『弱虫』の戦線復帰
剣がぶつかり、甲高い音が響いた。クラウス様の剣とライトの剣が交差し、押し合いに
なる。
「……へぇ?顔しか取り柄のないお坊ちゃんかと思ったけど、そうでもないのか」
馬鹿にするような声にも、クラウス様は動じない。瞳をスッと細め、二歩後退し剣を振った。ライトもとび退く。
クラウス様が素早く剣を振り抜き、ライトが避けて斬り込み、刃がぶつかる。流れるような剣捌きには微塵の隙もなく、舞を踊っているようにも見えた。
傍観者だからかもしれないが、やっぱり現実とは思えない。
爆音は相変わらず止まず、目の前の金属音と混じる。
「傍観者っていうのも、悪くないよね」
突然耳元で囁かれた声にビクッとすると、いつの間にか僕の隣にいたネリーが、意地悪げな笑みを浮かべていた。
「驚いた?」
擦れて色っぽい声が嬉しそうに囁く。僕は少し身を引いた。
「何で身を引くんだよ」
「……すみません」
「別にいいけどー?あんた、可愛い顔してるし。女王様がいなけりゃ、たっぷり可愛がってやるんだけどな」
細めた目の奥に、肉食獣のようなギラつきを見て、とてつもない悪寒が背中を駆け抜けるのを感じた。
痛めつけるの間違いだろ。冗談じゃない。
「女王様のこと、聞かないんだ?」
「興味ないので」
「あ、そう。ならいいや」
ネリーはあっさり頷くと、ニヤニヤ笑いながら戦闘の様子に目をやった。
沈黙の中、剣が交わされる音がやけに大きく響く。
ふいにその剣の音がやんだ。
顔を上げると、クラウス様とライトが剣を向けあったまま、対峙している。
沈黙を破ったのはクラウス様だった。
「貴様らの目的はなんだ」
「どこのどいつだじゃなくて、目的か?」
「……さっさと答えろ」
クラウス様の声に苛立ちが混じる。
「死にたくなければさっさと答えろ」
「はいはい。俺らの目的は、今回はパーティーを混乱させて、ぶち壊すこと。ついでにセルシアのイメージダウン」
「馬鹿にしているのか?……まあ、いい。最終的にはどうするつもりだ」
ライトは困ったように笑うと、ネリーに向き直った。
「どうする?」
「言えばいいじゃん、テキトーに」
「そうだな……じゃあ、目的は世界征服で」
白けた。思いっきり、白けた。
「な、何だよその目は!本気じゃねえって!てか、テキトーにって言ったのはネリーだろ!?」
「それにしたって今の発言はイタすぎるぞ!あいつに聞かれたらぶっ殺されるだろ!」
「だ、旦那には聞こえてはいないよな……」
やや青くなって辺りを見回す姿は、はっきりいって茶番としか思えない。
ていうかこの人達、本当に騒ぎを起こした張本人なのか?人違いのような気がしてきた。例え人違いだとしても、不審人物として捕えなくてはいけないことに変わりはないが。そして僕がここにいる必要もないですね。
ネリーとライトは未だに言い争っており、緊迫した雰囲気は微塵もない。
もう、帰りたい。
呆れ果てて溜息をついた途端、風を切るような音と共に、短剣がネリーとライトに向かってとんだ。凍りつくような殺気を帯びて投げつけられたそれを、二人はひょいとかわす。
「ふざけるのもいい加減にしろ。貴様ら、そんなに死にたいのか」
クラウス様は吹雪のような声で言った。全身から発せられる冷気に、ゾクリとした。いつもと変わらない無表情だが、その瞳には殺気が渦巻いている。
しかし、当の二人は全く気にした様子もなく、
「死にたくはないね」
「ライトはふざけたかもしれないけど、あたしは悪くないしぃ?」
クラウス様の怒りを煽るかのように言った。
ピシリと音を立てて空気が凍りついたのを感じた瞬間、クラウス様はライトの真上に飛び、剣を振り下ろした。
剣をかわしきれず、剣先がライトの頬を切りつける。
ライトは大きく飛び退くと、頬の裂け目から流れ出した血を袖でこすり、ニヤリとした。
「……案外、やるじゃんか」
そうこなくっちゃなと笑う。そして、さっきとは比べ物にならない速度で剣が交わされた。
耳障りな音、命のやり取り、ぶつかる殺気。戦いを構成する何もかもが、僕の神経を刺す。
心臓を握り潰されるような圧迫感。それでも、まだ剣でよかった。剣なら、僕には関係のないことだ。言い訳を思い浮かべながら、目の前の二人に視線を戻す。
不器用なため、武器は一切使えない僕にはよくわからないけど、どちらもかなりやり手だということはわかる。剣を持てるということはかなり有利だろう。
すると、ネリーは呆れたように呟いた。
「ライト、遊んでやがる」
「そうですよね……い、いや。あの、そうななんですか?」
「あんた、わからなかったのか!?」
「あはは……」
笑って誤魔化すと、ネリーは舌なめずりし、
「因みに、皇子サマの方もありゃ本気出してないね」
「……えー」
「味方もわからないなんて、頭大丈夫?」
「……大丈夫です……多分」
「ホント?てゆーか、ずいぶん顔色が悪いけど」
こんな状況で楽しそうな奴がおかしいのだ。この目の前の猛獣みたいな女とか。
ふいに、ネリーはぐっと顔を近づけると、僕の目を覗き込んだ。灰色の瞳に皮肉げな光が宿り、赤い唇に笑みが刻まれる。
「……でも、わかってるわけでしょ」
「え」
「隠したってバレバレだよ。あんたのその立ち方と雰囲気……引きこもってたわりに昔の名残が取れてないなぁ。あたしの目をごまかせると思ったかい?……貴族のハル・レイス・ウィルドネット君」
ぞわりと肌が泡立った。眩暈にも似た混乱が、ドッと押し寄せてくる。
どうして。どうして、そんなことを言うのだ。
僕は名乗っていない。こんな得体の知れない奴らに名乗るほど馬鹿じゃない。クラウス様も一回も僕の名前を呼ばなかった。
例えわかったのだとしても、昔の名残って、一体なんだっ。
わけがわからないことばかりで、こめかみがズキズキと疼く。剣の音が酷くうるさい。
どうしてついてきてしまったんだろう。逃げればよかったのに。逃げるの得意だろ、今更頑張ったって何も変わりはしないのだから。
後悔しながら横を向くと、そこには誰もいなかった。
驚いて戦闘に視線を戻すと、いつの間にかネリーも参戦していた。
ライトもネリーも遊んでいるようだが、二対一、若干の焦りが見える。と、思ったら、クラウス様と目があった。
視線だけで射殺せそうな目で睨んでくる。こっちに来い、手伝えと唇が動くのを見て、サーッと青ざめた。
え、嫌ですよ。戦闘に参加なんて死んでも嫌です。ていうかむしろ戦うくらいなら死にたい。
クラウス様は僕と目で会話(おどしと抗議)していても、剣さばきの腕は変わらない。二人が相手でも回転を加えたり回避したり、自由自在だ。
と、思った矢先、ライトの剣がクラウス様の足を斬りつけた。
端麗な横顔が歪む。切り傷が浅いのかそこまで出血してはいないが、動きにキレがなくなってゆく。
「あー、やっぱり血が出るのか。てっきり氷水でも出てくるかと……」
「何言ってんの、へなちょこ斬りのくせに。うちの一族の下っ端のがよほど正確だケド?」
「お前なんか一回も当たってないじゃん!」
「ライトが邪魔でね」
「あ?やるか、やるのか!?」
ライトとネリーがギャーギャー騒ぐ。そのまま、兵士が来るまで二人で喧嘩していてくれないかな。
クラウス様は二人を冷めた目で一瞥すると、止血することもなく、こっちに歩み寄ってきた。
「あの、クラウス様、止血しないとマズイんじゃ……」
「黙れ」
「へ?」
キョトンとする僕の胸ぐらを掴むと、そのままぶん投げた。
体が反転したかと思うと、未だに口喧嘩中のネリーとライトの間仰向けにたたきつけられる。
「うわっ」
咄嗟に受け身は取ったが、背中と腰を強く打った。痛い。と思ったら、今度は腕を引っ張り上げられ、立たせられる。
ネリーはニヤリと唇を緩めた。
「こっちに来たってことは、戦闘参加かい?」
意味を理解するのに時間がかかった。サーッと血の気が引いていく。
「ち、違います違います本当に違います!僕は戦いたくなんかないんです!クラウス様に投げられただけの被害者です、ただの一般人!」
「あはは、問答無用!」
笑い声が聞こえたかと思うと、剣の切っ先が顔をかすめた。そのまま斬りかかってくる。
どうして、こんなことになるんだ。いつもいつも!
ネリーが高笑いしながら斬撃を繰り返す。動きは読めるが、身体が思うようについていかない。回避するだけで息が上がり、数年前の自分との落差に苛立ちがわき上がる。
戦いたくない、二度と戦わないと決めたくせに、いざ窮地に陥るとこのザマだ。中途半端な自分に吐き気がする。
「おやおや〜?逃げるの、おチビくん?」
「逃げられたらとっくにそうしてる!あとチビじゃない!」
顔を狙った突きを体を反らしてかわし、そのまま宙返りで距離を離す。しばらく使っていなかったせいで、身体中にガタがきている。あまり時間はない。
「ふーん、ならどうするつもり?」
その問いには答えず、壁に掛っていた巨大な絵を両手で掴み、力任せに引っ張る。べきょっと嫌な音がして太い釘がひしゃげ、壁にヒビが入る。
これ、弁償とかになったらどうしよう。今更後には引けないが。
巨大な絵画を片手でつかみ、後方に掲げた僕に、戦っていたはずの三人がポカンとして固まった。クラウス様ですら呆気にとられて剣をおろしている。
「……あんた、何してんの?曲芸か何か?」
「やめとけチビ、武器にはならないから。ほら、そこの皇子サマが捨てた剣でも使えって。な?」
「……馬鹿か」
馬鹿に見えるでしょうね、僕だってやりたくてやってるわけじゃないからな!
体力切れと、八つ当たりと、誓いを破ったことへの言い訳とで自棄になった僕は、その勢いのままぶん投げた。
「え、ちょ、馬鹿!?てか馬鹿力!」
「マジかよっ!」
絵画は残っていたシャンデリアに激突し、全部巻き込んで落下する。ガラス片がバラバラに砕け散り、こんなことをした僕自身にも雨霰のように降り注いだ。
あれ、マズイな。破片が刺さっているはずなのに、あまり痛くない。
灯りひとつない、暗闇の中で乾いた笑みを浮かべた。これじゃあ、前と一緒じゃないか。
そういえば、あの時も真っ暗だったな、なんて、どうしようもないことを思い出して、うずくまる。
自分でやったとは言え、お城をこんなに滅茶苦茶にしたのは問題だ。バレたらどうしようか。……どうでもいいか。
音が消えた静寂の中に、低く機械的な声が響いた。
「遊びは終わったか」
ドクンと心臓が鳴った。
知っている。僕は、この声を知っている。
全身が総毛立ち、唇を噛み締めた。恐怖からじゃない、憎悪だ。
「だ、旦那!いたんですか!」
「お前らを待っていたんだ。もうこっちは終わっている。……で、宝剣は見つかったんだろうな?」
「う……。仕方ないだろう!途中で見つかっちゃったんだから……」
すぐ近くに、憎んでも憎んでも足りない男の声がする。なのに、身体が痺れて動かない。
「……もういい。それらの話は後だ。取り合えずここから脱出するぞ」
「はい……」
「言われなくたってわかってる」
ネリーの開き直ったような声を最後に、この部屋からふっと三人分の気配が消える。一瞬のことだった。
悔しい。
悔しくて、悔しくて、噛みすぎた唇が切れて、血の味がした。
何年も前の記憶だから、間違いかもしれない。暗闇で姿は見えなかったし、騒音が酷くてあまり聞こえなかった。勘違いなら、いい。
もし本当にあの男だったら、僕は、姉を傷つけて捨てた男をみすみす逃した、どうしようもない大馬鹿野郎だ。
その時、肩に誰かの指が食い込んだ。
「よくも足を引っ張ってくれたな……」
クラウス様だ。しかも怒ってる。無表情だからわからないけど、たぶん怒ってる。
「す、す、すみません!僕は武器持ってなかったんで、これしか……」
武器を持っていたとして、僕が使ったらただの自傷行為になるけど。不器用すぎて。
愛想笑いをしてみるが、上から突き刺さる視線はますます冷えてゆく。
「違う」
「な、何がでしょう……?」
「どうして動かなかったのかと言っているんだ!おかげであいつらを取り逃しただろう!?だいたい……」
何かを言おうと口を開き、やがて諦めたように目を伏せる。重い溜息をつく。
「すぐに追いかけなかった俺も悪い。勝手に巻き込んだのも俺だ。……一方的に責めたりして、すまなかった」
クラウス様の言葉は淡々としていたが、少し落ちこんでいるように見える。気のせいだろうか。
僕は愛想笑いで返して、目を逸らした。もう何も考えたくなかった。
色々なことがあり過ぎて、ぐちゃぐちゃで、余計なこと思い出したりもして、疲れた。
帰りたい。
全部なかったことにして、忘れてしまいたい。今のことだけじゃない、全部、ぜんぶ消してしまいたかった。
僕は僕のことで精一杯だ。だから、他人に関わってはいけなかった。わかっていた、はずなのに。
溢れそうになる濁った感情を飲みこんで、僕は必死にへらっとした。へらへらすることで、逃げようとしたのだ。
「何がおかしいんだ」
「ごめんなさい、おかしくないです!さあ、帰りましょう!」
帰る場所なんて、とっくに見失ったくせに。
会場は未だに大混乱で、灯りもない。ただ、ずいぶん人は減っていた。遅れて出ていく人々がすれ違うの横目で眺めながら、手探りで進む。
リラ様はどこだろう。無事だろうか。
罪悪感や不安に胸が締め付けられる。
もうとっくに避難しているかもしれない。王様やそのほかの王族は全員いないのだから。それでも、何となく罪滅ぼしのように彷徨い歩く。
リラ様に対してではない。自分勝手な理由だ。
何度か行ったり来たりしたが見つからない。やはり帰ったのだろうか。
けれど、もしこの場に残っていたら大変だ。何をしでかすかわからないし、怪我をしているかもしれない。もし何かあったら彼女を置いて出た僕の責任だ。
ギュッと拳を握りしめる。再び探そうと決めたその時、微かに歌声が聞こえてきた。
耳を塞ぎたくなるような騒々しさに交じる、囁くような優しい、それでいて哀しい旋律。
リラ様だ。
人の間を縫い、歌声のする方を目指す。もともとは豪華であったのだろう擦り切れたり汚れたりしたカーテンの前に立ち、
「リラ様、そこにいますよね」
歌がピタリと止まる。
どうしてこの人は、こんなわかりにくい場所にいるんだ。馬鹿なのか。
呆れつつカーテンを開くと、休憩室か何かのような、小さな部屋だった。淡い月光が辺りを青みがかった銀に染め、それでいてぼうっと霞んでいる。
部屋の隅に、彼女はうずくまっていた。小さな子供のように。
「……リラ様」
呼びかけると、リラ様は顔を上げずに、
「ハルの馬鹿。遅いわ、今まで何をしていたの?」
「リラ様がこんなわかりにくい場所にいるからでしょう」
「ハルが見つけてくれなかったのが悪い」
「理不尽です」
こっちは色々あったっていうのに。心配して損したとムッとすると、か細い呟きが落ちた。
「ずっと……ずっと、歌ってたのに。わかってくれたっていいでしょう」
拗ねたような口調に、ズキリとした。
たぶんリラ様は、ずっと待っていたのだ。彼女も王女なのに、他の人と違って、自分で頑張るしかないから。だから、せめて僕が気づくようにと、ずっと歌っていた。
「……すみません」
「仕方ないから、許してあげる」
笑みを含んだ声だった。すくっと立ち上がり、さっきまでのしおらしさが嘘のように、朗らかに笑う。結い上げた銀髪がさらさらとこぼれ、月光に溶ける。
だが、僕の顔を見た瞬間青ざめ、すっとんできた。
「な、なんですか!?」
「何ですかじゃないわよ!どうしたのその傷は!?」
リラ様がそっと僕の腕に触れる。上着の腕の部分が破れ、血で真っ赤に染まっていた。
気がついた途端、痛みが主張し始める。鈍すぎる感覚にゾッとしながらも、まだ、痛みがあってよかったと安堵する。
「ここ軽く爆撃うけてるから、その時に怪我したんじゃないの?」
「まあ、そうですね……」
ここを抜けだして得体のしれない二人組と乱闘してたからですとは、さすがに言えない。
「他に怪我は?」
「えっと、特には……」
「わかったわ。ちょっと待ってて」
リラ様は自分の袖を躊躇いなく引き裂くと、僕の腕に巻き始めた。
「え、ちょっと、そこまでしなくても……」
「駄目!ハルは私の遊び相手だって自覚あるの?」
引っこめようとした僕の腕を両手でつかみ、頬を膨らませて睨んでくる。
僕の存在価値は遊びなのか。地味に酷い。
リラ様は意外と手際がよく、
「はい、できた」
キュッと結び、微笑む。
「それじゃあ、帰ろうか」
「そうですね……」
ふとリラ様が包帯がわりに巻いてくれた布に目をやり、凍りついた。凍りついて、ピシピシと亀裂が入ってゆく。
柔らかな薄紫の布が鮮血で塗り潰される。それが布だけでなく、僕の視界そのものを覆い尽くそうとする。
周りから音が消え、景色がぐらぐら揺れる。足元に流れてくる血の海と、吐き気がするほど甘ったるい、紫の霧。幻覚とわかっていながら、耐えられずに膝をつく。
脳裏に浮かぶ憎悪の眼差しと、絶叫。銀色に光るナイフ。紫のドレスを赤く染め、崩れてゆく少女。華奢な手が誘うように伸ばされ、暗闇に吸いこまれていった。
リラ様の顔さえぼやけて、昔、僕が引き起こした悪夢そのものに飲みこまれる。
嫌だ。思い出したくない。思い出したくない!
苦しい。息ができない。まるで、首を絞められているようだと思って、笑った。もし本当にそうなら、まだよかったのに。
少女の嘲笑う声を遠くに聞きながら、僕の意識は薄れていった。