~第七話~君主、決断する
超遅れました。
とりあえずどうぞ!
side 陶応
戦いを勝利で飾った僕達義勇軍は、敵陣であった所に陣を張り、一夜を過ごすことになった。
僕は一先ず、今後の方針と今日の反省点を話し合うため、朱里と雛里の天幕に赴いた。
「お疲れのところ、お呼びしてすみません」
朱里は申し訳なさげに眉尻を下げる。
「いや、僕も話し合わなければならないと思っていたからね。気にしないでくれ」
僕はそう言って、朱里に微笑を向けた。
今日の戦いは、結果的には勝利したが、とても褒められるような内容ではなかった。
それは偏に、僕達軍師陣の失態が大きく関与している。
「まずはどれから話そうか?」
僕は二人に尋ねた。
「それでは、張元小隊長の件について話しましょう」
朱里はそう言って、僕に席へ座るように促した。
「……張元の行動を予測出来なかった。これは僕達の失態だろう。だけど、こればっかりはなぁ……」
僕は用意された席に着くとそう言って眉をひそめる。
「そうですね……。私達が人選を誤らないようにすることは出来ても、実際に軍規を守るか守らないかは兵達次第ですから……」
雛里はそう言って、困った表情を浮かべた。
「まあ、桃香の求心力がまだ足りないということなんだろうけど、これは今すぐどうにかなる問題ではないからな。当分は、軍規を厳しくするとかくらいしか、対処する方法はないだろうね」
「やっぱり、義景さんもそう思いますか?」
朱里はそう言って、僕に向き直る。
「まあ……ね。求心力については、桃香の今後の頑張りに期待するしかないな」
「そうですよね……」
朱里は困ったように溜息をついた。
「なら、この件は軍規を厳しくするという方針でいいですか?」
雛里はそう言って、僕と朱里に確認する。
「ああ、構わない」
「私もそれで良いよ、雛里ちゃん」
僕と朱里はそう言って同意した。
雛里は今決まったことを、いそいそと書簡に書き記している。
さて……そろそろ今日一番の議題に移そうか。
「じゃあ次は…………今日の本題でもある、軍略面での失態について話そうか。二人の意見が聞きたい」
おおよその見当は互いについているものの、僕は敢えて二人に意見を求めた。
「……完全に敵を侮っていました。今や黄巾賊は数々の官軍を破っているということを、まったく念頭に入れていませんでした」
雛里はしょんぼりと呟く。
「結果的には、一刀さんの機転のおかげで私達が攻める側に回り、勝利を手にすることが出来ました。ですが、もし私達が守る側に回っていたら、大きな被害は免れなかったでしょうね……」
朱里も俯きながらそう言った。
「まあ、そうだろうね。今回は本当に幸運だった」
僕はそう言って、二人に同調する。
だが、幸運とは長くは続かないもの。
もし、次も今回のような失態を犯せば、恐らくその先に待つものは…………破滅だろう。
まあ、今回の経験を経て、これから先、僕達が敵を侮るなんてことはもうないだろう。
だが…………
「そもそも、私達が敵を侮ってしまった根本となる原因は、私達が有する情報の少なさが機縁だと思います」
朱里はそう言って、困った表情を浮かべる。
これこそが、今、僕達が最も憂いていること。
圧倒的情報不足である今の現状は、今後にも支障を来たすだろう。
「今後は、斥候の数、錬度、共に高めていく必要があるでしょうね……」
消え入りそうな声で、雛里はそう言った。
雛里の言う通り、これが最優先事項だろう。
「あの、そのことなんですけど……」
「ん?」
僕に視線を向け、朱里が恐る恐る話し出す。
「さっき雛里ちゃんと話し合って、斥候を含めた情報の統括を、義景さんにお願いしたいんです」
「僕に?」
僕はいきなりの提案に驚いた表情を浮かべた。
「……随分突然だね?そんな大事な役を僕なんかがやっても良いのかい?」
「はい、むしろ適任かと……」
朱里はそう言って、その大きな瞳で僕を見つめる。
何故僕なんかが適任なんだ?
むしろ、こういうことは軍師全員でやった方が良いのではないだろうか?
「理由を聞いても良いかい?」
僕は朱里にそう尋ねた。
「……お恥ずかしながら、私達が軍師として物事を思考する時、どちらかと言えば私は政治、雛里ちゃんは軍事の方向に偏ってしまう癖があるんです」
朱里はそう言って、恥ずかしそうに俯く。
「でも、義景さんはどちらの知識にも明るく、均衡のとれた思考をされますよね?情報を統括するなら、そういった思考が出来る義景さんの方が、私達より効率よく必要な情報をまとめられると思ったんです」
そう言って、雛里は僕に向き直った。
「それに、もし義景さんが情報統括を担当してくれれば、私は財政、雛里ちゃんは軍略に集中出来ます。この形態を取れば、私達軍師陣の仕事が、今よりもっと効率良く回ると思うんです」
朱里がそう言うと、隣の雛里も勢い良く頷く。
「なるほど……道理だな」
確かに、二人が言うようにその方が効率が良い。
要するに、役割分担をしようというわけだ。
「……分かった。その話、受けよう」
僕がそう言うと、二人は花が咲いたように笑顔になった。
その後、明日からの方針を話し合った。
まずは、程遠志達が守っていた兵糧をどうするかということ。
そのまま僕達の兵糧に加えることも考えたが、その場合、もともと民草の食糧だったものを僕達が黄巾賊から強奪したという、要らぬ噂が流れる恐れがある。
最悪、世の人々から、桃香の人格が疑われるような評価がつくことも考えられるだろう。
現段階で、それは少々まずい。
そのような評価では、才のある文官、武官が集まらないからだ。
よって、敵の兵糧は全て焼き払うことにした。
不安の芽は早めに摘み取っておいた方が良い。
まあ、僕達も余裕があるわけではないので、出来れば僕達の物にしておきたかったが、こればかりは致し方ないだろう。
次に話したことは、僕達の明日からの進軍場所について。
これは、朱里と雛里があらかじめ決めていたようだ。
青州の済南郡に、黄巾賊の頭領である張角が、約十二万の兵を率いて陣を敷き、洛陽攻めのための準備をしているらしい。
張角を討つため、現在、各諸侯が続々と済南郡に出陣しているらしく、僕達もその討伐戦に加わった方が良いと二人は判断した。
二人曰く、桃香の名を広める絶好の機会でもある。
故に、僕達も済南郡へ進軍しようというのが二人の意見だ。
対する僕の意見は少し違った。
進軍する場所は別に悪くないと思う。
だが、僕としては、兵糧に余裕がない今の状況は看過できない。
故に、一度父上の城に戻るべきだと考えていた。
勿論、その弊害もある。
もし、一度父上の城に戻ってから再出陣した場合、張角の討伐戦に完全に出遅れる。
そうなれば、せっかく桃香の名を広める機会も無駄になってしまうだろう。
どっちにしろ、この案件は僕達だけでは決められないので、明日の朝の軍議で桃香の判断を仰ぐことになった。
とりあえず、話し合った内容としてはこんなところか。
僕は頭の中で色々と整理しながらそう思った。
「では、後は明日の軍議で決定しましょう」
机に広がっていた資料を片しながら、朱里はそう言った。
「そうだね。いつの間にかこんなに遅くなってしまっているし、今日はこれでお開きとしよう」
僕はそう言って、席を立った。
「じゃ、僕はもう行くから」
「はい、お疲れ様でした」
「おっ…お休みなさい」
僕の言葉に、朱里と雛里はそう言って笑みを浮かべる。
「二人共、お休み」
僕はそう言って、二人の天幕を後にした。
自分の天幕まで歩いている僕は、ふと空に目を向けた。
半分まで欠けた月が、優しく辺りを照らしている。
「情報統括……か」
僕は先程話した内容を思い出しながら、独りごちた。
今の僕達には情報自体が足りていない。
それを統括しろとは、随分と難しい話だな。
この軍の情報収集力は、はっきり言って危機的状況だ。
こんな有様では、やがて来る群雄割拠の時代で生き残ることなど出来はしない。
後からでは遅いし、やるなら今だ。
まずは斥候部隊を構築しなければならない。
それも、ただ構築するだけではなく、しっかりと訓練を施さなければならない。
訓練期間は、斥候経験者なら一週間、未経験者なら一ヶ月といったところか。
だが、大半は未経験者だろうから、一ヶ月を目処に考えておいた方が良いだろう。
空白の一ヶ月は、父上の軍から情報を流して貰うしかなさそうだ……。
父上にはならべく負担をかけたくなかったんだが、そうも言ってられない。
背に腹は変えられないとはまさにこのことだ。
とりあえず、今のところはここまでか。
どこに配属するかはまだ決めていないが、それは後で良い。
当面は斥候部隊の完成を急がなければ。
「やれやれ……これは骨が折れる……」
僕は一人そう呟いて、微かに苦笑した。
だが、やるしかない。
僕はそう思いながら、月明かりの下、歩みを進めた。
side out
side 一刀
「ハッ!フッ!ハァッ!」
まだ太陽も顔を出していない、朝靄の残る早朝、俺の声と刀が風を斬る音だけが辺りに響いた。
朝独特の、少し心地好いピンと張り詰めた空気が漂うこの場所では、昨日激しい戦闘が行われていたのだが、そんなことは到底信じられない程、辺りは静寂に包まれている。
そんな中、俺はいつものように、早朝の鍛練に勤しんでいた。
昨日の戦の疲れが多少なりとも残ってはいるが、そんなことは関係ない。
毎日やるから鍛練なのだ。
俺はそう思いながら、一降り一降り心を込めて刀を振るう。
一歩でもじいちゃんに近付きたくて、俺は毎日鍛練を続けているが、正直じいちゃんに近付いている実感はない。
まあ、自分ではわからないものなのかもな。
そう思いながら、俺は最後に力強く横一閃を振るい、軽く手の上で刀身を回転させ逆手に千代桜を持つと、静かに鞘へ納めた。
「すぅ……はぁぁぁ……」
深呼吸をして息を整えると、俺は脇に置いたタオル替わりの手ぬぐいを取る。
その時、近くの天幕の脇から、人の気配がした。
その人は、俺のよく知る人だった。
「こんな朝早くから鍛練とは、感心だな」
いつから見ていたのかはわからないが、そこには微笑を浮かべた義景が腕を組みながら天幕に寄り掛かっていた。
「義景も充分早いじゃないか。いつもこの時間に起きているのか?」
俺は手ぬぐいで汗を拭きながら尋ねる。
「いや、今日はたまたま早く目が醒めただけさ。それより、君は毎朝こんなに早くから鍛練をしているのかい?」
「まあね。一応、俺も武人の端くれだから、鍛練は欠かせないよ」
俺はそう言って、義景に笑みを向ける。
「君は偉いね……。その言葉を士陽にも聞かせたい……」
「ハハッ……」
溜息混じりの義景のぼやきに、俺は苦笑した。
だが、そうは言っても士陽はあれでいて天才型だ。
士陽の場合、偃月刀だけでなく弓も使うから、普通は鍛練にかなり時間がかかるはずなのだが、士陽はそれを短時間で効率良くやってしまうのだ。
しかも、それで実力が衰えたことは一度もないのだから、天才としか言いようがない。
まあ、当の本人は如何にしてサボるかって考えてるだけだろうけど。
つくづく面白い男だ。
俺はそう思いながら、ククッと笑った。
「まあ、士陽に君と同じ行動を求めること自体、無駄な労力だな」
「ハハッ、違いない」
義景の言葉に、俺は吹き出しながら同意した。
和やかな雰囲気の中、俺達は笑い合う。
とても良い気分で、俺の一日がスタートした。
軽く義景と談笑していた俺は、太陽が高くなりだした頃に別れ、その後士陽と合流し、朝食を取っていた。
朝食と言っても、質素な物しかないが、まあ、これはこれで美味かったりする。
「お前、今日から朝の軍議に出席することになってるけど、わかってるよな?」
茶碗に盛った粥を掻き込みながら、士陽は俺にそう言った。
「わかってるよ。桃香様の天幕でやるんだろ?ちょうど今朝、義景から聞いたよ」
俺は竹筒に入れた水を飲みながら答える。
「まあ、わかってるなら良いけどよ……。って言うか、お前いつ義景の奴に会ったんだ?」
「お前が寝てる時にだよ……。俺が早朝に鍛練してたら、アイツも起きてたんだ」
俺がそう言うと、士陽は露骨に呆れた表情をした。
「お前……戦があった翌朝も鍛練してたのか?」
「そうだけど?」
「うわぁ……真面目だねぇ。俺だったら、戦があった翌日は休むけどな」
何故か威張りながら士陽はそう言う。
「良いだろ、別に。ぐーすか寝てるお前とは違うんだよ」
「馬鹿だな、お前。寝る子は育つって言うだろ?」
「子供って歳じゃねぇだろ……」
俺は呆れながら、お粥を掻き込んだ。
「ほら、もう行かないと軍議に遅れるぞ!」
「もうそんな時間か……。うしっ!じゃあ行くか!」
気合いを入れ直したように頬を叩き、士陽は立ち上がる。
茶碗を片した俺達は、そのままの足で桃香様の天幕へ向かった。
天幕に入ると、すでに義景達軍師陣が桃香様と共に円卓に座っていた。
「来たか……。とりあえず、空いてる所に座ってくれ」
義景に促され、俺と士陽は適当な場所に座る。
その後、5分も経たずに愛紗と鈴々が現れ、軍議の準備が整った。
「全員揃ったみたいだね。じゃあ、朱里ちゃん、進行お願いね?」
桃香様の言葉に頷いた朱里は、軽く咳ばらいをして話し始めた。
「皆さん、昨日はお疲れ様でした。今日は今後の方針について話し合いたいと思います。まずは、私達軍師陣の案を、義景さんと雛里ちゃんの方からご説明します。では、二人共、お願いします」
朱里の言葉に頷いた雛里は、義景の広げた地図を見つめた。
「えっと……皆さん、おはようございます。それでは、私達の案をご説明します。まずは地図を見てください」
雛里の言葉に従い、俺達は地図に視線を移す。
「今、黄巾賊頭領の張角が、青州の済南で、約十二万の兵を率いて洛陽攻めの準備をしていることがわかりました。それに伴い、各地の諸侯が張角討伐に向け、続々と済南へ軍を送っています。私と朱里ちゃんの意見としましては、これは桃香様の名を広める絶好の好機とであると考えられます。故に、私達も済南へ進軍すべきかと……」
雛里はそう言って、桃香様に視線を向けた。
「……一つ疑問があるんだけど、良いかな?」
桃香様の言葉に雛里が頷く。
「これって義景君も同意なのかな?さっきの話の中では、雛里ちゃんと朱里ちゃんの意見しかないよね?」
桃香様はそう言って、雛里を見つめる。
確かに、俺もそれは気になった。
周りを見ると、皆もそれに気付いたようだ。
「やはりそこに気付いたか……」
義景がそう呟くと、周りの視線は義景に向く。
「桃香の言う通り、これは朱里と雛里の意見だ。僕の意見は少し違う」
義景はそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「僕は、一度父上の城に戻ることを進言する」
「なっ!?本気で言っているのですか!?」
義景の言葉に、愛紗が激しく反応した。
「雛里の言う通り、これは千載一遇の好機です!貴方はそれを見過ごすと言うのですか!?」
「愛紗、君の言いたいことはわかる。だが、君は忘れていないか?今、僕達は兵糧に余裕がない」
「っ!」
義景の言葉に、愛紗は何かに気付いた表情を浮かべた。
なるほどな……。
愛紗だけでなく、全員が義景の言いたいことを理解した。
「わかって貰えたようで何より。僕としては、兵糧に余裕がない今の現状は看過出来ない」
「だから城に戻ると?」
「そういうことだ」
俺の呟きに、義景は頷いて肯定した。
「でもよぉ、それじゃ確実に張角討伐戦には遅れるだろ?良いのかよ?千載一遇の好機なんだろ?」
士陽はそう言って難しい表情を浮かべた。
「だから僕達軍師陣だけでは決められなかったんだ。こればっかりは、桃香に決めてもらうしかない……」
「へぇっ!私!?」
桃香様が素っ頓狂な声を上げた。
「そりゃそうだ。この義勇軍の最高責任者は君だろう?」
義景は呆れた表情でそう言う。
「うぅぅぅ…………」
桃香様は困った表情で唸る。
これは難しい選択だな……。
「一刀のお兄ちゃん。これは大事な話なのかー?」
「そうだね。今後の俺達の行く末に関わる話だよ」
「んー?鈴々にはよくわからないのだ」
俺の隣に座る鈴々は小首を傾げ、不思議そうな表情をした。
これは鈴々でなくても、どっちが良いかなんてわからんぞ?
「義景君、これって、どっちを選んでも利点と欠点があるんだよね?」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、利点はどっちの方が多いの?」
桃香様は真剣な表情で義景に尋ねた。
「利点のみを追求するなら、朱里達の案の方が遥かに多い。だが、兵糧に余裕がない今、済南に進軍するのは危険だ。最悪、兵糧が尽きて軍が瓦解する恐れがある」
義景はそう言って、悔しそうな表情を浮かべる。
本当は、城に戻るなんて言いたくなかったんだろうな……。
桃香様は、しばらく目を閉じ悩んでいる様子だったが、考えがまとまったのか、俺達に向き直った。
「…………決めたよ。私達はこれより、済南へ向け進軍します!」
桃香様はそう言って、力強い視線を俺達に向けた。
「……そうか。なら、その方針でいこう」
「えっ?良いの?」
義景の呟きに、桃香様は意外そうな表情を浮かべた。
「さっきも言ったけど、この軍の最高責任者は君だ。君がそう決めたのならば、僕達臣下は何も言わないさ。そうだろう?」
俺達に視線を移し、義景がそう言うと、俺達は全員頷いた。
「それに、僕は朱里と雛里の案が悪いとは思っていない。それも一つの選択肢としては有りだからね」
義景はそう言って微笑した。
「では、今後は済南へ進軍するということで決定します。兵糧の件は、私達で何とかしてみますが、最悪、現地で他の諸侯に頼ることになるかもしれません。ですので、悔しい思いをすることがあるかもしれませんが、そこはどうか我慢してください」
朱里は申し訳なさげにそう言って、話を纏めた。
まあ、悔しい思いをすることもあるだろうな。
でも、軍が瓦解するよりかはマシだし、仕方ないよな。
皆もそれはわかってるみたいで、誰も異論は唱えなかったし。
「じゃあ、とりあえず話は……」
最後に桃香様が締めようとしたその時、
「申し上げます!」
一人の伝令兵が、血相を変えて天幕に飛び込んできた。
side out
side ???
「何ですって?」
私は斥候が持ち込んだ情報に我が耳を疑った。
「でっ、ですから、我等の進軍先であった、黄巾賊の補給所は、劉備と名乗る者によって、すでに制圧されています」
私に睨まれ、たじろぎながら、斥候の兵がそう言った。
「どういうことだ!華琳様以外に、あの場所を狙っていた者がいたというのか!?」
「そっ、そういうことかと……」
そう言って、私の右腕でもある春蘭が斥候の兵に詰め寄る。
「止しなさい春蘭」
「ですが!」
「その者が悪い訳ではないでしょう?」
「っ!……はい」
私の言葉で春蘭は大人しくなる。
ふふ……良い子ね。
「ですが華琳様、あの地が制圧されたとなると、我等の進軍は無駄になってしまいますが……」
私の隣に控える桂花は困った表情でそう呟く。
確かに、ここまでの遠征が無駄になったことには違いない。
私達は黄巾賊の補給拠点を制圧した後、すぐに済南の張角討伐へ乗り出すつもりだった。
だけど、よく考えると、大した問題ではないのかもしれないわね。
賊の補給拠点は潰れたし、元々ここから済南へ行く手筈になっていたのだから、予定自体に大きな狂いはないはず。
むしろ、我が軍の兵に被害がなかったのだから、問題はない。
私は状況を整理すると、決断した。
「……私達は進路を切り替え、済南へ向かいます。桂花、何か支障は?」
「兵糧、兵の体力、共に現段階ではまだまだ余裕がありますので、問題ないかと」
桂花は帳簿を見ながら力強くそう言った。
「よろしい。……それにしても、この私より先に、あの地に目をつけるとは、その劉備とやらは中々面白いわね」
「そうでしょうか?私は劉備などという名は聞いたことがありません。偶然ではないですか?」
私の呟きに、春蘭は小首を傾げてそう言った。
「例え偶然だったとしても、劉備軍はあの程遠志の軍を破ったわ。少なくとも、官軍よりは力がある。非常に興味深いわね……。そうは思わない?秋蘭?」
「……お会いになるつもりで?」
秋蘭はそう言って苦笑する。
やっぱり秋蘭はわかっているようね……。
「今すぐ劉備軍に使者を送りなさい。曹 孟徳が貴軍の指揮官に面会を求める、とね」
「御意」
私は近くの兵にそう命じた。
さて……劉備とやらは私に並ぶ存在に成り得るのかしら?
私は自然と口角が上がる。
「楽しそうですね、華琳様」
秋蘭が苦笑しながらそう言う。
「もちろん。劉備とやらがどの程度の器なのか、この曹 孟徳が直々に計ってやるわ。桂花、貴女は本陣で留守をお願い。春蘭、秋蘭、行くわよ!」
「「「御意」」」
私は三人の返答を聞くと、先頭を切って天幕を出た。
ふふ……劉備とやら、私を失望させないでね?
side out
side 劉備
伝令さんから伝えられた内容は、驚くべきものだった。
私達の本陣に、官軍の部隊が近付いているそうだ。
特徴としては、通常の官軍の旗を用いず、“曹”と書かれた旗を掲げているらしい。
雛里ちゃんの話によると、この軍は許昌を中心に活動している曹操さんの軍であり、曹操さんは官軍に乞われて黄巾賊の討伐に乗り出した諸侯なのだそうだ。
「その曹操さんが、私に面会したいって言ってるの?」
「はっ、そのようです。先程、曹操殿の使者が来て、そう伝えられました」
私の問い掛けに、伝令さんはキビキビと答えた。
「曹操さんって、どんな人なの?」
私は隣にいる義景君に尋ねた。
「器量、能力、兵力、財力、どれを取っても高水準であり、まさに次世代の英雄と呼べる程の人物だな」
「うわぁ……何だよその完璧超人は?」
義景君の言葉に、士陽君が苦々しい表情を浮かべる。
「でも、そんなすごい人が、私に何の用だろう?」
「それは……私にもわからないですけど……」
朱里ちゃんに尋ねると、困った表情でそう呟いた。
「もしや、桃香様の功績を横取りしようと思っているのでは?」
愛紗ちゃんは眉間に皺を寄せる。
「あの……それはないと思います」
すかさず雛里ちゃんが否定した。
「何故ないと言い切れる?」
「曹操さんが、自分の軍に誇りを持っていることは有名です。そんな誇り高い曹操さんが、そのような恥知らずな真似をするとは思えません」
雛里ちゃんはそう言って、愛紗ちゃんの目を見つめる。
「そっ、そこまで言うなら、まあ、良いが……」
愛紗ちゃんは納得していない表情でそう言った。
「まあ、何を要求してくるかわからない以上、警戒はしておいた方が良いね。それで、君は曹操に会うつもりはあるのかい?」
義景君は私の方に向き直り尋ねた。
「……曹操さんって、一応味方なんだよね?なら、挨拶くらいはしておいた方が良いと思う」
私は義景君を見つめながらそう言った。
「そうか……。ならば、曹操をこちらに呼び寄せよう」
「えっ?俺達が行かなくて良いのか?曹操は俺達より地位が高いんだろ?」
一刀さんは驚いた表情で声を上げた。
「例え僕達より地位が高いとしても、面会を頼んできたのは向こうだ。僕達が出向かなければならない道理はない。一刀、謙虚な姿勢は君の美徳だが、時としてそれが禍となる。覚えておくと良い」
「そっ、そうか。すまん……」
「ハハッ……謝る必要はないさ」
義景君は、申し訳なさそうにしている一刀さんを見て苦笑した。
「伝令はいるか?」
「はっ」
義景君の呼び掛けに、控えていた伝令さんが現れる。
「曹操殿の伝えてくれ。面会に応じ…」
「もう来てるわよ?」
義景君が伝令さんに話し出したその時、突然天幕に知らない声が響いた。
「ひゃわっ!?」
私はおもわず声を上げた。
びっくりした……。
私はそう思いながら、声のした方に視線を移す。
「あら、驚かせてしまったかしら?」
天幕の入口には、金髪の髪を縦に巻いた少女が、勝ち誇った表情で佇んでいた。
「誰だ貴様!」
愛紗ちゃんはその少女を睨みながらそう叫んだ。
「黙れ下郎!この方こそが、次世代の雄、曹 孟徳であるぞ!」
金髪の少女……曹操さんの隣にいる、赤い中華服を着た少女が、黒髪を靡かせながら、愛紗ちゃんを睨み返した。
彼女が曹操さん?
「まだ呼んでないのに何で……」
私は突然のことに、おもわずそう呟く。
「相手の出方を待っているだけの人間が、この乱世で生き残っていけると思っているのかしら?」
ニヤリと笑い、腰に手を充てながら、曹操さんはそう言った。
「まあ良いわ。改めて名乗りましょう。我が名は曹操。官軍に乞われ、黄巾賊の討伐のため転戦している人間よ」
背はさほど高くないけど、全てを見通すような鋭い眼差しを私達に向け、溢れんばかりの覇気をたぎらせる曹操さんの凛々しい立ち姿は、威風堂々という言葉がよく似合う。
「ところで、この軍の指揮官である劉備とやらは誰かしら?」
そう言って、曹操さんは周りを見渡す。
「あの……私ですけど……」
私は恐る恐る手を上げる。
「貴女が?へぇ……」
曹操さんはそう呟くと、私に目を向けた。
上から下までじっくり見まわされ、何だか同じ女でも恥ずかしい。
「曹操殿、我々に何か用が在ったのではないのですか?」
モジモジしている私を見かねて、義景君がそう言った。
曹操さんは義景君に向き直る。
うぅ……助かった。
「あら……陶応じゃない。この私の誘いを断って、劉備の下に就いたのね?」
「随分と棘のある言い方ですね?洛陽にいた時とは、状況が変わったんです。それがわからない貴女ではないでしょう?」
「まあ……それもそうね。それに、貴方より優秀な軍師なら、もう見つけたから良いわ」
そう言って、曹操さんは不敵に笑う。
「あの、それで私に何か?」
私は思い切ってそう言った。
「別に大した要件なんてないわ」
「えっ?じゃあ何で……」
「私が狙っていた黄巾賊の要地を、私より先に落とした者がいる。私の興味がその者に向くことは、自然なことでしょう?」
さも当たり前のように曹操さんは言う。
「何だ、ただの興味本位かよ」
気が抜けたように士陽君は呟く。
「貴様!華琳様になんという口を!」
赤い中華服を着た少女が憤った表情で叫んだ。
「あん?何だよ?」
ニヤリと笑う士陽君はそう言って、赤い中華服の少女を挑発する。
「貴様……表に出ろ!叩き斬ってやる!」
「あ?やるってか?上等だ」
一発触発の空気が辺りに広がる。
「止せ、士陽!」
「春蘭、止めなさい!」
一刀さんと曹操さんが、二人を窘める。
士陽君は肩を竦めて溜息をつきながら大人しく座るが、赤い中華服の少女はまだ怒っている。
「で、でも、華琳様!」
「その者が言うことは尤もよ。興味本位であったことは事実だしね。気持ちは嬉しいけど、今は控えて頂戴」
「……御意」
曹操さんの言葉に、赤い中華服の少女は大人しく従う。
「だからこそ、劉備、貴女に尋ねるわ」
「えっ?」
突然私に話を振られ、私は目を丸くした。
「貴女は何のために、義勇軍を指揮しているのかしら?」
曹操さんは私の目を見ながらそう言った。
何のためか……。
その答えはもう決まっている。
「……私は、この大陸を平和にしたい。誰もが笑って過ごせる、そんな世の中にしたい。そのために、義勇軍を立ち上げました」
私は曹操さんを真っすぐ見据えてそう言った。
「……それが貴女の理想なのね?」
「はい。理想であり、覚悟です」
これだけは誰にも譲れないし、譲るつもりもない。
私はそのために義勇軍を募ったのだから。
万感の思いを込め、曹操さんの目を見つめる。
「なるほど……」
曹操さんはニヤリと笑ってそう言った。
「あの、曹操さんも張角討伐戦に参加するんですか?」
「ええ、そのつもりだけど?」
「でしたら……私達と共闘しませんか?」
「……はあ?」
曹操さんは目を丸くした。
義景君達も驚いた表情をしている。
でも、私は本気。
さっき私は、義景君の意見を抑えて、済南へ行く決定を下した。
でも、義景君の言う通り、兵糧の不足は看過出来ない。
義景君の話だと、曹操さんは財力に優れている。
ならば、上手くいけば兵糧を分けて貰えるかもしれない。
恥ずかしいけど、現時点で私達が弱小勢力であることは事実。
今は恥ずかしさを耐えるしかない。
「何が目的なのかしら?」
曹操さんの表情が険しくなる。
「今、私達は黄巾賊討伐という共通の目標があります。ならば、黄巾賊の討伐が終わるまで共闘したほうが、お互いに自軍の被害を減らせるはずです」
「だから私に手を組めと?」
「はい。もちろん、曹操さんの手柄を横取りするつもりはありません」
「…………」
曹操さんは私を見つめたまま何も言わない。
やっぱり無理があったかな……?
「……良いでしょう。その話、乗るわ」
曹操さんは固い表情を崩すとそう言った。
「本当ですか!?」
やった!
上手くいった!
これで、さりげなく兵糧を分けて貰う交渉が出来る!
「差し詰め、兵糧を分けて貰う魂胆かしら?」
「っ!?」
曹操さんの言葉に、私は血の気が引く。
バレてる!?
まずい、怒らせたかな……?
「ふふ……その表情から察するに、図星のようね?」
曹操さんは微笑を浮かべながらそう言う。
「この曹 孟徳が、気付かないと思ったの?」
「あぅ……ごめんなさい」
私は素直に謝った。
良かった。
怒ってないみたい。
「まあ良いわ。兵糧も分けてあげましょう」
「良いんですか!?」
予期せぬ幸運に、私は声を上げた。
「で、貴女は何をしてくれるのかしら?」
「えっ?」
「えっ、じゃないわよ。誰もただであげるなんて言ってないでしょう?」
曹操さんの言葉に私は固まる。
「えっと……」
どうしよう……。
何も考えてなかった。
お金なんてないし、何が……?
「では、我が軍の地図を一つ贈呈しましょう」
私が慌てていると、隣にいた義景君がそう言った。
「地図?私達だって地図くらいあるわよ?」
曹操さんは怪訝な表情になる。
「でしょうね。ですが、我が軍の地図は、私を含めた軍師三人の知識が全て詰まっています。恐らく、官軍の持っている地図より詳しいかと」
義景君はそう言ってニヤリと笑う。
「……なるほど。そういうこと」
「おや、やはりわかりましたか?」
「わからないと思われていたなら、それは私に対する侮辱以外の何物でもないわね」
「まさか。そもそも私は、わからない相手にこんな交渉はしません」
義景君と曹操さんは、お互いに微笑する。
「えっ?義景君?」
義景君と曹操さんは話の内容を理解してるみたいだけど、私はさっぱりわからない。
「……後で説明するよ」
義景君は苦笑しながらそう言った。
「良いでしょう。ただし、共闘は張角を討伐するまでよ?」
そう言って、曹操さんは私に向き直る。
「はい。それで構いません」
「よろしい。じゃあ、私は自軍に帰らせて貰うわ。詳しい方針などは、この後、軍師同士で話し合いなさい」
そう言って、曹操さんは私達に背を向ける。
「あの!よろしくお願いしますね?」
「ふふ……よろしく。春蘭、秋蘭、戻るわよ」
「「はっ」」
振り向いた曹操さんは微笑を浮かべながらそう言って、天幕を出て行った。
「はふぅ〜……」
私は気が抜けて、後ろの椅子に崩れ落ちる。
「と、桃香様!?大丈夫ですか!?」
愛紗ちゃんは驚いた表情を浮かべる。
「あはは……大丈夫だよ。ちょっと気が抜けちゃった」
私は苦笑しながらそう言った。
「はわわ、桃香様、凄いです!」
「あわわ、兵糧の件どころか、あの曹操さんと共闘する約束までするなんて!」
朱里ちゃんと雛里ちゃんが興奮しながらそう言う。
「ははっ……少しは君主らしく出来たかな?」
私は苦笑しながらそう言った。
「ああ、君主らしい独断だったよ。おかげで冷や冷やした」
隣に座る義景君がそう言って、呆れた表情で溜息をついた。
「うぅっ……ごめんなさい」
私は素直に謝った。
やっぱり、勝手に決めちゃ駄目だったかな……。
「だが……」
「えっ?」
義景君の手が私の頭に乗る。
「本当に、よくやったよ……。君を君主に選んだ僕の目に、間違いはなかった。……頑張ったね、桃香」
そう言って、義景君は笑みを浮かべて優しく私の頭を撫でた。
「うん……エヘヘ」
私はおもわず笑みを浮かべる。
私を撫でる義景君の手がとても温かくて、褒められたことがすごく嬉しい。
「おい、桃香」
不意に私を呼ぶ声が聞こえる。
「イチャつくのは勝手だが、これからどうすんだ?」
ニヤつきながら、士陽君がそう言った。
「ふぇっ!?いっ、イチャついてないよ!」
私は慌てて否定した。
かあっと頬が熱くなる。
それと同時に、自分で否定した言葉で、胸がチクリとする。
私はおもわず義景君を見た。
「まったく……あまり桃香をからかうんじゃない。一応お前の主だぞ?」
呆れた表情を浮かべながら、義景君はそう言った。
「わりぃ、わりぃ。桃香の反応が面白くてよ」
そう言って、士陽君はニシシと笑う。
「お前、無粋過ぎだろ……」
一刀さんも呆れた表情を浮かべる。
一刀さんにまでそういう風に思われてる……。
周りを見ると、朱里ちゃんと雛里ちゃんは、はわわあわわと顔を真っ赤にさせ、愛紗ちゃんは気まずそうに頬を染めている。
鈴々ちゃんはよくわからなそうに小首を傾げていた。
まあ、鈴々ちゃんにはまだ早いかな?
それにしても……うぅ……恥ずかしいよぉ……。
「まあ、おふざけはここまでにして、本当にどうすんだ?」
士陽君は真面目な顔に戻るとそう言った。
「んん、コホン。えっとですね、桃香様のおかげで、兵糧の件は問題が無くなりました。ですが、共闘するということで、曹操さんの動きを常に注目しておく必要があるでしょう」
まだ微かに頬を染めながら、朱里ちゃんがそう言う。
「それはどういうことだ?」
そう言って、愛紗ちゃんは怪訝な表情を浮かべる。
「曹操さんの兵は精鋭揃いですが、私達の兵は訓練を施したとは言えほとんどが農民上がりです。この差はかなり大きいと思われます」
困った表情で、雛里ちゃんがそう言う。
「俺達の軍が曹操の軍に遅れを取り、曹操の足を引っ張るようなことがあれば、最悪、共闘関係が崩れる。そういうこと?」
一刀さんは雛里ちゃんに尋ねると、雛里ちゃんは静かに頷いた。
「兵糧を分けて貰えるんだから、足を引っ張る訳にはいかないよね……。じゃあ皆、朱里ちゃんが言った通り、曹操さん達の動きを見逃さないようにお願い!」
私の言葉に、全員が頷く。
さあ、ここからが本番だ。
私はそう思いながら、自分に気合いを入れ直すのだった。
side out
side 曹操
「華琳様、本当に良かったのですか?」
私の隣を歩く秋蘭がそう言った。
「勿論。貴女は私の決定が気に入らなかったのかしら?」
「いえ、そういう訳ではないのですが、済南へは我等の軍だけで十分であり、劉備の軍は逆に足手まといになる恐れがあります。そんな荷物と、何故共闘などと?」
そう言って、秋蘭は首を傾げる。
「確かに、秋蘭の言う通り、我が精鋭達ならば、済南へ行っても遅れを取ることはないでしょうね」
「勿論です!張角の首は、必ず私が取って参りましょう!」
私の言葉に、春蘭は気合いの篭った表情で答えた。
「あー……姉者、そういうことではなくてだな……」
春蘭の姿に、秋蘭は苦笑を浮かべる。
「ふふっ……秋蘭、春蘭はそれで良いのよ」
私は春蘭を微笑ましく思いながらそう言った。
「……まあ、そうですね。ですが華琳様、そこまで我が軍に自信を持ちながら、何故劉備と共闘を?」
「単純な話よ。劉備達には、我が軍の兵を守って貰うもの」
「守って貰う?……ああ、そういうことですか」
どうやら、秋蘭は私の意図を正しく理解したようだ。
「華琳様!あのような下郎に守って貰わずとも、我が武で、刃向かう者は全て蹴散らして見せます!」
言葉のままに理解してしまった春蘭に苦笑しながら、私は説明を始めた。
「違うわよ。劉備達には、我が軍の盾になって貰うの。我が精鋭達の被害は少ない方が良いでしょう?」
「なるほど!そういうことなら、私に異論はありません」
春蘭は納得したように、一人ウンウンと頷いていた。
「華琳様……陶応はどうします?」
秋蘭は難しい表情でそう切り出した。
「そうね……まさか、陶応が劉備の下にいるとは思っていなかったわ。完全に誤算ね」
そう言って、私は溜息をついた。
陶応は、この私が欲しくなるほど優秀だ。
先程の交渉も、実に見事だった。
まさか、地図を交渉材料にしようとは……。
あの聡明そうな二人の少女と、陶応が作った地図だ。
恐らく、かなり精巧なはずだ。
正直、欲しい。
地図という物は、戦略を練る上で最も重要な物だ。
故に、正確であればあるほど価値が上がる。
我が軍でも、当然独自の地図を作っているが、せいぜい官軍の地図より少し詳しい程度だ。
だが、陶応の場合、祖父の陶謙、父親の陶商、この二人によってある程度の情報を得ているはずだ。
それに、あの二人の聡明そうな少女も、それなりに情報を持ち寄っているだろう。
ならば、必然的に地図は正確になる。
恐らく陶応は、私が必ず地図を欲しがると踏んで、この提案を出したのだろう。
それも、劉備に隙が生まれたあの一瞬で……。
しかも、この提案には裏がある。
実際、この提案で、劉備が損益を受けることはほとんどない。
何故なら、共闘を宣言したことにより、共同で軍議を行い、その軍議でお互いに双方の地図は必ず見る。
故に、地図に関して言えば、互いに痛み分けであり、むしろ兵糧を分ける私が損益を受ける。
だが、それでも私は彼らの地図が欲しい。
陶家三代の知識が詰まった地図が貰えるならば、多少の損益は目を瞑ろう。
だが、ただで損益など受けてなるものか。
陶応がそういう手段で来るなら、私は劉備軍を我が軍の盾にするのみ。
兵糧を分け与えて、尚且つ共同で戦ってやるのだ。
いくら地図を貰おうと、対等なはずがない。
恐らく、それは陶応も分かっているはずだ。
どんな策を出そうと、文句など言わせはしない。
「春蘭、秋蘭」
「「はっ」」
「天幕に戻ったら、軍議を始めます。幹部階級全員へ、天幕に集まるよう伝令を出しなさい」
「「御意」」
二人の返事を聞き、私は天幕へ急いだ。
さて、今回の私の決断、“彼”はどう思うかしら……?
side out
side ???
「荀攸様、曹操様より伝令です。今すぐ天幕へ召集せよと申し遣わされました」
兵糧の備蓄を確認していた私は、伝令兵に向き直る。
「そうですか……。わかりました。ご苦労様です」
「はっ。それと、一つお願いが……」
そう言って、伝令兵は困った表情をした。
「……荀イクと張コウですか?」
「はっ。張コウ殿が荀イク殿に伝令を伝えに行ったのですが、いつものように口論になってしまい……」
「はあ……。その件も了解しました。私が何とかしましょう」
私は溜息をついて、くすんだネズミ色の髪を弄る。
私と桂花の関係は、少々複雑だ。
家系図的には、私は桂花の甥にあたるのだが、どういう訳か、私の方が四つ年上だ。
その所為もあって、昔は桂花とギクシャクしていたが、まあ、今となっては、彼女は良い妹分である。
桂花は聡明で良い子なのだが、極度の男嫌いだ。
私のことは親族として見ているのか、拒絶されたことは一度もないが、一兵卒から他の領土の君主まで、男に対してなら誰彼構わず嫌悪感を顕わにする。
本来軍師ならば、そのような差別意識は禁物なのだが……。
こればかりは何度言っても直らない。
そして、春蘭の副官を務める、張コウこと進宗との仲は、犬猿の仲と言って良い程悪い。
一度顔を遇わせれば、たちまち口論が始まってしまう。
毎回、飽きずによくやるものだ。
……ある意味、仲が良いとも言えるのか?
「やれやれ……」
とりあえず、華琳様が来る前に二人を止めねば……。
「うるさいわね!わざわざ私に言わないで、侍女に伝えれば良いでしょ!?」
華琳様の天幕の前では、案の定、桂花が進宗に怒鳴っていた。
「馬鹿言うな!何でそんな回りくどいことを俺がしなきゃいけないんだ!?」
「そうすれば私がアンタの顏を見なくて済むでしょ!?」
「そんな個人的なこと知るか!馬鹿かお前は!?」
「なっ!何ですってぇぇぇ!?」
華琳様の天幕の前で、進宗と桂花が激しく言い争っている。
まったく……まるで子供の喧嘩を見ているようだ。
「止しなさい、二人共。みっともない」
私は二人の間に割って入る。
「流さん!」
「兄様!」
二人は私を見ると、驚いた表情を浮かべた。
「華琳様の天幕の前で、貴方達は一体何をしているのです?」
私は呆れた表情でそう言った。
「兄様、聞いてよ!コイツが私の言うことを聞かないの!」
「ふざけんな!お前のはただの我儘だろ!?」
二人はそう言って睨み合う。
「はあ……。桂花、いくら男が嫌いだとしても、伝令くらい素直に受け取りなさい。華琳様の筆頭軍師が、それくらい出来なくてどうします?」
「うぐっ……」
溜息をつきながら私がそう言うと、桂花はシュンとなる。
隣に目を移すと、進宗はしてやったりな表情をしていた。
「貴方もですよ、進宗」
「うぇっ!?」
進宗は驚いた表情で声を上げる。
「何を驚いているのです?当然でしょう?貴方はもっと大人になりなさい。桂花と顔を遇わせる度に喧嘩をしているようでは、キリがありません」
「……すんません」
納得いかない表情で、進宗は桂花を見た。
「「ふんっ!」」
お互いに思い切り顔を背けると、不満の残る表情で天幕に入って行った。
「はあ……」
私は溜息をつきながら、二人の後を追った。
それから数分後、華琳様が天幕に到着し、早速軍議が始まった。
まず、華琳様からことの顛末の説明を受けた。
話を聞く限り、普段の華琳様なら、我等の不利益になる決断は絶対にしない。
一体、何が華琳様をそこまで駆り立てたのだろうか?
私がそう思っていると、隣にいた桂花が声を上げた。
「あの、華琳様?つかぬ事をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「許可します」
「では……こちらが不利益を被るとわかっていて、何故、劉備と共闘するのです?確かに、地図の話は魅力的ですが、いつもの華琳様なら、その程度の餌には食いつかないはずです」
どうやら桂花は私と同じことを考えていたらしいく、まっすぐ華琳様を見てそう言った。
「あら、兵糧にはまだ余裕があるんでしょう?」
「ですが……」
「何か不満があるのかしら?」
「…………」
華琳様がニヤリと笑ってそう言うと、とうとう桂花は押し黙ってしまった。
やれやれ……仕方ありませんね。
「不満があるに決まっているでしょう」
私がそう言うと、周りの者は驚いた表情を浮かべた。
「にっ、兄様!そんな不敬な……!」
「そうだぜ流さん!」
私の隣に座る桂花と春蘭の隣に座る進宗が慌ててそう言った。
「不敬?何を言っているのです?苦言のない臣下が、良い臣下だと思っているのですか?」
「でっ、でも……!」
私の言葉に、桂花は不安そうに瞳を揺らす。
「良いのよ桂花。私も人である以上、完璧ではないわ。ある程度苦言を言ってくれる臣下も必要だわ。ただし、筋の通っている苦言に限るけどね?」
華琳様はそう言って、面白そうな玩具を見つけたような表情で私を見る。
まったく……この状況を楽しんでらっしゃるようだ。
やれやれ……。
「……劉備と共闘するという大事な案件を、華琳様だけで決めるなんて、いくらなんでも独断が過ぎます」
私は溜息をつきながら、そう言って華琳様に視線を向ける。
「仕方ないじゃない。予想外の出来事があったんだもの」
「……先程言われた地図の件ですか?」
「えぇ……劉備の陣営に陶応がいた。これだけで、貴方ならだいたいの予想はつくでしょ?」
華琳様の言葉を聞いて、私はようやく理解した。
「そういうことですか……」
私はそう言って、溜息をついた。
私の記憶が確かならば、祖父陶謙は幽州刺史、父陶商は徐州刺史、そして、二人の才を色濃く受け継いだのが陶応だ。
巷では徐州の怪物とまで言われており、華琳様も一度は欲しがった程、才知に富んでいるらしい。
「まあ、だいたいは分かりました。ですが……」
と、一拍置いて、私は華琳様を見つめた。
「だからこそ、一度落ち着いて私達に相談して欲しかった。何も、一人で決める必要はなかったでしょう?」
「……そうね。それは私が悪かったわ……」
華琳様は真顔になると、そう言って苦笑した。
「まあ、もう共闘することは決まってしまったんだ。これからどうするか考えよう」
今まで静観していた秋蘭はそう言って、話を切り替えた。
「そうですね……。では、華琳様、これからどういたしますか?」
華琳様は少し考えたそぶりを見せた後、私達に向き直った。
「まずは、劉備軍と共同で軍議を行います。春蘭、秋蘭、進宗」
「「「はっ」」」
「三人は一度部隊に戻って、兵達に今日はここで陣を張るよう伝えなさい。その後、周辺の警備の指揮をお願い」
「「「御意」」」
三人はそう返事をすると、天幕を出て行った。
「桂花、流」
「「はっ」」
「二人は一刻後、劉備の軍師との共同軍議に臨みなさい」
「「「御意」」」
華琳様は私達に指示を出した後、ゆっくりと立ち上がった。
「桂花、一刻後、我が天幕で共同軍議を行う旨を劉備に伝えなさい」
「御意。華琳様は休まれますか?」
「そうね……。少し外の空気を吸ってくるわ」
桂花の問いかけに、華琳様は笑顔で答えた。
「流、ついて来なさい」
華琳様は私に視線を向けると、そう言って天幕を出た。
「やれやれ……。桂花、申し訳ないですが、一人で軍議の準備をお願いしても良いですか?」
「はい!兄様は華琳様にお供してあげてください!」
私が頭を撫でながらそう言うと、桂花は嬉しそうに微笑んでそう言った。
まったく……誰に対してもその笑顔を向けることが出来れば、桂花の人望はもっと厚くなるのだが……。
実際は、家族である私と、華琳様以外にこの笑顔を見せることはない。
本当に損な性格だが、こればかりは何度言っても直らないのだから仕方ない。
私はそう思いながら、苦笑する。
「では、後は頼みますよ?」
「はい、兄様」
桂花の返事を背中で受けながら、私は華琳様を追った。
side out
side 曹操
天幕を出た私は、軍が陣を張る場所から少しだけ離れた、小さな丘の上に腰を下ろしていた。
ここからは、我が二万の軍が良く見える。
我が覇道を世に打ち立てるべく旗揚げしてから、早いことでもう三年が経った。
この二万の兵達は我が誇りであり、この大陸でも屈指の兵であると自負している。
私はおもわずニヤリと笑った。
そう遠くない未来、必ず来るであろう群雄割拠の時代に、私はこの兵達と共に戦乱の河を渡る。
我が覇道がどこまで通用するのか……実に楽しみだ。
「こちらにおられましたか……」
そんなことを思っていると、聞き慣れた声が後ろから聞こえた。
「護衛も付けないで、お一人とは……。刺客に襲われたらどうするおつもりだったのですか?」
振り返ると、呆れた表情の流がそこに立っていた。
「あら、“絶”はちゃんと持ってきているわよ?それとも、この私が雑兵程度に遅れを取るとでも?」
我が獲物である大鎌を手に持ち、私は流に挑発的な笑みを向ける。
「そういう問題ではありません。貴女は君主なのですから、その自覚くらいおありでしょう?」
「勿論あるわよ?付き人なら、たった今貴方が来たじゃない」
「はあ……。良いですか?君主とは……」
溜息をつきながら、流は君主について話し始めた。
始まった……。
流のお説教は長いから面倒なのよね……。
私はいつもの如く話を聞き流し、物思いに耽った。
劉備の下に陶応がいたことは確かに驚いたが、正直、あまり気にはならない。
洛陽で陶応に誘いを断られた当時の私なら、かなり動揺しただろう。
だが、今の私には流と桂花という最高の軍師がいる。
この二人は陶応にも劣らない程の才を持っている。
今はまだ未熟な桂花だが、いずれとんでもない逸材に化けるだろう。
そして、そんな桂花を補佐出来るのは、甥である流しかいない。
勿論、流自身も相当優秀だ。
何せ、この私を前にして、平気な面で意見してくる。
その度胸は大したものだ。
しかも、見た目は至って平凡だが、実際はよく気配りが出来、口も固く、内面には知があふれ、私と同じ次元で物事を話せる。
正直、これ程ありがたい人材はそうそういない。
君主と言っても、私だって人間だ。
迷ったり、悩んだりすることだってある。
そんな時、臣下には見せることが出来ない本音も、流だけには話せる。
それ程、私は流を信頼しているのだ。
「……聞いているのですか?華琳様?」
まあ、この説教癖が玉に傷だが……。
「聞いてるわよ。要するに、ちゃんと護衛を付ければ良いんでしょ?」
そう言って、私は苦笑する。
「まったく……わかっているなら、そういうことをしないで下さい……」
流はそう言って、溜息をつく。
「ふふっ……ごめんなさい」
そんな流のそぶりが面白くて、私は思わず微笑んだ。
「やれやれ……。それで、本心は何なのです?」
唐突な質問に、私は思わず固まる。
「……何だと思う?」
私は挑発的な視線を流に向け、ニヤリと笑う。
「……まあ、先程は陶応のことを尤もらしい理由にしていましたが、恐らく、その件はただのオマケでしょう」
「……それで?」
「そうなると、考えられる人物は一人しかいません。あの軍の司令官であり、陶応の主である……劉備ですね?」
そう言って、流は私の目を見つめる。
「ふふっ……」
満足のいく流の答えに、思わず笑みがこぼれた。
やはり、流はわかっていたか……。
流は秋蘭と同じで、私の考え方をよく理解している。
そんな流なら、この答えにはすぐ行き着くだろう。
「しかし、何故劉備が気になるのです?いくら陶応の主とは言え、まだ無名の者でしょう?」
不思議そうな表情で流はそう言った。
「……劉備の理想が、面白かったからよ」
「理想?一体どんな……?」
「誰もが笑って過ごせる世の中を創る……だそうよ」
私の言葉を聞き、流は驚いた表情を浮かべた。
「……華琳様、それは……」
「ええ、不可能でしょうね」
私は首肯しながらそう言った。
全ての者がを笑顔で過ごせる世の中など不可能だ。
何故なら、どんなに私達が良い政治をしても、私達の知らないどこかで、不幸が訪れる人間が必ずいるからだ。
こればかりは、私達ではどうすることも出来ない。
でも……
「劉備の目は本気だった。恐らく、本気でその理想を実現しようとしているんでしょうね。そして、もし劉備がそのまま突き進めば……いずれ私と戦うことになるでしょう。我が覇道と、彼女の理想は相対しているもの」
「まさか……。劉備はまだ弱小勢力ですよ?」
「“今は”でしょう?だからこそ、この私に並ぶ器かどうか、見極めたいのよ」
そう言って、私は微笑んだ。
「なるほど。そういうことでしたか……」
納得した表情で、流は頷きながらそう言った。
「まあ、そういう訳だから、まずはこの後にある軍議を頼むわね?まだ桂花では、陶応に飲み込まれてしまうでしょうし……」
「分かっています。ですが、桂花の方が私より優秀ですよ?」
「頭脳は桂花が上でも、軍師としてはまだ貴方の方が上よ。これから桂花はもっと高みに昇るでしょう。でも、そのためには貴方の補佐が必要なのよ。貴方の伯母のことだもの。それは分かっているでしょう?」
私がそう言うと、流は苦い表情になる。
「はあ……それ、桂花の前で言わないでくださいよ?あの子、結構そのことを気にしているようなので」
流は溜息をつきながらそう言った。
「そんなこと、気にする必要なんてないじゃない。実際、貴方の方が年上なんでしょ?」
「まあ、あの子なりに考えがあるようです。こればかりは、慣れて貰うしかありませんね」
そう言って、流は苦笑した。
「まあ、職務に支障が出なければ、何でも良いわ。とりあえず、頼むわよ?」
「はっ、他ならぬ華琳様の頼みならば、必ず良い結果をもたらして見せましょう」
微笑を浮かべ、切れ長の目で私を見つめる流を頼もしく思いながら、私は劉備の本陣に目を向ける。
こんな形で、この私を楽しませる者なんて、そうそういない。
さあ、貴女はどれほどの器量なのかしら?
この曹 孟徳がじっくり見定めてあげるわ。
久しぶりの高揚感に、私はニヤリと笑ったのだった。
いやぁ……今回は本当に遅れて申し訳ない。
一応、理由は活動報告の方に書きましたので、ここでは割愛させて貰います。
さて、新キャラが登場しましたが、上手く書けているでしょうか?
今回は軍師達の回でした。
まあ、武官の皆は次回活躍しますよ!
それにしても、心理描写がムズイ(・_・;)
もっと研鑽を積まなければ……。
さて、今回はここまで!
では、また次回でお会いしましょう!