とある復讐者或いは侍女の追想 Ⅳ
全て、思い出した。
自分の名前も、過去も、目的も。
何もかも、ハリボテだった。
ふっと息を吐く。ひゅるひゅると耳元で唸る風の音も、次の瞬間には聞こえなくなった。
「あははははははっ!ははっ、あはははは!」
笑った。笑って、嗤って、嘲笑った。
何もかもがおかしくて、馬鹿馬鹿しくて、笑い死にそうだ。笑いすぎて溢れた涙が視界を歪める。それでも、けたたましい哄笑は止まらない。
フィリア・オルコットのためのソフィア・フリスだった。全ては復讐のためだったのに、いつの間にか仮初は本物になっていた。
楽しかった。幸せだった。
けれど、思い出してしまったから。
「……もう、おわりだ」
ようやく笑い声も止まった。喉がカラカラに乾いている。
大きく息を吐いて、荒んだ目で三人を見上げた。
「一族の面汚しと敗北者が私に何の用だ?」
「その一族も、今となってはあたしとあんただけだけどね」
ネリーはケラケラと笑う。一方、敗北者呼ばわりされたライトはムッとしている。
「言っただろ、話があるって。旦那、後はよろしく」
ライトに旦那と呼びかけられた男は、ゾッとするほど無機質な声で名乗った。
「ローグ・ゼルドだ。フィリア・オルコット、お前の復讐を手伝ってやろう。その代わり、俺達の主に忠誠を誓え」
「ゼルドだと?お貴族様がこんな犯罪者まがいのことをやっていいのか?生憎、私は貴族が大嫌いなんだ。他を当たれ」
「そもそも、お前は何をもって復讐の成功と見なす?」
「決まっているだろ。王族も貴族も、我が一族を貶めた者達の皆殺しだ」
「本当にそれを一人でできると思っているのか?」
冷ややかな指摘に虚を突かれる。正直に言えば具体的な考えはなかった。先程まで自分の正体すら忘れていたほどだ。
「どれほどお前がナイフに優れていようと、一人では国王の首一つ手に入らないだろう。奴は狡猾で慎重だ。常に直属の暗殺部隊に自分を守らせ、就寝の時間すら隙を見せない。そして、一度でも失敗すればお前は終わりだ」
淡々と告げられる言葉は正論だった。だからと言って、得体の知れない人間に従えるはずもない。
「断る。私の目的は復讐だけだ。無駄なことなどするつもりはないし、まして貴族と一緒に仕事などごめんだ」
「俺は既に貴族ではない。ゼルド家の内部政争に敗れ、両親を殺されている。俺自身も戸籍だけは残っているようだが、追われた身だ」
目を見開いた。
声の調子は少しも変わらないが、それでもどこかに怒りが感じられるような気がする。
ローグがフードを取る。
月明かりに晒された顔は、声から想像していたものよりもずっと若く、抜身の刃のようだった。薄青い瞳は鋭く、温かさや柔らかさとは無縁だ。
「俺の目的はゼルド家への復讐だ。そこにいるライト・バロウも、自分を不当に扱った貴族達への恨みを晴らそうとしている」
ちらりと目をやると、ライトは微かに口の端を上げる。だが、目は真剣だった。
「……なら、そこの女はどうなんだ?復讐なんて柄じゃないだろ」
「もちろん。あたしは女王様が好きなだけさ。自由に、我儘に、やりたいようにやる。それがあたし流の生き方だからね」
ネリーは悪びれずに言うが、怒りは湧かなかった。
ローグは冷淡にこちらを見据え、告げる。
「我らが女王、セレナ様の手足となれ。……本当に復讐を遂げたいのなら」
本当に復讐を遂げたいのなら。
まるで、今までの自分を見透かされたようで、指先が冷たくなる。
違うのだ。ソフィアだった日々など全て嘘。自分はフィリア・オルコットという名の復讐者で、それ以上でもそれ以下でもない。
だから、もう退けない。
「いいだろう。その話、受けてやる」
ぐしゃりと、胸の中で何かが潰れる音がした。
ローグ達の本拠地はクロフィナルにあった。セルシアと長きに渡る戦争を繰り広げた大国だけに、人員も集めやすいのだろう。
彼らが女王と仰ぐ少女は、クロフィナルの王家を操れるほどの人間だと聞いているが、今日に至るまで一度も会ったことはない。特に興味もないので、ネリーが饒舌に彼女のことを語っても常に聞き流している。
自分の役目は所謂スパイだった。
ソフィア・フリスとして、今まで通り第四王女リラ・クラリスに仕え、情報を集める。表面上は何も変わらない。
だが、内面ではいつだって荒れていた。
どちらだと尋ねられれば、フィリア・オルコットと答えるだろう。だが、演じているうちに気づけばソフィア・フリスになりかわっている。復讐者を維持しようとすると怪しまれ、結局侍女に徹するしかない。
来る日も来る日も、自己嫌悪に苛まれた。早く終わりにしたかった。
いっそ、クラウスもリラも嫌いになれれば楽だっただろう。もしくは、ソフィアが嫌われてしまえば。
だが、特にリラ・クラリス・フォードに注意して情報を集めるように言われている以上、離れることはできない。
リラはセルシアにとって最重要人物の一人だ。
王家に隷属する元巫女を母に持ち、自身も歴代最強の力を持つ巫女候補だ。王女でありながら半非公式で後ろ盾はなく、将来もない。
傍で見ている限り、彼女にそのような悲劇的な影は見えない。自分の身の上をあまり知らないのだろう。あまりの能天気さに怒りも湧かず、むしろ同情していた。
だが、そのような事情とは関係なく、リラは彼らにとって重要だと言う。
彼らの女王が世界で最も憎んでいる相手、それがリラだった。
クロフィナルにいる女王とセルシアの王女であるリラがどういう関係なのかは、個人的に調べているところだ。女王個人はどうでもいいが、リラが関わっているとなると興味がある。
そして、もう一人。
リラの他に、注意するように言われている人間がいた。
「あ、あの、ソフィア?何か言いたいことがあるの?」
おどおどした口調で話しかけられ、我に返る。
「死ね」
「何でだよ!そっちが声かけてきたから待ってて、それでも何も言わないから話しかけたのに……ってごめんなさいごめんなさい!」
苛立ちながらナイフを投げつけると、そいつは情けない声を上げながら、顔と声に似合わぬ反射神経を発揮して避けた。
「ちっ、今日こそぶっ殺してやろうと……コホン、地獄までお送りしようと思ったのに」
「言い換えたところで死ねとしか言ってないよね……何でもないです」
一睨みしただけで、もう一人の監視対象、ハル・レイス・ウィルドネットは口をつぐんだ。
改めて上から下までじろりと眺めても、何でこいつが、としか思えない。
この辺りでは珍しい黒髪に、大きな黒い目の優男だった。実際の年齢より顔立ちも雰囲気も仕草も幼く、頼りなげな印象が強い。数年引きこもりをやっていただけあってかなり華奢で色も白く、ぱっと見た感じでは少女のようだ。
少年と呼ぶにも凛々しさや明るさに欠け、かと言って青年と呼ぶには幼すぎるこの貴族は、リラのもとで遊び相手だか何だかとして働いている。
常にへらへらと曖昧に笑い、面倒ごとからは逃げ、口をついて出るのは言い訳ばかり。見ていてイライラするし、最初の頃は貴族に対する拒否反応で本気で八つ裂きにしたくなったものだ。
そうしなかったのは、自分達の女王がハルにご執心だからだ。
詳しいことは知らないが、女王とハルは幼馴染だったらしい。そしておそらく、リラも。
女王の目的はハルを自分のものにすることと、リラを徹底的に潰すことだと聞いている。だから、ハルを手にかけるわけにはいかない。
幸か不幸か、ただのヘタレ貴族のわりに身体能力が高く、ソフィアとして八つ当たりの的にするくらいなら、奴は回避できるようだ。もちろん、フィリアが本気でやりあって負けるつもりはさらさらない。
リラと何やら言い合いを始めた貴族のボンボンをちらりと見て、心の中で再び首を捻る。
本当に、こいつのどこがいいのだろうか。
外見は悪いわけではないが、普通だ。あまりにも普通すぎて、髪と目の色は珍しいのに、顔自体は女顔くらいしか特徴がない。ついでに背が低くてひ弱そうなのも自分の好み的には論外だが、それは置いておこう。
なら性格がいいかと言えば、そんなこともない。一言で言えばヘタレの極み。人の顔色ばかり伺っておどおどしているくせに、意外とキレやすい面もある。さらに、女心がわからない唐変木ときた。
……どうしたらこいつに執着することになるんだ。うちの女王は悪趣味なのだろうか。
女王だけならまだいい。だが、憶測でしかないが、リラもこのヘタレ貴族のことが好きだ。ふとした折に浮かべる表情や、こっそりハルを眺める瞳を見ればわかる。
どうしてこいつがいいのだろうかと、もう何百回も考えた問いを口の中で呟く。リラのように美しい王女なら、もっといい男がいくらでもいるだろうに。
そこまで考えて、口の中に苦いものが広がる。
巫女である彼女にいるはずもないのに、何を考えているのだろうか。彼女の将来に待ち受けているのは、真っ暗で冷たい檻と、卑しい老害どもだけだと言うのに。
嫌な想像を追いやり、目の前の二人に視線を戻す。ハルは疲れたような顔でこめかみを揉んでいるが、まだブツブツ愚痴をこぼしていた。一方、リラは口では酷い酷いと騒いでいるが、澄んだ瞳に甘い光が滲み、頬は薔薇色に染まっている。
彼を見上げる自分も、未だにあんな風なのだろうか。
よけいなことを思って、目の前が暗くなった。