、眼差しは鋭く厳しい。
「どう思うって、どういうことですか」
「王女とか、そういうのを抜きにして、一人の人間としてどう思うかって聞いてるのよ」
険しい表情で尋ねるアンジェラ様は、逃げることを許してくれないようだった。
テーブルの上のカップを取り、場をつなぐために紅茶を喉に流し込む。酸味があって渋く、ほんのり甘い味が広がる。よく飲む品種のはずなのに、いつもより苦い。
カップを置くと、カチャンという音がやけに大きく響いた。
「……正直に言うと、よくわかりません」
言った途端、溜息がこぼれた。ついで苦笑する。
アンジェラ様は何も言わない。続けろということだろう。
「綺麗な人だと思います。でも、幼なかったり、我儘だったり、なのにずっと大人びて見えたり、その時によって全然違う。とても優しい笑顔を浮かべる時もある。本当は……どれも演技なんじゃないかって……」
途中からはほとんど独りごとだった。
リラ様は、つかみどころがなさすぎる。会って少ししか経っていないのに、ころころ変わりすぎて、全然つかめない。
わからない。
どうして、あんなに綺麗な歌声を響かせることができるのかも。寂しそうな目で僕を見るのかも。
でも、僕には余裕がない。他人を理解することなんかできない。自分さえコントロールできない、僕なんかには。
どこか後ろめたい気持ちになり、ふいっと目を逸らすと、溜息が聞こえた。
「……じゃあ、これだけは応えて。リラのこと、嫌い?」
ストレートな質問に、ドキリとする。
アンジェラ様は目をほんのり和ませた。さっきまでの厳しさは消えて、穏やかな笑みを浮かべている。
リラ様のことはよくわからない。わからないけど。
「……嫌いではないです」
僕の答えに、アンジェラ様は安心したように吐息を吐く。
「そっか。なら、よかった。……でも、嫌いじゃないって言ったからには、責任もって守りなさいよ。泣かせたりしたら、ただじゃすまないからね?」
「……どうしてそんなにリラ様にこだわるんですか」
「私があの子の姉だからよ。腹違いだろうが、一緒にいた時間が短かろうが、そんなことは関係ないもの。……もう、傍にいてあげられる時間も少ないしね」
寂しそうな声音にハッと顔を上げると、物憂げな瞳が僕を見つめていた。
「知ってると思うけど、私は近々、クロフィナルの王子と結婚する。もう、セルシアにはいられないわ。今まで通りリラを見守ることはできなくなる」
「結婚って……嫌なもの、ですか?」
無意識のうちにこぼれていた言葉に、アンジェラ様は苦笑しつつ、
「そうねぇ……。私の婚約者はそんなに悪い人じゃないらしいし、政略結婚なんて腐るほどあるから。私は、私らしく生きるだけよ」
鮮やかに笑って、言ってのけた。
何て、眩しいのだろうか。
王女という身分に縛られながらも、強く、自由に。自身に裏打ちされた、誇り高い美しさ。決して、僕とは相容れないもの。
息苦しくて、それ以上何も言えなかった。
アンジェラ様の部屋を出て、真っ直ぐにリラ様の部屋に向かう。
アンジェラ様と妙な約束をしてしまったし、迷惑をかけてしまったから。
本当は、気が進まなかった。頭の中で、紫の霧に包まれた過去がよぎる。
しかし、もう辿り着いてしまった。
扉の向こうから、切なげに澄んだ歌声は流れてくる。今朝のとは違う歌だ。
さすがに、歌いっぱなしではないだろう。それでも……もう、何時間も歌っているのかもしれない。
小さくノックすると、歌声がやみ、すぐに
ドアが開く。隙間から長い銀髪がこぼれた。
「入ってもいいですか」
「……うん」
リラ様はこくりと頷き、僕の手を引いて部屋に戻る。それから、本の壁にちょっと寄り掛かり、淡く微笑んだ。
「お帰り、ハル」
それはどういうことを意味するのか。青く澄んだ双眸は、一瞬の陰りを綺麗に消し去る。
「アンジェラ姉様、どうだった?」
アンジェラ様と話したことを指摘され、ギョッとのけぞる。リラ様はニヤリと笑い、
「私を騙せると思ったら大間違いよ」
いつもの明るく朗らかな調子で言う。
やっぱり、敵わないのかもしれない。……情けないことに。
小さく溜息をつき、肩をすくめる。
「……そうですね。アンジェラ様は、陽気で意志の強い女性に見えました」
「でしょう!」
リラ様の目がぱあっと輝く。
「アンジェラ姉様はね、すごく元気な人なのよ。才色兼備で、気品があって優しい。大好きなの!」
幸せそうなとろけそうな笑みで語っていたかと思うと、急にうつむき、そっと目を伏せる。
「それに……お母さんみたいな存在だったから……」
寂しそうな微笑みに、胸がちくりと痛んだ。
しかし沈黙もほんのわずかで、すぐににっこりする。
「だから、アンジェラ姉様ならクロフィナルにお嫁に行っても全然問題なし!いなくなっちゃうのは寂しいけど、でも……嬉しいの!」
「王様も、アンジェラ様の気質を考えてこの婚約を……」
「それはないわ」
リラ様、実の父親を一刀両断。
「あの煩悩の塊にそこまでの頭があるわけないじゃない。クロフィナルを選んだ時点で、無謀かつ変人の変態野郎なのは即決定」
変態は関係ない。
仮にも王である人がここまで言われると、何だか虚しくなってくる。自業自得だけど。
「馬鹿王はさておき、トランプやろう!最近は全然遊んでないから、その埋め合わせをしてもらわなくちゃ」
「え……いや、それはまた明日ということで……」
「駄目」
「そもそも僕は病み上がりなんですが……」
「関係ない」
ズバッと切り捨てると、いそいそとトランプを取りに立ち上がる。
完全にいつものペースを取り戻したリラ様に、呆れを通り越して何だか笑ってしまった。
あーあ、また振り回されるのか。
でも、振り回されるのも悪くない気がする。
少なくとも、最悪ではない……はずだ。
それから一週間後、アンジェラ様は馬車に乗り、多くの人に見送られながらセルシアを去った。
遠目にもわかるあでやかな笑顔を、人々にふりまいて。
王女とはいえ、クロフィナルが歓迎するとは思えない。当分は苦労するだろう。
それでも、そう簡単には負けないはずだ。
輝くような微笑みは、どこまでも強くて、真っ直ぐで。
きっと、彼女は自分の手で、幸せをつかみ取る。
遠ざかっていく豪奢な馬車を、僕の隣に佇むリラ様は、どこか大人びた眼差しで見つめていた。