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巫女の力

「思い出したかい?少年……ハル・レイス・ウィルドネット君」


 ぐらぐらと視界が揺れて、吐き気がした。

 思い出すも何も、一度だって忘れたことはない。

 初めて『化け物』の声を聞き、怒りに任せて過剰なまでに暴力をふるった。初めて『化け物』と呼ばれた日のことを。

 だけど、あの時僕が助けようとしていた少女はリラ様じゃない。セレナだ。


「確かに、そのようなことはありました。けれど、一緒にいたのはリラ様ではない。僕と誰かを勘違いしてるのでは……」

「君こそ、私の娘と他人を混ぜているのではないか?」


 ゾクリと、冷たいものが皮膚を撫でた。

 僕が、リラ様とセレナを混ぜている、だって?

 そんなはずがない。そんなことするわけがない。だって、記憶にあるセレナと、今のリラ様は少しも似ていない。……本当に?


「なら聞くが、君はセレナ・ウェスト嬢の顔を覚えているのか?いつ出会い、何を話していたのか、全て覚えているのか?矛盾はないのか?」


 必死に否定しようとしても、一度浮かんだ疑念が王の言葉と重なって増幅する。

 矛盾なら既にある。

 僕がセレナの首を絞めたあの夜、僕は崖から飛び降りた。けどその前、確かに僕は、落ちていくセレナの手をつかんで助けた、はずだ。

 けれど、それは本当にセレナだったのか?

 それに、僕が飛び降りた時、セレナが手を伸ばしたと思っていたのだけど、記憶が正しければセレナはの距離から手を伸ばせるはずがない。

 だとしたら、あの小さな白い手は、誰だ?

 ズキズキと頭が割れるように痛む。寒い、全身に氷水を浴びせられたようだ。

 僕は、根本的に何かを捉え間違えていないか?


「セレナ嬢は君より一、二歳年上で、リラは君の一つ下だ。年齢は離れているが、私が再会した時には既にリラは大人びていたから、一人の人間だと思い込むのも、当時の君の精神状態なら有り得るかもしれないな」

「嘘だ!そんなわけない!」


 椅子を蹴倒して立ちあがると、ふっといくつもの気配が立ち上り、僕の喉元に刃が突きつけられた。王の前にも二人ほど庇うように剣を構えている。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。


「君は自分が崖から落ちたのは知っているかな?」

「それは、知っています。……最近思い出しました。どうして生きているのか、わかりませんが」

「そう、それだ」


 王が冷ややかに笑った。


「いくら君が頑丈な身体の持ち主でも、五体満足は無理がある。実際、後頭部を強打し内臓も破裂、死んでいないのが不思議なくらいだったという話だ。だが、今の君は後遺症もない」


 あの夜の後のことはほとんど覚えていない。反論のしようもなかった。


「それだけではない。今の君の回復力も人間には本来不可能だ。フラウィールで毒を塗った剣で貫かれたのも、今回の襲撃での全身の怪我も、死に至るレベルだ。少なくとも、今、こうして平気で私と話すことなどできるはずがない」

「それが、何でしょうか」

「本当にその異常な回復力が、君がもともと持つものだと思っているのか?」

「……え?」


 言われた意味が、わからない。

 僕はもともと頑丈だった。回復も速い。それが、関係あるか?


「フォードの娘が巫女だという話はしたね?彼女達は歌によって様々な力を持っている。それも、魔法に近いものをね。私にはよくわからないが、何百何千という数の歌が受け継がれ、それによって自由に人の感情を操ることができる。絶望の淵にいる人間に喜びを与えることも、幸福の絶頂にいる人間を死へと向かわせることも、彼女たちにとってみれば簡単だ。人によって強弱はあるし、歌を聞かせる人間との相性もあるようだが」


 そんな魔法のようなものがあるとはにわかには信じがたい。確かにリラ様の歌声は夢のように美しいが、それによって操られたことなんてない。

 信憑性が薄く、突飛で脈絡のない話に眉を顰めると、王はスッと指を立てた。


「そして、能力はもう一つある。治癒だ」


 凍りついたのが自分でもわかった。


「どんな傷でも治せるというわけではないし、副作用として身体に不具合が生じることもある。君の痛覚麻痺もその一つだろう。だが、それ以上に傷を癒すことができるのは大きい。一時的なものだがそれでも何日かは効果が持続する。君がオルコットの残党達と戦った時もまだリラの歌の力が残っていたのだろう」


 話が本当だとすれば、リラ様は僕のためにずっと歌っていてくれたのか?


「でも、リラ様はめったに歌わなかった!」

「君の前ではな。……どうして君のような身分の人間が、リラの部屋の隣に配置されたのか、考えたことはないようだね。しかも、あそこだけは他よりも壁が薄い。例えば……歌が聞こえるくらいに」

「ッ!」


 確かに奇妙だった。どうせ、リラ様が我儘を言ってそうなったのだろうと思っていたけれど。


「僕が寝ている時に、歌っていたんですか?」

「その通り。一週間に一度くらいの頻度だったようだよ。君や他の人間に自分の力を気づかれるのを恐れて、君が眠りについた頃に歌っていたようだ」


 知らなかった。

 僕は、ずっと、ずっと、リラ様に守られていたのだ。


「君が崖から落ちた時も、リラは一睡もせずに歌い続けていた、と君の姉君から聞いている。だが、目覚めた時、君はリラのことを覚えていなかった」

「けどっ!」


 耐え切れずに遮る。

 違うはずだ。そうであってくれ。

 もし、王の話が全て本当なら、僕は今までどれほどリラ様を傷つけてきたのだろう。

 僕は、僕を許せなくなる。


「それでも、同一視などしません!リラ様とセレナは少しも似ていない!セレナは茶色の髪で、目は……目、は」


 何色、だっけ?


 全身の血が音を立てて凍りついてゆく。鼓動がうるさい。

 茶色だったような気も、青だったような気もする。顔もぼやけて、綺麗な女の子だったということしか思い出せない。

 それに、僕はずっと、彼女のイメージがその時によってバラバラだった。

 華やかでキラキラしていて、自信に溢れていて、時折僕をからかっては悪戯っぽく笑っていた。

 それと同時に、うつむきがちで不安そうな面影も浮かぶ。

 どう考えても真逆だ。そういう性質の子なのだと、思っていた。

 本当は、一人ではなく別の二人だったからなのか?

 青ざめて黙り込んだ僕に、王がとどめを刺す。


「リラの髪はもともとは茶色だ」

「……え?」

「リラの髪は茶色だった。だが、君が崖から落ちた……いや、飛び降りた、か。何にしろあの夜の後、過剰な心労で色素が抜け落ちてしまったらしい。以来髪の色は戻ることがなく、あの通りの銀髪だ」


 皮肉の混じった咎めるような言葉を受け止めた瞬間、頭が真っ白になった。

 何故、リラ様とセレナを混同していたのかはわからないが、例えどんな理由があっても許されることではない。

 酷い。最低だ。僕は、傍にいるだけで彼女を傷つけてきたのだ。

 知ろうとしていれば、ちゃんと向き合おうとしていれば、もっと早く気づけたかもしれない。

 でも、ずっと逃げて、逃げて、言い訳をしながら逃げて、被害者ぶって、また逃げて。

 守りたい、なんて。馬鹿げている。もう彼女に会う権利もない。

 どれくらいの間、呆然と立ち尽くしていたのだろうか。

 気づくと、僕の手に錆びた鍵が握らされていた。


「以前、リラと君の姉がいた部屋に君を行かせたことがあるが、覚えているね?」


 リラ様の誕生日の時のことだ。もちろん覚えている。

 あの後、一度も彼女に会うことがないまま、リラ様は連れ去られてしまった。

 リラ様とステラ姉さんが話しているのを見た時に、聞けばよかったのだ。はぐらかされたかもしれない。それでも、今よりはずっとマシだったはずだ。

 結局逃げたのだ、僕は。

 どうしようもない後悔に襲われ、強く唇を噛み締める。視界の端に黒い水がちらつくが、それを止めようとする気力さえ湧かない。


「もう一度、その部屋に行ったらいい。あそこは、城に戻ってきたリラがしばらくの間生活していた部屋だ」

「……今更、僕には何もできません」

「リラの心も見る価値はないと?」


 のろのろと顔を上げると、怜悧な視線に縫い留められる。


「その部屋に、リラが君宛に書き、結局一通も出せなかった手紙が隠してある」

「……手紙?」

「リラは私が知っているとは思わなかったようだがね。慎重なあの子なら燃やしそうなものだが、何故か保管されていた」


 リラ様からの、手紙。

 それを読めば、少しは彼女の本当の思いが理解できるようになるだろうか。

 どうしようもなく根性の腐った『弱虫』な僕を、どうして救ってくれたのか。

 手の中の鍵が最初よりもズッシリと重く感じる。

 怖い。その気持ちはある。……それでも。


「後ほど、また場合によってはお時間をいただけますか」

「ないと言ったら、君はまた暴れるのかな?」


 皮肉っぽく聞き返して、王はひらひらと手を振った。


「行くなら早く行け。私は忙しいのだから」

「ありがとうございます」


 一礼し扉を開け、駆け出した。




 足音も聞こえなくなった頃、王は溜息をついて目を閉じた。

 この大変な時に、あんな子供に付き合うのは間違っている。時間の無駄だ。

 それをわかっていながら手を貸すのは、昔の自分と違う選択をするのを見てみたいからだろうか。

 王としての自分を選んだことは後悔はしていない。

 どれだけ腐ったしきたりでも、続けなければ国政を維持できない。それは、一度しきたりを破った身だからこそ誰よりも理解している。

 だが、無理に愛妾にした彼女に子を産ませたのは間違いだった。子供さえいなければ、彼女は危険を冒してまで逃走し、非業の最期を遂げることもなかっただろう。

 そこまで考えて、王は自らを嘲るように笑った。

 そもそも、彼女を愛したのが間違いだったのだ。守れない花なら、初めから手折るべきではなかったのに。

 無意識に娘に責任を負わせようとするとは、父親失格だ。リラが嫌うのも無理はない。

 だからこそ、王は心の底から見てみたいと思ったのだ。

 おそらくは、全てを知った上で自分とは違う選択をするであろう、娘の想い人の行く末を。


「……私も甘い。そう思わないか?……リ、……いや、君も」


 ひとりごとを呟いたところで、周りには影のような護衛がいるだけだ。

 それでも、とうの昔にこの世から消された最愛の恋人の名は、口にできなかった。

 彼女がどれほど自分を恨み、呪いながら死んでいったのだろうかと思うと、とても。

 この呪縛は、彼女に生き写しのリラが生きている限り解けないだろう。そして、一生解けなければいい。許されたいとは思わない。


「だが、呪縛が解けるのはそう遠くないのだろうな」


 リラがどこまで計画通りにことを進めるかはわからない。王の裏をかこうとしているのは間違いないし、ましてセレナ・ウェストにいいようにされるつもりはさらさらないはずだ。

 そして、リラにはもう何もない。命も惜しくないだろう。


「……いや、それは少し違うか」


 間違い続けた愚かな子供。彼はリラを救おうとするだろう。

 だが、それは自己満足にすぎないと思い知らされるだろう。本当にリラの幸せを願うのなら。


「さぁ、どうする?『化け物』と呼ばれた少年」


 悪魔のように美しく、艶やかに微笑んで、王は誰にも届かない問いを投げた。

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