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『化け物』にさよならを

 もう、限界だった。

 僕は喉が裂けるほど叫び、髪を掻き毟り床を殴って、慟哭した。

 獣のように吠え、泣きながら、脳裏に彼女の姿がいくつも浮かんでは消えてゆく。


 覚えている限りで初めて出会った時、妖精のお姫様みたいだと思った。

 いきなりトランプで遊び始め、言動の幼稚さに驚いたり呆れたり、振り回されながらも本当は楽しかった。

 まどろみから醒めた時に聞いた歌声は、胸が震えるほど美しくて、どこか懐かしかった。

 『化け物』の声とセレナの面影に怯える『弱虫』な僕に、無理強いはせず優しく見守ってくれた。

 フラウィールへの道中、安物のペンダントをもらって、無邪気に笑っていた。

 ローグを追って大怪我をした僕に、付きっきりで歌い続けてくれた。

 王に追い詰められ洗脳されかけた時、何気ない風を装って助けに来てくれた。

 婚約の話が持ち上がった時は笑顔で送り出してくれたくせに、熱で浮かされながら「行かないで」と繰り返して。

 賊に傷つけられた彼女を見た瞬間感情が振り切れて、完全に『化け物』になって大切な人達すら殺そうとした僕を、命がけで止めてくれた。

 自分に絶望して自殺しようとした僕に、希望を見せてくれた。

 やっと前を向けるようになったのに、ミシュア姉さんの件でまた絶望のどん底に叩き落とされた僕を、僕ら姉弟を救ってくれた。

 熱に浮かされていた時くらいしか泣いたことがなかったのに、僕にオルゴールをもらって泣いていた。名前を呼んでほしいと、懇願しながら。

 あれから一言も言葉を交わすことなく、リラ様は行ってしまった。連れ去られたのではなく、自分の意思で彼女は行ったのだ。

 先に置いて行ったのは僕だ。

 けれど、今回は彼女に置いて行かれた。置いて行かれて初めて、「行かないで」という言葉の本当の意味を思い知った。

 そして、もう一つ。

 リラ様は僕を騙したと手紙には書いているが、何一つ嘘はついていなかった。

 『弱虫』な僕の、自己防衛のための下手くそな嘘に気づかぬふりをしながら、自分は一度も嘘をつかなかったのだ。

 全て抱えて苦しんで、それでも綺麗に笑っていた。

 ひとりぼっちで。




 どれくらい泣き続けたのだろう。気づくと、黒々とした液体に腰までつかって立っていた。

 液体と言っても、経験から推測しているだけで、辺り一面黒一色の何もない空間では自分しか見えない。だが、微かに血の臭いが漂っている。

 また、不良品の脳が見せる幻覚の中なのだろうか。

 涙の流しすぎで乾ききった目を擦り、やけに青白く見える手を水に叩きつける。ぱしゃんと軽い水飛沫が上がった。

 ああ、やっぱり。いつものだ。

 どうすればいいかわからず、取り敢えずバシャバシャと水をかき分けて進むと、唐突に声が降ってきた。


『やっと、人間のふりをするのを諦めたのか』


 地を這うような怨嗟の声。何度も頭の中に響いた、『化け物』の声だ。


「……諦めるも何も、僕は人間だよ」


『へぇ、それは面白い。ケッサクだよ。高笑いしながら誰彼構わず襲い掛かるような奴が、人間だって?周りからも『化け物』とか呼ばれてるくせに』


 嘲笑う声が響き渡る。姿の見えないそいつは、怒りを含んだ声で続けた。


『そもそも、何度も『化けぼく』の声が聞こえて、それに唆されている時点でお前おかしいんだよ。お前は僕で、僕はお前だ。それなのに、こうして分裂して話しまでしている。馬鹿げた状況だと思わないか?』


「ああ、そうだね」


『それに、どうせ僕達は誰のことも救えやしないんだ。何も覚えていないし、何も変えられない。お前が全ての元凶だったんだ。お前が中途半端だから』


「そうかもしれない。……いや、きっとそうだ」


『だったら!わかってるなら、もう全部諦めろよ!『化けぼく』になった方がずっと楽で、それしか道はないんだ!なのに、何で……』


 一瞬、躊躇う気配があった。だが次の瞬間鼓膜が破れるほどの声量で怒号が飛んだ。


『どうして、僕を否定するんだっっ!』


 ゴポゴポと急激に黒い水が泡立ち、熱を帯び始める。血の臭いが濃密になり、紫の霧が広がって、僕の首に絡みついた。

 僕の中のことなのに、少しもままならない。まるで他人と話しているようだ。

 けれど、吐き気がするほど甘ったるい霧に首を絞められながら、僕はふっと笑みを浮かべた。

 やっとわかった。


「いいや。僕は、『化けきみ』だよ」


 荒れ狂っていた黒い水が動きを止めた。しゅるしゅると霧が解けて薄らいでゆく。

 やっとわかったのだ。どうして、僕の中で『化け物』という名のもう一人の僕が生まれてしまったのか。


「僕達は、どうしようもなく『弱虫』だったんだね」


 ピシリと、どこかで亀裂が入る音がした。

 僕の目の前で黒い水が潮を吹き、収縮し、弾ける。ビシャビシャと血の混じった液体が降りかかってくるが目は逸らさない。

 そこにあったのは、黒い水でできた、巨大な繭のような何かだった。


『違う!違う違う違う!一緒にするな!』


「同じだよ。最初から一緒だった。もともとは一つだったものを、僕の弱さが切り離しただけだ」


 真っ直ぐ『化け物』を見据えて告げると、『化け物』は大きく体を震わせる。拒絶のようにも、恐怖からのようにも見えた。


「ローグ・ゼルドに敗北し、ひたすらに力だけを求めて突っ走った。おかげで『弱虫』な僕のまま、不釣り合いに戦いにおいてだけ強くなった。それも、どうやらリラ様が助けてくれていたみたいだけど。……そして、たぶん、『化け物』と呼ばれても構わないと思っていたんだ」


 ミシュア姉さんを殺してしまったと思い自分の幻覚に閉じこもった時のことだ。

 よく似た、二つの場面を夢の中で見た。

 一つは、森。ミシュア姉さんがローグに捨てられたすぐ後に、身体が壊れるまで大木を殴り続けていた僕を、少女が後ろから抱きしめてやめさせた。

 もう一つは、崖の前。一つ目よりも身体だけは成長して、強くなるために崖から飛び降りようとした僕を、やはり女の子が止めてくれた。

 一つ目の時は、「守ってね」と甘えるように囁いて。

 もう一つの記憶では、「死なないで」「あたしのせいだ」と泣きじゃくっていた。

 どちらもセレナだと思いこんでいたけれど、たぶん前者がセレナで、自分を責めていた少女はリラ様だったのだろう。

 そして、たぶん、どちらも僕にとって大切な子だった。

 どちらに恋をしていたかはもうわからない。そもそも、それが恋愛感情だったのかどうかさえ。

 それでも、どちらのことも守りたいと願っていた。彼女達のためなら『化け物』になってもいいと思うほどに。

 今から思えば、『化け物』でもいいという自棄になっている僕が、リラ様をよけいに哀しませていたのだろう。あの頃は、どうして彼女が泣いているのかわからなかったけれど。

 『弱虫』な僕は奪われるのを恐れ、強いふりをしていた。彼女達を守ることで、僕自身を守っていたのだ。

 だから、セレナに『化け物』と呼ばれることに耐えられなかった。


「セレナに『化け物』と罵られてから、僕は『化け物』扱いされることを極度に恐れ、僕は『化け物』なんかじゃないと自分に言い聞かせてきた。けれど、『化け物』と呼ばれて当然の狂気は、確かに僕の一部だった。そんな事実を拒絶し続けるあまり、僕の精神は分裂して、『化けきみ』が生まれた。……そうだろう?」


 『化け物』は答えない。だが、痙攣は激しさを増してゆく。


「僕はズルくて弱くて卑怯だ。だから、全部『化けきみ』のせいにして、自分を正当化し、被害者面をしてきた。僕と『化け物』は違うモノだから、何をしたって僕のせいじゃない、僕は『化け物』に乗っ取られたんだから仕方ない……そうやって、心のどこかにいつも逃げ道を用意して、暴走し続けた」


 だから、自分で自分を止められず、見境もなく暴れた。リラ様以外は全員敵だった。その方が、楽だったから。


「『化けきみ』を悪者にする一方で、僕は僕の狂気に頼るしかなかった。正面から物事を受け止めるには、僕はあまりに弱すぎた。……ごめん」


 自分で自分に謝るのもおかしな話だ。

 それでも、謝りたかった。恐れながら、憎みながら、利用しながら、それでも決して認めなかった僕の一部に対して。


「ごめん。悪いのは、僕だったのに」


『……そんなの、』


 ドロリと繭が溶けだし、ヒトの形が形成されてゆく。

 そして、次の瞬間胸ぐらをつかまれた。


『そんなのっ、今更言われたってどうしたらいいんだよ、僕はっっ!』


 僕と同じ目線、同じ顔、同じ声の『化け物』が、見開いた目から真っ黒な涙を流しながら、血を吐くような声で叫ぶ。


『謝られたってもう戻れないんだよ!僕は『化け物』でしかないんだ!何かを破壊して、誰かを殺すことしかできない『化け物』なんだ!今だって、僕のせいでセレナがセルシアを襲って、クラウス様はまだ目を覚まさなくて、リラ様は行ってしまったじゃないか!』


 獣のように吠えて、吠えて、泣き叫ぶ姿は、とても醜くて憐れですらあった。

 自己憐憫とは違う、どこか諦めにも似た哀しみが胸を満たしてゆく。これが、やはり僕なのだと。


『もう嫌だッ!お前が嫌いだ、大嫌いだ!どうして死なないんだ!お前なんかが生きてるから、みんなが不幸になったんだ!誰もお前なんか必要としてないんだ!』


「……僕だって、僕が嫌いだよ」


『だったら、『化けぼく』を否定するな!『化けぼく』に飲み込まれてしまえばいい!僕はもう、何も見たくないッ!』


「けど、リラ様はこんな僕でも好きだと言ってくれた」


 『化け物』が硬直する。僕の胸ぐらをつかむ手が僅かに緩む。

 だが、すぐに皮肉げな笑みを張り付け、


『どの口がそれを言う?セルシアの第四王女リラ・クラリスである彼女しか知らないくせに。セレナとごちゃ混ぜにして忘れて傷つけてきたお前が、彼女に好いてもらえるだって?』


「ああ、そうだよ。僕もリラ様の趣味は最悪だと思う。僕が彼女だったら、絶対に僕なんか好きにならない。ここまで最低のクズもそういないのに」


 それでも、彼女と過ごした時間と、遺してくれた歌と手紙、僕にくれた言葉から、もうわからないとは言えない。僕に彼女の愛情を受け取る資格がなくても、それを否定するということはリラ様を否定するということだ。

 相手は僕自身だ。口に出さなくても伝わったのだろう、『化け物』が苦しげに顔を歪めた。


「それに、もう過去の記憶がないことにこだわらなくてもいいんじゃないかと思う」


『……は?』


 『化け物』が間の抜けた顔で固まる。唖然とすると僕はこういう顔をするのか。嫌だな、馬鹿っぽい。

 どうでもいい思考を振り払って、僕は正面から『化け物』の目を見据え直した。

 僕が逃げ続けてきた、僕自身に、やっと向き合う時が来た。それだけだ。


「確かに記憶はないけれど、今の僕はリラ様が好きだ。城に来て、王女リラ・クラリスの遊び相手になってから、僕の記憶はリラ様ばかりだった。たとえ過去の記憶がなくても、今の関係は嘘じゃない」


 僕を救ってくれて、守り続けてくれた彼女が、何を目的にセレナに会いに行ったのかはわからない。

 おそらく、彼女は向こうで死ぬつもりなのだろう。戻ってきても巫女としての腐ったしがらみがある。だから、自分の幸福を最初から諦めているのだ。

 けれど、そんなのはおかしい。

 どうしてリラ様だけがそんな目に遭わなければならないんだ。


「僕はリラ様に会いたい。もう一度会って、救いたい。そして、僕のためとか最善の策だとか、そういう建前じゃなくて、本当の彼女の望みを叶えたい。……彼女だけは幸せにしたいんだ」


 『化け物』は僕から手を放して、二、三歩後ずさった。


『……僕だって、同じだよ』


「そうだろうね。僕も君も、同じだから」


『けど、どうせできない……僕がいる限りは、』


「できるよ」


 『化け物』が驚きに目を見張る。

 僕は水の中を進み、血に汚れた『化け物』の手を取った。ボロボロに傷ついて、壊すことしか知らない手。


「僕も君も同じ、ハル・レイス・ウィルドネットだ。だから、一緒に彼女を迎えに行こう。……僕は、僕の狂気を受け容れる」


『正気か?そんなことしたら、リラ様に大事にされていたお前じゃなくなるよ』


「リラ様はとっくに『化け物』を受け容れていたよ。それに、嫌われたっていい」


 もう何も躊躇わない。選ぶべきたった一つは、彼女だけだ。


『……僕が乗っ取るとか、思わないの』


「そもそも僕の中の話だし乗っ取るも乗っ取らないもないでしょ。『化け物』だって飼いならしてみせるよ」


『……なら、もう好きにしろ』


「言われなくてもそうするよ」


 ふっと、『化け物』が吐息をこぼす。ほんの少しだけ表情を和らげ、目を閉じた。

 水面がゆらゆらと揺れて、真っ黒な壁が崩れてゆく。歪んで、砕けて、裂けて。

 後悔はない。もっと早くこうすればよかったとは、思うけど。

 急激に差し込んできた白い光に目が眩んで、何も見えなくなる。同時に、ずるりと何か重いものが自分の中に流れ込んできた。


『……じゃあね、『弱虫』。僕はお前が大嫌いだったよ』


「僕もだよ。……じゃあ、ね」


 さよなら、『化け物』の僕。


 そして、おかえり。




 意識が戻ると、頬に冷たい感触があった。目を開き、状況を確認する。

 どうやら、手紙を読んだ後、泣き疲れてそのまま眠ってしまったようだ。妙な体勢で硬い床に寝転がっていたため、身体がギシギシと軋んで悲鳴を上げる。


「いたた……いた、い?……そっか。痛みって、こんな感じだっけ」


 あまりに懐かしい感覚に、思わず唇が緩む。

 痛くて、窮屈で、寒くて眩暈も吐き気もする。体の内側で激しいモノが渦巻いて、内臓を喰い破りそうだ。

 けれど、どれも愛おしい。

 地に足をつけて生きていると実感する。自分が、自分になった。戻ってきたのだ。

 散らばった紙をかき集めて、そっと抱きしめる。

 やっと、生きる理由を見つけた。


「……待っていてください」


 今度こそきっと、君を見つけ出すから。

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